すぐ近くでハァハァと犬の荒い呼吸が……
家の中は玄関のエントランスがあり、その先は広間になっていて、正面に階段がみえる。
どこの映画のセットだ! なんてツッコミを思わずいれたくなる。
僕が1歩部屋の中に入ると壁についていたランプ型のライトがどんどんついていく。
ライトだよね? 蝋燭のようにも見えるけど……魔法ってやつなのだろうか。
……数秒間フリーズしたあと、考えることをやめた。答えはでない。
その部屋は中世のヨーロッパとかにありそうな……実際に見たことはないのであくまでも想像だが、古めかしい洋館だった。
壁には誰だかわからない大きな美しい女性の肖像画が飾られている。
「ベアちゃん! 遊びにきたよー」
ベアちゃんの声に反応したのか……壁にかかっていた肖像画が動き出す。
美しい少女の絵は実体を持ち、そして目の前に現れた。
どうやら骸骨剣士ではないらしい。ゆかも肌が白くて可愛いが、ベアちゃんも相当可愛い。自然な銀色の髪に真っ赤なドレス、手には赤い傘を持っている。小柄な体型に表情の薄い顔は守ってあげたくなる。そんな魅力があった。
ただ、目の輝きはなく、どこか死んだ目をして働かさせられている会社員のような暗い輝きがあった。
「久しぶりだな。三日ぶりか? ゆかが来てくれないものだから。私は心配で心配で毎日泣いて過ごしていたぞ」
「へへへっ……人間の友達ができたから紹介したいなって思って。こっちがえっと……もっくんです! こちらがベアトリーチェのベアちゃんです」
ゆかが嬉しそうに俺の方を見ながら紹介してくれた。絶対に俺の名前を忘れてる。
「ゆか、人間なんてダメだ。こいつらすぐに死んでしまって私たちを一人にするんだぞ。勝手に約束だけしていなくなるんだから。そして全然戻ってなんかこないんだから」
「そんな寂しいこと言わないでよ。もっくんは私と一緒に同棲することになったんだから、仲良くしてくれないとダメですよ」
「ほう。私がいない間にゆかをたぶらかせたということだな。どんな魔法を使ったんだ? あぁん? その責任は命で支払うってことでいいか? 地獄の番犬ケルベロスよ。主人の敵を殲滅せよ」
「いや、別に僕は何もしてないです! もちろん誘惑どころか手も握ってません!」
僕の反論は虚しく室内に響くだけで、目の前の絨毯の上に赤い光の絵の具で描いたような大きな魔法陣が浮かび上がってくる。なんだよこれ! どうしろっていうんだよ!
僕はすぐに逃げ出そうと必死になって足を動かそうとするがまったく動けない。まだ僕の足の支配権は僕に戻っていないらしい。やっぱりここで食われて終わってしまうようだ。
魔法陣の赤い光が強くなり、その中から声が聞こえてくる。
「ガルルル……ギャオン!」
獰猛な肉食獣の鳴き声のような声が部屋の中に響き渡る。
ゆかの方を見ると彼女は何かを必死に訴えているが、声が聞こえない。
聞こえるのは獰猛な鳴き声と自分の早まる心臓の音だけだった。
本当に殺される。殺される。殺される。
呼吸が上手くできない。吐き気が俺の中を駆け抜けていく。
目の前の光が徐々に強くなり。鳴き声も段々と大きくなっていく。
一瞬眩しいくらい光ったせいで目をやられ、一時的に視力が奪われる。得られる情報は耳からだけになった。
すぐ近くでハァハァと犬の荒い呼吸が聞こえる。もうだめだ……ここで死ぬんだ。
そう覚悟を決めたときに頬に冷たい何かがあたる。これは……僕は一瞬で理解した。
それはよだれだった。あぁ柔らかさそうなほっぺたから嚙み切られるに違いない。
必死に奪われそうな意識をこの世に繋ぎとめる。
このまま死んでたまるか。
徐々に視力が戻り……視界が戻ってくるとほっぺたにまたひやりとした感触があった。
「ひゃっ!」
またふいに舐められ声がでてしまったが……これはどういう状況なんだ?
目の前には三つの頭を持つ子犬がいた。
尻尾をブンブンと振ってやけに嬉しそうだ。
「ケルベロスがなつくなんて……確かにいい人間を見つけたようだな。ゆか」
「でしょ? ケルちゃんも仲良くしてあげてね」
「……理解ができないんだけど?」
僕の身体から硬直が解けやっと動けるようになっていた。
「ぷっ……プハハハ。いやーすまん。すまん。ゆかが友達を連れてくるっていうから盛大に驚かせてやろうと思ったんだ」
「めちゃくちゃ驚きましたよ! 本当に死ぬかと思ったんですから」
「いやーなかなかいい演技だった。主演男優賞は君に間違いない。ここ数百年で一番笑ったきがする」
「数百年って!?」
「ベアちゃんは私なんかよりもとっても長生きで、こっちの世界でいう中世くらいから生きてるんだって。年齢にすると千年以上前らしいよ。あっでも別の世界なんだって?」
色々ツッコミどころが多すぎるが……。
「こっちの世界?」
「あぁ、私はこの世界とはまた違って平行世界で生まれ育ったみたいなんだ。私はお前たちがいう剣と魔法の世界で生まれたみたいなんだ」
「それで数千年……」
「あぁ永遠の時間の中を生きる。いや、時間の牢獄に閉じ込められた魔女という方が正しいかもしれないがな。どうぞよろしく」
彼女は自分のスカートを持ち上げると優雅に深々と僕に頭を下げてくる。
それは今までのことを帳消しにしてもいいと思えるくらい美しい姿だった。
足元でケルちゃんと言われたわんこ3匹?が僕の足をガジガジと甘噛みしてきていた。
「さて、こんなところにいても面白味みにかけるだろうから、そろそろ行こうか」
ベアはそう言うと、飾ってあった大きな絵の方へ歩き出しそのまま入って行く。
そのあとに続くゆか。
ケルベロスの頭の1頭が僕のズボンのすそに噛みつき、もう二頭はまっすぐ絵の方を見て歩いていく。
「いやいや、頭が追い付かないんだけど!」
僕の声はまったく彼女たち届いていないらしい。いや、ゆかが満面の笑みでこっちをみているあたり届いてはいるけど、説明をするつもりはないらしい。
僕はそのまま絵の中に連れ去れてしまった。
まぁ詳しい説明をされたところできっと理解はできなかったけど。