第412話 刻印式魔法陣
広範囲に爆炎をまき散らしたゾーイ。
その一撃で私は一つの結論を得た。
この国の長であるゾーイがこれほどの暴虐を良しとするのなら、それに対抗する私が同程度の抵抗を示すのは必然のことであると。
つまり……
「黒砲──『国崩』ッ!」
お前がやるなら、私もやっていいよね? ってこと。
指先に収束していく魔力を限界まで引き絞る。
イメージするのは弓。何度も何度も見させてもらったライラの弓の軌道を思い描く。早く、速く、疾い。そんな想像を膨らませ……放つ。
私の指先に集まっていた真っ黒な球体はひび割れ、内包するエネルギーを放出する。魔力が見える彼女達長耳族にはその脅威が理解できたのか、
「あ、これヤベェな」
ぽつりと漏れたゾーイの声を飲みこむように、魔力の奔流が空を穿つ。
──ドゥゥンッッッッッッッ──
空気を震わせるエネルギーはゾーイに向けて突き進み、そして……バキィィィッ! という骨が折れたような音と共に差し出されたゾーイの左手を前で急速に減衰していく。
一瞬、素手で今の一撃を受け止めたのかと思ったが、違う。
ゾーイの左腕には黄土色に光る紋章が刻まれていた。
(四肢に刻まれた術式……大体、種は分かって来たぞ)
恐らくゾーイは前もって魔法陣を自分の手足に刻んでおき、魔力を流すだけで発動するように準備しているのだ。聞かない技法ではないが、魔力制御に失敗すると四肢がはじけ飛んでしまうリスクがあるため人族ではあまり採用されない方法だ。熟達した魔術師であるゾーイだからこそ行える芸当である。
王国では確か、刻印式魔法陣と呼ばれていたはずだ。
「両足は浮遊、右手は放火、左手は防壁ってとこかな」
「ご名答だ。ルナちゃん。見ての通り聖霊痕が刻まれた部位からはノーモーション、無詠唱で精霊術を発動できる。オレ様に奇襲は効かねぇよ」
「みたいだね。でも、その技法だって無敵ってわけじゃない。魔法陣の弱点は最初に刻んだ術式以外は発動できないこと。汎用性に欠けるんだ」
確かに魔法陣は有用だが、実戦であまり使われないのには理由がある。射程や威力を調整できない魔法陣は使い勝手が悪すぎるのだ。事実、彼女の放火はまるで手加減ができていなかった。空中から一方的に放火するのが彼女の戦闘スタイルなのだろうが、近づいてしまえばその火力が仇となり発動に自分をまき込むリスクが生じてくるはずだ。となると……
「大黒天──『魔天廊』」
私が狙うは近接戦。魔術が得意な中遠距離の間合を悉く外すこと。
足裏と地面の距離を零にし、空中を駆け上がる私にゾーイは驚きの表情を浮かべる。
「空中戦の心得もあるか。攻撃、防御、移動と隙がないな……面白い」
両手の指を広げ、何かを持ち上げるような仕草と共に詠唱を始めるゾーイ。その文言はルーカスと同様に意味が理解できないオリジナルの言語で作られており、どんな術式なのか考察する余地もなく、
「──《シルフ・ノ・ザイア》」
高速で行われた詠唱は私が到達するよりも早く行われた。
ゾーイの両手に合わせるように巻き上がる水飛沫。地上の温泉から重力を無視して螺旋状に回転しながら急浮上してくる水の塊。これは……まずいッ!
「ぐっ……!」
私の脚を飲みこんだ水の柱に体勢が大きく傾く。
『天覇衣』を展開しようにも、その為には『魔天廊』を解除する必要があり、防御一辺倒になる恐れがある。それに、そうしたところでこの質量には……
「やはり高い防御力を持つ輩には搦手が一番よな」
「何が搦手だよっ、どう見ても物量攻撃じゃん!」
ツッコミを入れながら周囲を見渡し、迫りくる水柱のルートを予測する。水の濁流に体全体を飲みこまれると厄介だ。身動きが取れないばかりか呼吸すらできない状況に追い込まれる可能性がある。慎重に見極めて……
(ここだ……ッ!)
ひきつけた水の柱を激突する直前に跳躍してかわす。
私の脚元を通り過ぎていく水柱を見送った瞬間、グンッ! と水柱は方向を変えて私に向けて直角に曲がり襲いかかってくる。
「…………っ!」
「オレ様が操作しているんだぞ? その程度で逃げ切れるわけがなかろう」
眼前に迫る水柱は圧倒的な質量で私の身体を飲みこむと、内部の螺旋状の渦に引き込まれるように私をもみくちゃに運んでいく。この動き、これには自力で脱出できないようにする意図もあったのか。
(息が続く内になんとかしないと……っ!)
焦る私は体をもがくように動かすが、流れに逆らおうとするととんでもない不可が体にかかってしまう。
吸血種の身体能力でも動けないなんて……!
「仕上げだ」
私を包む水に周囲の水柱が合流し、一際大きな水の塊となる。それが二度、三度と繰り返されるうちに内部の水量は増加し、ことさらに脱出が難しくなる。
「さあ、ここからどうするルナちゃん? 詠唱もできず、自力での脱出も難しい。この状況をどう切り抜ける?」
ゾーイの声も、どこか遠く聞こえる。だが、そんなことより今は脱出を……
「普通の人間が息を止めていられる時間は大体一分が限界だ。無駄に動けばその分、体力の消耗も激しくなるが……お前の場合はどうだろうな?」
魔天廊で足場を作ったとしても次の瞬間には体の上下が入れ替わるような状況だ、適切な力を入れることができない。
「終わりか? そんなわけはないよな。伝説の吸血種が、こんなあっさりとやられるわけがないよな? 言っておくが手加減なんぞは期待するなよ。私はお前が動かなくなるまでこの術を解除したりはしない。だからさっさとなんとかしろ。あるいは……そのまま死ね」
風系統の纏魔……意味なし。
影糸で何とか……視界が回る今の状況では使用不可。
ダメだ、今の私にはここから脱出する手段が……ない。
「……久々に楽しい戦いができると思ったのだがな、残念だ」
抵抗むなしく、一分はあっという間にやって来た。だが、それでもゾーイは術を解除しない。ゾーイはここで私を、本気で殺すつもりなのだ。
(アリスには……ウソ、ついちゃったな……)
危ないことはないなんて言って出て来たのに、結局こんなことになっている。
これは私の行いが悪いのか、星の巡り合わせが悪いのか……なんなんだろうね。
「ごぼっ……!」
ぼんやりとした頭の中でそんなことを考えながら……
──私はここからの脱出を完全に諦めるのだった。




