第407話 愛と闘争
「ぐ……あああああああああああああッ!」
右手を抑え、絶叫する私。その場に蹲ろうかとも思ったが、ヒューゴの追撃が来るかもしれない。左目のみの視界で周囲を観察すると、剣の動きは止まっていた。どうやらヒューゴは手負いの私を見て、攻撃の手を止めたらしい。
「詠唱が聞こえたら次は首を落とす。ま、高い授業料だったと思いな」
それどころか彼は勝ち誇った表情で振り返り、ライラに向かおうとする。
「……まだ、勝負は終わってないぞ」
そちらに意識を向かわせるわけにはいかなかった私は、挑発するようにヒューゴに話しかける。すると彼は意外そうな表情で私を見た。
「根性あるねぇ。次はどこを落としたら諦めてくれるんだ? それとも首を落とすまでは戦い続けるつもりか? そこまでする価値があるとは思えないがな」
「それを決めるのは……私だ。お前じゃない」
「それはそうだな。けど、お前の考え方には一つ致命的な間違いがあると思うぜ」
「間違い……?」
おうむ返しに聞き返すと、ヒューゴは神妙な表情で話し始める。
「お前は戦争の火種を消したいと考えているみたいだが……争いの火種ならもう既に無数に存在している。というか既に戦争は始まっているんだよ」
両手を広げ、まるで演説でもしているかのようにヒューゴは語り続ける。
「人族と長耳族は長年争い続けてきた。大きな戦だって過去に何度もあった。王国がなぜエルフリーデンと名付けられたか知っているか?」
「……いや」
「穏やかなるエルフの大地。故にエルフリーデン。元は人族と長耳族が共に暮らせる国を目指して作られたのがエルフリーデン王国なんだよ」
「え……?」
ヒューゴの口から出た王国の歴史に、思わず言葉が詰まる。
「だがうまくはいかなかった。長耳族は魔力が見えず、術式操作に疎い人族を蔑視した。その結果、種族間の遺恨は深まり、対立するに至ったのだ」
「そんなの、教わってない……」
「それはそうだろうな。かつて王国が他種族と共存を目指していたってのは不都合な事実だ。特に今の他種族をろくに知らない人間からしたら、皆仲良く暮らせるほうがいいなんて妄言を吐く者も現れやすくなる。今のお前のようにな」
冷たいヒューゴの視線とは別に、語る言葉には徐々に熱がこもっていく。
「元々、違う価値観と文化を持つ存在だ。完全に肩を並べて、同じ視線で物事を語ることはできない。いくら目を逸らし、差別反対を謳っても、そこに格差は必ず存在する。あるものをないと言い張るのは愚かなことだろう」
「……だからって、自分達と違うからってそれだけで力で支配しようなんてする考え方は……間違ってる」
「ならば語ってみろ。剣を、弓を、拳を交わしたくないのならば言葉で説得して見せろ。それが交渉だ。それすらできないのであれば、それは人とは呼べん。そこらの猿と同じだ。首輪に繋いで労働力にすればいい。我々がより良い暮らしを享受するための犠牲になればいい。人は、国は、そうやって大きく強くなってきた。闘争こそが人の営みなんだよ」
歪んでいる。ヒューゴの思想は。いや、もしかしたら真っすぐなだけなのかもしれない。究極的な一つの意見としては価値を持つかもしれない。
しかし、それを認めてしまうなら……
「……私には一緒にいたい人達がいる」
「ん? 何の話だ?」
「でもそれは彼女達が私にとって何か利益となるものをもたらしてくれるからなんかじゃない。私の心が、彼女達を求めているんだよ。利益だけを追求するヒューゴの意見を認めてしまったら……私は私の心を殺すことになる」
アンナが笑顔でいてくれたなら、私はそれだけで嬉しく思う。
アリスが悲しんでいたなら、私は何とかしてあげたいと思う。
リンに会えない寂しさに私はもっと一緒にいられたらと思う。
それは全て私の心にとって大切なものだ。
無視なんてできないし、してはいけない。
「人種なんて関係ないんだよ、ヒューゴ。言葉が交わせなくたって、気持ちがあればそれでいいんだ。それこそが人を人たらしめているものなんだ。心を失ってしまえば人ではない、それこそ別の何かだ」
言ってしまえば簡単な理屈だ。
「愛だよ、ヒューゴ。愛こそが人の営みなんだよ。愛があるから人は強くなれるし、他の誰かに優しくなれる。人を成長させるのはいつだって愛なのさ」
そこだけは譲れない、私の持論だった。
だが、彼の言葉が私にとって理解できないように、私の言葉も彼にとってはピンと来てはいないようだった。なら……仕方ない。
「今からそれを証明してあげるよ。ヒューゴ」
「証明するだと? 一体何を……いや、待て。お前、その右手……」
抑えて隠していた私の右手の違和感に、ようやくヒューゴは気付いたようだった。だが、もう遅い。
「その傷でなぜ血が一滴も流れていない……ッ!?」
「さあ、第三ラウンドといこうか?」
私の足元、雪中から飛び出した白蛇が私の右手に融合する。
時間稼ぎは成功した。雪の中を進み、ヒューゴに気付かれないようにライラに向かわせていた私の変身体がライラの血を吸って持って帰って来たのだ。
ヒューゴの攻撃に合わせて切り離した右手を『変身』させ、それを悟らせないように傷口を隠し、ライラに向けられかけた意識をこちらに戻す。ヒューゴが私の殺害を許容していたなら成立しない戦法だったが、何とかなった。
白蛇から送られるライラの血液に、身体中に活力が灯る。それと同時に私の瞳は紅く変色し、漆黒の角が突き出していることだろう。ヒューゴの視線がそれを物語っていた。
「なんだ、お前……人族ではないのか……?」
「生憎ね。けど、そんなの関係ないよ」
駆けだす私に、ヒューゴが停止していた術式を再始動させる。
空中を飛び回る騎士剣の軌道全てを見切ることはできない。故に私は最低限の防御だけを施すことにした。
「影法師──『天覇衣』ッ!」
首と心臓をガードするように、襟を立てたロングコートをイメージした天覇衣を生成。隙間を縫うように騎士剣が私の足を、手を、耳を飛ばしていくが次の瞬間には『再生』スキルで元通りになる。吸血モードの私を止めることはできない。相手がたとえ騎士団分隊長だったとしても。
「シロッ……お前……!」
「私は慈悲深いからね。一発で許してやるよ」
懐に飛び込んだ私に、距離を取ろうとするヒューゴ。だが、今の私の身体能力を前にそれは回避したうちにも入らない。ヒューゴが一歩距離を取る間に、三歩距離を詰めた私は大きく振りかぶり……
──ゴスンッッッッッッッ──
鈍い音を響かせながら、右のストレートをヒューゴの顔面に叩き込む。
体の端にあり得ないほどの運動エネルギーを加えられたせいか、ヒューゴの身体は大きく回転しながら雪の上をバウンドして吹き飛んでいく。
「……やべ」
久々に相手が男だったせいか、手加減が甘かったかもしれない。
首の骨とか折れてないかな?
「ぐ、おぉあ……ッ」
心配する私の前で、苦痛に低く呻くヒューゴ。良かった。死んでない。
術式を維持できなくなったのか、カラカラと地面に落ちる騎士剣。
「詠唱が聞こえたら次は首の骨を折る……ってことで勝負ありにしない?」
意趣返しに彼の言葉を真似る私に、ヒューゴは起き上がるそぶりすら見せない。
見上げる彼の瞳が、私の瞳を見る。
そして……
「……あぁ、もう好きにしてくれ……」
両手を大地に広げるようにして、彼は白旗を宣言するのだった。




