第66話 勝者と敗者
どれだけの時間が経っただろう。
すでに用意していた分の石ナイフは全て使い切ってしまった。
魔力ももう残り少ない。再生も普段の数倍時間がかかるし、変身することすら出来なくなっていた。まさに満身創痍。全ての力を出し尽くした私は……
「……なかなか楽しかったよ。最後まで付き合ってくれて、ありがとう」
目の前で今まさに、その命の灯火を散らそうとしているクラーケンに向け最後の言葉を贈る。
周囲には散らばった触手や、雑魚敵の屍骸が湖の上にぷかぷかと浮かんでいる。その中央にひときわ大きな巨体を浮かべているのがクラーケン、その本体だ。
私とクラーケンの勝負は最終的に呆気ない結末を迎えた。
クラーケンがいつまで経っても倒れない私に辟易したのか、集中力を切らしたのだ。緩慢な触手の動きをすり抜けてクラーケンの眼球に舞風を直撃したのが決定打だった。
自分のホームである水中に戻ればもっと楽に戦えただろうに。
こいつは私を逃がしたくない一心で、引き際を見失ってしまったのだ。
なんて馬鹿な生物なのだろうかと思わないでもない。私だったらとっくに逃げてただろうしね。だけど……そういう負けん気の強い奴は嫌いじゃない。
私も大概負けず嫌いだけど、素直に認めてやるよ。お前には負けるってね。
「言いたいことはあるだろうけど、ごめんね。私はクラーケン語を習得していないんだ。だからせめて……敬意を持って最後の一撃を送ってやる」
時間をかけて右手に収束させた影槍。
残った魔力のほとんどを使った影槍は今までで一番の威力と密度を持っていた。その究極の一撃をクラーケンの急所である眼球に向け……放つ。
「…………」
手の中で消えていくクラーケンの命。
感慨はない。
こいつは私を食べようとしたんだ。
返り討ちにされたからといって非難を受ける謂れはない。
だけど……決着が付いた今、こいつに対する敵愾心もまた綺麗に消えていくのを感じていた。それはきっとお互いに全力を出し合った対等な勝負だったから。
一言で言うならば……私はクラーケンを強者として認めていた。
対等な存在だと、そう思えた。魔物ではあるが、この名前はきっと一生私の記憶に残るだろう。
「…………っ」
クラーケンの瞳から光彩が消えると同時に、私はクラーケンの巨体の上で膝をついた。気が抜けたってのもあるんだろう。体に力が入らない。
《経験値が一定基準に達しました。レベル上限を解放します》
おっと……どうやらレベルも上がったらしい。
まああれだけの強敵だからね。上がってくれないと困る。
いますぐ確認したいところだけど……ひとまず陸地に戻ろう。こんなところで寝落ちでもしたら水死体になってしまう。
「はあ……はあ……うっ……」
ズキリと腹部に感じた痛み。
見ると修復しきれなかったのか、クラーケンの攻撃により折られた肋骨周辺がドス黒く変色してしまっていた。
「つ、ついに再生するだけの魔力も切れちゃったか……はあ……」
何とかたどり着いた陸地で倒れるように体を横たえる。
本当にギリギリだった。あと10分戦いが長引いていたらやられていたのは私の方だっただろう。
何はともあれ……勝てて良かった。本当に。
「…………」
ああ……駄目だ。
瞼が鉛のように重いや。
少し……眠ろう。まずは体力と魔力を回復させないと。
その為に今は……眠ろう。
瞳を閉じ、意識を闇へと沈めていく。
魔法の連続行使により疲れきっていた私はこの時、気付くことが出来なかった。遠くからじっと私を見つめる、その視線に。
鋭い牙、ヒトには存在しない尻尾、獣毛に覆われた耳。
そして……縦長のスリット状の瞳孔。
夜目を備えた獣の眼光が怪しく暗闇に浮かび上がる。
その瞳はどこまでも真っ直ぐに私を捉えていた。
この時すでに意識を手放しつつある私は、その存在に気付くことが出来なかったのだった。




