短くて長かった別れの終わり
木造の古い校舎の1階の教室に私は来ていた。
その学校はもう誰もほとんどくることがないのか、校庭には草が生えてしまっており、置いてある机には埃が溜まっている。
しばらく放置されてから誰にも使われていないようだ。
「ゆか、ここの教室に決めたんですか?」
「よしがみさん……ここでいいです」
「そんな悲しそうな顔をしないでください。これもなにもかも、彼を守るために必要なことなんですから。ベアさんの転移事件も、それに彼が巻き込まれたのも、黒紫の魔女があらわれたのも、ゆかがあの家を出たから発見された可能性が高いんですからね」
「わかっています……」
「ここなら人がやってくることもないでしょうから安心してください」
「また、一人になるんですね」
私ははとても、ゆっくりと窓の方を眺める。その先には曇天が広がり、白と黒の寂しい世界が広がっている。笑い声や楽しい声であふれていたはずの学校は今はもう朽ちていくのを待っているだけだった。
それはまるで私の運命を暗示しているかのようだった。
「大丈夫だよ。俺だってちゃんと見にやってくるし、それに落ち着いたらちゃんとベアトリーチェにもこの場所を伝えるから……もしかして、まだあの人間のことを考えているの?」
「ううん。そんなことないですよ」
「元々ゆかは人間だったと言え、幽霊と人間は住む世界が違うんだから。ゆかは特別だから仕方がないんだよ」
それはたった、数日間だった。
私があの暗くて狭い白黒の部屋の中から解放してくれた人。
どうして、あんなに楽しくて、ドキドキして、あの人のためならなんでもしてあげたいって思っていた。ただ、私のことが見えるからってわけじゃなかった。
なにか心の奥から熱いものがこみあがってきていた。心がこの人じゃなきゃダメだって叫んでいたけど……。
私にはそれ以上を望むことはできなかった。
私が望んでいいのはただ幽霊として生きるっていうこと。なんで幽霊にまでなってこんなにこの世界にしがみついているのなんて忘れてしまった。
それはもう遠い昔の出来事。ただ、私はあの時消えたくないって願ってしまったのだ。
「ゆか、俺の話聞いている?」
「あっごめん、少しボケっとしていました」
「まぁ移動してきたばかりだからね。ここは前の時よりは力が弱いからあまり無茶はしないようにね」
「落ち着いたら……あの家に戻ることってできますか?」
私は今にも泣きそうになる気持ちをできるだけ抑えてよしがみさんに聞いてみた。
だけど、その反応はいつも優しく聞いてくれるよしがみさんとは思えないほど冷たい言葉が返ってきた。
「ゆかは、いったいどうしたいの? あそこに戻ってもゆかは幸せになれないんだよ。幸せになるどころか、ゆかが今回余計なことをしたせいで、ベアトリーチェもあの男も危険な目にあったんじゃないの? いい加減自覚をした方がいいよ。自分がどれだけまわりの人に迷惑をかけているのかを」
「そうですよね。ごめんなさい」
「そうだよ。ゆかは俺だけを頼っていればいいんだよ。何と言っても俺は神だからね。ゆかを守るためだったらどんなことだってしてあげる」
今度私はどれくらいここにいることになるんだろう。
せっかくマシロちゃんが話せるようになったのに全然話せなかったな。
アヤちゃんが作った服もっと着たかったな。ベアちゃんと一緒に浴衣とか着て幽霊横丁を散歩したかったな。
ハクビちゃんやライガちゃんテンマちゃんとも、もっと沢山遊びたかったな。
それに……もっくんともっと遊べたらよかったな。
アヤちゃんの大会出場したの楽しかったな。まさか本当に優勝しちゃうなんて思っていなかったし。
テンマと家の中キレイにいたのも面白かったな。ここの校舎も一緒に掃除できたらよかったのに。
もっくんが美味しそうに食べるご飯の時間は幸せだったな。もっと沢山ご飯食べて欲しかったな。夜寝るとき、こそっと頭をなでていたの良かったな。
孤独な時間が孤独じゃなくなって、家族のように思えて……。
あれ? おかしいな。
前に戻るだけなのに。孤独の時間にはすごく慣れているはずなのに。数日間だけしか一緒にいなかったはずなのに、なんでこんなに悲しいんだろう。
目頭が熱くなってくる。
次会える時、もっくんは覚えていてくれるかな? また一緒に仲間にしてくれるかな。
離れたばかりだっていうに、もう会いたいなんておかしいよね。
なんでこんなに心が辛いんだろう。
「ねぇ……なんで私って黒紫の魔女に狙われているんですかね?」
「それはね、前にも言ったけどゆかには特別な魔力があるんだよ。それを黒紫の魔女は狙いにきている」
「いっそのことそれをあげちゃえば私生まれ変われるのよね?」
「ゆか、わがままを言わないでくれ。それは黒紫の魔女には渡しちゃダメなんだ。それを渡すことは世界のバランスが崩れてしまうのだから」
世界のバランスの前に私の心が壊れそうになっていた。
人とのふれあいの温かさなんて思い出さなければよかった。
失ったままだったらこんなに苦しむことはなかったのに。
それならいっそのこと……私なんてこのまま消えてなくなってしまえばいい。
元々、死んでまでこの世界にとどまっていることがおかしいのだ。
そうだ……そうしよう。よしがみさんには悪いけど、一度知ってしまった楽しい世界を失うくらいなら……。
「よしがみさん、私ね……」
「ちょっと待って! 静かに」
廊下から誰かが歩く音が聞こえてくる。ありえない……絶対にありえない!
だって、あの人は普通の人で、私がいくら願ったところでこんなところに来れるわけはないんだから。
ガラガラと音を立てて教室の扉が開けられる。
そこにはいるはずがないと、どんなに願っても、もう会うことはないと思っていたもっくんの姿があった。彼はいつもと変わらない優しい笑みを浮かべている。
「ゆか、こんなところにいないでおうちへ帰るよ」
「あっ……あぁ……ありがとうもっくん」
私にとってそれは短くて長かった別れの終わりだった。




