第393話 冒険者のお仕事
ざくざくと深雪を踏みしめながら、冬の森を三人で歩く。
「うう……寒ぃ。もうちょい厚着してくるんだったぜ」
先頭を歩く私の背後でヒューゴがぼやく。冬至を迎えようとするこの時期の寒さはこたえるらしく、しきりに体を揺すっていた。
「仕方ねぇ。ちょっくら燃料を入れさせてもらうぜ」
そう言ってヒューゴは懐から琥珀色の液体が入ったボトルを取り出し、あおる様に中の液体を口に含む。恐らくウィスキーの類だろう。体温を上げて、寒さを凌ぐにはちょうど良い飲み物かもしれないが……
「ちょっと、酒なんて飲んでいざって時に戦えるの?」
「だーれにモノ言ってんだこの嬢ちゃんは。この程度の酒、飲んだうちにも入らねぇよ。それよか足元、雪の積もり方がちょっと変じゃねぇか?」
ヒューゴの指摘に足元を見直すと、僅かに凹んだ足跡のようなものを発見する。
「この大きさ、もしかしたら黒毛熊のものかも」
「目撃情報があったのはもうちょい先だよな? 別個体のものかもしれねぇぞ」
「そうだけど、どちらにせよ危険な魔獣がこんなところまで来てるなら放置はできないよ。この足跡を追ってみよう」
「優しい奴だねぇ。ま、標的のものかもしれねぇし異論はねぇよ。行こうぜ」
ヒューゴと方針をまとめ、再び動き出す。これからは移動というよりは追跡に近い動きになる。いつ遭遇しても良いように準備をしておかなければ。
「少し吹雪いてきたな……タイミングが悪ぃ」
「視界が悪くなるから、慎重に動こう」
足跡の残り具合からして、精々が一時間くらい前のものだろう。逃げているわけでもない足跡の主はかなり近くにいると見ていい。二人に注意を促し、先頭の私は更に警戒を強めて進む。
「あれ?」
「どうした?」
突如、足を止めた私にヒューゴが疑問の声を上げる。
「いや、足跡がさ。途切れちゃってて」
「ん? ……本当だな」
私達が追跡していた足跡は、途中でぷっつりと途切れてしまっていた。まるでいきなり飛んでどこかに行ってしまったかのような消え方だ。
「これは一体……」
「──シロッ!」
足元ばかりを見ていた私は、ヒューゴの声にハッと顔を上げる。
私の視線の先、先ほど歩いて来た方向から漆黒の影がこちらに迫っていた。
「こいつ、足跡を罠に……っ」
迫る巨体にアリスが悲鳴のような声を上げる。纏魔で最低限の戦闘準備は整えているが、元の身体能力を考慮すると太刀打ちできるようなものではない。
なので私は……
「大黒天──」
ドンッ! と足元の雪を爆ぜさせ、一気にアリスを追い越し黒毛熊の前に躍り出る。速力を威力に変え、渾身の掌底を黒毛熊の顔面に叩き込む。
──パアアアアアンンッ──
小気味よい肉を叩く音が響くが、黒毛熊はさしたるダメージもない様子で両手の爪を私へ抱き着くような軌道で振るってくる。
「──『天覇衣』」
用意しておいた黒衣でガードするが、黒毛熊の膂力までは殺しきれずミシミシとまるで万力で押しつぶされるような圧力が私の身体を襲う。眼前に迫る黒毛熊の片目には大きな切り傷が見えた。
「アリスッ!」
「わ、分かってるっ!」
そのままではいずれ潰される未来が見えていた私は、側面に回り込んでいたアリスへ攻撃を呼びかける。既に詠唱を終えていたらしいアリスは、遅延展開した魔術を一斉に黒毛熊へと放り込む。
「燃やし尽くせ──『ヘル・フレア』!」
真冬の森に、業火が吹き荒れる。
範囲、威力共に申し分のない火力だ。だが……
「ダメだ! 効いてない!」
「な、なんで……っ!?」
黒毛熊を『鑑定』してみるが……こいつ、魔法耐性がやたらと高い。
あの艶のある黒毛が魔法を弾いているのか? そんな生物がいるなんて……
(だったら影槍を……っ、いやその前に天覇衣を解除したら潰される……!)
対抗策を導き出せず、僅かな焦りを覚える私に、
「──『錬成』」
背後から、ヒューゴの声が聞こえてくる。
「──『鉄師団』」
そして、次の瞬間……ドドドドドドドッ! と大量の直剣が黒毛熊へ突き刺さる。まるで黒ひげ危機一髪だ。頭が飛んだりはしないけど。
「深くは刺さってねぇ! 今の内に離れろ!」
ヒューゴの指示に合わせ、黒毛熊の力が緩んだ一瞬の隙にその場を離脱する。
直後、黒毛熊はヒューゴに狙いを変えたのはそちらに突進を開始。
「ちぃッ!」
先ほどの攻撃で、弾切れになったのか焦る様子のヒューゴ。先ほどは危ないところを助けてもらったんだ。今度はこっちが助ける番だね。
「大黒天──」
より正確な狙いをつける為、両手の指をシャッターのように構えて視界を敢えて狭くする。即席のカメラに黒毛熊の身体全体が入り込むように調整し……
「──『天影糸』!」
都合、五つの匣から飛び出した漆黒の糸が黒毛熊の身体をぐるぐる巻きに拘束し、動きを阻害する。足元にも伸びた影糸が黒毛熊の身体を浮かせ、その場に転倒させたところで、術式を切り替える。これで、終わりだ。
「大黒天──『天影槍』」
振り下ろす腕に合わせるように、天空から降り注ぐ無数の影槍が黒毛熊の身体を串刺しにしていく。真っ白な雪に広がっていく真っ赤な血が、黒毛熊の致命傷を示していた。
「……うへぇ。えげつねぇ魔術だな、おい」
息絶えた黒毛熊へ同情のようなセリフを投げかけるヒューゴに、私は先ほど彼が行使したと思われる魔術の残骸……つまりは、大量の鉄剣へ目を向ける。
「あなたのも似たようなものでしょ。あれだけの質量の武器、一体どこから用意したのさ」
「まあ、そこはほら。企業秘密ってことにしといてくれや」
背後だったため、何をどうしたのかは見えていなかったが到底持ち歩ける量の武器ではないので、その場で作ったということなのだろう。
大量の武器と、それを自在に扱う魔術……なるほど、自分の腕に自信があるというだけのことはある。優秀な魔術だ。
「ま、詮索はしないのがマナーだからね。感謝だけしとくよ。助かった」
「そこはお互い様ってやつさ」
軽口を最後に、死闘を締めくくる。ここまで強い魔獣との戦闘は久々だ。
こういうタイプの魔獣もいるってのは覚えておいた方が良いな。
「アリス、帰ろうか」
「え、あ……ええ。そう、ね」
「? どうかした?」
「いや、その……」
戦闘の緊張が抜けきっていないのか、どこか呆けているアリス。
「なんていうか……ルナ、随分と強くなったわね」
「ああ……それはその、未来で結構、特訓したからね」
「……そう」
「? 本当にどうしたの? なんだか元気がないように見えるけど」
「ううん……なんでもないわ」
気が抜けた声で否定するが、アリスは昔から感情が顔に出やすいタイプだ。
何か気になっていることがあるようなのだが……うーん。なんだろう。
「なあ、アリス。さっきの炎が出る魔術使えばこの寒さなんとかできねぇか?」
「火達磨にされてもいいなら構わないけど?」
「おっと、そう言えばまだ一本秘蔵のウィスキーが残ってるんだった」
ヒューゴと二人、歩き始めるアリスは既にいつもの調子を取り戻しているように見える。本当になんでもなかった……のかな?




