俺がお前で、お前が俺で
「……フン、この程度か」
魔王の放った失望の言葉に、血が燃えるような怒りと、冷水をかけられたかのような悲しみを覚える。
玉座の前に立つ魔王はまだ一つも傷ついていない。鈍く輝く紫の鎧を身に纏い、漆黒のマントを翻すその姿には少しの疲労も感じられなかった。
一方正面に立った俺は、全身についた切り傷から血を流し、折れた剣を構えるのがやっと有り様だ。
――くやしいが、ここまでか。おもえば長いようで、短い旅路だったな。
俺は勇者だ。下級騎士の子どもとして生を受けた俺は、勇者の資質に目覚め、魔族と戦い続けてきた。
ずっと戦ってこれたのは、国の支援や聖剣の力、そして何より、頼れる仲間がいたからだ。
しかし仲間たちはもういない。一人、また一人と魔王軍との戦いに散っていった。
不甲斐ない俺を見て、国々も俺を見捨てた。最後の頼みの綱であった聖剣も、たった今魔王の手によって屑鉄と化した。
興が冷めたといった様子の魔王は手にした紫色の剣を魔王城の床に突き立てる。
「……もはや切り合うまでもない、その命、捨てるならば来い!」
魔王から膨大な力を感じる。おそらくは未だかつて見たことの無い強力な魔法だ。
―――ありがたい。もはや勝ち目のない身に、華を添えてくれるとは……。
俺は折れた剣で自らの最強剣術、紅蓮剣の構えをとる。
「魔王!来世があればお前に一太刀浴びせよう!」
「おう!次の輪廻に幸あらんことを!」
魔王の放った紫の波動に、俺の体は塵に還される。
―――最後の瞬間、俺が思ったことは、
◇ ◇ ◇
ふと目を覚ませば、真っ白な空間に俺は彷徨っていた。
上下の間隔も、自分が今どんな状態にあるかもわからない。痛みも無ければ感覚も曖昧だ。
そんな俺に、話しかける存在があった。
「あ~死んでしまいましたか」
頭の中に直接声が響く。いや、頭があるのかさえ分からないのだが。
俺は自分に声をかけた存在が、【神】だと直感した。何故かはわからない。もしかしたら神特有の気配だったのかもしれない。
――俺は死んだのか……
返事をしようと念じると、声が出たような気がする。
通じるのか?と思ったが、神らしき存在は答えてくれた。
「はい、魔王に歯が立たず。残念です」
――加護を与えてくれたのに、済まなかった
「いや~、正直難しいとは思ってましたからね~」
確かに、魔族と人族の戦力差は圧倒的だった。一時的とはいえほぼ互角というところまで持って行っただけでも奇跡だ。
まあ俺がダメダメだったせいで国同士の連携も切れて、最終的には滅亡寸前だったんだが
――俺が死んだあと、あの世界はどうなる
「まぁ、魔族が支配する世界になるでしょう。神としては、まぁ仕方ないかなぁ、と」
――そうなのか?
「出来れば魔族と人族で拮抗してくれれば世界的な見栄えが良かったんですが」
――神からすればそんな程度か
「ま、そうなんですが。あなたはそうではないでしょう?」
――どういうことだ?
「生き返らせてあげましょう。そっくりそのままではありませんが」
――そんなことが……
「とはいえ、一度だけです。次の死に方次第では、輪廻にすら戻れない可能性があります。さらに言えば、同じ世界に戻すのは無理なので、別世界でですけど」
――それでは意味がない。あの世界で無ければ
俺の未練。それは仲間の死。
ある時は俺の不注意。ある時は俺を庇って死んでしまった大切な仲間達。
全てを失った俺にとって、魔王を倒す事、仲間の生きた証を少しでも残す事が俺の使命だと思っていた。
「大丈夫です。同じ基盤世界の、近似の別分岐にしますから」
――それは、どういう……
「あなたの世界とそっくりって事です。あなたのいた世界の生き写しみたいなものでして。余所では、パラレルワールドや、リーフワールドなんていってましたね」
ついでに少し時間を巻き戻して生き返らせてあげましょう。と神は言う。
変わらぬ世界で、少し前の時間ならば、もしかしたら仲間の死を回避できるかもしれない。
自分の世界では無いとしても、仲間を助けられる可能性があるならば……
――なるほど、それならば、俺の未練も果たせるか
「はい、ということで、いってらっしゃい」
――え?もうか?
「こっちもいろいろ事情があって、いってらっしゃ~い」
あまりに急な神の行為に慌てるが、意識だけの体では抗う事も出来ず。
そして俺の意識は暗転した。
一瞬見えたクリスタルのような輝きは、もしや神の一端だったのだろうか。
◇ ◇ ◇
目覚めた場所は森の中だった。仰向けに木々を見上げていた俺は、起き上がって自分の状況を確認した。
装備は魔王城突入前と変わらなかった。魔獣の皮鎧、故郷のマント・・・魔王との戦闘で切り裂かれた箇所も元に戻っていた。
聖剣はなかった。魔王との戦いで折れたせいか、それとも別世界には持ち出し禁止だったか?
代わりにというかなんというか、魔王城の内部で投擲してしまった予備の剣が腰に差さっていた。これはこれで大切な物なので、ありがたい。
(この森は、人族側の領土か)
山脈に遮られた魔族と人族の領土では、植生が違う。周囲の木や植物を見れば、人族側の領土であることがわかる。
魔族領土は北だったからな……針葉樹が多かった。
(というか、この雰囲気はクルトの森じゃないか?)
クルトの森は、魔王討伐の旅の道中によく立ち寄った街、交易都市クエスト・リガの近郊にあった森だ。
鍛錬や、人には言えない悩み事があった際には良くこの森に来たっけ。
今考えると、くだらないことでも森に入った気がする。
「あーもー!何で毎回あの酒場では負けるのよー!」
そうそう、行きつけの酒場ではカードゲームが盛んだった。ギャンブル好きな俺は、よく有り金をすっていた記憶が……あれ?
誰かが近づいてくる。それ自体はまだ良い、人里近い森なのだから。だが、
「フランメリーはお金貸してくれないしさー!もう嫌になっちゃう!」
……フランメリーは俺のかつての仲間だ。確かに俺も、パーティ資産を管理する彼女に金をねだったことがあったが、
いやしかし、
「ギャンブル止めろって言われるしー。【私】の唯一の趣味なのに!」
この声は【女】のものなのだ。つまり、今しゃべっているのは、俺では無く、
「あれ?……誰かいるの?」
がさがさ、ごそり。茂みをかき分けて声の主が姿を見せる。
硬直した俺の事を見るや否や、戸惑いの目を向けたが、俺の方はそれどころじゃない。
神様が目の前に現われた時より余程の衝撃だ。
「――え?」
向こうも同じことに気が付いたのか、驚きの声を上げる。
目の前に現われたのは、肩まで伸びた黒髪に透き通るような青い瞳をもった、十代の少女だった。
魔獣の皮で出来た鎧を身にまとい、羽織ったマントは空色に染まっている。
腰に差した剣はかつての俺の愛剣、というより聖剣だ。
……少女の顔は、若き頃の母にそっくりだった。
◇ ◇ ◇
ギャンブルに負けたストレスでこの森に逃げ込んだ私は、珍しく人と出会った。
突然目の前に現われた人は、なんだか既視感がある少年だった。
黒い髪、青い瞳。ここまで青い目は父さん以来だ。
装備した魔獣の皮鎧は、どうやら私と同じマンティコアのもの……これ程立派な鎧は、私の着ているものと同等じゃないかな?
空色のマントは、私の故郷の特産品だ……特産品だ?
私と同じ髪と目、同じ皮鎧、同じマント?
コスプレにしてはマンティコアの皮は本物だ。マントの色も、故郷の染色師で無ければ出せない発色をしている。
剣は違うが、私がお下がりとして仲間に譲った剣と同じものに見える。
「……お前、名前は?」
目の前の少年が私に問う。父を少し高くしたような声で、どこか渇いていた。
私も、乾いた声で返す。
「ジェラルディン・ブランシャール……」
少年は、息を呑み、唇を震わせながら返答する。
「……ロジャー・ブランシャール……」
それが少年の名前だと気が付き、私は声を失う。
――私は、自分自身と出会ってしまったのだった。