SS2(第32.5話) 旅立ちの日
王都バレシウスの朝は早い。
外門を忙しなく行き交う荷馬車は朝市に商品として陳列されることになる物品を運んでいく。まだ朝日が出たばかりの頃、慌しく動き回る商人達を尻目に二人の人影がゆっくりと外門に向け歩いていた。
「ほら、急げよ馬鹿弟子。お前のせいで集合時間に遅れそうなんだからしゃかしゃか歩け」
「ちょっと、そんな言い方しなくてもいいじゃない。私だって悪気があって寝坊した訳じゃないんだから。そもそも、先に起きてたんなら起こしてくれても良かったのに……」
「ああ? 何か言ったか?」
「……何も言ってないです」
二人の人影の内、小柄な方の人物は全てを諦めた瞳で目を逸らして答える。
この傍若無人な師匠を前にどんな言い訳も通用しないと分かっているのだ。世界の秩序を屁とも思わない傲岸不遜な態度。自分こそが法だと疑っていないのだ。
「というかお前が寝坊ってなかなか珍しいよな。何かあったのか?」
「いや、別に……何もないわよ」
歯切れの悪い言葉に、長身の人影は餌を見つけたピラニアの如く食いついていく。
「あん? 師匠様が聞いてんだから誤魔化してんじゃねえよ。言え。言わないなら新開発した魔術の実験台にすんぞ」
「も、黙秘権すら許されないなんて……」
戦慄する弟子に師匠は催促する。
どうやら言い逃れ出来ないらしいと悟った弟子は嘆息して白状するしかなかった。
「……落ち着かなかったのよ。目が冴えて眠れなかったの」
「んん? 何でまた?」
「だって私にとっては始めての長旅なのよ? 道中のことも含めて、色々考えてしまうのも仕方ないでしょ」
弟子は背中に背負ったバックパックを指差しながら答える。
二人はこれから王都を離れ、旅に出ることになっていた。警備兵によって治安整備されていない外界では魔獣に襲われる可能性も低くない。かと言って魔獣の少ない道を選べば今度は山賊に襲われる可能性が高くなる。
どう転んでもリスクが付きまとうのが旅だ。
旅団に入ればそれなりに安全な道中が保障されるが、その分制約も多い。特に今回の場合のように、移動速度を重視する場合には向かない移動方法なのだ。
「まあ、確かに緊張はするか。だが助っ人に呼んだ奴も相当な使い手だし、道中の心配は皆無だぜ。それに私もいるしな。世界一安全な旅になるだろうよ」
「ああ、その心配は最初からしてないわよ」
「あァン? 何だよ、それは。私が人外魔境に住む魍魎だとでも言いたいのか?」
「自分で言ったんでしょう……って痛い痛い! 頭ぐりぐりするのはやめてー!」
「俺は自分で言うのは良いけど、他のやつから化け物扱いされるのは嫌いなんだよ」
「いくらなんでも理不尽すぎるっ!」
弟子が涙目になり始めたところで手を離す。
「うう……せ、せめて街中ではやめてよ。誰かに見られたら困る……」
「大丈夫だって。フードが取れるほど強くはやらねえよ。安心して顔を隠してろ」
ぎゅっとフードの端を強く掴む弟子。目深に覆われた外套は完全に顔立ちを覆い隠している。見られたくないもの、より正確に言うなら彼女の耳を。
「…………」
その様子に流石にやりすぎたと思ったのか、師匠は弟子の頭をぽんぽんと叩いてから撫で回す。
「この旅はお前が本気で決意したことだってのは分かってる。あの爺にあんな約束までしたんだからな。だから……心配すんな。お前の妹は絶対に見つけてやるよ」
「…………うん」
今回の旅の目的。それは行方不明になっている妹を探すことだった。
最初にこの捜索隊を提案したのも弟子の方。まだ幼く、一人で旅をする力のない弟子には頼ることしか出来なかった。師匠を、そして捜索に必要となる人物の助力を。その為に捨てられるものは全て捨てた。
恥も外聞もプライドも、そして……何より大切だった己の居場所さえも。
誰かに頼るというのは"彼女"にとって最も苦手な行為だった。
そんな彼女が自分の生き方を変えてまで頼み込んだのは全て、妹の為。
「馬の準備は出来てる。行くぞ──"アリス"」
師匠……マフィ・アンデルの言葉に頷く小さな人影。
フードの端から美しい金髪を覗かせるその人物は……
「ええ。絶対に見つけるわよ。私の大切な妹……ルナを」
かつて人族を拒絶し、己の殻に閉じこもったハーフエルフの少女。
アリス・フィッシャー。
孤独な世界を破り、何よりも恐れていた外の世界に一歩踏み出した瞬間だった。




