滝壷の前で
ちょっとだけ世界観が見えてくるはずです。
水が滝壷に激しく打ちつける。轟音で空間を共鳴させながら。
霧のように舞い上がった細かな水飛沫が肌にそって体温を緩やかに奪っていく。
奪われた熱はほんの少しだけなのに、だいぶと汗は引いた。
そんな時が流れる中、メルさんはやはり何も言わずただ微笑んでいる。
僕から語り掛けろということなのか……。
「メルさん、なぜ、こんなところに? 木は森の中じゃないと拾えませんけど……」
僕の問いを聞いてメルさんは顔を少し曇らせた。
「君はそんなに頭は悪くない人間だと思っていたのになー。しょうがない。答えてあげよう。そうだね、流木を拾いに来たんだよ。流木は乾いていて使いやすいし」
メルさんはたまたま近くにあった流木を軽く叩いて音を響かせながら、乾いていることを証明するように振る舞う。
二、三度流木を叩いた後、メルさんは僕に向き直って軽やかに問う。
「でも、君が聞きたいことはそうじゃないでしょう?」
――――ッ、どういうことだっ。気持ちでも読めるのか、メルさんは。
このときの僕は思考を読まれたことに驚いていて何も気にしていなかったが、顔に驚愕の表情を浮かべたことは大失敗だっただろう。
「……はい。さっきの呪文はメルさんの「違うよ、あれは私じゃない」
言わせてくれなかった。まあ、犯人からしたら否定しないわけにいかないよな。
それに犯人ではなくともメルさんは魔法が詠唱されていたことは気付いていたらしい。
「信じられま「せんね、確かに。でも、君に掛けるにはあの魔法は少し杜撰すぎるかな。あんな土砂崩れまで起こす化け物みたいな人間に、一段上にあった崖から下へ飛び降りて掠り傷すらも付けない人間にはね」
……かなり上に見られているようだ。でも、確かに言うことには一理ある。
自分的にはあんな土砂崩れも滞空も全部、『二つ名』を唱えるだけで世界が都合の良い方向に調整してくれるから全く持って凄いとは感じないが、他人から見れば恐怖に映る。
それはそう、今までに出会った人の対応からも。助けた人が逃げ出すことからも。
「じゃあ、なぜ、満面の笑みで僕のことを待っていたんですか?」
その質問を聞いてメルさんは少し考え込む。言い訳でも考えているのだろうか……。
間を、時間の空白を、会話の流れを埋めるようにして、滝の音が浮かび上がる。
!
「それは……君に魔法を教えてもらいたいからだよ、それに出来るなら弟子にもしてほしい。いや、弟子にして下さい、師匠」
メルさんは頭を深く下げて、熱意のこもった声を僕に送る。
そういうことか。僕に対しての口説き文句というか、師弟文句を考えていたわけだ。
少し偉くなったように感じる。でも、僕が魔法を教えることは出来ないだろう。
昔は農家のガキんちょで学もない、今は『二つ名』に頼りっきり。そんな僕では。
だって文字すらも読めないし書けないんだ。なのに僕が師匠はなんて言うのはある意味、たちの悪い冗談だ。
「ごめんなさい、メルさん。僕は魔法をちゃんと習ってない「それでもいいです。教えられるところだけ、オリジナル魔法だけでもいいですから教えて下さい」
メルさんは軽い断りぐらいでは挫けないらしい。何よりも彼女の真剣な声音が雄弁に語っている。
「ごめんなさい、メルさん。僕は農家の子供だったので文字すらも分からないです「そんなことないですよね、嘘じゃないんですか? ああ、分かりました! オリジナル魔法は秘儀だから教えるわけにはいかないということでしょうか?」
なぜ、僕はメルさんがここまでして、頭を下げてまで僕の魔法(実際には無いのだが)を知りたいんだろう? 何か復讐したい相手でもいるのか、はたまた、他の人たちの為に自分が強くなりたいのか、ただの学術的興味なのか。
でも、結局いくら頼まれたって教えることは出来ない。僕の使う魔法は『二つ名』だから。
たから、ちゃんと目を見てその事実を伝えることにした。
「僕がさっき使った魔法は『二つ名』だから、教えられるものではないんだ」
その一言を聞いてメルさんは青ざめる。急激に。
「失礼しました、申し訳ございません!! まさかお国のお偉いさんだったですね。罰を受けるのは当然なのですができますならば、私にのみ罰が及ぶ形にしてほしいのですが……」
と言いつつ、メルさんは上目遣いで服を脱ぎ捨てて――――
「ダメですよ、別に僕は国の役人でもないですから。勝手に脱いでなんで罰を受けようとしているんですか……」
そう聞いてメルさんは非常に驚きながら、顔を真っ赤にして恥ずかしがるという高度な芸当を見せてくれた。そして、それを聞いて安心したのか安堵の深いため息をつく。
「……でも、じゃあ、本当に『二つ名』持ちなんですか? 普通、お国のお偉いさんくらいしか持っていないものなんですが……。もしかして、聖騎士だったりします?」
少し心に余裕が出てきたらしく僕のことを疑うような表情で、訝しむような表情で見つめる。
「あー、聖騎士はとっくの昔に諦めました。ちょっとは未練がありますけどね。でも、違いますよ。僕の『二つ名』は『ポラリス《北極星》』って言って、昔『トゥバン《北極星》』という『二つ名』を持っていた人に付けてもらったんです」
僕は過去を懐かしみながら、格好良かった彼を思い出して誇らしい気持ちになっていた。
でも、でもでも、目の前ではそんな僕の楽し気な表情とは真反対の暗い海底の底の底まで沈んだかのような顔色のメルさんがいた。
なぜだろう? そんな問いに一瞬で蹴りをつけるような答えがメルさんから漏れる。
メルさんは呟く。
「化け物め、『星の二つ名』持ちなんて……!」