第39話 忙しいときほど時間が過ぎるのは早い
もしも願い事が一つだけ叶うなら、何を望みますか?
私はずっと切望していた。男の体に戻ることを。
確かに可愛らしいこの見た目は便利だし、貴重な体験を出来たと思う。だけどやっぱり心は男のままだし、成長していけば普通に女の子を好きになると思う。
例えば……アンナとかアリスとか?
うん。可愛いからね、あの子達。
でもそうなるとやっぱり女の子同士というどうしようもない壁が立ちふさがるわけで。それを想像したとき私はどうしても違和感を拭い去ることが出来なかった。
だけど……今の私は違う。
男に戻りたいという欲求は変わらないけど、それに匹敵するだけの願いが生まれてしまっていた。それは……
「お腹空いたぁぁぁっ!」
高らかに咆哮しながら、私は願う。この迷宮を脱出し、好きなものを好きなだけ食べられる生活を。
私がこの迷宮に落ちてからすでに丸一日が経過していた。
湖の周辺で使えるものがないか探していたら予想以上の時間を食ってしまったのだ。時間は食ってもお腹は膨れないので、当然のように私は今空腹だ。
というかそもそもの話、ガンツのボケがろくな食事を取らせてくれなかったのも影響していると思う。死んだ人を悪く言うのもどうかと思うけど、こればかりはどうしても愚痴りたくなる。
「死ぬ……このままだと死ぬ……」
湖の水で空腹を誤魔化しながら今後の方針を考える。
第一目標はこの迷宮から出ることだけど、どうやらそれも難しいと言わざるを得ない。
設置トラップにより転移させられた時点で地図はもう意味を持たないし、そもそも地図なんてもっていない。もうほとんどこの時点で詰みだよね。時間をかければ脱出も可能かもしれないけれど、その時間が私には残されていない。
冗談抜きに洒落にならない状況だ。
転移トラップで元の道に戻れれば活路もあるが、あいにくあれは一方通行の術式のようだしそれも叶わない。
「地道に歩いて出口を探すしかないか……」
薄暗い洞窟内。
吸血鬼は夜目が利くのでそれほど見通しは悪くない。だからといってこの不気味な雰囲気が軽減されるわけではないけれど。
フェリアル大迷宮。
師匠の話では世界最大の迷宮ということらしい。似たような迷宮は他にもあるけど、その規模が他とは比べ物にならないようだ。
地下世界と呼ばれるほどの広大なマップ。専門の冒険者達ですら地図を完成させるには至らなかった。そのせいもあってか、この迷宮には幾つかの伝説が残されている。
その一つが黄金の金属器。
その光を浴びればどんな願いでも一つだけ叶えてくれるという噂だ。
まあ、私は信じてないけどね。普通に考えてそんなこと有り得ないでしょう。魔法のランプかっての。結局噂は噂に過ぎないということ。
そもそも最深部に到達したところで、帰れなければ意味がないだろうに。ということで私は一直線に出口へ向かうことにします。
「でもその前に何か食べないと……体が動く今の内に」
そして結局、悩みは食糧問題へと帰ってくる。
野生の動物でもいればいいんだけど、そんな丁度良くは見つかってくれないだろう。そもそもこのエリアに食べられるような獲物がいるかどうかすら怪しい。
フェリアル大迷宮には数多の魔物が住み着いている。人の手が及ばぬ土地はえてしてそういう傾向にあるらしいけど、さっきの土蜘蛛みたいな規格外の化け物なんて話にも聞いたことがない。
そもそもこの世界の魔物は日本でいうところの害獣程度の扱いをされており、完璧な対策がすでに取られている。時々街にお腹を空かせた魔物が山から下りてきた、なんて話を聞くけどそれも被害が出る前に討伐されることがほとんどだ。
つまり魔物といえど、それほどの脅威ではないということ。
だけど……さっきの土蜘蛛はヤバイ。
あれほどの怪物は王国騎士団の編成した一個大隊でようやく討伐可能なレベルだろう。それもかなりの被害を覚悟しての話。
ガンツ達と歩いた道中にも魔物はいた。
だけどそれこそ野犬程度の敵だった。素手では厳しくても、きちんと装備を固めれば一人でも倒せるレベル。だからこそ私は一人になっても帰ることくらいは出来ると思っていたのだが……どうやらその想定は甘かったらしい。
(あれだけ規格外のモンスターがそうぽんぽん出てくるとは思えないけど警戒は怠れない。出会った時点で負けイベント確定とか、ほんと萎えることしてくれるよ)
はあ……と、深いため息をつきながらとぼとぼと歩く私。
そんな私の前に……
「…………ん?」
何やらぐにぐにと奇妙な動きを見せる物体が現れた。
よく見ればそれは青色のゼリー状の生き物だった。半透明の体は絶えず脈動を続けており、さまざまな形に変形しつつこちらへと近寄ってくる。
つまり一言で言うと……
──スライムが私の前に現れた。




