忘れん坊のひき肉じゃが
「本当にありがとうね!わざわざ来てもらって!」
「いやいや、全然良いですよ、父さんの手伝いが出来るのは嬉しいし、バイト代も出るでしょう?それにこういうイベントでの経験はあるから、割と適役でもあります。」
「やだ、主任のお子さんってば、かっこ良すぎ?」
「なんですかそれは、褒めても何も出ませんよ。」
「もう来てくれるだけでもありがたいのよ、しかもこんなに早いのに、他に友達も呼んでくれたし、もう神様仏様って感じだよ。」
「流石に神様仏様は言い過ぎですよ。」
スーツを着ているお姉さんの言葉を聞いてると、思わず苦笑いをこぼしたが、スタッフ用のエプロンを受け取りながら、僕は会場の方へ目を向けた。
実は今日のイベント、企業機密を除いて、大体の内容は結構前に父さんから聞いていた。
なんでも今回のイベントは規模が大きいだけでなく、海外出身の参加者も招き、一つの会場に多くの国の商品を揃えてきた。
今までもいくつかのイベントを担当してきたが、今回は僕たち親子が引越して以来の初めての大イベント。父さんだけではなく、父さんの会社もかなり力を入れていると聞いた。
イベント会場の動線と配置も、用意された音響もライトも、話を聞いた時はピンと来なかったけど、実際に見てみると、確かに凄く良いと思った。
「私の部下たちも凄く張り切っているから、きっといい物になるよ」と誇らしげにそう言った父さんの顔を見たから、行ってみようと思った。
場所と交通時間を調べて、あまり忙しくない時、差し入れでも持って行こうと思っていた。
それなのに、まさかのイベント初日の早朝、急に電話が掛かってきた。
最初は『初日の打ち合わせか最終確認かな?』と思っていたけど、シーンと静まり返っていた家の中に、『バイトが急に来れなくなってしまいました助けてください!』って切羽詰まった声が響いた。
通話を続いたまま、父さんの支度を手伝っていると、バイトが病欠で来られないというトラブルが起きた事が分かった。
本当は午後あたりで行けたらいいなと思って、バイトをお休みにしたけど、人手不足の話を聞いてしまったし、父さんの力になりたいから、もう、手伝わない選択はない。
仕事を手伝いたいと正直に父さんに話したら、少し迷っていたが、すぐに父さんが電話の向こうの人交渉をして、きちんと給料が出る事が保証され、ついでに他に来れる人を呼んでと言われた。
その時は早朝だったけど、暇そうな友人に声をかけて、メッセージを送って、二人を確保した。
父さんの会社のお手伝いだと思うと、凄く緊張するけど、緊急事態発生、出動だ!と、気合を入れてきた。
実際会場でエプロンをつけて、周りを見てみると、この選択は正しかったと思う。
父さんと一緒にここに来た時、スーツを着た人たちがどこか焦っている顔をして、空気が悪かった。
でも、僕を見た瞬間、足りないバイトを確保できたと、大人たちは凄くホッとした表情になった。
それで偉い人と臨時会議があるから、着いてから父さんとは会えてないけど、最初に感じた焦りが薄れて、今はただ慌てて最終確認をしているだけになった。
そして今、人数分のエプロンを抱えて、僕はお姉さんにこう聞いた。
「イベントの手伝いなんですけど、具体的にはレジ担当ですか?それとも他の仕事ですか?」
「そうね、出来ればあなたが呼んだ友達と一緒にここのブースのヘルプをして欲しい。」
「ここのブースって、欠員が出た場所ですか?」
「いや、あなた達は三人でしょう?ここなら丁度三列あるから、それぞれ一列のブースのヘルプとして立って欲しい。」
「ええと……あっちのブースですね。」
イベントのチラシを受け取り、彼女が指していた背面のマップを見ながら、実際に会場を見てみると、指定されたブーズの列を見つけた。
一列にあるブースの数を数えたら、使っているスペースに違いはあるが、平均としては一列に五つくらいブースがある。
この短い仕事時間の間に、五つのブースのサポートをする為にはどうすればいいのか、少し考えてみた。
こうして黙っていると、どこか焦った声で、お姉さんはそう言った。
「あっ、やっぱり無理はあるかな?一応同僚も支援するし、出来るだけヘルプも寄越すから、大丈夫かな?」
「えっ?あいや、無理じゃないと思いますよ?ただ、各ブースに一時間くらいしか手伝えないかなと思っただけです。」
「えっと、ちょっと違うの。英語が出来る人でお願いしたでしょう?実はお願いしたブース、ほぼ全員海外の人だよ。」
「つまり、販売よりは通訳の方の手伝いがメインという事ですか?」
「まあ、ハッキリに言うとそうね。お金の計算は言葉通じなくても分かるけど、質問とかは難しいからね。っと、何があったかな、じゃあ、友達の方の説明をお願いね。」
ポケットの中でブーブーと震えるスマホと取り出しながら、お姉さんは焦った顔になって、『通訳OK』と書かれた名札を僕に渡した後、彼女はさっさとどこかへ行ってしまった。
お姉さんの背中を見て、多分信頼されているのだと考えながら、僕はエプロンと名札を持って、友人との集合地点へ向かった。
待ち合わせの駐車場まで行くと、目当ての大柄の女性と小柄の男性が雑談している姿を見つけた。
声をかける前に、先に女性の方が僕の事に気づいて、割と大きな声で彼女は僕を呼んだ。
「おっ、メガネじゃん、おっはよー。」
「おはようございます、アップル先輩、朝なのにいきなり電話してごめんね。」
そう言って先輩に頭を下げていると、背中をアップルに強く叩かれて、笑いながら彼女はこう言ってくれた。
「別にいいよ、丁度起きてたし、それに給料結構出るって事だし、むしろバイトが一日だけなのが勿体無いくらいだよ。」
「そう言ってもらえると助かります。そう言えば、二人で話してたみたいですけど、知り合いなんですか?」
「ああ、このロンはね、私と同じクラスだよ。」
胸を張りながら、どこか得意げにアップルはロンの背中を強く叩いた。
呆れた顔をしているロンを見て、僕は一度時間を確認して、来た方向を差した後、僕は二人にそう言った。
「とりあえずバイトの場所まで行こう、歩きながら説明するから。」
「オッケー、そんでそのエプロンと名札をつけるよね?」
「はい、名札は自分たちで好きな名前を書いたらいいって。」
アップルにそう聞かれたので、答えると同時にエプロンと名札を二人渡して、ついでに今回の仕事内容も一緒に説明した。
話をしながらも僕らは会場へと進み、ロンはバッグを下ろさないまま器用にエプロンをつけて、そしてアップルが適当にエプロンをつけた後、名札を見て、彼女はそう聞いた。
「ふーん、名前はあだ名でもいい感じ?」
「はい、海外の参加者たちが呼べる名前なら大丈夫ですって。」
「じゃあ、私はいつも通りアップルで行くね。ロンはどうすんの?やっぱり適当に決める?」
「今回は英語必須、なら、ロンは行ける。」
「あいよ、じゃあいい感じに書くよ。」
ゆったりとしたロンの返事を聞いて、アップルは慣れたようにバッグから筆箱を取り出して、マーカーで二人分の名前を書いた。
そんな二人を見て、仲がいいなと思いながら、前に歩いてる僕は何も言わないまま、ただ二人の会話を聞いていた。
アップルとロンと一緒に会場に入ると、見覚えのある人が僕の方へ来て、三枚のリストを僕たちに渡した後、彼はそう言った。
「来てくれたありがとうございます、一日だけですが、よろしくお願いします。そして悪いですが、説明する時間はないので注意事項だけ纏めました、一番上の三つ以外は仕事の合間で確認してください。では、案内します。」
そう言ってさっさと行ってしまった彼を見て、僕たち三人は慌ててその後について行き、歩いている途中で、アップルはそう聞いた。
「ねえねえ、お兄さんが私らの上司さんっていい感じなんです?」
「いいえ、俺はあくまで説明役、もし問題があれば、まとめに写真を載せた二人のところへ行きなさい。」
「へー、じゃあお兄さんはどこにいるのです?」
「俺は舞台の横のあのエリアにいます、距離もあるから、面倒は見れませんよ。」
「ふーん、まあ仕方ないですね。」
「さきも言いましたが、何が困った事がある時は写真の二人か、俺と同じ腕章をつけた人を呼んでください。着きました、では。」
ブースの場所まで案内すると、彼も急いで自分の担当エリアへ戻り、アップルとロンを見て、僕はそう聞いた。
「じゃあ、先輩たちはどの列にします?」
「私は適当、多分大差はない、ロンは?」
「後輩、お前、僕で行こう。」
「えー、なんて私が中央なの?」
「アップル、時々テンパる。」
「ちょっ、いやそうだけど!てかこれって私が支援するんじゃなくてされるのか!いいけどさ!じゃあメガネ、また後で!」
そう言って、アップルはロンを引っ張り、二人はさっさと自分たちの担当ブースへと歩き出した。
ちょっと予想外な出来事で驚いたが、会場のアナウンスを聞いて、僕も急いで自分の担当ブースに行って、とりあえずの顔合わせと始めた。
ブースにいる人たちと挨拶して、話をしていると、開場の時間になって、沢山の人、お客さんが入ってきた。
初日だからなのか、そこそこの人がブースまで来てくれて、会話して、買い物をしていく。
最初はどうなるのかと思ったけど、イベントのテーマに多国籍があるおかげで、案外英語や他の外国語を喋るお客さんもいて、話を聞いているだけでも楽しかった。
そして、通訳、説明、呼び込み、会計、色んな言葉をBGMに働いていたら、あっという間に一日目のイベントが終わった。
肩の力を抜いて、担当したブースの人たちとお疲れ様やお別れの言葉を交わしていると、後ろから大きな声で呼ばれた。
「やあ、メガネ、私とロンは臨時バイトの書類を書いたら帰るけど、一緒に駅まで行く?」
「あっ、他に用事があるので、先に帰ってください。」
「ん、分かった、じゃあ、また何が儲け話があったら連絡してね。」
「心強すぎませんか先輩?ロン先輩も、今日はありがとうございました。」
「気にするな、では。」
淡々とそう言って、先に歩き始めたロンを見て、アップルは呆れた顔になり、僕に手を振った後、彼女はロンに追いつき、何か小言を言いながら、二人は会場へ出た。
二人を見送りながら、エプロンと名札を外していると、肩を叩かれて、少し疲れた声で父さんはそう言った。
「お疲れ様、そしてありがとうね。」
「いいよ、バイト代も出るし、父さんも困らないし、万々歳だよ。」
「はは、本当に助かったよ。それに、部下から聞いたよ、結構活躍したんだって?」
「活躍するって程でもないよ、ただ喋る勇気があるだけ。」
そうして答えていると、頭をポンポンと撫でられて、嬉しそうな声で、父さんは言った。
「それが出来るだけでも充分凄いよ、流石だな、頼りになる。」
父さんのこの一言で、思わず言葉が詰まった。
家事としている時でも、勉強でいい結果を出した時でも、同じ言葉を言われた。
けど、初めて同じ場所で働いて、直接見たって感じじゃなかったけど、それでも褒められて、普段とは全然違う喜びを感じた。
そう言う感情なのかは自分でも把握できないけど、少し腹が減ったのを感じて、僕はそう聞いた。
「仕事はまだあるのか?」
「あると言えばあるけど、先方の連絡待ちだから、家で連絡を待つ形になる。」
「あっ、じゃあ一緒に帰れる感じ?」
「そういう事。書類は後で一緒に送ればいいから、もう帰ろう。」
「うん、帰ろう。」
そう言って、僕はバッグを背負い、車の鍵を片手でくるくる回している父さんと一緒に駐車場へ向かった。
「あっ。」
「どうした?」
「買い出し忘れた。」
家に入った瞬間、そう言えば冷蔵庫にあまり食材がない事を思い出した。
差し入れの材料も含めて、朝で買いに行けばいいと考えたけど、まさかのアクシデントでど忘れしてしまった。
今更買いに行ってもいい食材は少ないし、それに、父さんはこれからも仕事があるから、これ以上遅くなるのはダメだと考えて、僕は父さんに聞いた。
「ジャガイモと玉ねぎとひき肉があるから、肉じゃがを作ってもいい?」
「もちろん、じゃあ、ご飯は私が炊くよ。」
「ありがとう!」
そうと決めたら、さっさと着替えて、僕と父さんはそれぞれ担当料理を取り掛かった。
父さんが米を洗っているのを横目に、僕はジャガイモと玉ねぎを切って、そして鍋に油を引いてる時、父さんのスマホから着信音が鳴り始めた。
お米の準備を変わろうかなと考えていたが、父さんは苦笑いをこぼして、着信音を放置したまま測った水を炊飯器の釜に入れた。
そして、炊飯器のスイッチを押した後、手を洗いながら、父さんはそう言った。
「出たらもう手伝えなくなるから、せめて担当のご飯だけはね。」
「別にいいのにな、でもありがとう、父さん。」
「どういたしまして。けど、一緒に料理したかったな。」
「それはもう父さんの努力次第だから、お仕事頑張って。」
「ははは、確かに、じゃあ、任せたよ。」
そう言い終わると、父さんは厨房から出て行った。
一緒に料理がしたいと言われて、ちょっと恥ずかしいのと、思ったより嬉しくなった感覚を覚えた。
折角作るなら、ちゃんと料理も決めたいと思いながら、僕はひき肉を炒めた。
いい感じに火が通ったら、切ったジャガイモと玉ねぎを入れて、炒めながら調味料の準備もした。
用意ができたら、鍋に適量の水を入れて、アクを取った後、調味料を加えた。
今日は仕事で疲れたし、父さんもまだ仕事しないといけないみたいだから、砂糖を少し多めに入れてみた。
そうして火加減を中火にして、たまにアクと取りながら、肉じゃがの様子を見守っていると、父さんが厨房の中に入ってきた。
「いい匂いだ、そろそろできる?」
「後数分くらいかな、仕事はもう大丈夫なの?」
「一応返事はあったけど、念の為に明日も来て欲しいんだと。」
「僕に?」
「そう、欠員を土壇場で出した問題は本来向こうの会社が解決しなければならない、けど、結局はうちでなんとかした。これで結構信用がなくなったな。」
父さんの話を聞いて、最初は信用が『結構なくなった事』について考えた。
けど、よく考えてみると、決めた人数のスタッフを用意すると依頼を受けたのに、いざ依頼の日になると、病気だから人数が足りないと言って、他に来てくれるスタッフを見つけられないまま問題を投げてきた。確かにそれは信用がなくなる。
報告してるからマシだと朝は思ったけど、今父さんから聞いた『明日は人揃えます』の話、僕は素直に信じられなくなった。
これが信用が結構なくなった事なのかと考えて、そして、もしかしたら知らない間に、僕は信用出来ると判定された事に気づいて、少し驚いた。
あくまで僕の考えだから、合ってないかもしれないが、そうだったらいいなと思いながら、僕は父さんにこう返した。
「一応明日も行けるけど、もしスタッフが揃っていたら、僕はどうしたらいい?」
「そうだな、客としてイベントに参加してもいいし、近くの店で過ごしてもいい。折角だから、明日は外で食べよう。」
「いいの?」
「ああ、今日のお礼も兼ねてね。」
「そこまで言うなら、明日は遠慮しないよ?あっ、でも食材の買い足しをしないといけないんだった。」
「じゃあ、先に買い物をして、その後なんか食べよう。」
父さんの話を聞いて、多分今日で肉じゃがは食べきれないから、一日放置して大丈夫かと少し心配になるが、滅多にない親子の遠出はそれ以上に楽しみだった。
「いいね、それに車だから、重い物も買って帰れるの凄く助かる。っと、出来たよ。」
「なら後で買い物リスト作るか。その前にご飯だ、ご飯と食卓の準備は私がやろう。」
「分かった、食べたら少し考えよう。ところで、肉じゃがなんだけどさ、食べたい分だけ取る感じでいい?」
「いいよ、じゃあ茶碗のサイズ少し大きめのにするか。」
「ありがとう、さって、鍋敷き鍋敷き。」
父さんと二人で食卓の準備をして、それぞれ席に座った後、一緒に手を合わせた。
『いただきます。』
さて、明日の買い出しの後、何を食べようかな。