第75話 それはどこまでも優しい幻想で
ぴちゃん、ぴちゃん。
洞窟内の天井付近から滴る水の音が静かに耳に届く。
こういう音って結構好きなんだよねえ。風情があるというか何と言うか。
「ノワールもそう思わない?」
「…………(ぷいっ)」
あれ……無視ですか?
なぜかは知らないけど、昨日からノワールのあたりがきつい。私を見るなり、顔を真っ赤にしてそっぽを向くのだ。
昨日の夜に何かあったのかな?
私は疲れていたせいか、いつの間にか気絶するように眠っていたので何が起きたのかは分からない。きっと誰かがノワールを怒らせるようなことをしたんだろう。全く、けしからんね。
不機嫌なノワールはひとまずおいておくことにして、私はウィルに話しかけることにした。
「ねえウィル、後どれくらいで出られるの?」
「ん? んー、そうだなあ。上手くいけば一週間ってところか? 俺たちもまだ通ったことのない道だからどうなるかは分からないけどな」
「そっか……後一週間で……」
ようやく私は外に出られるんだ。
長かった……ここまで本当に長かったよ。
一体何度、死ぬと思ったことやら。いや、まだ油断は禁物だね。まだ私は迷宮の中にいるんだから。
「……なあ、ルナ。お前ここを出たらどうするんだ?」
「まずは故郷に帰るよ。確かめないといけないことがあるからね」
「そうか。ちなみにその街ってのはどこにあるんだ?」
「アインズっていう小さな街なんだけど……分かる?」
「いや、記憶にはない。辺鄙なところなのか?」
「極東とかって言われたりする田舎だからね。王都に行くまで二週間もかかっちゃったし」
「ふむ……」
両腕を組み、考える仕草を見せるウィル。
何か言いたそうなそんな雰囲気だ。
「……どうかした?」
「いや、その……これはルナが良ければの話なんだが……」
珍しく歯切れの悪いウィルは頬を掻きながら若干視線を逸らしたまま告げる。
「ルナ、お前……このまま俺たちと一緒に来ないか?」
「……え?」
それってつまり……一緒に冒険者家業を続けていこうってこと?
「お前が良ければって話なんだけどな。アインズで用事が済んでからで勿論構わない。その後で気が向くなら……どうだろう?」
「それはまた……」
いきなりすぎる話だ。
私にとってはまさに青天の霹靂ってやつだね。
「理由を聞いても?」
「ルナは優秀な魔術師だ。それに料理も出来るし、気も回る。最初は引率のつもりだったのに、いつの間にかお前に助けられてばかりになってたのに気付いてな。はっきり言うならお前が欲しくなった」
わお。
お前が欲しいなんて、男から言われる日が来るとは。
まあ意味合いは恋愛のソレとは全然違うんだけど。
「……その、ルナはそういうの……嫌か?」
「…………」
私はウィルの提案に少しだけ考え込む。
ウィルのパーティに正式に加わるということは、今後もこの生活が続いていくということだ。将来どんな人間になりたいか、どんな職業に就きたいかというのは何度か考えたことだけど私の中で結論はまだ出ていない。
お父様の料理屋を継ぐのも良いし、マリン先生の意思を継いで教職に付くのも魅力的だ。だけど……
「いや……凄く嬉しい」
「そ、そっか。それは良かった」
ほっとした表情を見せるウィル。
彼と同じチームで冒険者家業を続けることも……悪くないと思う自分がいた。
何だかんだでこのアットホームなパーティの雰囲気は気に入っているし、これだけ強力な面子なんて他ではまず望めないはずだ。そう考えるなら、冒険者家業とは言え、かなり安定した生活が送れるだろう。
楽しくて、やりがいのある仕事。
しかし、それには一つ問題がある。
「でも……きっと私には無理だよ」
「え?」
吸血鬼であることを隠す私に、集団生活なんて無理だ。
それもこんな血生臭い、危険に満ちた業種ならなおのこと。
私の答えに、ウィルははっきりと驚いた顔をして見せた。
「何でだ? ルナの能力ならなんの問題もない。年齢のことを気にしているならそれも心配いらないぞ? 冒険者にはルナより幼い奴だっているんだからな。現にリンだってお前より一つ年下だが何の問題もなく活動できている」
私の言葉の意味が分からないのか、次々と不安要素を消してくるウィル。
それだけ本気で私をスカウトしてきたってことなんだろう。純粋に嬉しい。
だけど……
「ううん。そういうことじゃないんだよ」
「なら一体何が問題だって言うんだ? 俺たちのパーティでは不満なのか?」
「不満なんてないよ。問題なのは私の方」
どうやらウィルはただ無理というだけでは納得してくれそうにない。
私はある程度、真実を告げる必要があった。
「……私は皆に一つ、隠し事をしている。そしてそれはきっと話したら受け入れてもらえない類のこと。だから隠さないといけないの」
「そんなの気にしない。ルナにどんな隠し事があったって俺たちはお前を拒絶したりなんかしないって。過去に人を殺したことがあるとか、出自が訳有りだとかそういう奴だって幾らでもいる。だから心配なんかすんな」
「…………」
私を安心させようと笑いながら肩を叩いてくるウィル。
きっとウィルが想定している隠し事って言うのはさっきの言ったようなことなんだろうね。だけど……それ、私の場合全部該当しちゃってるんだよねえ。
でもそれくらいならウィルは受け入れると言ってくれた。
だったら……私が吸血鬼だと知っても受け入れてくれるのだろうか?
吸血鬼はこの世界で忌避される存在だ。
見つけた瞬間、国に通報する義務が国民に与えられているほどに。
それでもウィルは……私を受け入れてくれるのだろうか?
分からない。
でもリンという獣人をパーティに加えているところを見ると、種族の差に関しては割りと寛容なほうなのかもしれない。奴隷としての身分の差はあっても、種族の差は感じさせない。そういう雰囲気がこのパーティにはある。
だったら……私は踏み込んでみても良いのかもしれない。
生まれて初めて、誰かに縋ってみても良いのかもしれない。
これまでの人生、たった一人で抱え続けてきたこの重荷を誰かに受け取ってもらっても良いのかもしれない。
「……私は……」
逡巡し、口ごもる私にウィルは何も言わない。
黙って私の言葉をずっと待ってくれているのだ。
そんな優しさを垣間見せるウィルに……
「ウィル……っ!」
前方から声がかかる。
それは珍しく声を荒げるリンのものだった。
「どうかしたか、リン?」
「緊急事態。何かがこっちに向けてきている。匂いがどんどん……もうそこまで来てる!」
切迫したリンの言葉に、パーティ全体に緊張が走る。
これまでリンはどんな魔物相手でもこんな焦った様子は見せたことがない。
嗅覚に優れ、周囲の感知に絶対の能力を誇るリンが見せた動揺。それは私達全員に伝播し、リンの見つめる前方に誰もが視線を向けていた。
だが、しかし……
「……おい? 何も来ないぞ?」
いつまで経っても、その何者かの姿は見えない。
「リン、何かの間違いじゃないのか?」
「そんなわけない。だってこんなに……」
周囲をきょろきょろと見渡すリン。
だけどリン以外の皆には特に脅威になるようなものは感じられなかったのだろう。次第にどこか弛緩した空気が流れ始める。
しかし……私は。私だけはその気配に身に覚えがあった。
それはかつてガンツと共に飛ばされた魔法陣。その先での出来事だった。
私は背筋に走る悪寒に導かれるように……天井に視線を向ける。
そして……そこに"奴"はいた。
【土蜘蛛 LV12
体力:5000/5000
魔力:2000/2000
筋力:2300
敏捷:1700
物防:1800
魔耐:2000
スキル:『気配感知』『隠密』『蜘蛛糸』『毒牙』『剛力』『飛脚』『魔力感知』『魔力操作』『魔力制御』『土魔法』】
私が見間違えるはずもない。
かつての仇敵が今、再び……私の前に現れたのだった。




