クビになったのはまだ受け入れたけど……これは心が折れる
翌日、僕が朝一番で出社し部屋の掃き掃除をしていると、珍しく課長が二番目にやってきた。いつもは一番最後か遅刻してくるのに珍しいこともあるものだ。
空は快晴だが、今日も外回りがあるので雨でも降らなければいいが。
そんなことを考えていると珍しく課長から話しかけられた。
「あぁー最上くん、ちょっといいかね?」
「課長おはようございます。なんでしょうか?」
いつも僕のことなど空気くらいにしか思っていない課長にしたら珍しい。
もしかして……僕は正社員にって話だろうか?
たしかに最近僕は調子が良く、成績もかなりあがっていた。
それもこれも、彼女を幸せにしたいっていうのが原動力になっていたんだけど。
「ちょっと君に聞きたいことがあってね。君は確か、浦土市担当だったよね?」
「はい、そうです。おかげさまで成績も少しずつあがってきました」
「そうだよな……わかってはいたんだが……君がそんなことをしているとは……ちょっと言いにくいんだけどな。君がある女性にストーカーしていると連絡があってな。それで警察に相談に行くと連絡があったんだよ」
「はい?」
まったく何のことだか理解が追い付いていない。
昨日のことだってまだ処理しきれていないのだ。
「いや、君は悪くないと僕たちも思ってはいるんだよ。だけどな、こういう噂を派遣社員の立場の君がされるってことの意味がわかるだろ?」
一瞬頭の中が真っ白になる。
僕がストーカー?
いやいやいや、だって昨日僕は彼女の浮気現場を見ただけでなんで、そこまで言われなくちゃいけないんだよ。
そんな理不尽なことがあっていいはずない。
「君のことは信じているけどね。だけど、わかってくれるだろ?」
僕は途中から部長が何をどう説明していたのかも、よくわからなかった。ただわかったのは契約の解除をされたってことと、明日から僕は会社に行かなくていいってことだった。
やっていないこととか、僕の理由なんてことは関係なかった。
僕は……この会社にまったくもって必要ない人間だったらしい。会社の必要な歯車ですらなかった。その日の僕の仕事はまわりから無視をされて、誰にも話しかけられることもなく、ただ黙々と荷物をまとめて家に帰ることが仕事だった。
どうやってアパートの2階の自分の部屋へ戻ったのかなんて記憶にない。
気がついたら自分の布団の中に入って丸まって泣いていた。
もう何もする気さえ起らなかった。できたことといえば布団の中ですべてが夢だったらどれだけ良かったのかを思うだけ。
会社をクビになったことや、彼女に浮気され振られたこと、ストーカー扱いされ訴えられたことが頭の中でずっとグルグル回る。
誰ともわからない誰かが僕のことをずっと責め続ける。
誰か僕に説明をして欲しい。僕が生きてきたこの数十年はいったいなんだったんだろう。生きている意味が僕にはあるのだろうか?
その日僕はずっと泣き続けた。何に悔しいのか、何が悲しいのか、どこに感情をぶつけていいのかもわからないまま。ずっと、ずっと布団の中で泣き続けた。
翌日、僕は布団からでられなくなった。
だけど、お腹は空く。それに、なにか仕事を探しに行くにしても動かなければいけない。
僕は数時間をかけて重い身体を起こした。
寝ていても誰も助けてはくれないのだ。起きて自分で動かなければ、行動しなければ、立ち上がらなければ……。
ふいにわかってはいても涙がでてくる。
こんなんで負けてたまるか。僕は思いっきり自分の太ももを殴り、そして顔に思いっきりビンタをした。
過ぎたことは変えられない。変えられるのは自分の未来だけだ。
まずは、食事をとろう。食事をすれば元気もでてくるし、いい考えもでてくる。僕はコンロにカップ麺1杯分のお湯を入れて火をつける。
『ピンポーン』
『ピン、ピンポーン』
家のインターフォンがなる。
かなりせっかちな人のようだ。
「はーい!」
僕が家の扉を開けるとそこには若い女性が立っていた。
「火鑑の乳製品を今無料で配っていまして」
「いや、そういうのはいらないので」
「そんなこと言わずに、こちら配達限定商品でして、これを飲んだ人が健康になったとか、ならなかったとかとても有名なんですけど聞いたことないですか? 有名芸能人も愛用してまして、ほら、あのイケメン俳優の方です。あの夜ドラにでていた方で。それに、あの離婚した女性芸能人も飲んだら彼女ができたって、SNSに投稿していましたし……」
いつになったら話をやめてくれるのだろうか。聞いてもいないことをずっと話続けてくる。
「あの、もう本当に帰ってもらえますか!?」
「それじゃあこちら試供品だけ置いていきますね」
「ありがとうございます」
受け取らないと帰ってくれなさそうなので仕方がなくそれを受け取る。そうすると満足したのか、
「瓶は後日回収にきますから」
と言って帰っていった。どっと疲れがでてくる。なんだろう?
なにかしたのだろうか。僕が部屋に戻ると薬缶がが深紅色に変わっていた。中のお湯がなくなったのだ。
危ない! 僕は急いでガスを止める。あと少しで火事になるところだった。
薬缶はそのまま置いておいたところ、破裂したりすることなく冷えてくれたが、真っ黒こげになっていて使えそうにない。
「はぁ、新しい薬缶を買ってくるか。仕事がなくなった段階での出費はいたいけど」
僕は財布と通帳を持って家をでた。
そういえば、さっきまで身体が動かないと思っていたが、薬缶で驚いたせいか動けている。考えてしまうとまた落ち込んできてしまうが、なんとか自分で解決しないといけない。
僕は近くのホームセンターで薬缶を見ると、なんとセールで値引きがされていて、本体価格より20%オフで買うことができた。
そうだ、嫌なことがあったらいいことがある。
どんなに雨が降っていたって必ず晴れるんだ。
明けない夜はない。
今はちょっと辛い状況だとしても、必ずいいことは起こるものだ。
途中でATMに寄り貯金残高を確認する。少しだけ貯金はあった。今すぐに飢え死にするような金額ではない。彼女と一緒に海外へ遊びにいこうと必死に貯めていたお金だ。これももう必要はない。僕の次の再出発に使わせてもらおう。
それにまだ、家があるだけいいじゃないか。ここから僕の復活劇だ!
僕が店からでると、どこかでサイレンがなっている。
僕の家の方角で何かあったみたいだ。
まさか……そんなことはない……。
僕は自分に言い聞かせる。
動悸が収まらない。呼吸が上手くできない。
僕が家に近づいていくと、だんだんと消防車の数が増えていく。
慌てて走り回る消防の人々。
「……神様って俺のことよっぽど嫌いなんだな」
僕の住んでいたアパートの下の部屋から炎が燃え盛り、僕の部屋を赤く染めていた。