第77話 一寸先は闇
「リン……なんで……」
尽きぬ疑問に開きかけた唇。だがその質問を飛ばすよりも早く、リンは答えを私に教えてくれた。
「私は……知っていた。ルナが吸血鬼だってこと」
「なっ、そ、そんな一体いつから!? いつからリンは私のことを……」
ずっと隠し通せていると思っていたばかりに驚きを隠せない私。
そんな私にリンは更なる驚きを与える。
「"最初"から。私が始めてルナを見つけたのはルナが戦っているところだった。聞いているんでしょ、私がルナをウィルのところまで運んだって」
確かにウィルから話には聞いていた。
だけどリンは今の今までちっともそんな素振りなんか見せなかったってのに……いや、そんなことより。
「なんでリンは……吸血鬼の私なんかを助けようとしたの? 下手したら自分の命だって危なかったかもしれないのに」
「それは……」
眉を潜め、口ごもるリン。
吸血鬼はこの世の災厄とまで呼ばれる存在だ。
誰とも相容れない、最悪の敵だと。
そんな私を救う理由なんて、何一つなかったはずなのに……
「……っ、リンッ!」
咄嗟に私はリンの体を抱きしめ、跳躍していた。
次の瞬間先ほどまで私達がいた箇所を踏みしめる土蜘蛛の足。
どうやら暢気にお話している場合ではないらしい。
「ふう……」
意識を集中させ、意図して"スイッチ"を切り替える。
──いいよ。そっちがその気なら……私も付き合ってやる。どこまでもな。
発動した『再生』スキルで体を修復する。
体の内側から沸き上がる闘争心は『狂気』スキルの賜物か、先ほどまでの恐怖はどこかへ消え去ってしまっていた。
まるでもう一人の人格が私を塗りつぶしていくかのような感覚……自分が自分ではなくなっていく感覚。だけどそんな感覚が……
──今はどこまでも心地良くて仕方がなかった。
「ははッ……ははははははッ!」
加速、加速、加速、加速。更に加速。
どんどん加速していく感覚に思わず笑みが漏れていた。
そうだ……この感覚だ。コレが私の本当の在り方なんだよ。
さっきまでのヘタレ丸出しだった自分が恥ずかしい。ぶち殺してしまいたいほどに。
「る、ルナっ!?」
衝動的に私は自分の脳天を叩き割っていた。
自分という存在を塗り替えるように、はっきりと意識を今の自分に照準する。
滴る血潮にまるで爽やかな朝にシャワーを浴びたかのような気分になりながら私は低い姿勢を作る。
「リンは下がってて。アイツは私が……"殺す"から」
「…………ッ」
息を呑む気配。
何か言いかけたリンを置き去りに私は疾走する。
全ての景色を置き去りに目の前の標的に向け、一直線。
まずは挨拶とばかりに回し蹴りを土蜘蛛の胴体に放つ。
ドゴッッッ! という鈍い音と共に私の足の骨が砕けるのが分かった。
ふむ……吸血モードでも駄目なものは駄目らしい。僅かに土蜘蛛の体が揺れたがたったそれだけ。ダメージを与えるには至ってない。
「ははっ……流石は怪物。楽しませてくれるじゃん」
前回命がけで倒したクラーケンよりも遥かに高いステータス。
スキルの関係でクラーケンほどの威圧感はないが、それでもはっきりと分かる。クラーケンが10回に1回倒せる程度の力量差なら土蜘蛛は100回に1回だ。
つまり、私の勝率はたったの1%程度しかないってこと。
そりゃそうだ。体格もステータスも向こうの方が上等なんだから。私が辛うじて対抗できる要素といえば魔法の存在と多彩なスキルだけ。
……ん? こうして見ると、案外何とかなる気がしてくる不思議。
まあ実際はそれほど簡単じゃないとは思うけどね。
前にコイツと戦ったときは完敗だったわけだし。
でも……
「貫けよ──『舞風』ッ!」
私は以前の私のままじゃない。
ここに来るまでに幾多の障害を乗り越えてきたんだ。
手札も増えた。熟練度も上がった。
もう為す術なくやられるだけの私だと思うなよっ!
──バァァァァンッッ!
私の手から放たれた舞風は土蜘蛛の足、その根元付近に命中し鮮血を周囲に撒き散らす。どうやらこの攻撃はギリギリ土蜘蛛の装甲を貫けるらしい。
良し……これで一つ活路が見えた。
クラーケンのときと同じく持久戦に持ち込めば勝機はあるぞ。
このままいけば……
「ルナっ!」
突然耳に届いた私の名前を呼ぶ声に、意識が強引に逸らされる。
見れば額から血を流すウィルが私に向け、大きく手を回すように振っていた。
それは撤退を示すジェスチャー。
なるほど、確かに今の一撃で大きく隙は出来た。逃げるにはこれ以上ない絶好の機会なのだろう。だけど……私は……
後ろには土蜘蛛。
前にはウィル達。
それぞれに続く道の中間で背を向けかけた私に……
「ルナっ! 急いで!」
遠くで私の名前を呼ぶリンの姿が目に映った。
理性ではなく本能で、咄嗟に私が走り出したのはウィル達の方向だった。
「撤退だ! 急げ!」
周囲のパーティメンバーに号令を繰り出すウィル。
どうやら殿をリンと共に務めるらしく、最後尾についていた。こういうときまでメンバー優先に考えるのはリーダーの鑑だね。
「……ルナ。お前……」
「今は何も言わないで。逃げることにだけ集中しましょう」
並走する私にウィルが何かを言いかけた。
だけど今の私にはその言葉を聞くだけの勇気がなかった。
ノーマルモードの時はあれほど信頼していた仲間の言葉だというのに、続きを聞くのが怖かったのだ。
何となく笑ってしまいそうになる。
普段の私は戦いに対して臆病だったが、誰かに対して歩み寄ろうという姿勢があった。それに比べて今の私は……まるであべこべだ。本当に同一人物なのかと疑いたくなってしまうほどに。
「……そうだな。後で話そう」
そんな私の内心を知ってか知らずか、ウィルは私に猶予をくれた。
しかしそれはただの先延ばしに過ぎず、いずれは追求される問題だ。
(私は……糾弾されるのかな)
メンバーに隠していたその事実。そうなる可能性は高いような気がしたが、彼らのことだ。もしかしたら笑って受け入れてくれるかもしれない。なんて、楽観的に過ぎるかな?
……分からない。今の私には何も。
(結局、受け入れるしかないんだ。私はこの身に宿る血の運命を)
いつか来ると思っていたその日は意外にも目の前に迫っていた。ただそれだけのことだ。どんな結末になろうとも誰も恨んだりしない。それだけを誓い私は彼らと共に真っ暗な道を駆け抜ける。
私達が駆け抜ける未来はこの道と同じ、先の見えない暗闇に包まれていた。




