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TSサキュバスは誘惑しない

作者: 401

 連載にする予定のものが詰まったので一旦短編として投下。

 空腹感を感じて目を覚ます。

 いつもの天井。どうやら電気をつけたまま眠ってしまったらしい。布団をよけると同時に、蛍光灯の明かりが目に刺さる。

 寝返りを打ちながら起き上がろうとするが、背中の羽が邪魔で体を横に向けられない。

 この身体になってから一ヶ月経つが、未だに羽の扱いには困っている。最近段々大きくなってきているし、このままでは布団からはみ出してしまうのではないだろうか。


「……はあ、面倒くさい」


 背筋に力を入れ、羽を引っ込めた。同じようにして、寝ている間に飛び出してしまった尻尾と角を仕舞う。

 俺の身体のどこにどうやってこれらの器官が収納されているのかは謎だが、なんとなく力を込めるだけで跡形もなく消えてしまう。この身体の不思議現象の一つだ。


「ふあー……ぁー」


 上半身を起こし、身体を伸ばす。胸を張ると同時に二つの塊がぶるんと揺れた。


「ぁあー……これも仕舞えればいいのに」


 もぞもぞと布団から這い出る。床には、脱ぎ捨てられたパジャマが広がっていた。


「まーた脱いじゃってるし……」


 この身体になってからというもの、寝る時にどうしても服を脱いでしまう。身体が熱くなりやすいのだ。薄着でも平気なのは良いが、真冬でも半袖でなければいけないのは普通に悪目立ちする。

 時々俺たちのことを羨む人間もいるが、こうなったことで得られた利点なんて基本的に現代社会では役に立たないものばかりだ。どう考えてもデメリットの方が大きい。


 胸が邪魔だし羽も角も邪魔だしすぐに身体が熱くなるしそのくせ手足は冷え性だし……あと、すぐに「お腹が空く」。最近は牛乳の飲み過ぎで下痢になりそうだ。


 デメリットはまだまだ挙げられるが、ひとまず朝食を食べに行こう。流石に裸じゃ色々とまずいので服を着直してからだが……


「……う」


 不意に、窓ガラスへ『今』の俺の姿が映った。未だ慣れないその姿に、自然と視線が引き寄せられてしまう。


 そこにいたのは問答無用の美少女だった。

 異常に整った端麗な美貌。二重まぶたのぱっちりとした目元。不自然なほどサラサラな黒の長髪。肉感を刺激する抜群のスタイル。

 瞳はピンクに近い紫色に輝き、瞳孔はハート型に歪んでいた。慌てて何度か目を瞬かせ、黒色に戻す。こんなエロ漫画みたいな瞳、誰にも見られたくない。


 やり過ぎなほどにフェミニンな印象を感じさせる魅惑的な容姿。しかし物腰が男性的なせいか、あるいは顔が整いすぎているせいか、首から下を隠していれば若干中性的に見えなくもない。

 とはいえ、一糸まとわぬ今の状態ではどうやっても女性にしか見えなかった。


 少し気恥ずかしい。それなりに慣れてきたとは思うが、まだ時々自らを主観的に見れないことがある。俺はなるべく自分の身体を意識しないように服を着ていく。少しずつ慣れてきた女性用下着を身につけると同時に、部屋の扉が開いた。


咲斗(さくと)、少しリビングに来てくれ。これからのことについて話、が――」


 父と目が合った。いつものクセで、ノックをせずにドアを開けた父さんが押し黙る。

 父さんは一瞬、俺の胸元に目を向けた。俺の『体質』がある以上仕方の無いことだと分かってはいるが、男、それも実の父親から向けられる欲情の視線に怖気が走る。


 恐怖が顔に出てしまったのかもしれない。父さんは即座に自分の頬を引っぱたき、壁に頭を打ち付けた。

 そうだ。先程の舐めるような視線は、父さんの意思ではない。だが、実の息子――否、今は娘にそんな劣情を抱いてしまった父の自責の念はいかほどのものか。まだ高校生である俺には想像することも出来ない。


「あー……すまん、咲斗。話は(いく)に聞いてくれ。父さんちょっとその辺走ってくる……」


 額から血を流しながら、父さんが部屋を出ていく。俺と目も合わせられずとぼとぼと歩いていく背中は、非常に悲しげに見えた。


 数秒後。窓の外から響いてくる悔恨の叫びを聞きながら、俺は疲れ切ったため息を吐いた。


「……ほんと、嫌だなあ、この『体質』」


 少し満たされてしまった腹を擦る。何も口にしていないのに、舌には胸焼けするような油っこい塩味が広がっていた。


 俺の名前は蓮見(はすみ)咲斗(さくと)。一月前まではごくごく一般的な男子高校生の一人で……今は男の欲望を啜る女悪魔、サキュバスの一匹である。



 人魚。悪魔。吸血鬼。妖精。河童。雪女。座敷童子。幽霊。――怪異。誰もが信じていなかったそれらが実在し、しかも元が人間であったという『事実』が発表されてから二年。


 世間のほとんどは日本政府公式発表を都市伝説の類だと一笑し、未だろくに信じていない。あるいは信じたとしても、実感はまるでわいていないようだった。

 だが、それも当然だろう。まるで科学の手が届かない、既存の法則では測り知れない未知の群れ。常識に浸透するには、二、三年程度ではとても足りない。


 政府の方も対応に困っているらしく、つい半年ほど前に怪異を保護するための法律が追加されはしたものの、まだまだ法整備が整っているとは言い難い。


 俺に異常が起こったのは、そんな曖昧な時分だった。


 ある日曜日の昼。何の兆候もなく突如として全身が歪みだし、激痛とともに全くの別人……いや、別種に身体が変化する怪奇。

 痛みが止む頃には、俺の姿は完全に悪魔の少女へと変じていた。


 淫魔サキュバス。後期ラテン語において「不倫相手」の意味を持つ女悪魔。男を誘惑し、その精を糧とする淫売。それに男の俺がなってしまったとわかった時は、正直目眩がした。


 サキュバスの特性はいくつかあるが、何より酷いのは自分の意思も相手の意思も関係なく、周囲の男性をのべつまくなしに惹き付ける『体質』だ。なんでもフェロモンに似た力を持つエネルギーが体表から恒常的に放射されているらしい。

 肌を出さないように服を着込めばある程度抑えられはするのだが、体温の上がりやすいこの身体は長時間の厚着が厳しい。なるほど、淫魔の名に相応しい性質だった。

 しかし肉体が変わっても俺の精神は元のまま。そんな『体質』が受け入れられるはずがない。


 唯一救いだったのは伝承と違い男の精を吸わずとも生きていられること。牛乳やヨーグルトなどの乳製品があれば、なんとか飢えずに済む。


 その上男性に直接触れる必要もなく、自身に対して性欲を向けられるだけである程度腹が膨れる。だが、男に姿を見られるだけで粘っこい塩味が強制的に口の中に広がるのは人間としても男としても生理的な嫌悪感が強すぎて、通っていた高校は一週間と経たず休学してしまった。

 こんなことになるなら女子の知り合いも頑張って作っていればな、と思う。友達は多い方なのだが、何故か出来るのは昔から男子の知り合いばかり。男子校でもないのに女子とはめっきり縁がなく、この身体になってからは男友達の大半も離れていってしまった。


 服を着終わり部屋から出る。かなり暑いが我慢して長袖長ズボン、手袋靴下にスカーフとマスクの完全防備だ。これだけやればフェロモン(のようなもの)の放出はかなり抑えられる。最近は『体質』もかなり強くなっているので、これでも影響を与えてしまう時はあるのだが……。


 トントンと家の階段を降りる音が、以前より軽い。前まではそこそこ体格の良い方だったのだが、この身体になってからはめっきり華奢になってしまった。身長はそこまで変わっていないが、骨格自体は大きく変わっている。

 一応女体化についてはそこまで気にしていない……というかサキュバス化のインパクトが大き過ぎてあんまり気にならないのだが、こういうふとした時に変化を実感してしまう。


 念のためにノックをしてからリビングに入って、床に座る。

 兄さんは簡素な衝立越しに座っていた。こうやって遮蔽を挟み、直接顔を合わせなければ『体質』の効果はかなり弱まるからだ。


「咲斗。お前には、家を出てもらうことになった。……本当に、すまん」


 兄の郁が悔しそうな声で謝る。

 俺はそれに対し首を横に振った。こんな身体になってしまった以上、仕方の無いことだ。


「……わかった。これ以上兄さん達に迷惑かけれないもんな」

「違う! 迷惑だとか、そんなことを思っているわけじゃない。だが、このままでは何が起こるか分からん。兄として情けないが、お前を守るためにもこうするしかなかった。許してくれ……!」


 許すも何も、兄さん達は何も悪くない。こんな事故のようなものに誰かの責任なんてないはずだ。


「仕方ないさ。それに、俺も一度は一人暮らししてみたいって思ってたんだ」

「……すまないな、気を使わせて。では、来週から女子校に転校してくれ」


 転校か……正直今の学校は居づらかったし、この際新しく交友関係を作った方がいいのかもしれない。

 しかし、ジョシ校……どこの高校だろう。引っ越すわけだし、もしかして県外だろうか。えーとジョシ校ジョシ校……


 ……ん?


「女子校?」

「ああ。特にお前に編入してもらう予定の私立瑠璃社(るりやしろ)女学院附属高校は、お嬢様学校として有名だ」


 は? え、お嬢様学校? 俺が?


「瑠璃社女学院は全寮制で、女子生徒が男性職員と関わらないよう徹底されている。ここならお前の『体質』も気にしなくていい」


 俺は男を惹きつけてしまうから、女しかいない場所にいれば無問題。理屈はわかるが、だからってちょっと思い切りが良すぎやしないだろうか。


「必要な事項は先に記入しておいたから、後は署名だけしてくれ」


 兄が転入用の書類を衝立下部の隙間から出してくる。


「いや、無理だろ。俺男だし」

「既に新法律での戸籍変更等、大体の手続きは終わっている。日本の法律的にも何ら問題はない」

「……マジで言ってんの?」

「マジだ。今日にも制服の採寸や、引越しの準備をしてもらう。特別に編入試験の予定を立ててもらったから、それの勉強もな。まあ、お前の成績なら何も問題はないだろうが」


 確かに成績には自信があるが、それ以外の部分への不安が大き過ぎる。例え男を惹き付けなくても、寮で生活していれば怪異であることはすぐにバレるだろう。


「父さんが色々と手を回してくれたおかげで、寮生活については心配しなくていい。怪異であることは学校側が秘密にしておいてくれるし、そんなに気兼ねしなくても大丈夫だ」

「いやめちゃくちゃ気兼ねするけど……」


 というか、父さんはどうやってそんな所への伝手を手に入れたのだろう。あの人怪異の実在が発表されてからやたら出張が増えているのだが、何か変なことに巻き込まれていやしないだろうか。


「……本来ならもっと休ませるべきなのかもしれんが、人間社会との関わりが少ないと段々怪異としての性質に呑まれていってしまうらしい」


 うっと言葉に詰まる。俺も聞いたことのある話だった。

 今は人間かつ男性としてのメンタリティを保持している俺も、このまま引きこもり生活を続ければそのうち「人間」がどういうものか忘れてしまう。人との関わりが無くなったり、心を病んだりすると怪異の性質が段々と強くなり、心まで人外に引きずられるそうだ。

 逆に言えば、例え人で無くなっても人の間にいさえすれば怪異はまだ「人間」でいられる。完全に人間に戻る例はまだ報告されていないものの、少なくとも怪異の性質自体は劇的に弱まる。変化直後は日光下に出られなかった吸血鬼が地下鉄駅員として仕事を続けた結果、普通に外出できるようになったという実例だってあるほどだ。


「わ、わかった……」


 当然、俺は人間であることを辞めるつもりはない。最近羽が大きくなったり『体質』が強くなったりと、少しづつサキュバスの性質が強くなっているのは自覚していた。このままでは遠からぬうちに精神にも影響が及ぶだろう。

 恐る恐る署名する。蓮見咲斗――の「咲」の字まで書いたところで、ぴっと書類を抜き取られた。


「……何すんだよ、兄さん。まだ途中なんだが」

「学校では蓮見(はすみ) (さく)と名乗ってくれ。あと、元が男であることは誰にも言うな」

「はい?」


 ぽかん、と口を開けた俺に、兄さんが変わらない口調で淡々と告げる。


「瑠璃社女学院に通う生徒は、いずれもやんごとなきお嬢様方だ。そんな中に元男が紛れているとバレれば、法的に問題が無くても金と権力でどうされるかわからん。実際怪異であることは学校側に伝えているが、元が男であることは伝えていない」

「署名し終わった後にそれ言う!?」

「周りに女子ばかりだからといって、変な気を起こそうとは思うなよ。一応は怪異化者プライバシー保護法で公的に秘匿されてはいるが、少し調べられたらすぐに分かる。最悪の場合、一家まとめて社会的に干されるだろう」


 いきなりのしかかった不安に冷や汗が流れる。


「まあ一線を超えなければ問題ない話だ。こちらは社会法規において何も悪いことはしていないんだからな。むしろ理不尽にお前を排斥すれば怪異人権保護団体やLGBTを敵に回す。注意事項はまとめておいたから、後でよく読んでおけ」

「え、えぇ……」


 そう言って兄さんは立ち上がりつつ衝立を抱え、身を隠しながら去っていく。


「……ん」


 床には、小さなメモ用紙が置かれていた。

 一番上に記された注意事項を読み上げる。


「……『その一。女子生徒に手を出さないこと』」


 あんなこと言われて女子に手を出そうと思うわけないだろうに。俺はため息をつきながらメモ用紙をポケットに突っ込んだ。



 数日後。俺は慌ただしく諸々の準備を終え、瑠璃社女学院附属高校の廊下に立っていた。

 普通はもっと時間がかかると思うのだが、その辺は父さんが色々無茶をしたのだろう。俺のことを想ってくれるのは嬉しいが、あんまり社会的にヤバそうなことをしないでほしい。


「それにしても、女子制服か」


 瑠璃社女学院の制服は白を基調にしたブレザーに、落ち着いた紺のプリーツスカートだ。

 冬服なのでかなり暑いものの、初日ぐらいは我慢するべきだろう。スカートは初めて履いたがなかなかに涼しい。ズボンだと熱が篭って暑苦しいのだ。

 縁取り(パイピング)は青色で、ネクタイも同色の青。胸元にはマリアのローブをモチーフにした校章の刺繍が入っている。

 俺は「袖口がすぐ汚れそうだな」という身も蓋もない感想を浮かべたが、周辺地域の女子高生からは人気のデザインらしい。確かに前の学校の女子制服に比べればずっと可愛いし、メインカラーが白なのもあって清楚な印象を強く受ける。


 そんな制服に身を包んだ自分を鏡面に映す。小さなリボンで髪を結んだポニーテールの女子高生。どうにも顔の強張りが抜けないが、表情と髪型のおかげでサキュバスという言葉から連想する性的な雰囲気がいい塩梅に打ち消されている。しっかりと制服を整えているのもあって、結構凛とした印象だ。


「……でも、お嬢様っぽくはないな……」


 いわゆるクール系で、エレガントやキュートといった属性からはほど遠い。とはいえ、悪くはない。いや、良い。

 『体質』やサキュバスとしてのあれこれに関しては本当に辟易としているが、今の自分の見た目についてはかなり気に入っている。

 なんと言っても美少女だ。鏡を見る度に綺麗な女の子が映るのだから気に入りもする。おかげでサキュバスになってから強くなった性欲も問題なく処理出来て――いや、それはいい。


 変化によって精神的苦痛を受けることも多かったが、「変化後の外見を気に入ることが出来た」というのはかなり心の安定に繋がったと思う。

 これがもし完全に化物のような見た目だったなら今頃はとっくに心まで怪異に成り果てていただろう。実際、非人型の怪異になってしまった人は情緒が不安定になり、人間の心を見失いやすいそうだ。怪異化者の整形手術は保険が降りないし、無理に元の外見に近づけようとして余計にストレスがかかることだってある。


 なのでこの身体になってからはあくまでも女性として見た目に気を遣っている。伸びた髪も痛まないよう手間をかけて毎日手入れしているし、スキンケアなんかも怠っていない。


 廊下にあった姿見で身だしなみを確認していると、女性の教師(この学校の教師はほぼ女性なのだが)が声をかけてくる。教室に案内してくれるらしい。


「蓮見さん、こっちです」


 声の調子は平然としているが、どうにも距離感がある。

 学校側は俺が怪異であることを知っているので敬遠されているのだろう。俺が魅了してしまうのは男性だけなのに、目も合わせてくれない。これでさらに男だとバレたらどうなることか。


 教室の中に入る。生徒の数はざっと二十人強。

 当然ながら全員女子生徒なのだが……


「(……みんな、めちゃくちゃ可愛い……)」


 目を疑うぐらいに美少女だ。前の学校の女子とは、平均レベルが数段階ほど違う。

 自らの容姿へ抱いていた自負が崩れそうになるが、そも本物の美少女と自分を比べて勝てると思っている方がおこがましい。俺は早々にジャッジ自体を放棄した。


 こんな子たちが彼女だったらな、などという世迷言をわずかばかりに脳の片隅で思いかけるが、彼女等は全員がやんごとなきお嬢様。

 俺のような何処の馬の骨ともしれない男(?)が粉の一粒でもかけようものなら、即座に一家まとめて死亡である。社会的に。

 そう考えるともはや機嫌の一つさえ損ねるのが恐ろしい。普通の生活が出来るぐらい『体質』が弱くなったら、すぐに再転校しよう。


 表情が強張り過ぎてデフォルトから変わらなくなっている気がするが、おかげで無様を晒さずにいられるのは僥倖だろう。

 俺は昔から緊張した時は自然とポーカーフェイスになるのだ。周囲からは肝っ玉が太いように誤解されがちだが、実際はこうしてガチガチになってるだけである。


蓮見(はすみ) (さく)――だ。よろしく頼む」


 咲斗、と言いかけるのを堪える。危ない危ない。

 ……言った後から思ったのだが、タメ語は不味かっただろうか。いや、でも同級生だしな……変に(へりくだ)るのも逆に変なはず……?


 これからの口調について考えながら、ただ真っ直ぐ歩いて教師に示された席へ座る。周囲を見る余裕などない。我ながらビビり過ぎな気もするが、今の心情を例えるならなんと言えばいいのか――そう、周囲を国指定重要文化財で囲まれている感覚だ。平常心でいられるわけがない。

 俺の席は右端の窓際。良い位置だ。窓の外を眺めて現実逃避が出来る。うわー中庭が綺麗だなあ。

 無理矢理ねじ込まれた転校だからか、自己紹介タイムなどはなくその後すぐにHRのようなものが始まる。教師が口を開き、こちらに集まっていた視線が散った。内心でホッと息を吐きつつ、黒板の方を見る。


「…………」


 だが、すぐ隣からまだ視線を感じる。

 右隣の席を見ると、背の低い栗毛の女子生徒と目があった。透き通った琥珀のような、明るいブラウンの瞳。ここ最近は基本的に他人と遮蔽を挟んで会話していたため、直接顔を見られたことにドキリとした。


「――――」

「?」


 いかん、変に思われたかもしれない。笑って誤魔化そう。にっこり。


「……っ」


 あ、なんか困惑してる。ダメだ、大人しく黒板見てよう。

 気を逸らすために教師の話に集中していたせいか、すぐにHRが終わってしまう。


 小休憩を告げるチャイムが鳴り終わると同時、先程目があった隣の席の女子(全員女子だが)が話しかけてくる。


「えっと、蓮見さん。私、羽衣石(うえいし) (あずさ)って言います。さっきは不躾な目で見てしまってすいません」


 いきなり謝られた。謝らせてしまった。その程度のことで謝罪するなんてちょっと折り目が正し過ぎる。圧倒的恐縮が表情筋を微妙な半笑いに固定してしまうが、その分声帯は淀みなく機能した。


「いえ、羽衣石さんが謝ることなんてありません。あなたに見られて嫌なことなんて、何一つないですから」

「え、あ――」

「それに、同級生の私に敬語なんて使わなくても大丈夫です。もっと気安くしていただければ」

「う、うん。でも、それなら蓮見さんも素の口調で大丈夫、だよ? 瑠璃社は結構礼儀正しい子が多いけど、話し言葉まで丁寧な人はあんまりいないから、普通に喋って」


 そんなこと言われても、俺の素の口調は当然男性のものだ。かと言って無理に女言葉を使えばわざとらしくなるだろうし。敬語なら男女差がないから自然に「私」という一人称も使えるのだが……ううむ。

 男言葉のまま一人称だけ変えて、あんまり男らしくならないよう調整するか。こう、荒っぽい感じも極力抜いて。


「ありがとう、羽衣石。助かるよ。私も少し緊張していたから、君が気遣ってくれたのは嬉しいな」


 ……うわぁ。

 なんだこの口調。言ってて背筋に怖気が走る。俺の現在のCVがややハスキーな声質のお姉さん系だからまだギリギリ許せそうだが、もし元のモブ男子Bのままだったら即座に切腹して詫びねばならなかっただろう。ありがとう今の声帯。


「ううん! それに、こう見えてみんな気さくな人ばっかりだから、あんまり緊張しなくても大丈夫!」


 羽衣石さんは気にしていない様子。どうやらそこまで酷くなかったらしい。よし、このままいくか。……いっていいのか? だがいくしかない。もはや変えられん。


「そう、なのかな。それにしては、みんなあまり私に興味がないみたいだけど」


 別にアニメのように転校生へ他の生徒が群がってくる光景を想像していたわけではないが、羽衣石さん以外はこちらを遠巻きにちらちらと見るだけだ。


「蓮見さんに興味が無いわけじゃないと思うけど、この学校って結構編入したり転校したりする人多いから。あと、その――蓮見さんがこの学校じゃあんまりいないタイプだからかな」

「ああ、そうなんだ。でも少しありがたいかな。綺麗な子たちばかりだから、一斉に話しかけられたら気後れしてしまいそうだよ」


 一瞬羽衣石さんがピクっと固まりかけた。しまった、今のじゃ羽衣石さんは別に綺麗じゃないみたいな言い方じゃん。


「羽衣石も魅力的な女の子だから、実は今もちょっと気はずかしいんだ。さっき目があった時も、思わず動揺してしまって」

「あ、あはは。私なんかそんな」


 思えば、他人と目を合わせるのも、こうやって直接顔を合わせて会話するのも随分と久しぶりだ。うちは母親が早くに死んで女家族がいないし、友達も男ばかり。『体質』が強まってからはろくに誰かの顔を見て話すことが無かった。思わず固まった表情筋が緩む。


「あの、蓮見さん、何かおかしかった?」

「え。ああ、ごめん。君と目を合わせられるのが嬉しくて」

「へっ――!?」


 いかん、口説いてるみたいになった。でも大丈夫、だよな? 一応女子同士だし、特別他意があるような言葉でもないし。


「なんて言えばいいんだろう……新鮮、なんだ。今まで、君みたいな女の子と話す機会がなかったから」


 一応前の学校は共学だったが、女子と関わることはあまりなかった。仲のいい男友達が多く、学校での自由時間はほとんど男付き合いに占有されていた。

 サキュバスになってしまった今となっては友達たちも大半が離れていき、それでも仲良くしてくれていた親友も、他の男と同じように――いや、それ以上に強い性欲を向けてくる始末。女子には露骨に気味悪がられ、怪異化が進むとわかっていながら俺は家に引きこもってしまった。


「は、蓮見さんだって綺麗で魅力的だよ! 髪とかすっごく艶々しててサラサラだし!」

「あ――ありがとう。そんなに言われると、少し照れるな」


 この身体になってからは髪の扱いに神経質なぐらい気を遣っている。変化してすぐの頃は男の時と同じようにしていたのだが、あっという間に傷んでしまって繊細さに驚くと同時に酷く後悔した。

 それからはシャンプーやブラシなんかも新しく買って、出来うる限り丁寧に扱っている。いつぞやに父さんに乱暴に撫でられた時は割と本気でキレた。

 変化時に急成長したので今はセミロングぐらいだが、出来ればもっと伸ばしたいと思っている。後一年半ぐらい伸ばせば俺の理想の女の子が完成する見込み。『体質』が弱くなったらまず美容院に行っておきたい。


 羽衣石さんは何故か顔を赤くし、こちらに少し近づいてきた。手がうずうずとしている。……女子なら優しく触ってくれるだろうし、いいか。


「……触るかい?」

「えっ――いいの?」


 そう言いつつ、羽衣石さんの手は既にさわさわと俺の髪を撫でていた。妙にくすぐったい。


「うわぁ……すっごい……私、結構くせっ毛であんまり伸ばせないし、羨ましいなあ……」


 嬉しくはあるが、同時に罪悪感もある。俺の髪は怪異化によって伸びたものなので、普通の女の子と違って時間をかけて伸ばしてきたわけではない。


「でも、私は羽衣石の髪が好きだよ」

「そ、そう?」

「うん、ふわふわしてて、可愛いと思う」


 罪悪感から出た言葉だが、紛うことなき本心である。猫っぽくて撫でくりまわしたくなる。恐れ多くてとても出来ないが。


「じゃあ、触ってみ「それは困る」


 慌てて断った。もし男だとバレたら羽衣石さんの父親あたりに「このような馬の骨が我が娘の艶髪に触れていたなど許せん」と一家まとめて社会的に殺されることになる。


「そ、そんな食い気味に断らなくても……」

「ああいや、違うんだ! 女性にとって髪が大事だというのはよくわかるから、私なんかが下手に触れてしまうのが申し訳なくて――」

「別に、蓮見さんなら気にしないよ?」


 きょとんとした顔で羽衣石さんが小首を傾げる。君が気にしなくても俺は気にする。


「私も蓮見さんの撫でたから、気にしないで」


 思えば、髪を撫でさせたのも不味かったかもしれない。間接的に触っていると言えなくもないのだから。絶対に男だとバレるのだけは阻止しなくては。


「それにしても『女性にとって』なんて、まるで男の子みたい――わ」


 咄嗟に羽衣石さんの髪に手を伸ばした。

 ドキドキと心臓が脈打っているのが分かる。これはアレだ、恐怖だ。誤魔化すならもっと方法があったはずなのに、バレるのに怯えるあまりついやってしまった。


「ど、どうかな」


 羽衣石さんに問われるが、俺はもはや混乱の極みに達していた。何も考えられない。思ったことがそのまま口に出る。


「柔らかいね。愛くるしい子猫を撫でてるみたいだ。手触りが優しくて、いつまでもこうやって触れていたい気分だよ」


 何言ってるんだろう俺。テンパりすぎてよくわからないこと言ってる――と、そこで小休憩終了のチャイムが鳴った。


「ああ、もう授業か。何だか随分と時間が経つのが早い気がするね」


 何事もなかったかのような顔で席に座り直す。うん、何もなかった。何もなかったことにして欲しい。もう色々とダメだ。家が潰れたら俺のせいですごめんなさい父さん兄さん。


「……?」


 じわ、と口の中に仄かな甘い味が広がった気がする。……なんだこれ。

 この後、他の女の子に無自覚で壁ドンしたり無自覚で顎クイしたり無自覚で押し倒したり無自覚で体育館倉庫に閉じ込められたりする。


蓮見咲斗(人間・♂)→蓮見咲(サキュバス・♀)

 男だった時から無自覚で同性にモテる。サキュバスだけあって性欲は結構強いが、緊張し過ぎてそれどころではない。


羽衣石 梓(人間・♀)

 キャラ立てが甘かった。これからはストーリーだけでなくキャラ設定も練らねばなと思った次第。多分この後ヤンデレになる(適当)。

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[良い点] ごちそうさまです。 [気になる点] >>次へ のリンクがないこと [一言] 続きが読みたくなりますねえ
[良い点] 好きだ。是非連載して欲しい
[一言] ひゃー女の子だと甘い味になるんですね ぐへへ
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