第400話 文化と認識の違い
守人の仕事は予想以上にハードなものだった。ほとんど歩きっぱなしであるうえに、樹から樹へ飛び移るようなダイナミックな機動も要求されたりと完全な肉体労働だったからだ。
細っこい両足で高く跳躍していくライラの様はまるでゲームのバグを発見したような気分にさせられた。長耳族というのは身体能力も高いのだろうか?
「疲れたか?」
「ぜえ、ぜえ……少しだけ、ね」
「まったく少しには見えないが……初日は誰でも悲鳴をあげるものだ。むしろ最後まで良くついてきたな。褒美にリーフの村で夕餉の食材を貰って来てやろう」
「え、いいの?」
「ああ。その様子ではこれから食料を探しに行くことも難しいだろう。守人用に配給されている食材がある。それを貰いに行くとしよう」
それなりに鍛えられている私でさえ肩で息をしているというのに、すたすたと前を歩くライラに疲労の影は見えない。習慣の差かもしれないが、私ももう少し身体を鍛えるべきかもしれない。
「ねえ、ライラは普段どんなトレーニングをしているの?」
「私か? 私の場合は基本的に弓術がメインだな。守人の中には剣や槍を使う者もいるが、樹上からの攻撃を想定するならやはり弓が一番だ。ルナも練習してみるか?」
「弓の練習もしたことはあるんだけど、私はうまく使いこなせなかったんだよね」
未来で数多の武器を使ってみたが、弓矢は一番手に馴染まなかった。
「武器にも相性があるからな」
「そう、だからどっちかというと肉体鍛錬の方法を教えてもらいたいなって」
「肉体鍛錬……? それは、どういうことをするのだ?」
「え……長耳族って走ったり筋トレしたりしないの?」
どうやら長耳族には体を鍛えるという概念そのものがないらしい。
それなのにどうやってあの身体能力を会得したのかと思ったら、
「身体能力を向上させるなら霊力のコントロールを極めれば良い」
「……霊力?」
「長耳族では魔力のことをそう呼んでいるのだ。人族が魔力、魔術と呼ぶ技術体系を長耳族では霊力、精霊術と呼称する。中でも霊力の制御は長耳族であれば歩くと同時に修得するような基礎的な技術だ。これを応用すれば戦闘にも使える。長耳族ではこれを『霊装』と呼ぶ。精霊の眼を持つお前になら見えるはずだ」
すっ、とこちらに腕を伸ばしてきたライラの身体を注視してみると……僅かにだが、薄い膜のように魔力が広がっている。人族で言う纏魔の技術だ。
「我々はこれを意識がある間は生涯行い続けて生きる」
「え……ずっと纏魔し続けて生活してるってこと?」
「ああ。慣れてくれば『霊装』の重ね掛け……『重装』を行うこともできるようになる。ちなみに私は六重までできるぞ」
「……マジか」
纏魔の重ね掛けなんて聞いたこともない。どころか、そんな長時間の纏魔自体が人族には不可能だ。私にだってできないだろう。そもそも私は纏魔の技術が稚拙だ。魔力操作に全集中すれば何とかってレベル。とても実戦向きではない。
「ふむ……吸血種と言えど、魔力操作に関しては我らに一日の長があるようだな。魔力の総量に関してはルナの方が圧倒的に上のようだが」
そこに関しては吸血種というよりは、私が特別なだけなのだが。
しかし……そうか、纏魔って重ね掛けできたのか。今度試してみよう。出来るとは思えないけど。
「ん、そろそろ村に入るな」
何の標識もないのに村が近いことに気付いたらしいライラは懐から取り出したスカーフで口元を覆う。最初に会った時にもそうしていた、肌の色を隠すための用意だ。
折り合いはついているというが、気にはしているってことなのかな。
「まずは配給所に向かいたいところだが……どうせなら少し見ていくか?」
「いいの?」
「私と一緒なら問題はないだろう。それに我らの文化を知りたいというのなら、伝聞ではなく実際に見るのが一番だ」
そう言ってライラはずかずかと村の中を歩いていく。長耳族ではない私がいることで注目を浴びてしまっているが、ライラは慣れた様子で気にしていない。
「我らが樹上で生活するのは地上を闊歩する魔獣から逃れる為でもあるが、それ以上に地上は穢れたものとして扱われているからだ。故に人の血肉となる食物を地上でやり取りすることはない」
「落としちゃった食べ物は? 三秒以内ならセーフとかある?」
「ない。地に落ちたものは全て大地に還って初めて浄化されたと見做される。大地に還らぬもの……例えば骨や金属類は不浄の固まりとして長耳族では忌避され、武器ぐらいにしか利用されることがない」
「武器にならいいんだ」
「ああ、不浄なるものを討つには同じく不浄なるものが相応しいからな」
彼女の言う不浄とは、魔獣や人族のことを指しているようだった。魔獣と同列に扱われている人族さんの哀れなることよ。
しかし……聞けば聞くほど不思議な価値観をした種族だな。カルチャーショックってやつだ。他の種族もこんな感じなのだろうか。これからの旅が少しだけ、わくわくしてきたぞ。
「……なんだか楽しそうだな」
「まあ、そうだね。自分の知らないことを知るのは面白いよ。あ、面白いってのは興味深いって意味で他意はないからね?」
「そう慌てなくても理解しているさ」
誤解を恐れて慎重な言い回しになってしまう私に、ライラは口元を抑えて笑みを浮かべる。ライラの笑顔、初めて見たけど愛嬌があるな。
普段キリっとしたキャリアウーマンみたいな風貌だから、思わずドキッとさせられてしまった。上品ではあるが、子供っぽさも感じる笑い方だ。
「そんなに可愛い笑顔ならもっと笑ってればいいのに」
「は、はぁ?」
私の口から漏れた感想に、ライラが眉を寄せる。
「なんだ貴様、急に……私の笑顔が可愛いだと?」
「うん。素敵な笑顔だと思うよ」
「そ、そういう世辞はいい。不愉快だ」
「別にお世辞って訳でもないんだけどな……」
「だからっ! その話題はもういい! 黙れ!」
そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまうライラは不都合な話題になるとさっさと切り上げてしまう傾向にあるらしく、それ以降顔を合わせようとはしてくれなかった。横顔からでも顔を赤くしているのは分かるんだけどね。褐色の肌だから分かりにくいけど。
なんとなく気まずい沈黙が流れる中、二人で並んで歩いていると……私は地上で遊んでいる子供達の姿を発見する。
「ねえ、あの子たち地上で何かしてるみたいだけどいいの? 地上は汚れた地ってことだけど」
「家の中で遊んでいたら怒られることもあるからな。鬼ごっこなんかをするときは隠れて地上でやるものだ。私も良くやっていた」
「へぇ」
そんな気軽に降りられるなら、ライラのさっきの話も文化的にはそうなってるけど、半ば形骸化した理念なのかもしれない。誰もいない横断歩道でも赤信号なら渡っちゃう、みたいな。
「褒められたことではないが、特段に注意する必要もないだろう……ん?」
「どうかした?」
「いや、子供達に囲まれているあの人族……貴様の連れではなかったか?」
「え?」
ライラの言葉に改めて子供達を見ると、確かに子供達に囲まれるように屈んでいる人物には見覚えがあった。
「アンナだ。何やってんだろう」
「…………」
子供達と仲良くなって遊んでいるのかなー、なんて思っているとライラは突然地上に降り立ち、ずかずかと子供達の一団に近づくと手前にいた子供の首根っこを掴みだす。
「うわっ!? な、なにすんだよっ!」
「何をするは君達だ。この者はルーカス様が直々に客人として認めた者だぞ」
ライラの後を追うように近づき、私もそこで何が行われていたのかを悟る。
子供達の包囲をかき分けるようにしてアンナに近づくと、彼女の背はフルフルと見るからに震えていた。
「アンナ、大丈夫?」
「お、お姉さま……?」
彼女の背を支えながら話しかけると、アンナはゆっくりと顔を上げる。
その瞳は涙に濡れていた。
「また人族が増えた! ここは僕達の森だぞ! 出てけよ!」
「おい、いい加減にしないか」
首根っこを押さえられながらもキーキー喚く子供に続いて、周囲の子供達も「そーだそーだ!」と合唱を始める。ライラの静止なんてお構いなしだ。
「こら、いい加減にしないと私も怒るぞ。大勢で独りを囲んで泣かせるだなんて、長耳族の誇りはどうした」
「人族は追い出した方が良いに決まってる! こいつらのせいで何人もいなくなったんだぞ! そんなやつらを野放しにできるか!」
そう言って取り巻きの一人が持っていた小石を私に向けて投げつける。肘のあたりにあたって地面に落ちるが、所詮は子供の腕力、大した威力もないが……それは明確な意思を持った攻撃だった。
彼らは自分達の種族を、縄張りを守るために必死になっている。
そんな印象を受けた。だからこそ、
「君達、いい加減に……ッ」
「待って、ライラ」
私は彼らの心を否定したくはなかった。手段は間違っているかもしれない。だけど、仲間を守りたいという気持ちが悪いものであるはずがない。だから、そこは否定してはいけない。
「……ルナ?」
「ここは私に任せて欲しい」
困惑するライラをよそに、私は子供達をぐるりと見渡す。
数えて六人、男女入り乱れた長耳族の子供達は私が何かしようとしている雰囲気を察してか、身構えている。警戒されているならむしろやりやすい。
「君達の主張は分かった。私達にここを出て行ってもらいたいんだね? でも、私達にもここでやるべきことがあるからその要求を飲むわけにはいかない。双方の意見が割れたなら、勝負で決着をつけるしかない」
「勝負って……こ、殺し合いでもしようってのかよ」
「そんな野蛮なことはしないさ。私達はまだ子供なんだから……そうだね、鬼ごっこで決着をつけるってのはどう?」
「……鬼ごっこで?」
「そう。私が鬼になって君達六人を追いかける。十分以内に全員が捕まったら君達の負け、私達の滞在を許して欲しい」
「お前が負けたら?」
「その時は潔くこの村を出て行くよ」
私の言葉に、子供達は互いに顔を見合わせる。そして、にやりと笑みを浮かべてそれぞれが頷く。
「……よし、その話、乗ったぞ」
「なら逃げて良いよ。三十秒後に追い始めるから、そこから十分間ね。時間はライラに測ってもらうから」
私が手を振って逃げるように促すと、子供達はうっすらと魔力……長耳族的には霊力を身に纏い、散り散りになって逃げ始める。こんな小さな子ですら実行で来ているところを見るに、長耳族では当たり前の技術なのだろう。学園では一向に修得できない生徒もいたくらいなのにな。
「おい、ルナ、あんな約束していいのか?」
「いいのかって、何が?」
「この場を切り抜ける為だからってあんな嘘をついて……長耳族はたとえ口約束でもそれを反故にすることを許さない。今以上に居づらくなる。ルーカス様の耳に入れば、追い出されることも……」
「別に、全員捕まえればいいだけでしょ?」
「別にって……お前、さっき話しただろう? 長耳族は子供であっても霊装が使える。つまり身体能力はお前より上なんだ。追いつけるわけがない」
「まあ、確かに今の私なら難しいかもね」
私は何があったか、ショックを受けている様子のアンナに近づき……
「大丈夫。あのガキ共にはきっちり謝らせるから」
そっと、首元に口を近づけ……血を分けてもらう。
「ま、5分ってところかな」
吸血スキルを発動させ、文字通り鬼になった私にライラが息を呑むのが分かる。
メキメキと伸びる漆黒の角はなかなかにインパクトがあるからね。とはいえ、今は彼女のフォローをしている場合ではなく……
「ふっ……」
短い呼気と共に、爆発的なスタートを切って走り出す。
子供達の向かって行った方向は覚えている。あとはどれだけ迅速に回収できるかだが……早速見つけたぞ。
樹の上を飛び回る小柄な人影に向け、私は掌を伸ばす。
当然、届くような距離ではないが……
「大黒天──『天影糸』」
「うわっ……!?」
眼前に突如現れた漆黒の糸が迎えるように逃げる子供の身体をぐるぐる巻きに捕縛する。それでバランスを崩して落下する子供の身体を即座に落下地点に回り込んで受け止める。ちょっと危なかったな、今の。
「はい、タッチ」
子供の額にちょっとした反撃としてデコピンを食らわせ、私は次の標的に向けて駆けだす。どこかに隠れられていたら少しだけ厄介だが、彼らが逃げる前に、私は意識して子供達の匂いや服装を意識にとどめておいた。吸血モードになった時、見つけやすいように。
記憶を頼りに駆けていると……見つけた。次の子供だ。同じ要領で捕まえてやるが、ここまでで経過時間は一分。残りの子供は四人……余裕だな。
◇ ◇ ◇
「はい、全員確保ね」
私が六人の子供達を影糸でぐるぐる巻きにしてアンナの前に連れ帰るが、子供達は先ほどとは打って変わって青い顔をして大人しくなっていた。
「嘘だろ……」
「……怖すぎ」
「鬼だ……」
ガクガクと震える様は先ほどのアンナのよう。すっかり震え上がっている今ならどんな主張でも通るだろう。と、いうことで。
「賭けは私の勝ちだね。私達の滞在を認めてもらうよ。あと、それはそれとして……アンナを泣かしたこと、私は許してないから」
敢えて視線を鋭く子供達を見つめると、揃って体を震わせる子供たち。
「ご、ごめんなさい……っ」
「私に謝ってどうするのさ。謝るのはアンナにでしょ」
私が詰めるように言うと、子供達は揃ってアンナに向けて頭を下げ始める。
「「「ご、ごめんなさいでしたっ」」」
「い、いいよいいよ。私も無遠慮だったから……」
泣くほどまで追い詰められていたというのに、アンナは子供達を二つ返事で許している。一発くらい殴ってやってもいいのに。
「アンナの慈悲に感謝するんだね」
影糸を解除すると、子供達は解放されたことに安堵してかほっと胸を撫でおろしている。中には腰が抜けたのかその場に崩れ落ちる子さえいた。
「つ、連れてかれるかと思った……」
「人族の奴隷になったら永遠にこき使われるって言うし」
「中には生きたまま喰われた子もいるって……」
どうやら子供達は私に捕まったことで、恐ろしい想像を掻き立てられてしまったらしい。道理でビビりすぎだと思った。しかし……そうか。
(人族を排斥しようとする動きの背後には怒りもそうだけど、恐怖もあったのか)
いきなり見知らぬ場所に連れて行かれる恐怖。得体のしれない存在の奴隷にされる恐怖。それらの恐怖が、彼らの反発を生んでいたのだ。
なら、その認識も少しだけ改める必要があるだろう。
「……君達はきっと人族の中でも特に悪い人にしか会ったことがないんだと思う」
「?」
「でも、人族の中にはアンナみたいに優しい人もいるんだってことを知って欲しい。それで何が変わるかは分からないけど……折角出会たんだから仲良くしよう」
口下手な私なりの精一杯の笑顔で子供達に笑いかける。
にっ、と笑った私を見て、子供達は……
「うわあっ! やっぱり鬼だぁ!」
「にげろーっ!」
「食べないでぇっ」
ついに限界を迎えたとばかりに涙を零しながら逃げ出してしまう。これは……ミスったな。寄り添うなら角と牙がない時にするべきだったね。うん。




