第56話 どんな魔法であろうとも、喪った人は還らない
私の目標は男に戻ることと、この地下迷宮から脱出することだ。
もちろん、現在の優先度で言えば後者が圧倒的に高いのだがそれでも元の願いを忘れたわけではない。
思えばポンコツ女神のせいでとんでもない生活を強いられていたものだ。
慣れない体に慣れない性別。
最近だと大分違和感も薄れてきたんだけどね。それでも時たま感じる男女の違いってのは未だに私を苛み続けている。
例えば孤児院で話す友達も基本男の子ばっかりだったように思う。なんというか女の子達とおままごとするぐらいならやっぱり男共と鬼ごっこしてるほうが楽しいんだよね。
そのせいで男勝りな病弱キャラという自分でも良く分からない立ち位置を獲得してしまっていたけど……まあ、それはいい。
問題はやはり恋愛関係だ。
前にアインズを旅立つときの送別会でアンナにキスをされた際、お父様に関係を聞かれたことがあった。
あれが仮に異性同士であれば、まあ可愛い子供の戯れととることも出来るけど同性だとね。娘の将来が心配になるのも分からないでもない。
でもだからって男と付き合うなんて私には考えられないことだ。
私は女の子が好きなんだから。
でもやっぱり世間一般的には同性での恋愛はタブーというかあまり良い目をされないことは確かだ。そのためにこそ……私は本心から男に戻りたいと切望していた。
男に戻りさえすれば、女の子と付き合っても完璧に合法だからね。
どこにも後ろ暗いところのないクリーンな交際が出来るってわけ。
そして、その願いが今……叶えられようとしていた。
「苦節9年……ついに私は……」
男に戻れる。
……かもしれない。
まあ、まだ確定じゃない。落ち着こう。フラットに行け。
大切な局面でこそ、冷静に自分を制御するんだ。
「すーはー、すーはー……」
深呼吸して、私は意識を集中させる。
焦らなくて良い。時間はたっぷりある。
私が今挑戦しようとしているのはとある実験だ。
私が先日手に入れた『変身』スキル。これだ。これを利用する。
利用というか、そのまんまなんだけどね。要は今の女の体を男の体に変身させようというわけだ。
勿論、変身中は常に魔力を消費する訳で常に男でいられるわけではない。
だとしても、だとしてもだ!
一時的にとは言え、男に戻れるというのは私にとっては大きな前進だ。まあ、世間的に認められる為にって理由を考えると一時的に男になれたとしても効果は薄いんだけど……それでも!
私は男に戻りたい!
「────ッ!」
自分の中で集中力が最大に達した瞬間、『変身』スキルを発動させる。
魔力は血液により全身に運ばれているとされている。全身を駆け巡る魔力の波動を感じた私は股間に向け、一気にイメージを爆発させる。
(頼む……私にもう一度……バナナをっ!)
思い返すのは生前、常に私と共にいてくれた草薙の剣(誇張有り)のこと。
人は失ってからその大切さに初めて気付くという。まさしくその通りだ。
思えば私はずっと彼をぞんざいに扱っていたように思う。
そこにいるのが当たり前。
家族のような安心感。
しかし……いや、だからこそ私は彼に甘えていたのだ。
何をしなくても彼は私と一緒に居てくれる。そんなメンヘラめいた気分で付き合っていたことは否定できない。
もしかしたら彼を失ったのは当然の報いだったのかもしれない。
活躍の機会も与えず、家に引きこもりネットで男共を吊り上げるだけの日々……彼が愛想を尽かしてしまうのも頷けるというものだ。
私は一度、草薙君に対して不義理を働いている。
だけど、もしも……もしも私にもう一度彼の手を取る資格があるというのなら……
──私はもう二度と、彼の手を離さない!
「……ぐっ!」
下腹部に走る痛みは幻痛か、それとも……草薙君なりのけじめだったのか。
しっかりしろよ、とまるで肩を叩かれるような感覚。
その痛みに私は悟る。
そうだ、ついに……帰ってきたのだ。
「あ、ああ……ああっ!」
彼が……草薙君が帰ってきてくれたのだ。
「ああああああああっ!」
その感覚を認識した私は嬉しさのあまり、訳の分からない言語を発しながらプラトーンのポーズで歓喜に打ち震えた。
私の女体化ならぬ、男体化は成功したのだ。
私の体には今……バナナがある!
「私は……許されたんだね……ありがとう……ありがとうっ!」
これまで生きてて良かったと、万感の想いを込めて言おう。
ありがとう、皆。ありがとう、世界。ありがとう……草薙君。
私は今、幸せです。
感謝。圧倒的感謝が私を満たす。
そして……私はその異変に気付く。
「…………………………………………え?」
それは小さな綻び。
運命の歯車が見せたほんの少しの誤差。
だけど……それは私にとって余りにも非情な結果を残す。
「……嘘、でしょ? そんな、まさか……こんなことが……」
震える手で、草薙君に触れる。
その瞬間に全てを悟る。
無から有は作り出せない、その事実を。
いかに祈ろうとも、いくら望もうとも、どんなに希おうとも……死んだ人は還ってはこない。それが世界の理だ。
彼は……草薙君は……
──すでに私の手の中で冷たくなっていた。
「そんな……嘘……嘘だよっ! こんな、こんなことって……ッ」
私の望んだ彼はすでに……還らぬ人だったのだ。
いかに『変身』の能力が優れていようとも……運命の鎖には抗えない。
「う、ああ……」
私はその日、自らの限界を悟った。
そして、涙ながらに逝ってしまった相棒の名を叫ぶ。
「草薙くーーーーーーーーんっ!!!」
しかし……どんなに語りかけようとも、彼が立ち上がることは二度となかった。




