意味が分かると○○な話ーホームヘルパーさんが妻のふりをしてくれたー
1
チャイムの音が聞こえた。
今日は下村さんがきてくれる日だ。
昨日母に内緒で一緒に食事をした次の日のため、顔を合わせるのは少し緊張をする。
もちろんデートではないため、緊張することもおかしな話ではある。
「みかさん。遅かったね。今日も来てくれてありがとう。雄一とは仲良くやっているかい」
母が満面の笑みで下村さんを出迎えた。
「母さん。ちょっと」
言いかけたところで言葉がつまった。訂正しないほうが母を幸せをするかもしれないと思ったからだ。
母が下村さんに向けるこのセリフを生で聞いたのは初めてだが、あまり驚くことはなかった。私のいないところで、母は下村さんに対して、「雄一は仕事一筋で寂しいだろう」「ちゃんと子作りしているのかい」とまるで、嫁姑のような会話をしているらしい。
昨日、下村さんに相談をうけた時は信じられなかったが、母もやはり歳をとったと感じた。
軽く認知症になった母は時々ホームヘルパーの下村さんのことを私の妻と勘違いをするらしい。ここ一年で一番長く時間を過ごしている若い女性のせいか、勘違いしてしまったらしい。
下村さんはとても美人な人だ。忙しいホームヘルパーの仕事を日々こなしているとは思えないくらい、表情は若々しく、母に対しての会話も本当に優しさを感じる。母が下村さんのことをお嫁さんと勘違いした発言をしても、いつもうまく返してくれる。
「ごめんね。下村さんいつも」
「いえいえ、でも藤原さん最近急に認知症になりましたよね」
「だね。本当に申し訳ない。こんなおじさんが旦那さんだったら嫌だよね。」
彼女にむけたこの自己嫌悪のセリフは本心だ。
昨日ふとしたきっかけで初めて食事にいった。確かに楽しい時間を過ごした。
だが、歳の差から自信を持てない。
台所で母に聞こえない程度の声で話す。
彼女が何か口にするとき、ふと下村さんが初めて家にきてくれた日をを思いだした。
2
私がホームヘルパーを利用するようになったのは1年ほど前だ。母の足腰が悪くなり、思うように食事や入浴ができなくなった。40歳の私は会社でも年相応の責任感のある役職についているため、介護と仕事の両立が難しく、日々の生活に苦しさを感じていた。
誰かにやってもらうという選択肢が浮かぶたび、それを打ち消した。
母子家庭で育った私は母に対して言葉では言い表せない感謝をしているため、他人に介護をしてもらうことに非常に引け目を感じていた。
母の介護、仕事のプレッシャー。いつしか減った母との会話。
仕事に疲れて言葉なんて発することはできなかった。そのせいか、母はいつからか私に話しかけることをやめた。
そのような日々が続いていたある日、母からの「雄一。無理しないでおくれ。自分の蓄えで雇えるから、ホームヘルパーにお願いしよう」という説得で、決心することにした。自分で払う余裕はあると思ったが、母の性格上それは許さないのだろう。
下村さんが最初に家に来てくれた時は本当に驚いた。失礼な話だが、ホームヘルパーは私と同年代かむしろ上の方かと想像していたが、一回り年下さらに美人だった。
あとから歳が30歳と知ったときは驚いた。20代前半でも十分に通用する。
私には彼女がいないため、少しだけもしも付き合えたら、と妄想をしてしまった。
私は独身だ。
母子家庭で育ち、できるだけ母に贅沢をさせてやりたいという思いが強かったため、仕事一筋でいままで頑張ってきたからだ。その反面、何度か彼女はいたものの、仕事を優先したため、そう長くはつづかなかった。会社で管理職を任される頃には彼女もいない独身の中年ができあがりだ。長く女性とは無縁の生活を送ってきたため、下村さんを一目見たときにこの人と付き合えたらどんなに幸せだろうと思った。だが、そのような下心はすぐにしまった。歳の差が離れすぎている。また、下村さんが自宅にきてくれるといっても、基本的に私が仕事をしている間の接点はほとんどなかった。少し残念に思えた。
たまに「ありがとうございます」「いえいえまたよろしくお願いいたします。」と定型的な会話をする程度だった。
下村さんが家にきてくれてから母との夕食の会話が増えた。
母から時たま「あの子いいと思わない?あんた彼女いないんでしょ」と聞かれることが多くなった。母は孫の顔がみたいのだろう。私はいつも苦笑いをしながら、母のおせっかいにうまく返事をできずにいた。
3
状況が変わったのはコロナ環境下からだ。
会社でリモートワークが推奨されるようになり、週に3,4日は自宅にいるようになった。
ホームヘルパーにお願いするのはやめて、自分で介護をしようとこころみたが、リモートワークと言えど両立はやはり至難のわざだった。引き続き、下村さんを雇うことになった。
在宅ワークのため会は少し増えたが、業務的なものばかりだった。
そこに変化が起きたのは下村さんを雇ってからちょうど半年がたったころだった。
その日も自分の部屋で仕事をしていたら、リビングで大きな音が聞こえた。
「すいません。お皿を割ってしまいました。」
驚いてかけつけたら、下村さんの周囲の床に割れた皿の破片がおちていた
「いえ、大丈夫ですか。かたづけましょう。」
「本当にすいません。藤原さん、お仕事なのにお邪魔してしまって。」
「いえいえ、あれ母は寝ていますか?」
リビングに母がいないことにきがついた。
「はい、大きな音を出してしまいましたが、起こさなくてよかったです。」
二人で皿を片づけているときに気が付いたが、こんなに下村さんと会話をしたのは初めてだ。在宅ワークになってから会話の量は増えたが、単に会うたびに「ありがとうございます。」という程度だった。
ふとこのハプニングで共同作業をすることができた。
「本当にお仕事中に失礼しました。」
「いえいえ、ちょうど昼休憩にはいるところでしたから。」
そう言いかけた時におなかがなってしまった。
「ふふ。」下村さんが屈託のない笑顔でわらった。
「もしよろしければ一緒にお昼どうですか?」
「あ、ではぜひ」
下村さんと初めてお昼をいっしょに食べた。もちろん外食ではなく、自宅にあるレトルトを食べただけだが、本当に幸せな時間だった。
下村さんはよく笑い、よく話す人だった。半年もヘルパーとして来てくれているのに今日初めて人となりをしった。
外見だけでなく、内面も好きになってしまった。
その日から特段会話が増えたわけではないが、お互いにかわす「ありがとうございます」がやわらかくなった気がした。
4
二人の関係が変化したのは下村さんからのある相談だった。
下村さんの業務がおわり、いつもように玄関先で見送りをするところだった。
「藤原さん。申し訳ありません。ちょっとご相談したいことがありまして・・・。」
下村さんはリビングにいる母には聞こえない声で、いった
「どうしたんですか」
「すいません。ちょっといろいろ事情がありまして。お母様にここでコソコソ話しているも気づかれたくないのですが、明日の土曜日あいておりますか?一緒に食事にいきたいのですが」
「え、どういうことですか」
「とにかくお願いします。あとお母様にはこの会話絶対に言わないでください。ちょっといろいろありまして・・・。」
お誘いはうれしいが何か嫌な予感がした。
翌日、待ち合わせ場所のカフェに到着すると、すでに下村さんが席に座っているのがみえた。
「お待たせしました。」
「お休みの日なのにすみません」
席につくと、下村さんは申し訳なさそうな顔でおじぎをした。
「いえいえ、どうせ休日も仕事か母の世話なので」
「藤原さんって趣味とかないんですか」
「昔は登山とか好きだったけど、今はまったく」
「あ、そうなんですか。私よく登りますよ」
昨日の下村さんからもちかけられた要件はすっかり忘れ、二人で会話が盛り上がった。
女性と二人で外食するのはいつぶりだろう。これまで、仕事ばかりでゆっくりした時間を過ごすことは少なかった。本来ならばブランクで弾むはずのない会話も下村さんとならスムーズに進む。
「なんか、1年くらい家にきてくれているのにこうしてゆっくりお話することなかったですね。」
「ですね、不思議な感覚です」
店員が私たちの珈琲を届けてくれてから、弾んでいた会話に少しの沈黙が生まれた。
「そういえば、ご相談ってなんでした」
「あ、そうでしたね。すごく言いづらい話なのですが」
下村さんから聞いた話は驚くべきものだった。
「お母様軽い認知症にかかっているみたいで」
最初はちょっと物忘れがある程度だったので、下村さんもそこまで気にはしなかったらしい。認知症のことは把握しているはずと思っていたらしく、私には報告するまでもないと判断していたが、ここ最近ちょっと様子が変になり、どうして相談をしたいとのことだ。
「ちょっと物忘れするくらいならよかったのですが、私のこと、その、奥さんと思って」
下村が顔を赤らめて、うつむいた。そのあとの言葉はなんとなく推測できた。
しかし、信じられない話だ。確かに母の物忘れは最近気になった気がする。たまに夕飯の時に二人で話していても母の好きな俳優の名前がでてこなかったり、昨日食べたご飯を忘れたりはしていた。それは単に歳のせいで母くらいの年齢には当たり前のことに感じていた。
下村さんのことを私の妻と勘違いするなんて、かなりの重症ではないのか。
この一年のことを振り返ってみると同じ家に3人いっしょにいる時間が多いが、母と下村さんがいっしょにいるときは自室で仕事をしている。異変に気が付かないのも、無理がないのかもしれない。
「そうですか」かける言葉は思いつかない。昔から女手一つで育ててくれた母の現状に対する悲しさと下村さんへの申し訳なさが同時に襲ってきた。
「あ、藤原さんあまりショックをうけないでください。」
私があまりにも黙っているため、下村さんが慌てて声をかけてくれた。
「フォローになるかわからないですが、お母様くらいの年齢になると当たり前のことですよ。しかも藤原さんはお母様とお話していて、特に違和感はないですよね」
「確かに、ちょっと忘れっぽいとは感じてはいましたが、認知症とまでは思いもよりませんでした」
「そう感じるのはもっともですよ。実は私の同僚もヘルパー先の方に息子の彼女と勘違いされているらしいです。私の業界ではあるあるですよ。」
「あ、そうなんですか」ショックがなくなるわけではないが、他の人たちも経験しているという話を聞いたら、少しだけほっとした。
同時に下村さんへの謝罪の気持ちを抱いてしまった。
「よくある話かもしれませんが、申し訳ございません。下村さんには嫌な話ですよね。」
こんな中年の妻と思われるのはいくら母の勘違いといえどもいい気分はしないだろう。
「母にきつく言います。それかヘルパーを変更してもらったほうがよろしいでしょうか?」
下村さんから恐らくこれからしてくるであろう提案を先回りして言った。
自ら先回りすることで、傷を浅くするためだ。このセリフを下村さんの口から聞いたら、とてもショックをうけてしまう。
ところが、下村さんは意外な提案をしてきた。
「いえいえ、とんでもないです。お母様はとても優しいですし、藤原さんがよろしければ、これからもお願いしたく思います。
私の相談というのは実は藤原さんといっしょにいる写真をお母様にみせたいんです」
「え、どういうことですか?」
意外すぎる提案のせいで、最初にうけた「母が下村さんを妻と勘違いしている」というショックはどこかに消えてしまった。
「藤原さん、私を奥さんと勘違いしているので、最近藤原さんと私が仲良くしているか心配らしいんです。私が一緒に住んでいないのも喧嘩しているからと思っているらしくて。」
「そうなんですか。私はこういうことは素人ですが、母は大丈夫なのでしょうか」
「うーん藤原さんがお母様とお話していて支障がなければ特には大丈夫だと思います。」
「いや、でもやっぱり悪いですよ。母に私から言っておきます。下村さんは奥さんなんかじゃないと」
「あ、それはだめです。」
急に下村さんが大声を出すので、周りにいたお客がこちらをみてきた。
「すいません。認知症の方にとって自分が認知症ということを指摘されるのが一番つらいらしいんです。そっとしておいたほうがいいと思います。」
「うーんそうですか。」
一理あるとは思いながら、私の心の中にも悪い気はしないという気持ちを抱いた。誰しもがこのように美しい女性と勘違いかもしれないが妻と思ってくれるのはうれしい。
なによりそれで母が喜んでくれるなら、親孝行にもなるのではないかと納得をした。
「下村さん、いろいろ気を遣わせてしまってすみません。ではいまから写真をとりますか」
「ですね。せっかくなので、いろいろな場所で撮りましょう。この後も空いていますか」
すぐに予定を終わると思っていたため、仕事をしようと考えていたが、辞めた。まさか下村さんとこんな形でデートができるとは思いもよらなかった。
5
ピンポーン
チャイムの音が聞こえた。
今日は下村さんがきてくれる日だ。
昨日母に内緒で一緒に食事をした次の日のため、顔を合わせるのは少し緊張をする。
もちろんデートとはいえないかもしれないが、本当に昨日は楽しかった。
カフェのあとは、ショッピングや映画を見に行って、たくさん写真をとった。
母の勘違いに感謝をしなければいけない。
「みかさん。遅かったね。今日も来てくれてありがとう。雄一とは仲良くやっているかい」
母が満面の笑みで下村さんを出迎えた。
下村さんを妻と勘違いしているセリフは初めて聞いたが、あまり驚きを感じることはなかった。母も勘違いしていたほうが幸せかもしれない。
「孫の顔は見せられないかもしれないけどごめんよ。」心の中でつぶやいた。
「ごめんね。下村さんいつも」
「いえいえ、でも藤原さん最近急に認知症になりましたよね」
「だね。本当に申し訳ない。こんなおじさんが旦那さんだったら嫌だよね。」
彼女にむけたこの自己嫌悪のセリフは本心だ。
昨日ふとしたきっかけで初めて食事にいった。確かに楽しい時間を過ごした。この人が奥さんならば、どれだけ幸せだろう。
だが、歳の差から自信を持てない。台所で母に聞こえない程度の声で話す。
「もっと自信をもったほうがいいと思いますよ。イケてますよ。藤原さん。」
下村さんがうつむきながらぼそっと言った。もしかしたら顔を赤らめているのか。
長年女性をつきあっていないため、勘が鈍ってしまい、目の前の下村さんがどういった新庄なのか読み取れることができない。
ーしかし、恋愛の始まりとはこうではないのかー
高校生に戻った気分だ。自分に好意を抱いているかわからない相手にアプローチするスリルを味わうのは。
「あの、もしよかったら昨日見たいに定期的に妻のふりをしてくれないか。親孝行をしたいんだ。」
我ながらずるい誘い方をした。すぐに訂正をした。
「いや、親孝行だけが目的ではなくて」
下村さんと同じく、私も下を向いた。私は年甲斐もなく顔が真っ赤になった。
「はいぜひ。」
下村さんがつぶやいた。
終
教会の扉が開き、花嫁姿の下村さんの表情を覗く前に昨日の母との会話を思い出した。
「母さんありがとう。」
「なんのこと」
「僕と下村さんをくっつけるために、芝居をうってくれたんでしょ」
「芝居って?」
「だって僕たちが付き合う前から彼女のことを僕の奥さんと勘違いしていたじゃないか」
「なにいっているの」
「隠さなくていいよ。僕母さんが認知症のところ結局みたことなかったんだ。僕たちをくっつけるきっかけを作るために認知症のふりをしてくれたんでしょ」
「あんたさっきから何言ってるんだい。私はまだまだ元気だし、いつみかさんを奥さんと勘違いしたんだ」
「だって、」
私はこれ以上母を問い詰めるのを辞めた。
目の前に出会った中で一番綺麗な下村さんがいる。
私はもう一つの可能性に気がついた。母が認知症という話は下村さんの口からしか聞いたことがない。私が唯一聞いた母のセリフは「「みかさん。遅かったね。今日も来てくれてありがとう。雄一とは仲良くやっているかい」」だ。
あれはもしかして前日のデートのことに対してのセリフだったのか。
あの日から下村さんの妻のふりがはじまった。急接近をしたきっかけだ。
下村さんが幸せいっぱいの表情を私に向けている。
「いつから二人は両想いだったのか」
僕は目の前の本当の妻にキスをした。
解説
下村さんも主人公のことがすきだった。
会話をするきっかけをつくるために、母が認知症で自分を妻と勘違いをするという嘘をついた。
結果二人は急接近して結ばれた。