有料コンテンツというか有料作品化というものを今後自ら考える上でのエッセイ
本作の前書きです。
本作の前回投稿までの内容をコピペして後書きに記しています。
暗喩暗号ありません。https://twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1292118149584678912
「なろうI'dは627090 面会せず通話せず。交流やシェアせず、ゲーム内外のコミュニケーションツールも使用利用せずにグラブルソロプレイします。」と私自らの意思で投稿しましたし私自ら独りでグラブルしていますけれどけれど、私個人の信条は自分自身がどのような立場にあっても変わらずに「面会せず。通話せず。交流せず。交流ツール使用せず。シェアせず。非公開でも交流せず。非公開でも通話せず。現実と仮想やネットやアプリやソフトや掲示板などあらゆるコミュニティに所属せず」ということが、趣味や創作も含めあらゆる公私を含めつつ例外なく全ての決定や行動に対する私の意思決定における、絶対事項です。
「この仮定の考察は、次回も続けます。評論エッセイへ展開するためのざっくりした起承転結でいう。起承転結の想定前のアイデア出しみたいな本作の本話でした。次回連載の本作投稿は八月中を予定していますが、具体的な日日は決めてませんが、なるべく投稿をします。」と前回書きましたが、考察は今回なく、エッセイになります。
前書きに書いたように、今回の投稿分はエッセイのような内容にします。考察はまた次回の本作投稿にまわします。
有料コンテンツに対しての感想です。自分が作るならという観点で書きます。
セキュリティがPCの設計から一段階高いものを使用したいと考えています。ウイルス対策ソフトを入れるとかエラーが起きたら自動で出荷状態にリセットするとかそういうのではなくて、セキュリティ対策の部品が組まれている数十万くらいするPCです。サーバーを用意するかという点ではしないと思います、たぶん。ただ、有料コンテンツをつくるなら、私自身の情報の発信責任を行政的に明確化する必要は感じます。名誉棄損の訴えなどが起こることが常にリスクマネジメント的にもつきまとうわけですが。著作権の知財の算出は、財産として知財に価格がついてしまうと、権利義務として、債務のために債権者から民事などをつうじて強制執行を受けることはまずないが、可能性もなくはないのが有料コンテンツと著作価額の算出を両方行う際の注意点であるので、私としては信条として軽々にはできないです。揃えられる備えは必要だと考えています。強制執行や商上の有限責任と無限責任を考えたら、仮想でも現物でもそのほか金融でも株を発行したり、クラウドファンディングでも融資でもなんでもお金を借りたり自分自身以外に出資や協力をしてもらったりすることはありえないわけですが。
有料コンテンツの制作環境としても誰にもシェアせず完全にネットや電波に接続しないPCで作成したほうがいいとも考えています。使用するパソコンに対してもPC知識を自己以外に頼ることもありえないと考えています。アカウントとパスワードこの双方の管理も外部にゆだねない。BGMやイラストなど著作権フリーでも自身のコンテンツには使わないし、機材やパソコンを借りたりしないし、買うものも全部自分自身独りで決めることは、必須だと考えています。unityなどのゲームエンジンも使うべきでないと考えていますしそういったソフトで配布されているプログラムコードも不使用にすべきだと考えます。有料コンテンツが画面表示で構成されるのなら、下書きなどの紙の現物もまぜつつ、新品を店舗で購入してから完全に外部との通信を絶ったままのPCで作成したデータを投影したり大型モニターで表示したものを、写真を撮りデータとして取り込むあるいは、一度印刷したものを紙でスキャンする方法が必要だと考えています。有料コンテンツとして発信するにあたり、ネット環境の媒体に取り込んだデータの扱いがどう安全策を凝らせばよいのかはなかなか困りものですが、これも私の場合は絶対に自分自身独りで調べてそのうえでどうしようか決めるべきと考えます。
本作では私個人の著作の有料コンテンツ化に対するプラットフォームどうこうについての考えは本作の今回の投稿分での文章化を避けます。
文章メインで有料作品たる素質や有料作品かどうかだけではなく単純に質を高める、備えるにはどうしたらいいかと最近考えています。必ずしも電子という意味での有料コンテンツにこだわる必要もないとも考えていて、サイネージのようなものやスクリーンへの映像の投射などによる現物の展示でもいいと考えています。それを行うには、行政上の営利化、事業所あるいは営業所が必須ですが。読者様が結果的に、私の著作の発信や供給、それの需要によって、他者やコミュニティと繋がらないし接続しないことが肝要だと考えます。なので私の場合即売会などはありえない。あくまでも作品単体を需要するべきだなと考えます。私の場合実物展示という方法もあまりよくないと現状考えています。質や意義を高めるというのも、作品単体の質というものを、著作者個人ひとりで、どう改善できるのか考えています。自分の中でテンプレートのような創作のアイデアだしから推敲までの過程をどう構成するかのようなことを考えています。あとは、転売も嫌だし、レンタルされたり中古販売されたりもいやです。有料作品の供給手段方法、たくさんありますけど正直、私個人の性格上、あれもこれも嫌です。どんなことがあれ、信条からして、私は自分独りで考えることには変わりないです。
https://twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1273635386560921605?s=20を自ら投稿し自ら再度考え執筆
シンプルに表しておきますと暗号暗喩ありません。
ttps://www.twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1263753012599635970
を私、櫛之汲自ら2020年7月29日投稿しておいた上で本文をタイピングし綴り投稿しました。
@granbluefantasy
http://gbf.game.mbga.jp/#profile/5604538… 属性情報密談掲示板対策。私自らが行ったトラブル告発情報発信責任をとる為の具体策を令和2年7月中に発表する所存。 以下は機能的な定型文なので略。
第44回活動報告「https://twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1273635386560921605?s=20を自ら投稿し自ら再度考え執筆」投稿しました!
本日2020年7月29日にhttps://ncode.syosetu.com/n1075gk/を投稿しました。一筆書きの要領で一足に書きました。
https://www.twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1263753012599635970
と私、櫛之汲自ら投稿いたしました。
私のツイッターアカウントは全てで五つございます。他のTwitterなどのSNS(LINEやインスタグラムやフェイスブックなどにアカウントはありません)また、Tumblerは、利用規約更新に伴い、運用が停止中です。kDDIウェブコミュニケーションズのビジュアルブログサービスg.o.a.tも利用を自主的に停止中です。今後も利用を自主的に完全に停止いたします。
@kushinokumi
@takuya4313
@ChatHiraki
@JOTuDzWtVrYEBBs
@hfghg57
この五つであることをお伝えいたします。現在、2020年7月29日において、なおかつ2020年7月29日来月以降も引き続き、あらゆるコミュニケーションツールSNSなどのあらゆるDMやメッセージ機能の利用を自主的に停止していおります。なおかつ新規にフォローを行うことも自主的に停止しています。今後も引き続き自主的に完全にあらゆる交流およびコミュニケーションツールの利用を停止いたします。グラブル関連のコミュニケーションツールの利用も自主的に完全に利用停止しています。グラブルのアカウントIDはand app がリリースされた際にお試し用に作成したグラブルアカウントは退会しました。現在ひとつしかありません。(フレンドID)5604538のhirakiですが、こちらもコミュニケーションツールとしての利用を自主的に完全に停止中です。グラブルゲーム内のスタンプを含む挨拶チャットと団チャット、共闘チャット、マルチバトルチャット、グラブルの救援IDやフレンド救援、マルチバトルロビーの募集、共闘ルームの募集を自主的に完全に停止。プラットフォームモバゲーのコミュニケーションツール、日記やフレンド機能やモバゲーチャットなどは利用したことがありませんし、モバゲーというプラットフォームのIDやプロフィールやモバゲー内のあらゆる情報は完全非公開です。ファイナルファンタジー俗称FFのアカウントはありません。たとえばFF14アカウントもありません。Twitterの@takuya4313では、FFのイラストをファボしたり、FFのイラストを投稿していた絵描きさんにFFの知ったかリプを送ったこともかつてありましたが、イラストの衣装名を調べてイラストの感想として衣装が良いとの感想を送ってみたかっただけで2020年7月29日時点も私はFFを行わず今後も行わず。ゲームのシューティングも未プレイです。イカやPUBGやAPEXなどの銃ゲームもあらゆるもの銃ゲームが未プレイですし、今後も行わず。ゲーム配信やゲーム実況も当然行ったことがありません。不特定性あるいは匿名性のあるボイスチャットや通話やあらゆる交流を目的とした機能、交流を行う利用をしたことがありません。フェイスブックなどの実名登録コミュニケーションツールも利用したことがありません昔、小学生だったころより、同人活動とサークル活動をしていません。同人誌即売会のサークル参加をしたことはありません。同人誌即売会のサークル参加は当然今後もありません。一般参加のした際は自宅を出て自宅に帰るまで終始の間独りです。同人誌即売会の一般参加も独りでしかしたことがありません。2020年7月29日までにおいてあらゆるイベントのいわゆる前夜祭や後夜祭や打ち上げなどに参加したことがありませんし今後もしませんし、あらゆるリアルのイベントに今後も関わらない。
当然に食事会や飲み会も行っていません。茶道、和歌の詠み会なども参加していません。スターバックスなどの珈琲店でも独りでしか行きませんし、私に出先で飲食を共にする間の柄の知り合いは親戚親兄弟以外にいません。また私の親戚は通話先やあらゆる連絡先を伝えるような迂闊な人間ではありません。私は、自らと自ら以外のあらゆる他者知人および法人ともに2020年7月29日段階で個人情報の開示請求を受けた通知事実を目視や見聞などあらゆる視聴覚情報での認識をしたことはありませんし、民事手続きを経た自らや他者の個人情報の通達なども受けておりません。私は未婚で事実婚もなく男性とも女性ともいわゆるお付き合いをしたこともないし、血の繋がった親兄弟や家族についての民事手続きを経た個人情報の通知では、財産のうちの土地相続以外では通知や通達を受けた経緯とその事実を私が知るかぎりこれまでありません。私と私の血の繋がった親しい親戚とその親戚の家庭と私と血の繋がった親兄弟にネット上の存在の者と既知となったことは一度もございません。過失という意味でも当然に善意だったり善良だったりするしないをとはずあらゆるアカウント利用者に対し、当然、私のメールアドレスが正規の手段でもいわゆる口ぎきでも伝わることはありません。仮に私のメールアドレスや電話番号や住所の番地の周知事実がある場合それは同意のない違法な手段です。こうしたことから各種アカウントのあらゆるコミュニケーションとなりうる一切の通知を利用も停止中ですから、私の周知する範囲でなおかつ2020年7月29日今後と過去に私の周知した範囲でもゲームのオフ会やそのほかのあらゆる個々人の交流など私や私の血の繋がった家族やちかしい親戚とその家庭内、それに加え10年以上前から知人がいない状態かつ未来においても私自分自身に近づける知人がおらず独りなのが私なので、縷々書きましたとおり、面会と通話が起こりえないので、ありとあらゆる一瞬でも過去現在未来に私と知人だと思われたことある方とあらゆる方ご自分でインタネットからの防衛の観点とその常識をよく考え、うかつだった若者は何人も若者己自身に近づけさせず社会人として独り自立してください。また私は、当然に株式会社ヒナプロジェクトの対ユーザー対利用者へのメッセージも利用停止しています。ID627090のみの投稿小説とその活動報告のみです。これまでの投稿を今後改定する予定は原則ありません。いずれにせよご注意ください。情報の経済学とゲーム理論をゼミで学ぶ機会があった人間として、ミクロ経済学における情報経済学が打ち立てた経済理論上では、情報の通信システムは必ず不完全で非対称で不確実で危険です。付加価値情報通信網が普及する現在においては、自ら独りでの自己防衛と防衛意識が必須です。行政や非営利営利とはず法人や公衆的な機関施設マッチングサービスがありますが、あれは社会学上の社会生活上の幸福の意義のためや少子高齢化や悪徳マッチング対策として課題解決のために実施されているもので、経済学理論上から私が考える防衛規範意識というものからは乖離(かいりと読みまして意味はかけはなれたとか相反したとか)した未成熟な社会学の課題解決型の慣習であると私は考えています。経済理論上も社会通念上も慣習上も匿名での投函や実名での投函や固定電話やIP回線とアプリやマッチングソフトやマッチングサービスやインターネットを用いた面会と通話は、ニュースで流れるような警察の統計情報などからもわかる限りでもわかるとおり、危険なので駄目なことです。
アカウントを持つ相手とアカウントを持っていた相手とアカウントを利用している相手アカウントを利用していた相手などあらゆるアカウント利用者とのAppleのフェイスタイムやディスコ―ドやカカオトークなどのアプリやソフト、インターネットなどでボイスチャットの音声雑談をしたこともありません。非通知や公衆電話、固定電話や携帯電話、IP電話、などの通話も雑談したことがありません。交流とそれから手紙のやりとりも2020年7月29日から過去にさかのぼり10年以上ありません。かつて友人知人だった相手と私は完全に疎遠かつ他人です。私の特定個人情報(電話番号や住所など)を知る自分自身以外の人間に電子送信、通達、暗示するような相手は私の親族、あらゆる学友や知人や親戚にはいません。また、いわゆるクリエイタークラスターに所属したことはありません。また我が国日本の政府がおしすすめたコロナアプリケーションの利用を私個人の判断で一切利用していません。Appleのゲームセンターの利用を停止しており利用しておりません。Appleのクラウドサービスのファイル共有によるアクセスも許可しておりませんし、私自身以外のあらゆる他者と共有したことがありません。以上をまとめますと、いわゆる付加価値情報通信網および情報通信あるいは郵送などでのコミュニケーションツール機能としての利用を完全に自主的に停止しています。コミュニケーションツールという用語に沿わないあらゆる手段方法の交流も自主的に完全に停止しております。本日は2020年7月29日ですが、来月からも当然に完全にコミュニケーションツールおよびコミュニケーションツールという用語に沿わないあらゆる手段方法の交流とその利用を完全に停止しております。重ね重ね、面会や通話せずを信条とするために、他者と面会と通話を行うことは絶対にありません。
PCのオンラインゲームのアカウントもありません。ずいぶん前にピクシブは退会済でアカウントは存在しません。なろう以外の投稿サイトではカクヨムがありますが、こちらもコミュニケーションツールの利用を自主的に完全に利用停止しています。ニコニコなどのアカウントも現在全く利用していません。動画投稿サイトや動画共有サイトもコミュニケーションツールの利用を自主的に完全に停止しつつ、2020年7月29日までに一度も投稿も投稿がありませんし、また今後の投稿予定はありませんし、アカウントは公開したこともなく、伝わることもなく、伝えたこともありません、またユーザー名などで推測もできません。
私自らが行ったトラブル告発情報発信責任をとる為の具体策を令和2年7月中に発表する所存としましたが、具体策は、櫛之汲としての営利法人としての企業活動を行う準備を進めこれまでも今後もなおかつどうあれ面会と通話は起こらないし対話や通話も起こらない。現状では、登記有無は非公開ですが情報の確認やその伝達や通知も起こらないはずですし、現在過去未来において私とネットで文字チャットした人間とそのあらゆる周囲は完全に私とは他人だと認識しているだろうそうでないと困るが、どうにもしないかつ、知りうるかつ知ることがどうあれないという想定ですが属性情報密談掲示板対策として万が一のために書いていますし、刑事事件の際つまり防衛すべき者が防衛できなかった事後対応には、検察官と警察と裁判官が把握できるように私個人すなわち櫛之汲として法人としての事実実験公正証書が万が一には暴力など刑事加害者の捜査資料となるように備えなおかつ個人は把握できず通知通達伝言できない情報として私の知財権たる原始的な著作権を公正証書化する対策を具体策としているという現状で準備をしているということとあるいは公正証書の準備をすすめる意思でありどうあれ面会通話をしないという具体策です。情報セキュリティ上の攻撃的な掲示板書き込みやゲーム全体のシステムリーク情報の拡散や昨今の経済やサブカルチャーの情勢や方向性を踏まえて、なおかつコロナ状況下であることも踏まえて、行える自以外のあらゆる他者の防衛策を促すものとして具体策かつ忌憚なくを決意を書きました。以上です。8月には電子商取引(EC)と商業出版の比較を櫛之汲かつ私の信条の観点から評論エッセイにする連載を開始します。どうしても文章に限定されますが、コンテンツ創造の上での出版および情報通信産業利用規範の私の個人の感想程度の考えをまとめていきたいと思います。割った詩は私の知財のうちの私の著者名や、私の著作物のうちの私の著作名と著作者名を含む作品内容の感想や櫛之汲そのものの人格に対する感想のコミュニティや評論のコミュニティを忌避して嫌煙しています。法的な意味での著作権法上の半分以上や内容の過半数をしめる転載は、民間の地上デジタル波放送局の報道と地上デジタル放送を持つ大手新聞社の社会面の記事以外の報道メディアの記事や放送や配信や動画などの営利利用と非営利法人のミッションを盾にした非営利法人の利用を許容いたしかねます。文科省の委託期間の著作権料管理機関の認定機関の利用であれ、私の一存で阻止はできませんが、無許諾の利用は許容はいたしかねます。連絡先の法的な証明や根拠として、電子ハンコや電子認証の理由を含むあらゆる事由もとにした重過失でない過失という善意の第三者の要件はこの記載をもって意味をなさない理屈となると考えて、小説家になろうユーザーID627090の櫛之汲として明記しております。刑事捜査や裁判所判断の事例における利用については日本国の国内法の規定を当然に尊守いたしますが、2018年改正の著作権法の統計利用や文部症所管法人の著作権料利用機関を介する利用や改定民法の民事利用規約契約などの適用事項の曲解や左記の電子認証についての箇所の記述のうち善意の第三者の要件として意味をなさない理屈と私は考えつつ到底許容できないと書いた通りの解釈による櫛之汲の著作物の営利利用と非営利法人や民間団体の利用は左記に重ねまして到底許容いたしかねますし私的利用に関しも左記に相当する内容主旨のとおり妙本や転載を到底許容いたしかねる考えでありますし、原始的な著作者として許容し許可することは原則ありません。教育機関や教育施設の利用に関しても統計情報化と統計利用をここの文意で拒みます。障害者の方のへの地方自治の認可した教育利用も、障害者手帳の静止画を拡散させるような規範意識のない不確実な自称団体や自称法人もおそらく可能性としてありうるため、個人の感想としては、到底おすすめできませんし到底許容いたしません。特に派遣契約職員の利用は禁止いたしますまた、期間が有期の契約でも正規職員や正社員などの人員でも担当者が国と文科省へのいわゆる埋蔵著作物の裁定での利用を行うことを理由にした利用とその重過失でないという利用それから電子ハンコや電子認証および券面および文書や口頭や個々人の約束ごと縷々の事由を含む利用を明確にここに拒むと明記いたしますし、櫛之汲の知財著作物や原始的に作成したあらゆる文書やあらゆるプログラムの著作物上かつ電磁的記録に表示された言語情報を内包し構成される私櫛之汲の著作権の及ぶ著作物の利用の許可や許容の有無の変化変遷ををふくむ情報を記憶した際には遅滞なく公証人と検察をふくめて公務員や民間の私人の告発義務のある方や善良な方は、独りで警察に必ず紙面で情報提供してください。なおかつ私人や法人であらゆる民間法人や公的な法人でも非営利法人でもボランティアなどのコミュニティでもどうにもならないので、警察に必ず血のつながりのある親子兄弟間のみで話し合い、血のつながりのあるご家族の意見を傾聴しなおかつ血のつながりのあることが条件の家庭単位としての1個単位で、紙面でかつ警察署や警察本部などの警察に報告すれば社会的かつ善良な人間的かつ教養ある人間として個人としてその後は日本国の警察にゆだねてください。混乱した際は、そのような方は、どうあれ蓄積する薬効果の視神経や神経細胞の個々の働きへの影響は不可逆ですので、血のつながりのあるご家族の方が飲んだらどうか申しても抗精神薬は飲まないでいいと思います。西洋医学の精神科のいう根拠やエビデンスとは、リスク管理の分野で最初期に扱われだした経済の学説で近年提唱された言説であり、抗精神薬のエビデンスは医学生の学ぶ主要な医学書の学説では不十分との説も根強くあります。国会と行政上の立法プロセスと所管省庁の実務者会議や有識者や議員の方々の行政決済の用語としても広義協議に多様にエビデンスというものは利用されており、精神科医の判断は法的な制約と医師会の規範もありますが医師の個々人の裁量があります。抗精神薬を精神科医に処方された際はパンフレットをよくよんでください。自己犠牲や自暴自棄になったりせず、ご自分を信じて、第一にご自身をご自愛ください。ご自身と日常生活を現実に過ごされてきた周囲の方々と大事になさってください。非対称性やネットがなんでもかんでも危険だというのではありません。面会通話を私はしないことと私以外の他者は本質的に無関係です。我が国の教養ある国民性の承継として伝統文化の次世代への継承と自由経済での自己決定の追求にはサブカルエンタメ産業としてのインターネットも尊ぶところもあります。意思決定は自分自身の心の安定を第一になさることをなさってください。私は異常に忌避する未成熟だと主観しえた慣習や情報の性質とその理論上の構造にナッシュ均衡の緻密化が自己完結しているつもりなだけで観測しえたような忌避しうる文化の一片に自覚的に意固地に潔癖なだけで間違いなく内科不測の事態があっても他人と他所を感知できないしわが心身に何があれ警察に報告したり事実実験公正証書にして捜査機関以外非開示な情報を残す以外に何もしませんし、なりすまし事後対応については知財権の及ぶ範囲で許容しませんが、具体策が意味することもそのまま変わらず捜査機関の警察の捜査に丸投げです。国際条約に関する国際会議の進展も米中などをはじめとした国家規模のイデオロギーの対立がいつの時代も顕著な我が国を含む国際社会情勢を鑑みると、民間に波及する原子著作物の法的処遇と権利義務の実務法制の扱いの進展は、コロナ下においても通称貿易諸課題の難航さなどその他あらゆる課題が山積していると浦和警察署管轄にする素人としては思えますし、容易には進みませんし、私の個人の浅はかな義務教育とその後の進学過程と成人しておくる日常生活での現実の体験なども含めて、経済理論を私的に解釈した上で、真理的な側面で、原子著作物の国際的な条約の進展と権利所在の実務上の課題をクリアした明確化や防衛はあらゆる次元で不可能ですが、先の大戦の反省の上で今がある我が国のような国民性の膨大な時間の積み重ねで法制された国での刑事訴追や当事者非開示での行政プロセスを経た社会的な制裁や法律の訴追は裁判の上では判例など学説を現行法律に公正に適用され、裁判の司法実務では柔軟に用いられたうえで、真摯に厳格にかつ適正に処理され処罰されます。また裁判は基本当事者の紛争であり、忌み嫌うものでありますが、忌み嫌う避けることも歴史という広義なコミュニティの経験的な防衛手段でもあります。柔軟ではあるものの訴状の法規と訴状の内容と当事者に関するものに限定されがちです。名誉については争うこともあるものですが、ここでも他所でもどこでもどうこう私は司法の場でも裁判での立場と主観態様の有無を言及をしませんが、いずれにせよ不偏的な経済理論と自由経済下にあらざるをえないのが実情であり、非対称かつ不確実な情報通信を含めた事項であることには留意しないとなりません。書き疲れたのでこの投稿小説を完結させます。コロナ対策の必要性有無にかかわらず、健康的な食生活となるべく屋内での適度な運動を心掛けてください。以上からなおかつ物心ついたときより前々より実の交流には無関心なので、このように気の利いたことを言語情報にできませんししないし、自己の体内から外に動的でも静的でも表したりすることもなく今後も面会や通話や交流することもないです。読んで字のごとく文理解釈のとおり、こうして情報の非対称性と情報の不確実性でしかない知財の著作活動があるだけで、私の実在はどこにも伴いませんしそれがアマチュア作家としても個人としても一番の信条と良心であり同時に過ぎた思い出でありなおかつ自己以外に対して私が無関心という生涯変わらぬ信条と著作人格権を持つからです。個々人が害を被る可能性のあるという意味でリスクマネジメントというより被害の可能性と単純つtまり危険を単純に伴いうる、自身が背負うことは留まってください。
本文編集
https://ncode.syosetu.com/n1075gk/ の投稿が直近で一番私的に重要です。
なろうの小説に割り振られているNコードのn1075gkは、私自らが投稿しました。第44回活動報告「https://twitter.com/JOTuDzWtVrYEBBs/status/1273635386560921605?s=20を自ら投稿し自ら再度考え執筆」投稿しました!
本作の前書きにも、第44回活動報告とhttps://ncode.syosetu.com/n1075gk/ の全文を投稿します。
さて、連載という形をとります。現状ID627090私の小説家になろう作品一覧をみた方は連載は溜まっていますが、また連載を用意しました。https://ncode.syosetu.com/n1075gk/ の投稿が直近で一番私的に重要ですし私自ら投稿したのですが、Nコードのn1075gkと第44回活動報告を一筆ガキのようにタイピングしていて、そのさなか、漠然と本作を投稿したいと思いました。動機としては単に無性に創作がしたかったからですしこの具体な感覚は言語化が感覚の性質を感じて具体に書きたくなりけれど面倒ですから書かないです。意義がないとならないという感覚がつよくあり、ハイファンタジーというジャンルにこだわらずに、イデオロギーが重要という感覚を強く感じていますのでそういう言語化が難しい感覚なのですが創作の上でのジャンルの意識というような心理状態には到底ないです。https://ncode.syosetu.com/n1075gk/ の投稿が直近で一番私的に重要です。
以上の感覚を踏まえて、電子商取引と商業出版、タイトルで行う比較がどのような比較かをまずざっくり説明します。心理状態の方を優先して、意欲はあるのですが、没頭しすぎないように、構成というところでは敢えていい加減でもあります、ちょっと考えすぎなのですがいいかげんに複雑な方が読者の方に毒すぎないかと思いまして。私は気分的にはふつうめな方よりもこういう冗長なものがさくっとかけてしまうし、普通の方は、作家病気質に考えすぎてもいけないのでたぶん感覚的に。理屈だらけでもいかんとも思うので、サクッと書いてる風を演出しています。我ながらいろいろ考えてて割とつらみはあります。推敲する気力はないですが、無い知恵をしぼって少しでも意義深くあってほしいとも思うので、書くという気力はあるので、連載にしてみました。
本作は、「電子商取引(EC)と商業出版の比較を櫛之汲かつ私の信条の観点から評論エッセイにする連載を開始します。」という本作のタイトルにします。
電子化実物化は置いておいてどうでもいいようなメモはあるのですが、趣旨に関しては基本的な考え方は、信条の「面会せず通話せずそれに加え今ではさらに交流ツールせず」、は、絶対に変わらない個人としての己の信条として、人間としての軸として無論ぶれません。NコードのN1875FS 忌避文芸感 なども私の考えの根底意識に変わらず児童としてのころよりも無論軟化しつつはありますが、異様に自己表現をすること創作するということ、著作人格権については潔癖なので、大学生になるにつれてジャンルとはず読むという風になりましたが、根本はまるで今も変わらないですし変わらないものだろうと生涯変化しないべきだと我が良心を信じています。
電子書籍などの個人や個人企業や個人事業主でのデジタル電子商取引と物質としての本の出版、商業出版の電子出版、Googleやapple、Facebook、Amazonや外資グローバルIT企業の電子取引サイトでの電子出版、国内の法人の電子取引サイトでの電子出版、国内でも外資系だったり、外資が議決権となる株の過半数しめていたり、発行される株の効力が各々の企業の事情でケースバイケースで違う場合もあったり、投資信託系が多かったりして、企業の経営と所有の実態は少なくとも素人の私では全然把握しきれません。企業に限らず個人でもなんでも社会コミュニティの実態の把握というのは困難です。
ユーザー投稿型サイトでの有料コンテンツ化、動画共有サイトの有料コンテンツ化などなど考えられる文章の取引を含む発表の方法は複数あります。専門性が高いという感じで、著作権や知財権について国内法の及ぶ範囲も条約の効果のほども事例ごとのケースバイケースです。
私の個人の感想程度でしかないですが、法制や実務に関する実務的実際的な懸念事項は、良心の呵責があり、感想すら書かないでおこうという2020年8月4日時点の考えです。
評論として有意義なものにはなりえないのですが、エッセイでもあるので、今の法律の実務はたぶん懸念されうるどうこうということは現時点で書かないほうがいいという考えであり、個人の感想ですので、ご容赦ください。
雑な感想かつ想像かつエッセイです。
非営利法人や民間団体ふくめて同好会のようなものを含めても、個人や個人事業主や一人の株式会社など個人規模での出版は、発売するだけでなく、権利関係に万全を期すとなるとハードルが高いです。たぶん音楽という業界を全然知らないですけど、楽曲みたいなのとまた違う困難さがあると思います。
NコードのN1875FS 忌避文芸感 を読んだ方なら、想像できるかもしれませんが、私は電子の情報通信基盤を用いるデジタルの著作物に関しては有料化というものを性格的にあまり好ましく思いません。ただ、物質としての出版でも、情報の非対称性や情報の不確実性の負の側面は、避けがたいことです。どちらがどうと書くのも、情報の非対称性や情報の不確実性の負の側面からなんとも断定した批判的には書きにくい印象ではあります。しかし、個人がよいかというとそうでもない、よくないかというとそうでもない。私は、面会通話せずという信条をもつ性格柄、個人の信条の枠を超えて、発表方法がどれがどうでこうこうこうだからと詳細に比較し書くというのは性質柄無理です。またそこまでの能力もないです。
個人の個人的な考え方としてはいくつか書きたいので連載枠を設けました。
企業名を挙げてどうのと書くのは難しいので、ITプラットフォームとして有名なグローバル企業をざっくり思い浮かべてみてください。個人出版のEC側の取り分と作家の取り分とを比較材料にする考えならという想定で、考えを書くと、消費者としては物質としての本を扱い作家の如何を伺いつつ電子もしてる出版業界にどのくらい取り分を持たせるか、個人作家にどのくらい取り分をもたせるか、プラットフォームにどのくらい取り分を持たせるか、手数料が高いとおもうか低いと思うかなおかつ手数料どう感じるか、こうした要素が複雑に関係して、雑に比較できなくもないと思います。
たとえば、既存の商業慣習というか法律もありつつ現行流通システムでは産業構造的な制約で、(メディアミックスなどのお金を除いて)商業作家の取り分は印税のみとここではしつつ、消費者は作家に取り分を多くあげたいとしますと、1割の印税でなく電子出版のほうが額面の取り分が多いといえば多い計算かもしれません。商業作家が出版社を通じて取次ぎを介して小売店で売った書籍の電子出版版と、商業作家が電子出版のために例えば商業大手出版社とは法律関係的にことなる個人規模で電子出版したとしたら、ケースバイケースですが、額面では個人規模の電子出版のほうが定価に対する取り分は多い。しかし、額面ではという条件があると思います。電子取引での主要な消費ジャンルは圧倒的にコミックです。経済でいういわゆる市場その環境と見込める需要がないです。その辺は大手出版社や大手印刷業界関係の連合などの企業の情報がネットにいくらでもあり物質の本や書籍を読むなりして探求するかあるいはググってください。少なくとも現状、電子だろうが紙媒体の本だろうが個人の出版物は売れないのが当たり前です。作品ジャンルがニッチだろうとメジャーだろうとファンとなる読者は作家に取り分が多い方がよいとなんとなく思うと思います。私が思うに、生業としての作家もたぶん、現存しえない理想的な環境を望みなおかつ根っこの部分では良いものを単純に供給したいというアマチュアみたいな考えです。取り分よりも、著作物に粟われる国民性あるいは著作対象のジャンルや業界がもたらすあるいは育める創作というものをが文化継承として、現在でいう歌舞伎とか能みたいな伝統文化のように、後世もっと先の何百年さきまでもジャンルやその思想みたいなのが息づく方が、尊いみたいな考えがあります。たぶんですが、私としてはものすごく創作というものは疲れるので、そうじゃないと書いてないでしょうという感覚からの感想ですし、なんとなく感じ取るとかそうであってほしいみたいな、自由に気ままに書いていたとしても、創作という行為そのものにそれをしてみた初心のときから情報の非対称性や不確実性を肌で感じるからなのか、なぜか後ろめたいし言い訳がましい思いの願望として、思います。ただ、創作に関する高尚願望に反して経済というのは甘くなくて、経済史実として金本位制から紙幣発行までに大損したように、グローバル化で外資の影響というのは金融を介しても文化面でも当然色濃いです。持ち株をしていたが、不況を受けて持ち株もできなくなり、国内企業資本に外資が増える時期があり、そこで外資が増えれば輪をかけて経営が傾く、信託、投資会社や株の議決権の有無や他株に対する優先度合い、躓く要素でもあり、情報の非対称的にも不確実性敵にも、集団の性質的にも不完全なのは避けがたく、それでも国内での持ち合いを維持する手段でもありそうです、まあ、お題目かもしれませんが。知識不足記憶不足でいろいろ省略しますが、国内の産業の空洞化が進み、家電でもなんでもそういう印象ですが情報端末の個人消費向け製造は国内で壊滅といっていいと思います。外資の入った部品で組み立てていたのが、組み立てる会社の名義も外資が外国企業がそのブランド権利を受けていますし組み立ててます。実際どうなのか内情は民間人でしかない私にはわかりませんが。追い打ちのように米中など国際的なITと貿易摩擦です。摩擦はおいておいて、セキュリティ脅威から考えて極論土台ITセキュリティは使わないですむなら使わないほうがいいと米の軍事関係かつ情報通信技術の走りの研究機関がいうくらい。なのですが一方、その実際、国籍をおいて業界の技術者の一般の認識がどうなのかというのは私にはわかりません。
戻して、1割を作家に分ける方式が、商業出版業界の文化や国民性の承継に維持に資するという大きな規模でとらえると超長期的に見た場合や、商業的に水準の文章構成を満たしつつよりよい作品が収益をあげるためには、必ずしもダメというわけでもないのですたぶん、海外向けに売るとかそういう方面のグローバル化については外して考えています。仮に外資的な電子出版のプラットフォームが取り分3割得るとします。仮に1割が決済で生じる手数料です。残りは作家とします。税金がありますので、6割もの額は実際ないです。そんなに売れない1000万まではある種税が非課税としても、当然、所得収入に対する税金払わないわけではないです。一頁あたりのお金を商業でも個人電子出版でも一定としても、機会損出を考えたら、本当に売れる本は商業のほうがいいですたぶん。
一足に書いた雑なメモから、仮の相場に合わせた場合、1ページ4円の本とします。取り分は0.4です。税抜き4円。作者の適正な取り分は条件を額面で同じくしたら、1ページ2.4円と考えます。EC基準の作者をのぞく小売りした作者以外の取り分1.6。EC版と商業効果の収益性価格差36円。一回の発行で、増刷発行回数差が9回差があるとして、訴求力9倍。として。所業作家のうけるものが0.4の価格設定、効果としたら価格3.6あるとする。実力というか実際どうなるの有無はわからないものだし、売れる売れないは差があるし、必ずしもそうでないのは当然としつつ。EC比で3.2多く儲かる場合がある。商業ではうまく軌道に乗る場合でもEC選択は売れないとして、商業クオリティが3.6ポテンシャルがあるとする。
分岐として3.2つかないなら商業選択は損する場合がある。価格を同列にしているという仮定も相場想定の仮の値の4円も、暫定的というより、考察のための仮のもの。800円で200ページ想定。単純に考えてECで売るとしたら640ひとまず得る。ECは一ページ当たり2.4を得ることのできる4円定価、200書いて、480得て、定価800。商業的な想定でぼんやりな便宜的な基準での、売れる、なら商業ならさらに160得ていた。160円損していた、想定上の観測結果となる。
一頁2.4かける200=480
一頁3.2かける200=640
0.8かける200=160
商業相場
800円定価200ページは一頁4円
4円一頁の印税は0.4それかける200=80
80円得る
一頁0.4
ECより9倍うれるだけの冊数の訴求をするとして、実際売れるかはわからない。
一ページ当たり0.4から3.6までたくさん売れたなら変動しうる想定。
ECより6倍以上の訴求効果がつよく期待できないなら選択しないという考えもありうる、ただし机上計算額面的な決定感覚である。机上計算で額面ECがよさそうだがこれは浅知恵感はいなめない、これにはなんとなく浅知恵感というのが実際のところだが、私の場合は、どうして感覚としてそうおもうのかを考察してみました。雑ですし、計算も値もいい加減です。間違いあるかもしれないけどどうしてそうおもうのか
を数っぽく記述してみる。
EC
一点で得るのは480、価格800
一頁4円、一頁で得るのは2.4
たくさんうれたら一ページ当たり0.8円余計にうれた機会がありうる。
個数が商業相場と比して高くなる要因が特別ないと仮定。
仮定だらけの事の整理とまとめてきなの。
消費者は同じ一頁4円の200ページある税抜き800円の作品を購入しても800円そのうち作者に80円払うかそれとも作者に480円払うかを、EC選択か、商業選択かどうかどちらかを選び選択できる。
私のなんとなく思うという立場さえも仮定のものです。なんとなく思うのはじじつではあるけど、自身の考えがこうこうこうだという確証はなくとはいえ、どちらもというかどんな方法でもどのような場合でも販売は、というか販売さえ、その効力云々のまえに影響の程や範疇や私の造語でいうところの被害可能性については、非対称性で不確実であるから良心や信条にどんなものでも理想通りではなく許容氏して頷けるシステムは現状世の中に存在しえないし理論てきというか理屈上そんなものは起こりえない。あくまでも本作の評論エッセイのジャンルらしさを持たせたい、かつ、本作の連載的に扱う趣旨題材のうちのひとつとしての考察のための仮定として。どっちがより数字的にあるいは本能的にあるいは感覚的にあるいは理性的に理屈的に一般的にざっくりよさそうかいなかの関心はない。
消費者は800円出すなら、結果払うそのうちの80円よりも払うそのうちの480円を作者に支払いたいとする。しかし、ECつまり電子取引決済、手数料負担一割がある(これも仮定てきな数値)とする。実際かつ感覚的にも80円余計なところに払うことになる。ここの箇所での前提として消費者の心理的にはEC側が取り分にはなから含めればいいというへ理屈が起こる気がしなくもない。消費者が商業より多い価格の880円払って480円作者に支払いたいと考えるか否か、根拠はなく感覚だが、たぶん否。本作はエッセイかつ評論の連載なので、面倒だが思考放棄せずにどうしてか考える。
心理として、100円崩れるから実質900円。
仮定に基づくこの理屈だと、たぶんだが、消費税込みなら880円から970円に値上がりして支払う感覚が起こりうる。人によりけりだけれども。
こうした過程かつ理屈上、1000円崩れるので、EC手数料72円くらいが負担となる。
見越して値下げしたとしても728円。手数料72円。970円必要なものが、880円あれば、100円崩れたとして900円で買える。しかし、感覚的に多くの消費者は手数料がとにかく嫌い。余計なところに払うつもりになり、手数料には消費者にとっての感覚上の価値がない。あくまで本作の評論エッセイの的な材料とはいえなんとなくな理屈でぼろくそなので、考察なので、少しECを持ち上げておくと、同じ予算で、同じ価格でも、ファンな心理からなんとなく消費者が作者に432円払いたくても、あくまでもそっちの方がいいかなというだけで、ECの方が価格設定が柔軟で少し安く量り売り的には買えるとしても、そうとは考えず、誤差として考えることになり、設定側の心理としては値下げ幅がわかりにくいか低いのかなという考えさえ起こることもあるし、この仮定ではほぼ消費者は量り売り的な思考で価格を思わない。EC一頁あたりが値下げされている表示価格をぱっとみた消費者は、理由は仮定でそうおもうとしつつだが、一頁あたりくらかは考えず、手数料がいくらだろうとたぶん嫌で望み通りの432円を払って済むところを作者に80円払うという選択をなぜかしてしまう。それが情報の非対称性ともいえるし、文長が退屈なので雰囲気を変化させるが、ここまで本作を読んでる珍しい方どうだろうか、現実はたぶんそういうものという肌感覚はないだろうか。考え方としては他にもある。考察の最初のほうでも書いたけど、業界に払うという考え方。他にも持ちろんいくらでも考え方はある。9割を実物を商材といて扱う扱ってきた、事実出版は紙媒体の商材で出版し成長したわけだが、そうした印象の出版業界に(むろん現在は出版業界大手企業も電子もだしているわけだが)ようするに国内の出版の業界に9割払うと。作者も出版業界と二人三脚という想定。昔のような理想的な二人三脚は実情はいろいろ苦境で準備万端にというのは厳しいという情報もおおく、傍で統計観ててもそうであろうという印象は拭えない数っぽくみえうる。無論個々異なりはするだろうし実際は知らない。ファンだからという理由で6割は作者に払えても、4割は出版でない業界に払う。ITとか金融とか。出版に携わる会社に8割は払えるという心理。買う心理として、一割作者でもまあという刹那の感覚がおこりうる。作者などふくめつつ出版を軸にした創作界隈に直接三割多く流れるのなら創作業界の産業が潤うのではという考えとなりうる。6割作者に回すか、出版不況の商業出版の業界に9割回すかという感覚も起こりうる。雑な考察であるし、似たような考え方はたぶんというかほぼ確実にこんな場合の想定であるとはおもうし、経済的にはいくらでもあると思うたぶん。こうした詳細めな考え方の記憶に自信はないけどたぶん。気になる読者様は実物の本で経済のお勉強をしてみてはいかがでしょう。有名な大学とかでも講義に使われているものをシラバスなんぞ手にしたりして、こんなのがよくつかわれてそうとか、あるいは、書店で買ったり、ECでもダメではないけど、読者様の意思決定の際というか物事の考え方の知見を養う重要な事柄なので、自分はどう思うかを考えて、普通とは? いや、合理的うーん、堅実うーん、とどういう物事の感覚としての指標であれこれ考えるのも、不確実性とか非対称性とかを考慮して実物の本を実際の本屋さんというかんじの書店とかそういう店舗で買い求めるのがよいのではないかとは思う借りるよりも学術としての知識に対する対価を払うという感覚は、何様かというていですが、個人的には結構有意義だったと思う。もちろん私は、編集をしたいよりも、私は創作したい派ですが、ちなみに編集に興味がないわけでもないです。大学を卒業した時は大手の出版社勤務に憧れていました。性格と能力と適正が無理でしたが。アマチュアとしての格というか稟性を意識してアマチュア小説を書くからか、編集的な文章の模倣はできるので、構成が簡素かつ要領よくきちっとした文章も書けなくはないと思います。あまりに膨大な労力を消費しますが。ありのまま綴ると正直、我ながらひどい。どうしようもないやめよう下手くそすぎるとまではとても思えないのですが。
この仮定の考察は、次回も続けます。評論エッセイへ展開するためのざっくりした起承転結でいう。起承転結の想定前のアイデア出しみたいな本作の本話でした。次回連載の本作投稿は八月中を予定していますが、具体的な日日は決めてませんが、なるべく投稿をします。
https://ncode.syosetu.com/n1075gk/ の投稿が直近で一番私的に重要です。
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