第409話 種族の壁
ルーカスの元を離れた私はヒューゴが監禁されているという地下牢の様子を見てみることにした。今回の件の立役者であるからか、特に咎められることはなくすんなりと面会が認められた。
大樹の内部をくり抜いて作られた螺旋階段を見張り役について降りていくと、やがて鉄製の柵に囲まれた空間に出る。周囲の壁のあちこちには巨大な根が張り巡らされており、地下特有のひんやりした空気を感じられた。
四方に向けて伸びた通路の両側にはこれまた鉄製の柵が並べられており、それが牢屋の役割を果たしている。私がヒューゴの姿を探していると、
「シロ……いや、ルナか。俺はこっちだぜ」
ヒューゴは一番奥の牢屋に閉じ込められているらしく、柵の隙間から伸ばした手をふらふらと揺らしている。牢屋の前には二人の長耳族が壁に寄りかかるように立っており、ヒューゴを監視しているようだった。
私はそちらに近づくとまず二人の長耳族に話しかける。
「彼と話をしてもいい?」
「ああ。それは構わないが、二人きりにはできないぞ」
「大丈夫。そんな大した話でもないから」
許可も貰ったので、私はヒューゴに改めて向き直る。
「あの後ルーカスさんと話をしてみたけど、本当にあなたへ危害を加えるつもりはないみたいだったよ」
「おいおいどこが大した話じゃないだよ。俺の命に係わる超重要案件じゃねぇか」
分かりやすく憤慨した様子を見せるヒューゴは両足に枷を嵌められ動きを封じられているが、目立った外傷もなく元気そうだった。
「そう思うならもう少し殊勝な態度を心がけたら? 私から見てもさっきは酷い態度だったよ、あなた」
「俺に礼儀を求めてるならそれは無茶ってもんだ。というか、こうして律儀に捕まってやってるだけありがたいと感謝して欲しいくらいだね」
そう言ってヒューゴは目の前の鉄製の柵をこんこんとノックしてみせる。
「こんなもんで俺を閉じ込められるわけがねぇだろ。俺が今、ここにいるのはあくまでお前への筋を通した結果でしかない。それもそろそろ飽きて来たけどな」
「……本当に平和的に交渉するつもりはないの?」
「長耳の種族全員が大人しく奴隷になってくれるならそれが一番平和的だな」
「認められるわけないでしょう」
「なぜだ?」
「なぜって……長耳族には長耳族の文化、誇りや生き方がある。それを蔑ろにして一方的に侵略するのは非人道的だと思うけど」
「ならお前は互いの種族は徹底的に争うべきだって言うのか?」
「なんでそういう話になるのさ。そんなことは言ってない」
「だが、俺の言う支配的階級関係を否定するなら、そこには武力による衝突しか待っていないぞ。全ての種族がそうだ。お前の言うように文化や生き方……つまり価値観が違う。価値観の違う者同士で一緒にいたところで衝突は避けられない。互いに距離を取るか、争うか、一方が支配するか。その三通りの道しかない。そして、互いに互いを無視するには俺達の生活圏はあまりにも近すぎる。結局、いつかは関係性を決めなきゃいけない時が来る」
「なんでそう極端な話になるのさ。それに衝突せずにすむ道もあるはずでしょ」
「それはあり得ない」
「どうしてそんなことが言えるのさ」
「たった二人の人間ですら価値観の違いからここまで話がすれ違っているからだ」
証明なんて出来るはずがないと思っていた私の問いに、ヒューゴは簡潔に答える。それはあまりにも明確で、的確な指摘だった。
「もちろん、相性の良い個人なら存在するだろう。お前とアリスが仲良くやれているのだって不自然なことじゃない。だが、それを一族、国全体まで規模を広げれば必ず摩擦が生まれる。それは必然のことだ」
「……そんなことはない」
彼の言葉を否定したのは、咄嗟のことだった。
自分自身、それが感情に任せた発言だと自覚していた。それでも否定の言葉が口をついて出た。彼の言葉を、理屈を、どうしても認めたくなくて。
理論もなにもない。故に私は否定した後に、反論することができなかった。
そんな私を、ヒューゴは冷静に見つめていた。
「お前が認められないというのなら、そうだな……もう少しだけこの茶番に付き合ってやる。お前の望むような未来にはならないと証明してやろう」
「…………」
自分の意志を意地でも曲げようとしないヒューゴに、どうしてそこまで意固地になっているのかと罵ってやりたい気分になる。だが、意固地になっているのは私も同じだ。互いに自分の意見を譲らないという一点で、私達は共通している。
私が力に訴えて彼の意志を曲げさせることはできるかもしれない。だが、それでは彼が言う支配的階級関係と何ら変わりがない。あくまで私は言葉で彼の心を動かさなくてはならなかった。
そして……今の私には彼の心を動かせるような言葉も、交渉材料もない。
「……また来るよ」
今の私にできるのは唯一つ、説得を諦めて撤退することだけだった。
◇ ◇ ◇
私は間違っているのだろうか。
誰もが仲良く暮らせる世界があるのなら、そっちの方が絶対に良いに決まっている。それを目指すことが間違っているとはどうしても思えない。だが、もしもその理想が実現不可能なものだとしたら……
(……私のやっていることは無意味なことなのかもな)
イヴを探すこの旅の中で、大戦へと続く未来を何とか回避したいと思って行動してきたが……たった一人の人間の考えすら改められないようでは、元々が無謀な願いだったと思わずにはいられない。
と、いうよりも少し計算外だった部分がある。
争いを望むイヴのような存在は例外で、そんな狂気に陥る人間なんてほとんどいないと、そう思っていた。だが、ヒューゴはあくまで冷静に争うことの必然性を訴えてきた。まるで自分こそが正常で、平和を願う私こそが狂人だと言わんばかりの論調だった。
元々強固な思想に基づいての意見ではない。ヒューゴに否定されただけで、私は私の正しさを見失いかけている。そんな私の意見が正しいなんて……一体誰が証明できるというのか。
「はぁ……ニコラにでも相談してみた方がいいかな、これ」
でもニコラを始め旅の仲間達は全員が私に肯定的な人ばかりだから、客観的な意見にはならなさそう……なんて、そんな風に考えていると、
「ルナっ!」
もうすぐ家に着くというところで、呼び止められる。
振り向くと、そこにはこちらに向けて駆け寄ってくるマヤの姿があった。
マヤは私にぶつかる直前にブレーキをかけて止まると、勢いよく話し始める。
「お前、どうしてあんなことしたんだ!」
「え? なに? 何の話?」
勢いが良すぎて話の流れが掴めない私に、マヤは行き場のない感情を発散するかのように両手をぶんぶんと振って主張する。
「マヤは……マヤは……っ」
幼さゆえにか、感情を言葉に出来ずやきもきしているらしい彼女はやがて、大人しくなっていき最終的にはぐったりと肩を落としてしまう。
「マヤは……許されないミスをした」
「私を殺そうとしたこと?」
「違う。あれは必然のこと」
必然のことなんだ。なんかもう、さっきからその言葉で否定されすぎて必然って言葉が嫌いになりそうだよ。
「そうじゃなくて……マヤは人族に屈したんだ」
落ち込んだ様子のマヤは、ぽつぽつと何があったかを語りだす。
「マヤはおまえより役に立つところをみせたくて、いつもより深いところまで巡回にむかったんだ。そしたら人族のやつらに見つかって、びっくりしたマヤは何もできなくて。得意の精霊術も……使えなかった」
実戦経験の足りない魔術師にありがちな話だ。一瞬で高まる緊張状態に、呪文をド忘れてしまうことがままある。どれだけスピーチの練習をしていても、壇上に上がった途端に頭が真っ白になってしまったなんてよくある話。
だが、マヤが本当に後悔しているのはそこではなかった。
「そのあと、マヤは人族におどされて伝霊鳥を使ったんだ。仲間の守人をおびき出すようにって……」
「……っ」
少し意外に思っていた。後ろにいた私達はともかく、先行していた守人たちがあっさりと捕まっていたことについて。
(そうか、あの伝霊鳥からして罠だったのか。守人たちはマヤが隙を見て送ったと思っていたみたいだけど……)
今にして思えばヒューゴのような抜け目のない男が簡単に許すはずがない。マヤは彼らに利用されたのだ。
「……その話、他の人にはした?」
私が小声で尋ねると、マヤはふるふると首を横に振った。
「い、言ったら多分……マヤは堕魂したって言われるかも。他種族に仲間を売ったなんて、そんな不名誉なこと一族の者として認められないから……」
言っている間にも、その未来を想像したのかマヤは小さく体を震わせ始める。
咎められる行いだとは分かっていたが、そこまで厳しいのか……
「なら、他の人には言わない方が良いね。私も誰にも言わないからさ」
今にも泣きだしてしまいそうなマヤを励ますように、彼女の小さな頭を撫でてあげる。いつもなら手を振り払われるところだが、今回ばかりは大人しかった。
「マヤがしたことは普通のことだよ。恐怖に屈したなんて思う必要はない。守人のみんなが人攫いを返り討ちにする展開だってあり得たわけだし、事実、マヤの伝霊鳥のおかげでマヤを含めた全員が無事に帰って来れたんだ。マヤが仲間を売ったなんてことは絶対にないから」
「……なんでだ」
私のその場限りに励ましでは効果がなかったか、と思ったが彼女の口にした疑問は別のことに対してだったらしく、
「なんでお前はマヤなんかに優しくするんだよぅ……」
目元を両手で抑えながらマヤはその場に蹲ってしまう。
「マヤはお前のこと、殺そうとしたのに……」
「……確かに悪意だけを持って接して来たなら話は違ったかもしれないけどさ」
マヤのある意味当然ともいえる疑問に、私は確かな答えを持っていた。
「マヤが私に敵意を持っていたのは一族に対する愛があったからでしょ? 敵意を持たれたことは悲しいけど、その理由が分かったら否定なんて出来ないよ」
私は難しい理屈は分からなくても、自分の心のことなら分かるのだ。
……いや、それ当たり前のことか。
「えーと、つまりね? みんなのために頑張ってるマヤを見て、私はあなたのことがどうしても嫌いにはなれなかったのさ」
何とか自分の気持ちを言語化させようと、頭をフル回転させる。
こうやって何とか元気づけようと思ってしまうあたりにも、私のマヤに対する評価が分かるというものだ。
「誰だって最初は未熟で、失敗だってするもので。それを悔しく思うのは当たり前だけど、それは許されるべきものだとも思うわけで……要するに、マヤが自分を責める必要なんてないってこと」
「…………」
いつしかマヤは潤んだ瞳で私を見つめていた。
彼女が自分を許せるかどうかは、きっと今の私にかかっている。
だから頑張れ! 私!
「それでもマヤが苦しいと思うなら、失敗しちゃったなって思うなら、その分は皆の為になることをして頑張ればいいと思う。人は傷の数だけ他人に優しくなれる。だから、今回の件もきっといつか経験して良かったと思えるはずだよ」
私が諭すように語りかけると、マヤは「……うん、分かった」と小さく頷いてくれた。珍しく私の説得が効いたらしい。よくやったぞ私!
「ありがとう、ルナ……それと殺そうとしてごめんね」
「良いよ。元々気にしてないし」
改めて考えると、殺そうとしてごめんってすごい言葉だよな。それを気にしてないで流しちゃう私も私かもだけど。
とはいえ、これでマヤとの関係も修復、というかようやく構築できた気がする。
最初はどうやっても分かり合えないかと思っていたが……
(……ああ、やっぱりそうだ)
考えている途中で、気付く。というよりも改めて思う。
私は争うよりもこっちの方が良いと。
どれだけ不可能に思えたとしても、人の為すことに不可能なんてありはしないのだ。なら、それを望み、願い、手を伸ばすことは間違いなんかではない。
ヒューゴの言葉に失いかけていた自信を、自身を、私は取り戻したのだ。
「……マヤにはいつも大切なことを気付かされるな。ありがとね、マヤ」
心に沸いた情熱を逃さないよう、目の前の少女に感謝を告げる。
すると……
「この人、殺されかけたことにまた感謝してるぅ! 怖いよぉ!」
私の発言にドン引きしたマヤに秒で距離を取られるのだった。
うーん……やっぱり人と人とは永遠に理解し合えないものなのかもしれない。




