ひとりぼっち
直の楓に逢ったのは、母の葬式に参列してもらったときがはじめてだった。
「こうしてあなたはひとりぼっちになるけど、あの子のお母さんはわたしよりももっと早くに死んでしまったから、あの子もひとりぼっちなのよ」
亡くなる2週間前、久しぶりに病床で穏やかな顔を見せた母は、何の前触れも出さずにその話を切り出した。「ほんとうに、今日の夕暮れは綺麗。この秋一番に綺麗な夕焼けがこの窓から見渡せるわね」と、昨夜まで今日か明日かと意識の混濁していた顔がよそのひとのように感じられる横顔だった。
わたしは、その唐突さに怯まなかった。先に死んだ父の伴侶になったことで、波乱万丈の生涯を塗りこめられてしまった母の、その生がどのようなものであったかのか「きちんと刻んでおかねば」の心根の方が強かった。
「そんな、ドラマ仕立てみたいな大げさなこと、言わないわよ」
この期に及んでも、「幾つになっても、ひたいに縦じわ立てて」と言われそう。
幼い時から作り笑いの出来ない子だった。大人たちがおかしくもないのに笑いたてる横で、縦じわ立てた顔でむっつりし、周りを興覚めさせる。「いやらしい猿の顔」と、睨んだ時に父はすぐに小さな癇癪をつくり、それを母にぶつけた。
「せんせい」の呼称で呼ばれ慣れていた父は、自分でも分かってる醜い部分を見通されとき、それが幼い子でも真顔の癇癪で接した。そんな父に詫びをいれながら追いかける困った顔した母は、本当の顔で「いいのよ、いいのよ」と笑っている。
「こう思い返すと、あの頃が一番よかったのかもしれない。あなたとあのひとが一緒の家にいて、まがりなりにも3人で同じ空気をを吸っていたあの頃が。それに、わたしだって、こんなおばあさんじゃなかったし、あなただってそんな白髪頭じゃなかった。」
ときおり、母は、女の顔をする。父が去って女の顔を封じてから30年たつ。死期が迫り、封をしていた箱をひとつひとつ整理していったら、ほこりをかぶってた小さなかわいい箱を見つけた子供みたいな顔をして、悪びれもせずそれをわたしに向けてくる。
もう、その顔をみる男はわたししかいないんだ、お母さん。