偵察、仇敵
王都の北西には荒野地帯とそれを割断する大きな谷が存在した。
荒れた土地に一筋流れる河川はそのまま王都に隣接するラインゴルド湖へと繋がっている。
谷は深く、荒野から谷の底を確認することは難しい。
急流な川に気を付けさえすれば――隠匿しながら進軍出来る絶好の隠し通路だった。
俺の世界において魔王軍は谷底のルートで進軍していた。
王国が軍勢を察知したのは谷の終点、即ち谷が消えて軍の全貌が露呈した後だった。
相手の掌の上で転がされていたと言っても過言ではないだろう。
そして荒野にて決戦し……王国軍は辛くも勝利を収めるが、
その代償として勇者一行の一人――エドを失う事となってしまった。
俺が変えるべき歴史、その第一章だ。
そのための布石はいくつか打った。
一つはジェラルディンのコンディション。
俺の世界で俺――勇者は、正直立っていることすら奇跡な状態で戦に臨んだ。
サンダーバード戦で相当なダメージを負ってしまっていたからだ。
だが今回は違う。雷に打たれはしたが、俺の処置と聖剣の力を無理に使わなかったおかげでほぼ完治状態と言ってもいいだろう。
少なくともこの荒野で戦うまでには完全に傷は癒える筈だった。
一つは今現在行っている敵軍の偵察行為だ。
俺は今荒野を進んでいる。例の谷を目指す為だった。
『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉がある通り情報は大事だ。
敵の数や構成を事前に把握できれば、こちらにとって大きなアドバンテージとなる。
無論交戦経験がある俺は相手の事をある程度知っているが……
急な応戦だったため全貌を把握しているとは言い難く、エドを失ったショックで所々記憶が飛んでいると言う事もある。
そうでなくても、空襲のように突発的に俺の世界とは違う事が起きる可能性があるのだ。偵察をして損は無い。
そしてその空襲は、俺のもう一つの布石と関連している。
今俺の隣にいる人物がそうだ。
「……こんな荒野に一体何があるというんだ」
「あー、その、二度目の空襲が無いとは限らないし、偵察は大事だろう?」
「何故今になって?そもそも夜間の見張りを強化すれば事前に察知できるだろうに……」
「念の為だよ、念の為」
若干無理のある言い訳をした所為か、訝しがる皇国軍服の男。
彼はリカルド副長。ジルコニア空挺中隊のナンバー2だ。
空挺中隊は未だ皇国に帰還はせず、王国に留まっていた。
理由は王都の復興の支援。
これは皇国本国の意向では無く、トラヴィスの意志だ。
手柄を独占してしまったことに後ろめたさを感じているのか、皇国に復興が完了するまで本国には帰投しないと打診してしまったようだ。
皇国は当然慌てたらしいが、トラヴィスの出世を妨げようとする一派から留まることへの賛成票が上がった。
その一派の目的はトラヴィスが帰還するまでに出世できないように根回しすることにあるだろうが……当のトラヴィス本人からすれば渡りに船だそうだ。
部下たちも異存は無いのか中隊長に抗議することも無く、素直につき従い王国の協力者として復興や哨戒に従事している。
空襲は思わぬハプニングで、被害も多数だが、
空挺中隊の残留というカードも生み出した。
利用しない手は無い。
俺は早速トラヴィスに頼み込んで分隊一つを借りうけた。
その隊長がリカルド副長だったというわけだ。
騙しているようで悪いが、危険なことをさせるわけじゃないし……いややっぱり危険か、偵察は。
万が一にでも魔王軍に見つからないようにしなくては。
「まったく。中隊長は下手に出過ぎだ。復興を手伝うならばともかく、こんなよく分からない雑用まで受ける必要も無いのに……」
「まあまあリカルド、落ち着いて行けよ」
「気安く呼ぶな!誰の所為でこうなったと……!」
分かっちゃいたけどあんま好かれて無いな……
まあ仕事上の付き合いと割り切ってくれているみたいだし、今回の目的の阻害にはならないだろうけど。
怒り心頭のリカルドと、その部下6人と荒野を進む。
湖から続く川を沿い上流へ向かう。
やがて目的の谷の入口が見えてきた。台地が盛り上がり、川がある部分だけが凹んでいる。
谷を抜けて登っていけば、やがて川の始まりである山脈に辿り着くだろう。
どうやらまだ魔王軍は到着していないようだ。
ここからは慎重に進みたい。
「あの台地を上りたいんだが……」
「はぁ、なんでだ?ここまで来たならもう帰還していいだろう」
リカルドは一刻も早く王都に戻りたいようだ。
確かに理由が不明瞭な任務なんてものは早く終わらせたいのかもしれない。
ふむ、ここまで来ればある程度は言ってしまっていいかもしれないな。
勿論前の世界の事はぼかしつつ嘘を織り交ぜて。
「例の空襲で王都は弱っている。そこを狙わない魔王軍だと思うか?」
「!……それは」
「あの谷間、隠れて軍を進めるには絶好の回廊じゃないか?」
自分で考えておきながら中々説得力がある話だ。
リカルドも表情を引き締める。
「……それは王国、もしくは勇者の判断か?」
「俺が発祥の考えだな。勇者の許可は取ってある」
これは嘘だ。ジェラルディンの許可は取っていない。
だけどアイツからは仲間を救うための行動はやっていいって言われているし……これもその範疇だろう。
リカルドは顎に手を当て、考える。
あまり間を置かず面を上げ、俺の意見に頷いた。
「まあ、行ってみる価値はあるかも知れん。我々の徒労で終わればそれでいい」
さすが軍人。
市民の安全を第一に考え、自分の苦労は惜しまないスタンスは見習いたいものだ。
俺も頷き返し、俺たちは谷の上へ上がることにした。
谷の上は岩が多く遮蔽には困らないが、同時に敵を発見し辛く厄介な場所だ。
谷の縁で底を見下ろすが、さすがにまだ何も見えない。
俺たちが来た入口側とは反対の、川の上流の奥の方を見るが、若干生えた木々に遮られて見通せなかった。
「奥が見えないな……」
「奥に進めば、木を越えて見えるだろう」
木々が生えている部分は谷底全てじゃない。恐らく一部分だけだろう。
台地の上に魔王軍がいないとも限らない為、警戒しながら進む。
谷の縁を辿り、底を見下ろしながら前進する。
「……木が途切れるか?」
暫く進めば、木々に途切れが見えた。
やはりこんな荒れた土地では水源があったとしてもあまり繁殖出来ないようだ。
木の壁を越えた先を視認し、俺たちは言葉を失った。
「……本当にいたか、魔王軍……!」
リカルドが声を顰めながら呟く。
谷底に、異形の軍勢が蠢いていた。
先頭を歩くのは小柄な歩兵たちだった。
子どもほどの大きさしか無く、緑色の肌をしている。
『鷲鼻の子鬼』というお伽噺があるが、正にその物語に出てくる怪物そっくりだった。
軽装だが長い槍を持ち、身長が低いディスアドバンテージを打ち消していた。
その後ろに控えるのは巨大な背丈を持つ巨人たち。
大きさにバラつきはあるが、小さいものでも人間の1.5倍。大きいものでは二階建ての建物ほどもある巨人がいた。
鎧を付けているものは非ず、腰巻だけの半裸に棍棒や丸太を持っている。
あいつらが殺到すれば城壁とて半日も持たないだろう。
そして、その更に奥。
騎鳥に似た足のたくましいトカゲに乗る魔族の一団が存在した。
人間と変わらない大きさであること以外に見た目の共通点は少ないが、皆一様に立派な装備をしていた。
おそらくこの軍勢の指揮を取る集団だ。
その中でひときわ立派な装備を持つ魔族が中心にいた。
赤い肌、白い髪、その間から生える山羊のような角。
銀色の鎧を纏いながらも、杖のような武器を手に持った男。
紫のマントも、その琥珀の瞳も全てに見覚えがある。
間違い無い、アイツが俺の世界のエドの仇。
魔族将軍、ガーメイル……!!




