ごはんに合う人参と玉ねぎの酢漬け
「今日はどうしようかな。」
スーパーから出た僕は、切実に悩んだ。
父さんと二人暮らしをしている僕は、普段大学の授業や宿題をやりながら、家の事をなんとか片付けている。
掃除と洗濯は二人暮らしである分、マメにやらなくでもいいから、料理、つまり食事だけは毎日の悩みだ。
いい食事はいい体といい精神の元という事らしいから、僕もなんとか料理本やネットレシピで調べて、料理をしている。
だけど、それも二人がいればの話。
この前、父さんが海外出張しに行った。
元々は一週間くらいで帰って来れる予定だったけど、思いのほか話が進み、滞在期間が延長された。
最初は一人だから、手抜きしてもいいと思って、コンビニで済ませたり、お金に余裕がある時は外食もした。
しかし、しばらく続くと、手料理が食べたくなった。店のやつじゃなくて、自分で自分好みに作った料理が。
何回か自分で作ろうかと思って、市場に足を運んでは見たものの、売ってる量を見ると、いつも諦めてしまう。
普段買い物しているとき、父さんも食べるから、ちょっと多めに買っても基本問題はなかった。
けど、食べるのは自分一人だけとなると、普段と同じように食材を買ったら、調理や作りおきを作っても、腐る前に食べきれない。
かと言って、一人分だけ買うのも、どうしても単価が高くて、なかなか手が出せない。
あと、実際に一人分の食材を買おうとすると、渋い顔をされる事はあった。
あれはなかなか耐えるものだった、正直二度と見たくない。
だから、最近は外食するか、もしくはいっそのこと食事自体抜いている。
腐らすくらいなら、買わなければいい、一食や二食くらい、まだ我慢できるし。
とは言え、今日は家事をする必要ないし、大学のレポートも宿題もない。
暇だから、僕は学校帰りのついでに、街の中を散策していた。
家にいたら、光熱代やら何やらで出費が増えるし、外に居たほうが、片付けとかしなくて済むから、気楽でいい。
今日はしばらく図書館にでも篭ろうかなと考えていると、突然携帯のバイブが鳴った。
すぐに道の端っこにより、安全な場所で立ち止まって、僕は携帯のロックを解除した。
『今帰国した、夜には帰る。』
アプリを開くと、一番上に父さんからのメッセージがあった。
長い間メッセージを送っても、何も返されなかったのに、やっと返信したら、もう帰ってきたのはどういうことだろう。
いや、仕事に集中すると、他の事がおろそかになるのは、いつもの事だ。
驚きや不満はあるけど、今一番大事な事と言えば、もうアレしかない。
『何か食べたい物ある?』
ほぼ反射的に返事を送ったあと、ちょっとだけ後悔した。もっと他に先に言う言葉や言った方がいい事もあるだろうに。
けど、すぐにメッセージを読まれて、そして短い単語が更新された。
『米』
『他は?』
『米でいい、普通の米が食べたい。』
一体何があったら、オカズの存在すらも無視するようなリクエストが来るのかはわからない。
普段なら、ハッキリしないような、例えば『魚』、『肉』だけなら、結構困るけど、今回ばかりは助かった。
自分はしばらくは米すらも炊いてなかったから、難しい献立を言われたら、結構手こずってしまう気がする。
そうとなれば、何か簡単で出来て、それでいてご飯に合うやつを作ろう。
とは言え、何を作ったらいいんだろうか、全く考えがない。
毎日料理をしていた時は簡単に思いつくのに、やっぱり持続は大事だなと、今更だが、しみじみそう思う。
とりあえず、スーパーに戻ろうか、そんで何かセールしているのかを見て決めよう。
困ったときのセールと季節食材頼みだ。
ビニール袋に包まれた特売の人参と玉ねぎを抱えて、僕は帰り道を急いで歩いた。
最初は本当になんの計画はなかったけど、人参と玉ねぎが安くなってるのを見て、僕はすぐに作りおきの漬物を作ろうと決めた。
そんで、今夜はご飯と漬物で簡単にまとめよう。
作りおきでも、一気にたくさん作りすぎると、気をづけないと、腐らせてしまう事もあるから、今日は二品だけ作ろう。
うちの扉を開いて、カバンを居間のソファーに置いたら、一度買った物を厨房に置き、僕はレシピを探した。
自分で料理するようになって、僕はいつもネットでレシピを探していた。
けど、ある日、僕は『レシピ本を買ったら、ネット回線が悪くても見れる、付箋やメモが付けられる』という事に気づいた。
それに気づいてから、レシピ本に関する色んな情報を集めているけど、本当に買うのなら、父さんと相談したほうがよさそうだ、献立的にも、お財布事情的にも。
買えるのなら、今僕が探している『作りおき』料理がたくさん載ってる本がいいな。
目当てのレシピが見つかり、僕は厨房に戻り、まずは米を水に浸して、炊飯器にセットした。
そして、必要な調味料と保存用容器を準備したあと、僕はまな板を取り出して、人参と玉ねぎの袋を開けた。
包丁を握るのは久しぶりな気もするけど、野菜の下処理は案外簡単だった。
なんかいい感じにリズムを刻み、野菜を切っていくと、楽しくなってくる。
人参と玉ねぎを切り終わったら、用意した容器の中に入れて、そして、レシピ通りに酢と塩を混ぜて、漬け液を作った。
漬け液が入った二つの容器の中に、それぞれ切った人参と玉ねぎを入れたら、フタを閉じて、それを冷蔵庫の中に入れる。
作りおきの料理は結構他の料理にも使えたりするらしいので、ご飯が炊き上げるまでの間に、僕は部屋に戻り、携帯を充電しながら、人参と玉ねぎのレシピを探した。
気がづいたら、机に伏したまま、僕は寝ていた。
机まで垂らしたよだれを慌てて拭き、いつの間にか外されたメガネをかけ直して、僕は顔を洗うために、自分の部屋から出た。
いつの間に太陽が落ち、僕は暗くなった家の中を歩き、明かりのスイッチへ手を伸ばし、電気をつけた。
最初は突然明るくなったせいで、目が慣れなかったけど、しばらくしたら、居間の方に誰かが倒れている事に、僕は気づいた。
まあ、変な状態で放置されたメガネ、見慣れたちょっと小さめなスーツ、穏やかに寝息を続けているのは誰なのか、考えなくてもわかる。
「父さん、床で寝たら風邪をひくよ。」
声をかけても、目覚める気配はなく、少し考えて、僕は父さんの肩を掴み、結構強い力で父さんの体を揺らした。
「父さん、起きて、起きてください、父さん!」
「……ここ、どこ?」
「ここは家ですよ。」
まだ意識が戻ってないのか、または寝ぼけているのか、父さんは床で転がり、そしてソファーにぶつかった。
結構大きいな音がして、僕も含めて、二人で驚いていたが、父さんはすぐにまた目を閉じ、上着を抱きしめている。
酔っている時の父さんも変な行動をするけど、お酒の匂いはしてこないし、どうしたらいいのか少し悩んだ結果、僕は父さんにこう聞いた。
「大丈夫?今日はもう寝る?」
「んん…米が、食べたい……。」
「ご飯ならもうできたよ。」
僕の返事を聞いて、明らかに反応はあった。
しかし、起き上がることはせず、父さんはただ転がってきた方向へ向け、また人体モップになって、床の上でゴロゴロしていた。
そう言えば、過去も一度か二度くらい、父さんの疲労がピークに達した時、まるで子供のように駄々をこねる事もあった。
僕も宿題やテストに疲れた時、こういう風にわがままになるから、父さんの事は言えないかもしれないが、疲れは本当に人を狂わせるんだと、僕は再認識した。
床でゴロゴロしている父さんを見て、僕はソファーの方へ歩き、クッションを父さんに渡した後、父さんにこう言った。
「風呂を沸かしてくるから、先に寝てていいよ、でもご飯を食べるなら、スーツを着替えてきてね。」
「ご飯……もう、食べられる?」
「うん、今日は三合も炊いたから、好きなだけお代わりできるよ。」
「おかわり、できる。」
「うん、ご飯は何盛りがいい?」
「おおもり、大盛りで!」
いきなり父さんが勢いよく立ち上がり、ちょっとビックリしたけど、その時、僕は父さんの目の下の深いクマを見た。
本当にお疲れって感じだったけど、どうしてもご飯が食べたいのか、父さんは『大盛り、大盛り』と呟きながら、メガネを拾い、かけ直した後、父さんは玄関の方へ歩いて行った。
そして、出張の時持っていったスーツケースを引っ張りながら、父さんは上着とカバンを抱えて、部屋の中に入った。
疲れている父さんが寝てしまわないか、少しだけ心配ではあるが、ご飯の量も指定されたし、食事を用意してもいいと、僕は思った。
先に風呂場に行って、お湯を沸かしたら、厨房の中に入り、僕は漬け物を取り出して、味を試した。
初めてのレシピだったから、この味はあっているのかどうかはわからない。
けど、漬け液のおかげか、案外野菜のシャキシャキ感と酢の酸っぱい味が合って、ご飯が進む気がする。
食器を用意している時、父さんの部屋から結構大きいな物音がして、何してるのか心配になるが、とりあえず呼ばれるまでは、僕はのんびりご飯を用意した。
炊飯器を開いた時、熱気が漂い、僕のメガネが曇った。
少しして、大量な湯気が落ち着いていると、僕はしゃもじを使い、ご飯の硬さを確認した。
よし、米の芯まで火が通っている、僕と父さんが好きな硬さだ。
父さんの茶碗の中にご飯をいっぱい入れて、大盛りと言われたから、僕は更にご飯の上に、限界までご飯を載せてみた。
やりすぎくらいに盛ってしまい、こぼれそうな白米を見て、僕は一度炊飯器の蓋を閉じ、慎重に父さんの茶碗を食卓まで運んだ。
反省を込めて、僕は自分の分のご飯をよそい、そして、自分の茶碗を食卓に持っていった。
「うわ!」
いつの間に食卓の前に現れた父さんに驚き、僕が声を出してしまった。
明るい食卓で見える父さんの顔色は酷いだけでは済まさないほど悪いものだった。
しかし、大盛りのご飯を見て、血色が良くなっていくような気もする。
僕がまだ戸惑っていると、父さんは僕を見て、こんな風に聞いた。
「もう食べていいか?」
「おかずと箸はまだ持ってきてないけど。」
「じゃあ、私が持ってこよう。」
「あ、ちょっと待て。」
僕の返事を待たずに、父さんはすぐ厨房へと歩き、僕は小さくため息をつき、父さんの後を付いていく。
父さんが二つの皿を掴み、その中に酢漬けの人参と玉ねぎを別々で入れた。
本当は小鉢か小皿に入れようと思ったけど、別に気にしないから、僕は冷蔵庫を開けて、父さんに聞いた。
「お茶と牛乳があるけど、どっちかいい?」
「お茶。」
「わかった。」
僕がお茶を冷蔵庫から取り出した時、父さんはもう皿と箸を掴んで、厨房から出て行った。
普段落ち着いてる人も、食の事になると、すごく変わらんだな。
と、なんだが妙に感心しながら、僕は二人分のお茶を入れ、それを持って、食卓へ向かった。
「いただきます!」
いつもより大きな声でそう言って、父さんは箸と茶碗を握り、掻き込むような勢いで、ご飯を口の中に運んでいった。
もしかしたら初めて見る父さんの野性的な一面に圧倒され、僕が食事に手をつけずにいると、凄まじい速度で父さんはご飯を飲み込んで、空になった茶碗を僕に向けた。
「おかわり!大盛りで!」
「わ、わかった、持ってる間に、漬け物を食べてて。」
茶碗を受け取り、僕は席から立ち、厨房の中へ急いだ。
やりすぎと思うほどの大盛り、いや、もしかしたら特大盛りのご飯が、あっという間に食べられてしまった。
三合のご飯は足りるのかと心配になり、僕は一度炊飯器の中身を書くにいした後、大盛りのご飯を慎重に持て、厨房から出た。
食卓に戻り、茶碗を父さんに渡すと、大きな皿の中に入れた人参と玉ねぎの漬け物が半分くらい消えた事に、僕は気づいた。
「あ、この漬け物たち、酸っぱくて美味しいよ。」
「それは良かった、まだあるから、持ってくる?」
「おお、頼む!」
子供のようにはしゃぐ父さんの目を見て、僕は笑いたくなるのを我慢して、もう一度厨房の中へ入る。
人参と玉ねぎの漬け物の容器を冷蔵庫から取り出して、よく見たら、二割くらいなくなってた。
五日くらいは持つだろうと予想していたので、ちょっと唖然としたけど、少し考えて、もういっその事このまま持っていたほうがいい気がした。
だから、僕は綺麗な箸を二組掴み、一緒に漬け物の容器を抱えて、厨房から出た。
食卓に戻ると、両手で空になった茶碗と箸を握り、食卓に顔を置き、大きく口を開いた、そのような奇妙な体勢で、父さんは寝ている。
目撃した瞬間、思わず吹き出しそうになったが、寸前で口を肩に当てたので、なんとか声を洩らさずに済んだ。
ゆっくりと、慎重に箸と茶碗を父さんの手から救出し、僕は食卓の上の食器を父さんの手が届かない場所まで移動した。
静かに自分の椅子を動かして、僕は自分の分のご飯を手にして、小さな声で、もう一度言った。
「いただきます。」
果たして父さんはこのまま眠り続けるのか、または目覚めた後、更にご飯を要求するのかはわからない。
しかし、満足そうに眠りながらも、微笑みを浮かべる父さんを見て、レシピ本の事をもっと真剣に考えようと思いながら、僕は自分の作った漬け物を口に入れた。
今度は何を作ろうかな。