第78話 終焉の香り
「はあ……はあ……こ、ここまで来れば撒けたか?」
「ど、どうでしょう……姿は見えませんが……リン。どうです?」
「……大丈夫。近くにはいない」
土蜘蛛から必死に逃げた面々は荒い息を繰り返しながら今来た道を不安げな面持ちで眺めている。一様に青い顔をしているのは疲れからだけではないだろう。
「あんな化け物がマジで存在するなんてよ……くそったれ、全然クールじゃねえぜ」
吐き捨てるように呟いたレオン。
いつもなら口が悪いと嗜めるであろうノワールやクリスも今回ばかりは黙りこくっている。
「まあ何はともあれ被害がなくて良かったな。ルナが吹っ飛ばされたときは肝が冷えたが……」
ウィルが笑いながら言いかけ……途中で言葉が切れる。
その場の妙な雰囲気を察してのことだろう。
誰もが形容しがたい視線を私に集めていた。
「…………」
それに対し、私は何もかける言葉が見つけられなかった。
腕を組み、瞳を伏せて黙り込む。
今もまだ吸血モードの私は紅く瞳が光彩を放っている。その光を見られたくない。そんな気分だった。とはいえ、瞳を隠したところで私の額に伸びる漆黒の角だけは隠しようがないが。
「……ルナ。お前は……その……吸血鬼、だったのか?」
誰も彼もが口を噤む中、最年長のクリスが重い空気を振り払うかのように台詞を吐く。それに対し、私はただ首を縦に振って首肯する。
「……なんで黙っていた?」
「…………」
「いや、そうだよな……今のは忘れてくれ」
吸血鬼であることなんて……言える筈がない。
そのことをクリスは察してくれたようだった。
「ま、まあ今回はルナの助けもあって逃げ切れた訳だからさ。ひとまずそのことは置いておこう」
また沈黙になりそうだった場の空気をウィルが手を叩いて入れ替える。
だが……
「私は……認められません」
その場の全員が何の解決もなく納得できるような問題ではなかった。
「ルナは私達に吸血鬼であることを黙って近づいて来たんです。これまでがどうであれ、私はもうルナを信用することが出来ない」
きつい口調で断言するのは藍色の髪を揺らすノワールだった。
もともと危機意識の高かった彼女は今回のことで完全に私の信用をなくしたらしい。まあ……無理もないことだけど。
「ノワール……」
「すいません。ウィル様。でもこればかりは看過できません」
ウィルの言うことなら何でも聞いていたノワールの固い姿勢にウィルは何も言えなくなっていた。いつもの彼ならここでパーティをまとめるため何か発言するところだがそれもない。
何か……ノワールが反発する事情でもあるのか?
「おいおいノワール。いくらなんでも信用することが出来ないってのはあんまりな言い草だろう。ルナはお前を助けるために大怪我までしたんだぜ?」
「……だとしても、ルナが私達に隠し事をしていたことに変わりはありません。しかもこんな……"大事"を。レオンはそれが許せるんですか?」
ちらりと私の額に宿る角に視線を向けて言うノワール。
その表情にははっきりとした拒絶の色があった。
「別に良いじゃねえか。誰だって隠し事の一つや二つはある。俺にだってあるし、お前にだってあるだろ?」
「私に隠し事なんてありません」
「隠しているつもりがなくてもよ、俺たちに伝わっていない情報ってのは絶対あるはずだろ? ルナは確かに吸血鬼であることを俺たちに打ち明けはしなかった。だが、"嘘も付いてない"。俺たちが勝手にルナは人族だと勘違いしていただけだ」
「それは詭弁でしょう。嘘はついていなくても真実も言っていない。どちらにしろ不誠実です」
「だったら出会った瞬間に一から十まで説明していりゃ良かったってのか? ふざけんなよ。そんなこと出来るような状況じゃなかったってのはお前にだって分かるだろ」
「誰もそんなこと言っていません。出会った瞬間でなくても、ルナは私達に打ち明ける機会なんていくらでもあったはずです」
私寄りの発言のレオンと反発態度のノワール。
二人の会話に少しずつ熱がこもっていくのが感じられた。
「誠意ならもう示した! この一週間以上の間、ルナは俺達に尽くしてくれたじゃねえか! 料理も雑務だって何でもやっていた! それこそが一番の誠意ってもんじゃねえのかよ!」
「それが本当に誠意だって誰が証明するというのですか? ルナの本心はルナにしか分からない。もしも後で寝首を掻こうとしていたならどうするんです? そうなってからはすべて手遅れなんですよ?」
熱くなったレオンはそのノワールの発言に……ついにキレた。
「お前それは……それだけはルナの前で言って良い台詞じゃねえだろうッ!」
立ち上がり、憤慨した様子でノワールに詰め寄るレオン。
このままでは殴り合いに発展しかねない二人の様子に、ついにクリスとジルが止めに入る。
「やめろ! 今は争っている場合じゃないだろう!」
怒号のようなその台詞に二人は納得がいかないという顔をしながらも引き下がった。まだ近くに土蜘蛛がいるかもしれないのだ。確かに争っている暇なんかない。
「私は……」
その場の空気が落ち着いた頃を見計らい、私はゆっくりと口を開く。
初めての私の台詞に全員が注目しているのが分かる。
人前で話しなれていない私はその場の空気に少しだけ緊張しながら……
「ここからは……一人で行動する」
はっきりと、そう告げた。
「私は一人でも生きていける。場所も把握した以上、皆の力がなくてもここから出ることくらいは出来る。何も一緒に行動する必要はない」
殊更冷たく、淡々とした口調に努める。
──この胸を占める感情に気付かれぬよう。
「ルナ……お前、それで良いのかよ?」
「うん。もともと私はお客様。ここまで連れて来てもらっただけでも感謝している」
「…………っ」
レオンは口元をぎゅっと引き締め、そして……
「だったら俺も行く!」
「……は?」
いきなり意味の分からないことを言い出した。
「ルナを一人に何かさせられるかよ! こんな薄暗い迷宮に置き去りなんて……んなこと男として出来ねえ!」
……マジデスカ。
「おい、勝手に話を進めるなレオン」
迷走し始めた会話にウィルが割って入る。ここまで自分の意見を出さず、静観していた我らがリーダーはそれぞれの見解を見極めたうえで妥協案を提示した。
「どちらにしろルートはそれほど多くない。今から別行動をしたところで通る道はほとんど同じだ。それに土蜘蛛のこともある。戦力は分散させるべきじゃない」
「おいウィル、それはルナにも言えることだろう。ルナだけ一人放り出すなんてそんな馬鹿げたことを言い出すつもりじゃねえだろうな?」
「勿論違う。ルナには監視をつけた上で同行してもらうことにする。これなら誰も文句ないだろう。違うか?」
強い口調で最後にそう付け加えたウィル。
彼にそこまで言われて反論できる者はその場に誰もいなかった。
ノワールとレオンを含めて。
「なら移動を始めよう。このままここにいるのが危ないことだけは確かなんだからな」
ウィルは結局、強引にチームを纏め上げることにしたようだった。
結論が出ない問題ならひとまず先送りにしようということだ。
確かに私達が空中分解しないようにするためにはそうするしかないんだろうけど……これはまた亀裂が残りそうな雰囲気だ。
こういう雰囲気がまずいっていうのは前世から続けてきたネットゲームで嫌と言うほど味わってきた。
ギルドが崩壊するその前兆。
私達のパーティには終焉の匂いが漂っていた。




