第63話 人生は耐える時間の方が圧倒的に長い
クラーケンの触手が水中を蠢く。
その数は視界にあるだけでも数十本は下らない。
イカなのかタコなのか知らないけど、いくらなんでも多すぎだ。
と、いうわけで。その足、少しもらうよ。
(影魔法──影槍!)
右手に生成した漆黒の槍がクラーケンの触手をまとめて貫く。
真っ赤な血が水中を濡らし、僅かばかり振動が肌を揺らす。
クラーケンが吼えているのだ。
怒りゆえか、痛みゆえか、それとも……恐怖ゆえか。
どちらにしろ良い気分だ。
もっと苦悶に呻くがいい。
私はこの地下迷宮に取り残されてからずっとそんな気分を味わってきたんだ。少しくらいお前らも感じるべきだろう。狩られる側の気分ってやつをさ。
(とはいえ、触手ばっかり攻撃してても埒が明かない。どっかで本体に攻撃を入れていかないといけないんだけど……流石に硬すぎるか)
クラーケンのステータスは魔法抵抗が飛びぬけて高い。
熟練度の低い私の魔法では貫くにはちょっとばかり威力不足だ。
さて……この難関、どう攻略したものかね。
私が使える魔法は操魔法の『発勁』と『舞風』、影魔法の『影槍』と『殺陣』だ。威力を重視した影魔法ですら通用しなかったクラーケンの装甲を貫ける火力はこれらの魔法にない。
だとしたら……また何かしらの魔法を開発するしかない。この戦闘中という極限の状況下で。今までそうしてきたように。
……改めて考えると、我ながら綱渡りの人生を送ってるな。
それだけここの連中は容赦がないってことか。世知辛い世の中だよ。全く。
だけどそれでも何とかしないとね。
(触手が影魔法で貫けるってことは全身漏れなく高い魔法抵抗を持ってるわけじゃない。どこかしら弱点はあるはずだ。それを探して貫ければ……勝機はある)
方針を決めたら後は行動するだけ。
まずはどこから試していこうか考えていると、突然クラーケンが大きく震えだした。
何だ……? 何かしたのか?
不可思議な行動に思わず二の足を踏んでいると、クラーケンの体から小さな影が飛び出してきた。
(これは……っ!?)
私に向かって突撃してくるその影は小さな魔物だった。
ミニクラーケンとでも言うべきか、本体の体から分離して出来た小さな魔物は明らかな敵意を持って私に近寄ってくる。
しかもそれが一体や二体ではない。
次々と際限なくクラーケンの体から生成され続けているのだ。
一見、私の『変身』スキルにも似た能力だがクラーケンのスキルにそんな記述は見られなかった。ということは……
(水魔法の『付加』か! こいつ、分離した自分の体に自分自身の情報を付与して分身を作りやがったんだ!)
クラーケンにあった水適性のスキル。
水辺に住んでいるから持っていても違和感がなかったけど、魔法の分類は水に関係する能力だから水適性と呼ばれているような単純な理屈で区分されていない。
水の魔法適性の本質は『付加』。
何かしらの情報を強化する能力だ。
最初から見えていたスキルだったってのに完全にノーマークだったよ。私もまだまだ魔術師としては三流らしい。
だけど……水魔法を使って自分の分身を作り出す技術なんて聞いたこともない。恐らくクラーケンの巨体だからこそ出来る奥の手なんだろう。見れば分身が生まれた分の体積は本体から失われているようだし、私の『変身』と同じくある程度の制約があるようだ。
だったら大丈夫。
まだ慌てるような時間じゃない。
冷静に対処して……
(って……駄目だ! 数が多すぎる!)
水流操作、触手、そしてダメ押しの雑魚敵の出現。
全てを捌ききるには手が三つくらい足りない。
ひとまず捕まったらジ・エンドの触手を最優先に警戒していこう。
雑魚敵からの攻撃はある程度我慢する。
頼むぜ、『再生』スキル。お前だけが頼りだ。
このまま何とか対処して……ぐっ!?
(これは……まずいっ、こいつら毒針スキルを持ってやがる!)
後回しにしていた雑魚敵のステータス。
その中には本体も持っていた『毒針』のスキルが含まれていた。
蟻のような痛みを伴うものでなかったのだけが救いだけど、反応が少しずつ鈍くなっている気がする。恐らく神経系の毒だ。そこまで強い毒ではないみたいだけど、ずっと食らってればそのうち全身麻酔みたいな状態になっちまう。
それだけは絶対に避けなければいけない。
(影魔法で薙ぎ払うッ!)
ありったけの魔力をつぎ込み、全方位の影槍を放って雑魚敵を一掃する。
ひとまずは距離を取ることが出来た。だが……
(しまった! 今度は触手が……っ!)
あちらを立てればこちらが立たない。
雑魚敵を優先してしまった私は触手の一撃を防ぐことが出来なかった。
魔法発動後の硬直を狙われた形だ。しゅるしゅると蛇のように私の左腕にまきついた触手はそのまま……万力のような威力で私の左腕をボロ雑巾のように粉砕した。
水中に骨の砕ける音が静かに響く。
(……ぐ、あぁぁぁっ!)
同時に激痛が私の体を突き抜けた。
一瞬真っ白になった視界が開けた瞬間、目の前に迫る新たな触手に気付き慌てて回避する。拘束されたままの左腕は切断するしかなかった。トカゲの尻尾きりのように緊急回避を実行した私はそのまま体勢を立て直そうと全力でその場を離脱することにした。
再生スキルは一瞬で回復してくれるような便利スキルではない。
少なくとも数十秒は治療に専念する必要がある。その時間を稼ぐためにも一度距離を取りたかったのだが……
──クラーケンはそれすら許してはくれなかった。
ここぞとばかりに水流操作のスキルが猛威を振るい始める。
どうやらここが勝負の決め所だと判断したようだ。
青白いクラーケンの瞳がどこまでも真っ直ぐに私を見つめて離さない。
こうして私とクラーケンの戦争はクラーケンの圧倒的優位のまま推移していくのだった。




