お手軽ローストビーフ丼
「えっ、父さん、出張するの?」
茶碗にご飯をよそってる途中で、耳に入ってくる父さんの言葉が幻覚かと思い、思わず僕はそう聞き返してしまった。
しかし、予想を反して、箸を開け閉じる動きを続きながら、父さんがどこか申し訳なさそうに顔を俯いた。
その様子を見て、どうやら先の言葉は、僕の聞き間違いじゃなかった。
両手を伸ばし、僕からご飯を盛り付けた茶碗を受け取って、父さんは何度か咳払いをしたあと、ゆっくり口を開けた。
「忙しかったから、同僚がうっかりダブルブッキングしたそうでな、代わりに声がかかったで訳。」
「それにしても急な話だな、出張っていつ行くの?」
「来週だ。」
「えっ。」
急な話と言われたから、てっきり一ヶ月後とか、精々三週間後じゃないかと思っていた。
流石に来週と言う答えが予想外すぎるて、それを聞いた僕は驚き、手が一瞬緩めてしまった。
危うく握っている杓文字を落としそうになったが、慌ててそれを掴んで、一先ずそれを炊飯器の横に置いた。
一応落ち着こうとはしていたが、やっぱり聞き返した時、父さんに聞き返した僕の声は、驚いてるようなものだった。
「今日はもう金曜日だけど、来週って、急すぎないか?」
僕にそう聞かれ、同じようなことを思っていたのか、父さんは箸の先端で分けた秋刀魚の身を一度見て、少しだけ返事を迷った。
そして、父さんは箸を慎重に箸置きに置き、チラッと目の前にあるご飯を見たあと、父さんは僕と向き合った。
「確かに急な話だ。けど、穴が空いてしまったら困るし、それに、一応参加しているプロジェクトでもあるから、成功させたいんだ。」
そう父さんに言われると、僕は父さんが結構前から帰りが遅かった事と、休日でも、よく真剣にパソコンと向き合い、深夜までも仕事をしていた事を思い出した。
『大仕事だ、頑張らないと!』とはしゃぐ父さんの顔を思い出しながら、僕は聞いた。
「プロジェクトって、前に言った大仕事の事?」
「そうだ。やっと準備が出来たんだ、最後までやり遂げたい。」
目を輝かせながらも、少し痩せた父さんの顔を見て、僕は思った。
父さんが健康を顧みずに、徹夜までして進んだプロジェクトだ。
それはきっと真剣にやりたいと、父さんが決めた仕事だ。
だったら、成功させたいのは当たり前で、突然の欠員で全てを台無しにされたくないんだろう。
僕としては、ここまで急すぎた話を父さんに頼むなんて、そもそもなんてこんな段階になってやっとダブルブッキングがわかるなんて、父さんの会社とか仕事とか、色々心配になってしまう。
けど、もう既に決められてしまった事っぽいし、父さん本人もやる気に溢れているから、反論や疑いな言葉を発さずに、僕は普通に聞いてみた。
「じゃあ、いつ出発するの?」
「えっと。」
答えようと言葉を発したが、途中で父さんも忘れたのか、言葉が続かなかった。
一回口を閉じ、父さんはスマホをポケットから取り出して、中にあるカレンダーを開いた。
何回かスマホを触った後、父さんはスマホをポケットに仕舞い、僕にこう答えた。
「……火曜日だな。」
「はあ!?」
今回も思わず声が出た、しかも割と明らかな呆れを含めてしまった。
いや、いやいや、『そうだ、旅に出よう!』みたいなノリで出張が決まっていい訳ないだろう?
僕は社会人じゃないから、詳しい事はわからないけど、なんかこう、事前に予約とか、打ち合わせと、か連絡とか、『社会的な規則』ってのはあるじゃないのか?
それに、今日は金曜日の夜だから、実質三日くらいしか準備できないようなスケジュールになる。
これで出張が決まっていいのか?これは普通なのか?
……そう言えば、同級生にも似たような仕事をしている家族がいると聞いたし、先生の友人にもそういう人はいると話した気がする。
今度会ったら、社会人の仕事について、一度きちんと話を聞いてみようかな。
「それで、出張は六日になるけど、一人で大丈夫?」
考えてる途中だったけど、父さんに質問されて、僕は聞かれた問題を考えて、その質問自体、どこかおかしいと感じた。
「六日って、週末を含んでるけど、そんなに時間かかるのか?」
「元々行くメンバーが念のためにと、取っておいた日らしい。何もないなら、観光でもしようかなと思ってる。」
「観光、観光か……。」
仕事ばかり考えている父さんが、まさか自分から観光という単語を口にするとは、本気で驚きながら、僕は忘れていた事を聞いてみた。
「そういえば、出張先はどこだ?」
「上海だ。」
「しゃん…はい……?」
「上の海で上海だ、地理位置で言えば、中国の方にあるんだ。」
「中国、か。」
父さんが教えてくれた『上海』という地名らしき言葉、聞いたことはあったけど、どんな場所だったのか、僕には全くわからない。
けど、仕事だけでなく、観光する余裕があったら、それは良かったのかなっと、一度は考えた。
父さん自身は出張について、困ってるような素振りはなかった。むしろ『やる気満々』というような態度だった。
僕の父さんは一度やり通すと決めたら、余程の理由がない限り、決して自分の心を折ったりしない人だ。
そんな父さんが、こんな無茶な出張でも、『やる』と決めた。
だったら、僕ができる最大なサポートは、父さんの出張中、自分の面倒を見ることだろう。
なら、『一人で大丈夫?』という質問に対し、僕がする答えはもう決まっている。
「大丈夫だよ、父さん。むしろ一人でいる方が、思う存分羽を伸ばせるからね。」
「徹夜でゲームするんじゃないぞ。」
「徹夜しなければいい?」
「………午前二時までだぞ。」
「はーい。」
呆れたような表情をする父さんに、僕は力が抜けた声でそう答えて、片方の身が食べ切られた秋刀魚をひっくり返したあと、皮に箸を入れた。
こんな僕の返事を聞いて、どこか納得行かないような顔をしながらも、父さんは少し冷めてしまった秋刀魚の身を解し、ご飯と一緒に口の中へ運び込んだ。
それからの週末は忙しいものだった。僕がではなく、父さんがだけど。
上海まで出張するから、仕事の打ち合わせ、予約変更の手続き、上海でのスケジュールの確認……。
スマホを手放す事なく、話しながら、何度も部屋に出入りしている父さんを見て、僕は不思議だとすら思った。
普段の父さんは何事にも落ち着いて、ゆっくり対処するような人だ。
とはいえ、突如決められた出張には、流石に大分参ってるみたい。
やっと部屋から出てきたかと思ったら、そのまま部屋の中へ戻り、今度は何かを手にしたかと思えば、それを見たら、また置きに部屋に戻った。
そして、会社の人とかからの通信が来ると、何を持っていても、父さんはすぐに繋げる。
「そうだな、確かにデータで持っていって、当地でプリントアウトしたほうが良いだろう、しかし……」
今も通話を続きながら、父さんはスーツケースに入れたいシャツを抱え、もう片手には多分仕事用の書類が掴まれている。
会話を続いたまま、また部屋へ入った父さんを見て、僕は少し戸惑った。
父さんの仕事はよくわからないから、手伝える事はない。そして上海への旅も、何かアドバイスをする事も出来ない。
そもそも上海と言う場所は、僕からしてみれば、完全に謎だ。
僕が行く訳じゃないけど、気になって気になって仕方がないので、今日作る料理を考えるついでに、ネットで上海の事を調べてみた。
手始めに『上海』だけ入力して、検索エンジンをかけてみたら、予想以上に様々な情報が溢れ出した。
他のキーワードを加えず、興味半分でそのままスクロールしてみたら、気になるタイトルがいくつもあった。
ポジティブな記事を選んでいた方は良かったかもしれないが、心配症だからか、どうしても『治安』、『注意』などのリンク先を優先して開いてしまう。
『スリ』や『置き引き』はまだ色んな場所でもよく見られる犯罪だ。
けど、それ以降の話を読み続けると、不安を覚えた。
一応アジア圏の人なら、顔だけ見たらまだセーフっぽいけど、海外の人だとバレたら、更に危ないような事に巻き込まれやすいらしい。
『スリにあっても平気なように、至るところにスられ用の財布を仕込む』という一言を読んだ瞬間、胃の中身がひっくり返したような感覚を覚えた。
犯罪に関する記事を読んでなかったら、僕はきっと笑っていたんだろう。
だけど、前にどっかの番組で見たプロのスリの身のこなしを思い出して、完全に冗談として見れなくなった。
あまりにも危ないから、この事を父さんに言おうと頭を上げたが、声が出そうになるその瞬間に、僕はある事に気づいた。
ネットに書かれた情報はどこまでが事実なのか、僕にはわからない。
根拠もないのに、適当な事を言って、不用意に恐怖心を煽るのは、きっととても駄目な事だ。
それに、落ち着いて考えてみれば、父さんの会社は元々海外企業と手を組んでいて、何かしら出張が多い会社だ。
昔は技術や知識の関係で、欧米諸国の方へ向かう事が多かったが、経済の発展を観察し、世界の流れに乗り、今はアジア進出していると、父さんから聞いた事があった。
その進出も簡単なものでは無く、数え切れない程の先輩たちが下調べや実地調査を行い、凄まじい回数の会議と討論を経て、慎重に検討がされていた。
その積み重ねがあった上で、会社は上海に仕事の拠点を据えた。
だったら、父さんの上海への出張は、きっと会社からのバックアップを受けられる物で、僕がどうこう心配する必要はない。
なら、出張準備に忙しい父さんの為に、僕が今出来る事は、家事ではなく、料理をする事だ。
うちの週末は、基本的には家事に費やされるだけで終わることが多い。
僕と父さんの二人掛かりで、平日には出来ないような家事を、必要な事から片っ端から進めていくのが、うちの普通の週末だった。
しかし、出張の準備で家中をひっくり返している父さんが『自分でめちゃくちゃにした場所は、自分でしっかり整理する。』と言った。
だから、手持ち無沙汰の僕は、いつもより、ほんの少しだけ、料理に時間をかけようと決めた。
「父さん、僕ちょっと買い出しに行ってくるけど、何がいる?」
「えっと、なんかやすい財布を適当二つ……いや、三つくらい買ってきて。」
「えっ、なんて?」
「上海で働いてるコウちゃん……後輩が『とりあえずスられる為の財布と安全対策の財布を用意して』って。」
「安全対策ってなに!?」
前半の言葉はネットで読んだので、予想していた。けど、後半の単語を聞いて、僕は思わずそう聞き返してしまった。
すると、父さんもよく分かってないような顔をして、僕にこう返した。
「なんか財布が優先的取られる、そして財布が取られた次が電子機器だから、財布を沢山準備した方がいいって。」
「そうなのか。……とりあえず見た目いいけど安いのを買ってくる。」
「ありがとう、助かる。」
「お安い御用さ。では、行ってきます。」
「ああ、いってらっしゃい。」
外出する為に、ジャージの袖を通したら、何故かタオルを抱えている父さんに気づき、僕は言った。
「何が追加で買う物があったら、メッセージを送って。」
「わかった、気をつけてな。」
「うん、気をつける。」
スマホとカバンを掴んで、財布をその中に入れたら、僕は振り向かずに、そのまま出掛けていった。
僕は普段財布とか、腕時計とかに一切関心がないから、いざ選ぶってなると、どうすればいいのか、全くわからない。
スーパーに行くつもりだったけど、安いけど見目のいい財布なら、伝統的な市場がいいと、ふっと思い浮かんた。
作る予定のレシピの材料は、お肉と手頃な野菜。
どこで売ってる材料でも大丈夫だから、僕は財布を握り、市場の方へ入った。
市場の地図を見て、僕はまず頼まれ物を買いに歩いた。
雑貨屋さんみたいな所を何軒か回って、なんか良さそうな男物の財布を三つくらい買った。
買った財布をカバンに仕舞うと、僕は食材を買うために、食べ物エリアへ向かった。
果物、野菜、魚、肉。
新鮮ものから漬物、調理済みのものまでも、この市場には一通り揃っていた。
「さあ、注文していいぜ!」
熱々の鍋を前に、大きいなおたまを握り、次々とプラスチックの容器一杯に、声の大きい地方の料理人はおかずや食事を詰め込んでいく。
その光景を少し見つめていたら、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「おんや、この前引っ越してきた子。」
「この前って言っていいのかどうかはわからないけど、まあ、はい、こんにちは。」
肉屋の箱を抱えて、気怠そうに声を掛けてきたお兄さんに気づき、僕はそう返した。
僕の顔を見て、お兄さんは何か言おうとしたが、突然彼は店の裏へ向けて、少し批難を含めた声でこう言った。
「あ、おいオッサン、ここでタバコを吸うなって何度も言われたんだろう、俺まであんたの嫁さんに怒られるぞ。」
「えー、別にええやないけ?」
その声を聞いて、僕は店の裏側からわずかにする煙の正体がわかり、同時に誰かがそこにいる事に気づいた。
お兄さんは肉屋の箱を抱え直しながら、奥の方へ声を上げて、彼は呆れた声色でそう叫んだ。
「やめときやめとき、ここに未成年の子も通る、悪影響や。」
「ちぇー、わかったわい。」
年寄りの声が終わったあと、漂う紫煙が消えていき、カツカツと靴の音が遠ざかっていった。
呆れたようにため息をついた、隣にいるこの肉屋のお兄さんを見て、僕は思った。
率直で回りくどくない彼の話し方を『キツイ』と思う人も当然いるだろう。けど、良くも悪くも人への接し方は同じだから、僕は割と気に入っている。
未だに『引っ越してきた子』と呼ばれるのは、ちょっと苦手ではあるが。
視線がお兄さんが抱えている肉屋さんの箱に止まり、僕は少し考えたあと、彼にこう尋ねた。
「今日は何がおすすめ?」
「美味しいなら豚、安いなら冷凍期間が長かった牛だな。」
「普通逆じゃないのか?」
僕の質問を聞き、彼はニヒルに笑い、隠さすことなく、僕にこう教えてくれた。
「オカンの予想通り、黒い袋で肉を保存したら、案の定オヤジが忘れた。『腐るくらいなら大サービスにしな』ってな。期限はぎりぎりだが、結構いい肉だぜ。」
どうしてそういう事になったのか、それって大丈夫なのかと、話を聞いて、ちょっと失礼だけど、僕は思ってしまった。
しかし、安い牛肉の方が気になるから、僕は素直に彼に言った。
「じゃあ、予算はこれぐらいだけど……。」
「りょうかーい、ついてきな。」
目を光らせ、先よりも速めに歩いていくお兄さんを見て、僕も歩幅を広げて、彼のあとに付いていった。
「ただいま。」
買い物を済ませ、家に帰ると、返事は来なかった。
もしかして父さんが出掛けてたのかと思って、荷物を抱えて、居間に入ると、仕事用のカバンを抱えながら、ソファーの所で寝ている父さんを見つけた。
寝ていたと言うか、倒れていた、と言った方が正しいかもしれないが。
ローテーブルの上にノートパソコンが開かれていて、そして、何枚もの紙が散乱し、床まで落ちている。
よく見ていたら、父さんの手は何か握っているように見えて、そう遠くない場所に、父さんのペンとワイヤレスマウスが転がっている。
その惨状を見て、僕は一度買ってきた物をローテーブルに置き、両手で父さんの体を揺らした。
「父さん、ここで寝たら筋肉痛になるよ。」
「んん、あと十分……」
寝ぼけているのか、それとも本当に疲れているのか、それだけ言って、父さんはそのまま眠り続けた。
これは起こせないと判断し、仕方がないから、僕は買ってきた財布だけ置いて、他の物を厨房の中まで持って行った。
牛肉の入った袋を持て、いつもより少し足取りが軽快なのは、自覚はある。
珍しく大量な牛肉を手に入れ、テンションが上がっているのは本心だ。
予定とは少し変わるけど、元々ご飯を炊いていたし、時間かかるのは一緒だから、今回は前々気になっていた料理を作ろうと、僕は決めた。
デバイスにレシピを開き、それを油が飛ばない場所に置いたあと、僕はパットに牛肉の塊を乗せた。
鍋に水を入れて、それを沸騰させる為に火をつける。その間に、僕は牛肉の上から塩と胡椒を振りかけた。
実際ローストビーフという料理を作るのは初めてだが、じっくり火を通していたらオッケーだそうだ。
で、本当にダメなら、そのまま焼いて、生じゃなくしたら、多分大丈夫だ。
そういう『生じゃなければ大体いける』という謎の信頼を抱きながら、僕はフライパンを用意し、塩コショウをした牛肉を焼き始めた。
ジュワッと肉の焼かれる匂いが漂い、肉の表面が赤から灰色、そして茶色っぽく変わっていく。
時々牛肉をひっくり返して、全体的に表面の色が均一になると、僕は牛肉を取り出した。
これからお湯に浸かる牛肉が水に触れないように、お肉をアルミホイルとジップロックで慎重に包んだ。
鍋が沸騰したら、僕は牛肉の包を持ち上げて、気をつけてお湯の中に入れた。
火の強さを調節して、牛肉がお湯から浮かないように、お皿を一枚上から置いたら、僕は鍋の蓋を閉じた。
牛肉がお湯で更に調理されていく間に、僕は冷蔵庫の中を確認した。
中から取り出したレタスを洗い、玉ねぎと人参の漬け物を先に小皿に分けた。
時間を確認しながら、丼の中にご飯を平たく盛り付けて、その上に、僕は手で千切ったレタスを並べた。
予想図では、ふっくらに炊いたご飯の上に、草原みたいにレタスで覆い尽くし、更にその上に厚く切ったローストビーフを載せて、豪華なローストビーフ丼にしようと思った。
けど、レタスを置いた瞬間、新鮮なレタスでは、思ったような平ったい感じにはなれないと気づいた。
このままだと、欲しかった豪華感がなくなるかもしれない。
せっかく牛肉を塊で買う事が出来たのに、他に何か特別感を出せる手がないのかと考えると、ふっとある黄色の誘惑が脳裏によぎった。
お皿の中に落ちると、それはまるで太陽のような形になり、その中心に箸を入れると、黄金色の命がマグマのように広がっていく、黄身。
更に、それが温泉たまごだったら……。
最初にたまごが殻から出る時、白の衣に包まれたたまごは慎ましさを保つだろう。
しかし、すーと食器を使い、その白身を開いた瞬間、中から濃厚なゆっくりと黄金の光が放たれ、白無垢はあっという間にゴールデンなドレスに変わる。
っと、よだれが。
卵かけご飯も大好きだけど、今回みたいなローストビーフ丼に、温泉たまごを、そっと殻を割って、ど真ん中に……。
ああ、考えるだけで、よだれが止まらない。
一刻も早くこのアイデアを実行する為に、僕はタイマーを設定して、洗ったたまごをローストビーフと同じ鍋の中に入れた。
タイマーの時間を待ちながら、僕はローストビーフを切るために、包丁とまな板を探した。
目を覚ましたのか、肉の匂いにつられて、何度も厨房を覗こうとした父さんを追い出し、僕はローストビーフ丼を無事盛り付けて、それを食卓へ持って行った。
追い出されても、食卓の準備をしてくれた父さんは両手を膝の上に置き、ワクワクしている顔で、僕を見ていた。
急須、湯飲み、小皿、そして最後に僕が運んできた丼を見て、父さんは目を見開き、驚いたような声を出した。
「なんっ、これを、作った!?」
「そうだよ、牛肉を安く手に入れたから、ローストビーフに挑戦してみた。火は通ってるから、食べられると思う。心配なら……」
「大丈夫だよ、こんなに美味しそうな色しているし、ダメだったら焼けばいいよ、って、この小皿、まさか?」
最初は僕が持ってきた丼に目を奪われた父さんだったか、小皿の中にある卵に気づき、ゆっくり僕を見上げた時、僕は思わず笑った。
丼をきちんと置き、僕は席に座ったあと、慎重に殻を割って、温泉たまごを自分のローストビーフ丼に乗せた。
僕の行動を見て、父さんはゴクリと唾を呑み、少し震えた手を伸ばして、父さんはたまごを掴んだ。
殻を軽い力で何回叩いて、ようやく出来たハッキリした割れた痕を沿って、父さんはゆっくり温泉たまごを丼の中に入れた。
僕の丼を見て、父さんは箸を使い、なんとかたまごを中央部分に移動出来た。
嬉しそうに笑う父さんと目が合い、僕も笑顔になって、父さんと一緒に手を合わせた。
『いただきます。』
父さんが出張から帰ってきたら、今度は何を一緒に食べようか。