第416話 怒り
ヒューゴを捕らえていた地下牢にはたくさんの人が集まっていた。
「どけ! 私が改める! 道をあけろ!」
人混みをかき分けて進むルーカスの背後にぴったりと張り付き、着いていくと……うっ、これは……
「首を一刀両断、か……手練れの仕業であるな」
鉄柵を解放された状態の牢屋の中には、首のない男性の死体が横たわっていた。
周囲に飛び散った大量の血は、すでに渇き始めて変色している。
「監視役は誰がしていた?」
「わ、私です……」
ルーカスの問いに、人ごみの中から震える声で挙手する男性。
「貴様、一体監視中に何を見ていたっ!」
「す、すみませんっ! で、ですが目を離していたわけではないのですっ!」
「なに?」
「同僚も同じです。男が手練れというのは知っていましたから、目を離すなんてとてもできませんでした……その男は突然、本当にいきなり血を吹きだして……く、首が落ちたのです」
監視役の語った事実は実に奇妙なものだった。
何もしていないのにいきなり首が落ちるわけもない。
しかし、目を離していないという証言があるなら……
「…………」
思案する表情のルーカスは死体に近寄り、ぐい、と背中あたりの服を持ち上げ物色し始める。その時、ぐちゃっ、と首元の肉が崩れ落ちるのが見えてしまう。
やば……トラウマになりそうだ……
「……この断面、首に対して垂直ではないな……つまり……」
死体を手放したルーカスは突然、天井を見上げる。
なんだ? 天井に仕掛けでもあるのか? だが、魔力が見える私の目にも何らおかしな点は見受けられない。それはルーカスにしても同様だろう。
「情報を集めろ。何としてでも犯人を見つけ出せ」
「か、かしこまりました……! すぐにでも犯人を見つけ出してみせます!」
「この男は貴重な人質だった。それをこんな簡単に殺してしまうなど……本当に愚かな行為と言わざるを得ん……」
失望したと言わんばかりの口調でルーカスは周囲の長耳族たちを捜索に向ける。
ヒューゴをここに連れてきた私としても、この結末は残念だ。
人族と長耳族、両者の溝を埋めることはできないのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった。
「……ルナ。折角お前がくれた機会を無為にしてしまった。長耳族を代表して謝罪する。本当に申し訳ない」
「いや、ルーカスさんのせいじゃないでしょ。ヒューゴの態度にも問題はあったし……だとしても、この末路はあんまりだと思うけど」
決して善人とは呼べない、どころか悪人と呼んでしかるべき人物ではあったが……彼にも情状酌量の余地はあったと思う。人攫いの件も、王国からの命令でやらされていたみたいだし、結果として彼は誰も殺してはいない。
いや、殺人だけが絶対悪というつもりもないが、それでも……
彼が一方的に惨殺されるのは間違っている……と思う。
「……ルナ」
ふと、私の服の裾が引っ張られる。
見ると、そこには不安げな表情を浮かべるマヤの姿があった。
「マヤ、ここはあまりいて気分のいい場所じゃない。一緒に上に……」
諭すように話かけるが、マヤはじっと私の瞳を見つめ続ける。
まるで何かを伝えようとするかのように……
「どうしたの、マヤ?」
「マヤ……見ちゃったの」
何を? と聞く前に、マヤは泣きそうな顔で私に縋りつく。
「──あの男を殺した犯人」
「っ!」
「でも、マヤにはどうしたらいいか分からない……っ! だから、お願い、ルナ……」
ぐちゃぐちゃになった感情を処理しきれずに、涙という形で溢れさせることしかできない様子のマヤは、私にとあるお願いを告げる。
その言葉を聞いた私は、いちもにもなくその場を飛び出すのだった。
◇ ◇ ◇
ずっと我慢していた。
悟られないように、気付かれないように、見抜かれないように……
──この、燃えるような『怒り』を。
「あれ、ライラさん? 今日は早いんですね!」
「ああ、少しトラブルがあってな」
「トラブル……? 大丈夫なんですか?」
「ああ、すぐに解決するような小さなトラブルだ」
夕食の準備をしているアンナに、私は何でもないような表情で返す。
「そうですか……あっ、それならたまには一緒にご夕食どうです? 私、結構お料理にも慣れてきたんですよ! お姉さまほどの腕前ではないですけど」
はにかんで笑うアンナに、奥歯を噛みしめて耐える。
──まだ、その時ではない。
「そうだな……たまにはいいかもしれないな」
「えっ! 本当ですか!」
「ああ。だが、どうせなら皆と共にしたいところだな。アリスとニコラはどこに?」
「二人なら山菜集めに行っているところなので、間もなく帰ってくるはずですよ」
「そうか……」
……なら、今この瞬間はこの家にいるのは私達二人っきりということになる。
となると、もう──我慢する必要はないかもしれない。
「見てください、山菜の中から香りの強いものを選んで香りづけにしてみようと思ってるんですけど、この二つで悩んでまして……うーん、どっちがいいかな」
無防備に私に背を向け、料理を続けようとするアンナ。
手を伸ばせば届く距離、殺そうと思えばいつでも殺せる距離……
「……でも、良かったです」
「え?」
「お姉さまは流石の一言でしたが、私達とはまだ距離があったような気がしたので……勇気を出して夕食に誘ってみて良かったです。その、ライラさんさえ良ければ色々とお話、聞かせてもらえませんか?」
「いや、私は……」
「例えば、そうですね──『家族』の話とか」
「…………ッ」
気付けば私は伸ばした手で、アンナの首元を掴んでいた。
「うっ……!? ら、いら、さん……っ!?」
「貴様が……薄汚い人族が……ッ! よりにもよって私の家族の話をするかッ!」
ドクドクと燃えるような熱が、心臓からあふれ出す。
視界が真っ赤に染まったかのように錯覚するほどの、怒り。
霊力が荒ぶる。全身を包み込む力で、そのままアンナの首を圧し折って……
「…………ッ!」
視界の端に捉えた霊力の光に、身を翻す。直後、ヒュンッッ! と開いていた窓から飛び込み、私の右腕があった場所を通り過ぎるナイフ。空を切った刃はそのまま奥の戸棚に突き刺さり、停止する。風系統の霊力を帯び、高速で飛来したその攻撃には見覚えがあった。
確か、『舞風』とかいう人族の魔術だ。ルナがよく使っていたのを覚えている。
「げほっ、ごほっ……!」
喉を抑えて座り込むアンナを無視し、ナイフがやってきた方向を見る。
すると、そこには怒りの形相を浮かべる少女の姿があった。
「お前……ッ!」
仲間を殺されそうになって激高している彼女は、普段のどこか抜けた姿からは想像もできない威圧感を放っている。
体の周囲を纏う風系統の霊力……高いレベルの霊装だ。
半分とはいえ、その血は確かに彼女の中を巡っているらしい。
「私の友達に……いったい、何をしようとしてんのよッ!」
溢れだす霊力に髪を逆立てながらやってくる少女……
──アリス・フィッシャーがそこにいた。




