第413話 たまにある意味の分からない法律
「……つまらん」
目の前に浮かべた水中でぐったりとして動かないルナを見て、ゾーイは深い溜息を漏らす。吸血種の娘というからには高い戦闘力を持っているものだと期待したのだが、どうやら期待外れだったらしい。
パチン、と指先を鳴らし、術式を解除すると重力に従って落ちる水と共にルナは地面に叩きつけられる。まともに受け身も取れなければ死んでいた高さだ。そうでなくても既に溺死している可能性も高い。
勝負の終わりを悟ったゾーイは肩についた髪を払いながら背を向ける。
「身の程を弁えぬ愚者が。オレ様の時間を無為にしおって」
いかに悠久の時を生きる長耳族と言えど、面倒ごとに付き合わされれば辟易もする。長く生きる彼女達だからこそ、時間の大切さを身に染みて知っているのだ。
死んでしまって構わないというのは虚言でもなんでもなかった。ゾーイにとってルナの命は、あってもなくても大差のない小事であったからだ。
そう、この瞬間までは……
「…………ッ」
背後に迫る気配に、咄嗟に振り返る。
眼前にいたのは全力で距離を詰め終えたルナ・レストンの姿だった。
その戦意に満ちた瞳を見た瞬間、
──ゾーイは背筋にゾクゾクとした快感を覚えるのだった。
◇ ◇ ◇
完全な奇襲だと思ったが、気配を察知されたのか振り返ったゾーイの左腕から生まれた障壁にタックルするような形で動きを止められてしまう。
くそ、あと少しだったのに。
「貴様、謀ったな!? さっきのは死んだふりか!? どうやった!?」
「水中戦は以前にも経験済みだったからね。ちょっとした小細工さ」
以前、クラーケンと戦った際に私は水中に適応する術を編み出した。『変身』スキルにより、身体の構造を変えエラ呼吸を可能にするという反則じみた手だ。
吸血種について深く知っていなければ出てこない発想だろう。
油断は誘えた。そして……
「大黒天──『天影糸』!」
私の術式も、今完了した。私の視線の先、障壁がうっすらとした半透明の魔力で作られていたのが幸いした。視界内であれば、そこは私の射程距離となる。背後からゾーイの胴体や腕に絡みつく漆黒の糸。
熟練の精霊術師であるゾーイは一瞬だけ驚いた表情を浮かべるが、すぐにその術式のカラクリが一瞬で理解できたのか、
「ハッ……! 愉快な術式を持っているじゃないか! だが……」
即座に反撃の一手を打つ。ゾーイの開けた胸元から光る純白の魔法陣。
そこから漏れた光は彼女の身体を包むように広がっていき、絡みついていた影を光で一層する。光を生み出す魔術ではない、恐らくあれは魔力を霧散させる解呪の術式。本来であれば、自らの霊力をも練れなくする諸刃の剣となる代物であるが……
「これにはどうするッ!?」
「…………なっ!?」
ゾーイは白系統の魔力を纏ったまま、右手の魔法陣を発動させる。
本来であればあり得ない現象であった。だが、その不可能を可能にする方法は魔力が見える私には一目瞭然だった。ゾーイの身体を流れる白色の魔力と、赤色の魔力、それが同時に発生していたのだ。
(体内で二種類の魔力を生成しただとっ!?)
術式を二つ同時に扱う技術とはまた違う。複数術式展開を左右の両手で別々の絵を描くようなものだとすれば、二つの魔力を操作することは同時に二つの歌を別々に歌うようなもの。元来、不可能とされているものだ。
そもそも自分の魔力の質を変更させること自体が信じられない。自分の意志で指先の指紋の形を、力を入れるだけで変えるようなもの。
あり得ない出来事が二つ同時に起きている。だが……
(今はこの炎を何とかしないと……っ!)
疑問を捨て、迫る炎に『集中』スキルを加速させる。
この距離では自分を巻き込むリスクがあり、使って来ないと踏んでいたが、自分の身体を白魔法で守れるとなれば話は別だ。
(『天影糸』の術式は展開済み! なら急いで『天覇衣』を……)
防御用の影糸を編みながら後退しようとする体を、引き留める。
それは経験からくる直感のようなものだった。ここで引いたら……二度とここまで迫ることはできない。そんな感覚。
(もしもゾーイが最大で二種類の魔力までしか用意できないのなら……)
この瞬間はピンチであると同時に、チャンスでもある。
影糸を防ぐ白魔法、私を攻撃する炎魔法、この二つを使っているのだから……今、物理障壁は存在しないということになる。
「…………ッ!」
覚悟を決めた私は術式を防御ではなく、そのままゾーイの拘束のために展開し続ける。これで奴は白魔法の使用を余儀なくされた。今なら物理攻撃が通る。
問題は炎に対する対抗策だが……
「ぐっ……おおおおおおおッ!」
「────ッ!?」
何の対策もなく、自ら炎に突っ込むように前進する私に、ゾーイが息を呑む。
きっと彼女は私が退くと思ったのだろう。悪いがその目算は誤りだぞ。
全身に熱傷を刻む激痛に苛まれながらも私は手を伸ばす。
狙いは掴みやすそうな……その長耳だ!
「うわっ!?」
痛みのせいできちんと掴んでいるか実感はないが、ゾーイの耳先を指で掴んだ私は彼女の耳を上に引っ張ってやる。
「い、いだだっ! や、やめっ! 耳はやめろぉ!」
痛みに魔力制御が鈍ったのか、炎は霧散し、ゾーイの身体を包んでいた白色の魔力も消えていく。代わりに耳を掴む私の腕に手を回し、必死に引きはがそうとしてくる。
火傷を負った腕を思いきり握りしめるもんだから、これが痛いのなんの。しかし、そこは持ち前の脅威のやせ我慢で平気なふりをして威圧する。
「これ以上戦うって言うなら、次の瞬間にこの耳を引きちぎる!」
「な、なにぃぃぃぃぃっ!?」
ちっこいゾーイの耳を引っ張る構図は、親に怒られる子供みたいに見えるかもしれないが、耳を引きちぎると言った瞬間にゾーイは今までの堂々とした態度が霞むほどに動揺しているのが見えた。
流石に種族の最たる特徴である耳を失うのは怖いのか……いや、なんかちょっと様子が違うな。怖い、というよりは怒ってる? ゾーイの顔が真っ赤だ。
「き、貴様それがどういう意味を持つか知っているのか!?」
私の想像以上に耳への攻撃は深い意味を持つのか? もしかしたら一発で堕魂者扱いされるとか、ならば好都合というもの。脅しに使わせてもらおう。
「ああッ! もちろんだ!」
「────っ!!!」
どーん! と背景が付きそうな勢いで肯定する私に、あわあわと口を開いたり閉じたりして慌てるゾーイ。その顔が先ほどより更に深い赤色に変わっていく。
真っ白な肌で、体温も上がっているせいかはっきりと赤面しているのが見て取れた。会話の主導権は握ったようだな。
「私の話を聞くか、それとも抵抗して耳を引きちぎられるか。言っておくが私はどっちでもいいぞ! お前が選べ!」
本当に抵抗されたら困るのだが、勢いで押し通してやらんとばかりに強気の発言をかます。
「ど、どっちでも!? お、お前はそれでいいのか!? 自らの手で、オレ様の耳を傷つけることになったとしても……!?」
「これ以上戦うって言うなら仕方がない。本当なら言葉で事を進めたかったけど」
「は、はわわわ……っ、お、お前なんぞがこのオレ様と番になるなど……! そんなことが許されるかァ!」
「だから、戦うつもりなら仕方ないでしょ。つがいになっても……ん?」
なんだ、今、戦闘中とは思えなフレーズが聞こえてきた気がするんだが。
「長耳族の掟では他者の耳を欠損させた場合、その者は一生をかけて償うことになる……つまり、両者で世帯を持つことになるのだ! それを理解した上での発言なら、それはもはや、ぷ、ぷろっ、プロポーズではないか!」
えええええええっ!? なにその法律ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
まるで意味が分からないんですけどぉ!?
しかもその曲解の仕方もなに!? 戦闘中に耳を怪我したら、相手と結婚しなきゃいけないってこと!? アホだなその法律!
(いや、落ち着け! 勢いで発言したせいで滅茶苦茶になってるが、きちんと訂正すればまだ路線変更は可能なはず!)
こんないきなりあって間もない少女と結婚なんてあり得ない。
例え、相手が絶世の美少女だとしても!
……いや、でも顔立ち自体は綺麗系で整っているんだよな。
流石は長耳族と言ったところだ。体はまだ幼さを残しているけど……
ふと、視線を下ろした私は耳を掴まれこちらに身を寄せるしかないゾーイの服の内側を覗き込む格好になってしまう。すっきりとした顎先と、両肩に伸びる鎖骨のライン、さらにはその下にあるなだらかな丸みを帯びた双丘に……
「…………あ」
私は体の奥から湧き上がる欲求を自覚する。今、まさに急速に膨れつつある衝動……それを抑えるには方法は一つしかなかった。
私は僅かに屈んで、耳を引っ張りゾーイにこちらを向かせると、
「んんんぅ!?」
その唇に、自分の唇を押し付ける。いわゆるキッスを敢行した。
一国の国王に対し、それも臣下の面前で!
「んっ、んっ……ちゅ……っ」
口を寄せた瞬間に、先ほどまで抵抗していた体がしなしなと崩れ落ちる。
それどころかとろんとした眼差しで空中を見上げたかと思えば……
「あへぁ……」
口を半開きにしたまま、後ろに倒れ込んでしまう。咄嗟に体を支えるが、その体はまるでタコみたいに脱力してされるがままの状態に。真っ赤な顔とおそろいだね。じゃなくて。
「えっ……と……あ、あれ? ゾーイさん? 大丈夫、かな?」
顔を覗き込むとぐるぐると目を回してゾーイは気絶していた。
「これは……あれか」
私というか色欲パイセン……またやっちゃいました、ね?




