第391話 三つの選択肢
冬の王都を離れてから、一週間が経過した。
未だ厳しい寒さの残るこの土地を、淡く降る白雪の中で動く四人の影。
「そろそろ日の出の時間だ。休める場所を探そう」
懐から取り出した懐中時計を開き、時刻を把握したニコラの言葉で、その場の全員が周囲の探索を始める。吸血種である私が太陽の下で長時間活動しないよう、気を使ってのことだ。
既に私が吸血種であることを知っているこの面々との旅は、以前の父親捜索の時とは違い、私への負担が最小限に済んでいる。代わりに他のメンバーへの負担が大きくなってしまっているのだが、屋根などで日差しを遮れる街中と違い、太陽の光を遮るもののない道中は私にとって命に係わるので我慢してもらっている。
私としては私一人のために他三人に苦労をかけるのは忍びないのだが……
「ルナ、喉は渇いてないかい? 水でも用意しようか? なんなら僕の……」
「あ、それならお湯を沸かしましょう。きっと温まりますよ。ね、お姉さま?」
「それより陽を遮れる場所を見つけるのが先よ。ルナもそう思うでしょ?」
今回の同行者の三人が三人とも、私に優しすぎて全く苦に感じていなさそう。
まるでお姫様みたいな扱いだ。加えて厄介なのが、三人がそれぞれ私の役に立とうと張り切っており、互いを牽制しているような気配があるところだ。
私としては、皆仲良くやっていきたいのだが……うーん。
「とりあえず建物を探して休もっか」
幼馴染であるニコラとアンナはともかく、アリスは他の二人との面識があまりにも浅い。いきなり仲良くというのも無理な話だろう。
直近の課題を丸投げ……もとい時間が解決してくれることに期待し、休憩所を探す。主要な都市を繋ぐ道中には、旅人のために雨風を凌ぐ簡易的な小屋が設置されていることがある。それを期待して周囲を探索すると、運のよいことにすぐに見つけることができた。
「これで四日連続のテントはなんとか回避ですぅ」
寝床に関して拘りがあるアンナは木製の小屋に入るなり、ほっと一息。
その様子を隣で見ていたアリスが荷物を下ろしながら突っ込む。
「何よ情けないわね。旅に出るなら野宿する覚悟くらいしてなさいよ」
「ええー? 自然と生きる長耳族にとっては野宿なんて当たり前かもですけど、人族からしたらこの時期の野宿なんて自殺と同じですよぉ」
「私も半分は人族だけどね」
「え? あっ、いえ別にそう言う意味じゃ……」
「別に良いわよ。慣れてるし、気にしてないわ」
たじろぐアンナにアリスがフォローを入れているが……本当に気にしていないのなら、そもそも訂正なんてしないような気がする。アリスがハーフエルフであることは既に周知の事実だが、アンナからすれば外見の違うアリスは、別種族というカウントなのだろう。それが発言の端に出てしまった、と。
「……私も野宿は流石にキツいかな。テントを持ってきてくれたニコラに感謝しないとね」
思わず二人の会話に乱入した私は、そっと話の流れを元に戻す。
「地図とかコンパスもニコラが用意してくれたのよね? 急遽用意したって感じでもなさそうだけど、準備していたの?」
「ん? ああ、そうだね。いつか旅に出たいと思っていたから。いつでも旅立てるように準備はしていたんだ」
「そうなのです? そんな話は初耳ですが……」
「準備はしていたけど、実際に行動へ移すのは学園の卒業後のつもりだったからさ、話すにしてもその時でいいかなって」
小屋に備え付けてあった暖炉に薪をくべながら、ニコラが笑みを浮かべる。
「人族以外の人種とか、国とか、そういうのに興味があってね。自分の身で触れてみたいってずっと思っていたんだ。まあ、そう思うようになったのはここ半年くらいのことなんだけど」
「……少数派ではあると思うけど、そう言う考え方は嫌いじゃないわ」
「ありがとう。だから、今回の旅は僕にとっても有意義なものにしたいと思っているんだ……それで、そろそろ本格的に目的地を決めたいと思ってね」
暖炉の火が燃え始めたところで、ニコラは備え付けのテーブルに地図を広げて私達を集める。それはこの世界の領土を示す、世界地図だった。
「その前にもう一度確認しておくけど……王国を離れることに異論はないね?」
話し始める前にそう前置きするニコラに、私は頷く。
それは騎士団に囚われているだろうイーサンを助けに行くかどうかという話だった。結論として、私は戻らないことを選択した。私にはやらなければならない世界規模の問題があるし、そうでなくても『色欲』の暴走は看過できないレベルにまで急速に発展してしまっている。一刻も早く私は吸血姫を見つける必要があった。それに……イーサンの覚悟を無駄にもできない。
イーサンがあの場にいなかったということは即ち、最後の最後まで抵抗したからだろう。そうでなければ私を誘い込む役はオリヴィアさんではなく、イーサンがやっていたはず。
そうしなかった理由も、たった一つしかない。
イーサンは命がけで私を逃がそうとしてくれたのだ。
推測でしかないが、幼少期から共に過ごした幼馴染のことだ、容易に想像ができる。ならば私は彼の想いを無駄にしないためにも進まなければならない。
それに亜人の隠匿は重罪ではあるが、即死刑となるほどのものではない。イーサンの問題はいつか解決するべき案件だが、今はこちらを優先する。
すでに方針を固めてはいても、一応の確認をしていたニコラだったが、私の意思が変わってないのを見て取ってか、改めて話を始める。
「ルナの目的を考えると、情報の集まる主要国家へ向かうのが一番だと思う。ここから行ける手近な国となると、グレン帝国かバレンシア聖教国かシン調和国だけど……それぞれにメリットとデメリットがあるね」
地図に示された三つの国家を、順に指差すニコラ。
「グレン帝国は獣人族や地人族が多く住む国で、人口も多い。情報は集まりやすいけど、その分、王国に僕らの情報が漏れる可能性がある。もっとも、王国を離れた後の僕達をそこまで血眼になって探し出すような真似を王国がするとは思えないけど……ちょっとした懸念ではあるかな」
すっ、と地図上の指をスライドさせたニコラが続ける。
「バレンシア聖教国は他種族が混在する宗教国家だね。潜伏しやすい国家であると言えるけど、『戒律』って言うその国独自の法律がちょっと変わっていて長期間の滞在には向かない点が難点だ。で、最後がシン調和国なんだけど……」
「王国とは逆に人族を排斥する長耳族至上主義の国家ね」
ニコラの言葉を奪ったアリスが、選択肢最後の国を指差す。
「自然と調和して生きるオールドタイプの国って感じかしら。先進性を重視する人族とは価値観からして真逆の国ね。長く生きる長耳族の国だから、他の国では見つからない古い情報が見つかるかもしれないけど、人種間の差別が、ね」
はっきりと口にはしなかったが、他の国と比べても人種差別が激しい国という意味なのだろう。そこは王国と同じ部分かもしれない。
「どこに向かうにしても、情報が見つかるかは運による部分が大きい。最終的な決定はルナに任せようと思うんだけど、みんなはどうかな?」
「アンナは異論ありませんっ! 他の国のことはよく分からないのでっ」
「私も別にどこでも構わないわ」
「ありがとう。ってことだけど、どうするルナ? どの国へ向かう?」
「ま、待って待って、いきなり話を振られても……」
どうしよう。他の国へ行くつもりではあったけど、どこへ行ってどう行動するとかはあまり深く考えてなかった。ニコラという参謀がいる以上、頭脳労働は任せるつもりだったのが仇となった形だ。
私が返答に困っていると、
「今すぐに決める必要もないでしょ。ここを出る時に改めて聞けばいいわ」
その様子を見兼ねてか、アリスが助け舟を出してくれる。
こういうところは長く一緒に暮らした経験のなせる機転だ。
「確かにそうだね。なら、結論は一旦保留にしようか」
「それなら今日はもう休みましょう。折角、屋根のある場所にいるんだもの。見張りは私がしておくから、皆は休んでていいわよ」
「そう? ならお言葉に甘えさせてもらうね」
態度には出さないが、旅道具を抱えて動いていたニコラ(代わりに持つと言っても譲ってくれなかった)は疲労がたまっていたのか、大きく伸びをする寝具を出して就寝準備を始める。
なんとなく、そのままの流れで眠りにつく準備をしたはよいものの……次の国についての結論が出てないせいか、なかなか睡魔がやってこない。
昔から宿題とか残したまま眠れないタイプだったんだよな、私……
「アンナ? もう寝た?」
「んみゅ~、お姉さまがそう言うのなら、そうなんだと思いますぅ」
「完全に寝てるねこりゃ」
誰かに話に付き合ってもらいたかったが、隣のアンナはすでに爆睡モード。気を使ってか、少し離れたところで独り寝ているニコラも寝息を立てている。
となると……
「あれ、アリスいないな」
立ち上がり、周囲を見渡すも見張りをしているはずのアリスの姿がない。
火元から安易に離れるとは思えなかったので、周囲を探してみると、
「アリス? 何してるの?」
玄関で雪の降る道を眺めているアリスを発見する。
「ルナ? 眠らなくていいの?」
「なんだか目が冴えちゃって……アリスはこんなところで何をしているの? 寒くない?」
「別になんてことはないわ。元々、寒さには強い方だから。これも長耳族の血ってことなのかしらね」
「そんなことは……いや、どうだろ」
元の世界でも、人種によっては平均体温が1度近く違ったりと、暑さ寒さに対する耐性は人種によって違った。外見からして大きく違うこちらの世界では更にその差は大きくなっていても不思議ではない。
「あんまり気にしたことがないからなぁ」
「……ルナはすごいわね」
「え?」
「吸血種って、長耳族以上に同種が見つからないでしょ? それなのに自分の種族に対して引け目みたいなのを感じていなさそうだから」
アリスのすごい、という表現が私にはピンと来なかったが、どちらかというとアリスが人種について気にし過ぎなような気がする。とはいえ、それをストレートに言うのもデリカシーがないので、
「うーん……どんな種族でも、私は私だからなぁ。アイデンティティの上位にそのステータスを置いていないというか……」
私なりの感覚を何とか言語化してみることにする。
口下手な私の説明を、アリスは真剣な表情で聞いていた。
「どんな人だって全く同じ人はいないわけじゃない? だとしたらそれら全ての人たちを人族だとか、長耳族だとかそういう括りにしちゃうのは大雑把すぎるかなって。もちろん、会話上のカテゴリとして使うのは良いけど、目の前の人をその分類として扱うのは失礼なような気がしたり……」
「…………」
「ごめん、私にもよく分かんないや」
「ううん。いいのよ。本当に気にしていない人って、そもそもその手の話題に頓着していないから結論なんて持っていないものだから。マフィもそうだったし」
「確かに、師匠はそう言うタイプだよね」
「頭では分かっているんだけどね。そう考えた方が良いんだって。でも、私はルナやマフィほどば……呑気にはなれないから」
「そこまで言うならもうバカでいいよ」
わざわざ言い直してくれたアリスだが、何を言おうとしたかくらいは分かってしまう。アリスが私と長い付き合いなように、私もアリスと長い付き合いだからね……なんかこれもバカっぽい思考だな。
「貶すつもりはないのよ。二人の存在には感謝してるから」
「それはついて来てくれた時点で分かってることだけどね」
アンナ経由で私の窮地を知ったアリスは、集合場所にいち早く駆けつけてくれたらしい。私が未来へ飛び立つ時に、見送ってくれなかったのにはそう言う事情があったというわけだ。
あの時は、アリスの姿がないことに残念に思ったものだが、そう言う事情だと知るとむしろ愛しさが増してくる。アリス、マジ尊し。
「でも、逆に言うとあそこまでしないと理解してくれてなかったってことでしょ? そこはちょっと不満だわ。それにいきなり人前であんなことまで……」
「あ、あれに関しては説明したでしょ! 吸血種の吸血欲求を誤魔化すために必要だった応急処置だって!」
頬を染めて、あの日のことを持ち出すアリスに私まで顔が赤くなる。
あの後、アンナの「私の方が先にヤってますからぁ!」という謎マウント発言やニコラの「やっぱりルナってそっちのケが……」という疑惑の目を掻い潜るのは大変だった。まあ、どっちもただの事実だからスルーしただけなんだが。
「だとしたら……これからもああいうことをしちゃうってこと?」
「いや、それは、出来れば迷惑はかけない方向で考えていますが、絶対はないと言いますか、私の理性次第と言いますか……」
「……私は迷惑とは思ってないけど」
「…………へ?」
「だから、ルナの種族的に仕方のないことだったら……私は別に、そういうの絶対嫌って訳じゃないっていうか、他の子にするくらいなら私にした方がいいじゃない? ほら、他の子の迷惑になるくらいならさ」
段々早口になるにつれ、頬の赤みが増していくアリス。
こ、これは……アレか!? アレなのか!?
「別に、私はどっちだっていいんだけどね!?」
出たー! アリスの「別に~だけどね!?」だあああああ!
絶対どっちでもいいと思ってないやつぅ!
というか、それってつまり……吸血衝動っていいわけさえすれば、いつでも好きな時にアリスにチューできるってこと!?
「アリス」
「な、なに?」
「迷惑じゃないなら。責任取ってね」
「へ? もしかして……来ちゃったの?」
「うん。来ちゃった」
アリスの顎先に指を添え、逃げられないように固定した私は……
まさかの二週連続でヤらかすという暴挙を達成してしまうのだった。




