第59話 御伽噺の怪物
蝙蝠群に栄養補給に出発させている間、私は地図を使って現在位置の特定を急いでいた。
このフェリアル迷宮にきてからかなりの時間が経っている。
ティナがどうなったのかも知りたいし、早くこんなところとはおさらばしたいのだ。
とはいえ、そう簡単に脱出できるなら最高難易度の迷宮とは呼ばれていない。
一週間以上のマッピングを続けてはいるが、未だに絞り込めていない。
というより深層エリアともなれば情報の欠損が激しく、ピンポイントで特定するのは多分不可能だ。
少なくとも中層エリアまで戻れば話は違うんだけど……
「…………はあ」
知らず知らずのうちにため息が漏れる。
まさに八方塞がりってやつだね。
これまでは何だかんだ言って目標があったから良かった。
前を向いて歩くことが出来た。
だけど……脱出するための手段を見失った今、私はかつてないほどの脱力感を味わっていた。
「…………ふう」
体が重い。頭が痛くなってくる。
(もしかしたらこのまま帰れないなんてことも……)
薄っすらと忍び寄る不安は徐々に明確な形を見せ始める。
いつ終わるとも知らないこの生活。
肉体の限界はまだまだ遠い。
吸血鬼の体は太陽の届かない地下迷宮ではむしろ本領を発揮している気がする。
しかし……肉体より先に精神が綻び始めていた。
外敵を警戒して、ぐっすりと熟睡することが出来なくなったのも一つの原因だと思う。
体感的にはすでに一ヶ月近くの時間が経っている。
そろそろ限界なのかもしれない。
「………………いや、まだだ」
ゆっくりと深呼吸して、気合を入れなおす。
私はまだ、こんなところで死ぬ訳にはいかない。こんなところで諦める訳にはいかない。
約束がある。
帰る場所がある。
なら……歩みを止めている暇なんてない。
「……行こう」
重い体に鞭を打って立ち上がる。
いつまでも座り込んでいても気が滅入るだけだ。
それならまだ歩き続けているほうが気分的にも楽だ。
移動を開始するということで、遠征に向けていた蝙蝠群を連れ戻す。
どうやら分離した変身体はある程度の距離までなら遠隔操作が可能らしい。その分、自分の体に戻すのに時間がかかるけど緊急時は破棄して体を再生させればいい。まあ、その場合吸血モードになってることが条件なんだけどね。
私が意識のない間は分身体も活動を停止している。
出来ることと出来ないことが結構極端な『変身』スキルを使いこなすにはもっと条件を調べる必要がある。このあたりも少しずつ検証していこう。
「今回の収穫は……うん。悪くない」
分身体を体に戻し、栄養を補給する。
その際に蝙蝠群が採ってきた血を同時に得ることが出来るので、私は自然と吸血モードに入っていた。
気分が高揚し、力が漲っていくのを感じる。
うん。良いね。良い気分だ。
さっきまで落ち込んでいたのが嘘みたいな晴れ晴れとした気分。実に清々しい。
この状態ならある程度の敵は蹴散らせるし、行動範囲も広がる。
もう少し蝙蝠群を増やして、吸血モードの持続時間を延ばしてみるのも良いかもしれない。五感が鋭くなっているから、敵の探知にも役立つしね。
(なんて考えてたら……早速、聴覚に反応ありだ)
普段の数倍に強化されている聴覚が拾ったのは、僅かな地鳴りのような音だった。間違いない。私が向かっている先に何かがいる。
(これは……足音? だとしたらかなりのサイズだぞ、土蜘蛛か?)
吸血モードに入ってなかったら危なかった。
気付かず進んでいたら鉢合わせしていたところだよ。
早速、物陰に隠れてやり過ごそう。
……え? 戦わないのかって?
いや、まあね。うん。言いたいことは分かるよ。
あの強敵を倒せばきっと経験値もかなり稼げるだろうし、倒したほうがいいのは分かる。
実際、戦えば九分九厘私が勝つだろうしね。
だけど、僅かでも敗北する可能性があるなら備えるべきだとも思うじゃん?
君子危うきに近寄らずとも言うし……まあ、全然土蜘蛛なんて脅威でもなんでもないけどね? たとえるなら道端に落ちてる石ころ的な? でもさ、石ころに躓くのもダサいし、大人の対応としてはスルーすべきだと思うわけ。
うん、やっぱりこれがクレバーな対応だね。
おっと、そろそろ足音が近づいてきた。
丁度良い岩陰に隠れて……良し。これなら見つからないだろう。
それなりに広い通路をこちらに向け近寄ってくる足音。段々大きくなるにつれ、そこにいる存在の大きさも感知できてくる。
何と言うか、明かりの消えた自分の部屋に全く見知らぬ人間が佇んでいるような感覚。目には見えないけど、確かにそこにある気配。知らず知らずのうちに鳥肌が立っていた。
(……なんだ、これ?)
それは土蜘蛛と対峙した時にも感じた重圧と同じ種類のもの。
だが……果たして、これほど大きな気を奴は持っていただろうか?
通り過ぎたのか、少しずつ小さくなっていく足音にそっと顔を覗かせその足音の主を確認してみる。すると……
──そこに、怪物が居た。
「────────ッ!?」
まるで死神の瞳に魅入られたかのような悪寒が背筋を走る。
息をすることすら躊躇われる。
駄目だ。アレに見つかったら私は終わりだ。
土蜘蛛? ははっ、そんなレベルじゃない。
あれはまさしく……怪物だ。
名剣さながらの牙、硬質に輝く鱗、悠々と歩くその姿は王者の貫禄を持っている。
その存在がこの世界でも認知されていることは知識として知っていた。だが……それは御伽噺の中での話。
昔、マリン先生に読んで聞かされたこともある英雄の物語。
そのラスボスとして登場したその生物の名は……
──"火龍"。
つまりはドラゴンだ。
【火龍 LV58
体力:8000/8000
魔力:3000/3000
筋力:5500
敏捷:2500
物防:6000
魔耐:4000
スキル:『魔力感知』『魔力操作』『魔力制御』『打撃耐性』『斬撃耐性』『魔法耐性』『威圧』『火適性』『火魔法』『火耐性』『剛力』『飛脚』『治癒』『高速思考』『魔力回復』『逆鱗』】
神話に連なる伝説の怪物が今、私の目の前にいた。




