第408話 救出と帰還
「ライラ、身体は大丈夫?」
私の肩に体を預け、荒い息を吐きながら歩くライラに話しかけると、彼女は一瞬だけこちらを見て小さく頷いてみせた。
「……ああ、かなり体の感覚も戻って来た」
「だから言っただろ。小一時間もすれば毒の効果は切れるって」
私達の会話を聞いていた前方を歩くヒューゴが、振り返りながらぼやく。
「なあ、聞かれたことには正直に答えただろ? これ外してくれよ」
背後に回した手には私の『影糸』が絡まり、腕の自由を奪っている。勝負の決着がついた私は念のために彼を拘束することにした。捕まった守人たちを助けるために、彼女たちの元へ誘導する案内役が必要だったからだ。
「……俺からも一つ聞いていいか?」
「答えられることなら良いよ」
「いや、シロじゃなくてそっちの長耳族になんだがな……お前、ライラだよな? なんで堕魂者扱いされてんだ? お前の功績を考えればむしろ……」
「……黙って歩け」
お喋りなヒューゴにライラの冷たい言葉が浴びせられる。
なんだ? ヒューゴとライラは知り合いだったのか?
「あの、ライラ……」
「……ルナ、その男をしっかり見張っていてくれよ」
「え、ああ、うん。もちろん」
それとなく聞いてみようかと思ったが、どうもタイミングが悪かった。
確かに今はヒューゴが下手な動きをしないように注意しておくべきか。
捕虜の癖にやたら余裕な様子だからね、こいつ。
◇ ◇ ◇
それからヒューゴの雑談に付き合いつつ進んでいると、
「そろそろ着くぜ」
ヒューゴの案内で進んだ先には、彼の言っていた通り騎士団の拠点があった。そこが彼らの陣地を示すかのように、騎士団の旗が中央に立てられている。ヒューゴが騎士団分隊長だという話、嘘ではなかったらしい。
「マヤ……!」
ライラの言葉に、彼女の視線を追うと拠点の端に手枷を嵌められ地面に座らされた守人の一団があった。人数もぴったり会う。あそこにまとめて集められ、管理されているのだろう。近くには抜身の剣を持つ騎士の姿もある。自力で逃げ出すのは難しそうだ。
「ヒューゴ」
「分かってるって。俺も死にたくはねぇ」
「よし。なら行こうか……ライラはここで待っててね」
私がヒューゴの背を押すと、彼は溜息をついて前に向けて歩き出す。
周囲の騎士は彼の帰還にすぐに気付いたが、続いて現れる私の姿に硬直する。
「隊長、これは……」
「今回の猟は失敗だ。長耳族の連中は放置して総員速やかに帰還しろ」
指揮官の命令に周囲の騎士たちは驚き、どうするべきか困惑している様子だった。そんな彼らに、ヒューゴは一喝をくべる。
「さっさとしろ! 言っとくがこの後ろの嬢ちゃんは俺を軽くいなす実力の持ち主だからな! 間違っても逆らおうなんてするな!」
「……は、はいっ。了解しました……!」
ヒューゴの号令に、騎士たちは慌てて命令に従い動き始める。
上官の怒声は軍人にとって恐ろしいのか、それとも単に頼りになる上官をのしたらしい私にビビってるのか……前者だと思うことにしよう。
それからてきぱきと動く騎士たちはあっという間にその場を離脱し、手枷を嵌められたままの長耳族と私達が残される。
「手枷の鍵は恐らくテントの中だ。どうする? 探してこようか?」
「私も行くに決まってるでしょ。私の近くから離れないで」
「了解」
「あ、でもその前に……」
やけに真面目ばった口調でかしこまるヒューゴを近くに連れて、私は守人たちの安否を確認するため彼女たちの元へ向かう。ヒューゴとの戦闘があったせいか、怪我をしている同僚もいたが、すべて軽傷に見える。
「みんな、大丈夫? 立てそう?」
「あ、ああ……」
「良かった。手枷の鍵を探してくるから少し待ってて」
「……お前がそいつを倒したのか?」
「まあね。今は私の魔術で拘束してるけど、手枷があるならそれを使わせてもらおうかな。あ、一応、この後ルーカスさんのところに連れて行くつもりだから手出しはしないようにね」
「……分かった」
神妙に頷く仲間を置いて、鍵を探しに行こうとすると、
「ルナ」
守人の一人、アラスターが私を見て深く頭を下げる。
「……すまなかった。それと、ありがとう」
「えっと、どういたしまして?」
私としては仲間として当然のことをしたつもりだったのだが、何やら深く感謝されてしまった。拘束されている間はずっと不安だったのかもしれない。早く手枷を外してあげなくちゃ。
ヒューゴを急かせ、鍵を探しに行くがその途中もお喋りの口は止まらなかった。
「ルナ、ってのはお前の本名か? 今までは冒険者名義の名を名乗ってたんだな」
「珍しい話でもないでしょ」
「まあな。でも、お前があそこまで長耳族の信頼を勝ち取っているとは思わなったぜ」
「そんなことないと思うけどね」
未だに地上暮らしだし。そこに不満はないけど。
「長耳族が他種族に頭を下げるところなんて初めてみたぜ。あいつらはプライドが高いからな。一族の誇りのためなら命すら投げ出すような奴らだ。そんな長耳族がお前に頭を下げたってのは俺にとってそれなりに衝撃なんだよ」
「まあ、あなたの謝罪に比べれば重いかもね」
「今のは茶化した訳じゃない。俺だってお前に命を預けている状況なんだ。お前が長耳族にとってどれだけ重要な存在かってのは気になるところなんだよ」
「……なるほど」
確かにヒューゴの立場からしたら、私がきちんと長耳族と交渉を行えるかどうかは重要な問題だ。集落に連れて行った瞬間、私を無視してヒューゴを袋叩きにする展開だって想定されるわけだし。
「だからマジで頼むぜ。俺はお前を信用して命を預けるんだ」
「分かったよ。あなたの身の安全は私が保証する」
私がそう言うとヒューゴは満足げに頷いてみせた。
言質を取った、ということなのだろう。慎重な男だ。
こういうところは騎士よりも商人っぽいかもしれないね。
◇ ◇ ◇
手枷の鍵を見つけた私はすぐに守人たちを解放し、リーフへと戻った。
守人たちの代わりに手枷を嵌められたヒューゴは道中、無駄口を叩くこともなく従順な態度でルーカスの元まで連行されていった。
約束通り、人攫いの首領とも呼べる人物を連れてきた私に、ルーカスはこの展開を予測していたかのように笑みを浮かべる。
「貴様に賭けた私の直感は間違っていなかったわけだ。まさかこれほど手際よくこの場を用意してみせるとはな」
「約束は守ってもらいますよ」
「ああ。族長への話は私が直接つけよう。近日中に首都への道を開いてやる。長耳族以外の種族が首都へ入るのは何十年ぶりのことだろうな。まあ、それは良いとして……」
立ち上がったルーカスは、拘束され地面に座らされたヒューゴの目の前にやってくると見下ろすような立ち位置から話を始める。
「貴様が人攫いの主犯か。ふん、育ちの悪そうな顔をしておる」
嫌悪感を隠そうともしないルーカスの物言いに、ヒューゴはにやりと笑い、
「生活水準が低いと悪口の質も低くなるってのは本当みたいだな。その程度の薄っぺらい罵倒しかできないならしない方が良いと思うぞ? 低能がバレる」
拘束された状態でまさかの強気の発言に、控えていた長耳族の一人が「貴様……ッ」と掴みかかろうとするが、それをルーカスは手で制した。
「程度の低い会話をするためにこの場を設けたわけではない。折角腹を割って話せるのだ。建設的な話をしよう。もっとも、その会話次第では本当に腹を割ることになるかもしれんがな」
「はっ、安い脅しだな。別に構わねぇよ。殺したきゃ殺せよ。その覚悟はしてここに来てんだ。言っとくが、こっちから何かを譲るつもりはねぇからな」
ルーカスを見上げるように睨みつけるヒューゴの目には恐怖や不安と言った感情は一切読み取れない。こいつ、本気で言っているんだ。
「これからも王国は長耳族を奴隷にし続ける。その方がお前らにとっても良い生活だと思うぜ? こんな娯楽のない森の奥でせこせこ生きるくらいなら、奴隷になった方が美味い飯を食わせてもらえるだろうよ」
「……俗物め。欲に溺れ誇りを忘れて生きるくらいなら死んだ方がマシよ」
「分からねぇな。王国と調和国が本気でぶつかったら負けるのはお前らだってことくらいは分かってるよな? 死ぬと分かってて誇りを選ぶのか?」
「それが我ら長耳族の生き様よ」
互いに視線を交わし、嘆息する両者。きっと二人とも同じことを思っている事だろう。話にならん、と。
「もう少しまともな人間でなければ語る意味がないな。この者は地下牢に繋いでおけ。捕虜として扱い、王国側に交渉を持ちかける。和平が結べるならば最良だが、最低でも奴隷にされた同胞を解放させる交渉材料にする」
ルーカスの言葉に控えていた長耳族がヒューゴの両脇によって、彼の身体を引き連れていく。敵地のど真ん中だというのに、全く物怖じしないのは流石というかなんというか……
「ルナ。今の話に異論はあるか?」
「え?」
突然、話を振られて戸惑う私にルーカスは柔らかな笑みを浮かべる。
「私の知る吸血種は獰猛で、狂気に満ちたまさに怪物であった。今のお前とは比べるべくもない。平和のために奔走する貴様の姿は実に誠実であった」
「ど、どうも?」
イマイチ何を言いたいのか分からないルーカスだったが、ただ彼は言いたいことを言っている様子でどこか満足げだった。
「あの、一ついいですか?」
「ん? なんだ? 申してみよ」
「ヒューゴの扱いですが、本当に手出しはしないんですよね?」
「無論だ。貴様の功績を無にするつもりはないのでな。それに、あやつ一人を始末したところで次なる刺客が送られるだけであろう。それでは何の意味もない。感情的に許せない者もいるだろうが、だからと言って無意味な私刑を行おうとする愚か者は長耳族にはいない」
「そうですか。なら良かっ……」
「そんなことをするくらいなら洗脳術を用いて我らの諜報として使役し、王国に潜入させた方がよほど有意義だ。話を聞くに、それなりに地位のある人間なのだろう? 久々に腕が鳴るな」
今にも高らかに笑い声を上げそうな表情でそんなことを言い始めるルーカスに、言いかけた言葉が喉に引っ込んでしまう。え……洗脳ってマジ? そんな魔術が長耳族にはあるの?
固まった私に、ルーカスは小さく笑みを浮かべ、
「冗談である」
なんて、本気かどうか怪しいセリフを吐くのだった。
フランクになってくれたのは嬉しいのだが……この人の冗談は反応に困る!




