第390話 人付き合いは天秤に似ている
「どうして──ニコラがここにいるの?」
目の前に現れた幼馴染の姿に面食らう私。
王都の学園で勉強を続けているはずのニコラが、こんな僻地に用事なんてあるはずもない。あるとすれば……
「イーサンから連絡を受けていてね。もしも自分の身に何かあった時は代わりにルナのことを助けてあげて欲しいって。詳しい話を聞くために連絡を取ろうとしたんだけど行方が知れなくなっちゃって……ルナは何か聞いてる?」
「いや、何も。私もイーサンとは会えてないんだ。約束してたんだけど」
「そっか」
ニコラがこの場所に来たのは、動けないイーサンの代理ということらしい。
「ある程度の事情は聞いてるんだけど、恐らくイーサンの身柄は騎士団が抑えているんだと思う。ルナに密告した件がバレたとか、そんなところじゃないかな」
「……ごめん」
「? どうして謝るのさ」
「ニコラはこうなる可能性が分かっていた。なのに、私は簡単に自分の秘密を打ち明けちゃったから……」
「別にルナの責任ではないでしょ。生まれを人は選べないんだから」
「…………」
だとしても、自分の行動の結果で誰かが不利益を被るというのは気分の良いものではない。それが私にとって親しい人物であるのならなおさらだ。
しかし……そうか、ニコラの視点でもそう言う結論になるというのならイーサンが騎士団に捕まったというのは恐らく真実に近いだろう。恐らくは私に情報を流したのがバレてしまったのだ。
だとするとイーサンの立場は現在、非常にまずいものになっている。
「ルナさ、イーサンのことを探しに行こうとか思ってない?」
「え?」
「その顔は図星だね。それは止めておいた方がいいよ。僕に伝言を残した時点でイーサンの考えは分かるからさ。ルナは今すぐにでも王都を離れた方が良い。それが結果的に周りの人を安全にすると思う」
「…………」
頭の良いニコラが言うのなら、そうなのかもしれない。
だけど、私の心は揺れていた。
「それに、僕らだって今さら引くに引けない状況なんだ」
「え? ……僕ら?」
「うん。とりあえず場所を変えよう。ここも、もしかしたら騎士団に知られているかもしれないし」
◇ ◇ ◇
王都の外れを流れる川沿いに建てられた掘っ立て小屋に案内された私は、ランプの灯りが漏れる扉に手をかけた。後ろを見ると、ニコラが頷くのが見える。
もったいぶった様子のニコラに違和感を覚えながら扉を開くと、
「残念! お姉さまの一番好きな色は黒でしたー!」
「ちょっと待ちなさいよ! それ本当に裏は取ってるんでしょうね! 適当言ってるんじゃない!?」
窓際のテーブルで、何やら熱い議論を交わしている二人の少女の姿が。
「ぐぎぎ……仕方ないわね。ルナの好きな色を把握していなかった私にも落ち度があるもの。それでルナクイズの勝敗は……」
「32勝31敗でアンナの一歩リードです!」
「わざわざ言わなくても分かってるわよ! 次で並んでやるからね!」
「ふふーん! あなた如きにできますかね! さあ、来なさい!」
テーブルに身を乗り出してまくし立てるのは、アンナとアリスだった。
二人とも私とは関わりの深い女の子たちではあるのだが……
なにこれ、一体どういう組み合わせなんだ? というかルナクイズってなんだ? 当てれば景品でももらえるのか?
「問題よ! ルナの一番好きな人は名前は……えっと、えー……アで始まる! 〇か×か!」
「〇!」
「正解! あ、正解しちゃった!」
マジで何やってんだろう、この二人。
「ちょっと待ってよ二人とも」
呆れる私の背後から、やれやれと言わんばかりの表情でニコラが現れる。
こんな事態にもかかわらず謎のクイズをしている二人にツッコミを入れてくれるのかと思ったのだが……
「その問題の答えが〇であるというエビデンスは? ソースはどこ?」
どうやら今日はニコラもボケたい気分らしい。
いや、本人のいたって真面目な表情を見るにボケたつもりはないのかもしれない。
単に天然ボケってだけで。
「というか続きは僕が帰ってからって言ったじゃん! 何勝手に進めてんのさ! ほら、ルナも連れて来たから一旦おしまい! また後日再戦ね!」
うん。何やってんだろうは、どうやら三人だったらしい。
「お姉さまっ! よくぞ御無事でっ!」
ニコラの言葉にようやく私の存在に気が付いたらしいアンナが駆け寄ってきて、私に抱き着いてくる。ふにふにとした柔らかな感触に押されていると、
「ちょっと何抱き着いてんのよ! ルナが嫌がってるでしょう!」
横から私とアンナを引きはがそうと、ボクシングのレフェリーのように両手で仲裁してくるアリス。そのまま、またやいのやいのと言い合いに発展しそうだったので、「ところで」と強引に話題を変えてみる。
「二人ってそんな仲良かったっけ?」
「え? はい、仲良しですよ。普通に」
「別に仲良しなんかじゃないわよ。この癖毛女が絡んでくるだけで」
正反対の反応を見せる二人だが、二人とも内弁慶というか、人見知りなところがあるのに距離感が近いところを見ると、相性自体は悪くないのかもしれない。
「またそうやって他人から距離を取る……前にも言いましたけど、そんなことでは誰もあなたの好意に気付いてくれませんよ? 好きなら好きとはっきり言うべきです。お姉さま大好き!」
「最後の言葉さえなければまっとうな台詞に聞こえたんだけどねぇ! 少しは雰囲気とか文脈を考えなさいよ!」
いや……やっぱり悪いかもしれない。すぐ喧嘩するじゃん、この二人。
というか……
「ちょっと待って、話を整理させて? 三人がここにいることに関して、私はまだ何も聞いてないんだけど。どういうこと?」
このままでは話が進みそうになかったので、私は一番の疑問を聞くことにした。すると、アンナとアリス、二人の視線がニコラへと向かった。
「簡単に言うとね、ここにいるのはイーサンとアンナから事情を聞いて集まったメンバーなんだ。ルナが王都を離れるのを手助けするためにね。より正確に言うなら、ルナについて王都を離れようと思ってる面子ってとこかな」
「え……?」
王都を離れる? つまり、それって……
「ちょ、ちょっと待って! そんなことしたらみんなの生活はどうなるの? 学園は? そもそも、私を逃がすってことは王国では罪になるんじゃなかったの?」
「うん」
「いや、うんって……」
困惑する私を前に、幼馴染二人は特に動揺した様子もなく話を続ける。
「学園を卒業できなくなるのは残念ですけど、どうせ国を離れるなら国内の肩書とか経歴なんてどうでもいいですからねっ!」
「僕も同じさ。得たい知識は在学中にあらかた修めているし。学問の本来の意義から考えるなら、僕にとって学園は既に必要な場所ではなくなっていたんだ」
私に心配させないようにか、大したことはない様子で語っているが、これは学生としての身分を失うなんて程度の話ではない。これはエルフリーデン王国という、この世界最大の国家での居場所を放棄することに等しい。
「だからって……もっとちゃんと考えなよ! 人生に関わることなんだよ!?」
呑気な二人の解答に、思わず口調が荒くなってしまう私に、
「……考えたさ。もう十分に」
ニコラは自分の中で折り合いをつけているのだろう。最初は私に否定的だった彼が言うのだから、説得力もある。どこか決意に満ちた様子に、以前、部室で言われた言葉を思い出す。
『安心して、ルナ。僕が必ず……ルナを人間に戻してあげるから』
本気……だったのだろう。ニコラがそんな冗談を言うと思っていたわけではないが……それでも、どこか信じ切れなかった。
「……ッ! アリスもなの!? 師匠のことは!? 師匠の夢のために、アリスの力が必要だったんじゃないの!?」
「マフィにはノアがいるから大丈夫よ。マフィの目的を考えると研究パートナーにはノアの方が適任だし、私は晴れてお役御免ってわけ」
アリスの口ぶりは、あんなに大切にしていた師匠すらもおざなりにするようなものだった。俗に言うなら、私を選んでくれたということなのだろう。だが……
「……嬉しくないよ。そんなことをされても。私は皆の人生をめちゃくちゃにしてまで助けて欲しくなんてない……」
言ってはいけない言葉かもしれない。
だけど、言わずにはいられなかった。
皆の好意が、私には重すぎたから。
気まずい沈黙に皆の顔をまともに見られず、下を向く私に、
「……私はね、ルナ。本当はずっとこうしたかったの」
アリスがそっと、寄り添ってくる。肩と肩が触れる程度の距離感で、密着する。
「あなたの肩を持ってあげたかった。あなたに寄り添ってあげたかった。でも、あなたは自分の意志でどんどん進んで行っちゃうから。だから……私はいつもあなたに置いて行かれてた」
「……え?」
ぎこちない距離感で、アリスが独白する。
アリスは意志の強い子だ。自分で自分のやりたいことを主張し、それに対して妨害してくる相手へきちんと抵抗できる子だと。だから、アリスが言う置いて行かれていたという言葉には違和感があった。
「あなたが未来に行くって言った時にね? 私、今度こそ一緒についていきたいって思ったの。だけど、あなたは一度もそんなことは求めなかったから……」
技術的にできなかったという問題はあったが……恐らく、アリスが言っていることはそういうことではないのだろう。
「私は、今度こそあなたについていきたい。あなたを一度突き放した私がこんなことを言える立場ではないかもしれないけど……」
言い淀んだアリスに、ふと顔を上げると、
「──私を、あなたと一緒にさせて欲しい」
見たことがないほどに顔を紅潮させたアリスが、震えるような声で私に懇願していた。よく見ると、私の服の袖の一部を握っている。力が弱すぎて、掴まれていることにすら気付かなかった。
少し身じろぎすれば、簡単に振り払ってしまいそうなほどに、弱い力。
その余りにも可愛らしい姿に、私は……
「────ッ」
どくんっ、と胸の奥が激しく脈動するのを感じる。
動悸が早くなり、呼吸が乱れる、熱でもあるかのように頭が重い。
これは……
(嘘だろ!? これ、『色欲』の発作か……!?)
未来の私の話では、成人してその欲求が生まれてくるまでまだ時間があるとのことだったが……アリスへの愛情が溢れた結果、それが早まってしまったのかもしれない。
(いや、今はそんな考察よりも……ッ!)
焦燥感に気が逸る。なぜなら……
──私は急速に膨らむ、喉の渇きを自覚し始めていた。
「アリス! ……ごめんっ」
「えっ……あっ、んんっ!?」
その欲求に支配される前に、私はとある行動へ移っていた。
これも未来の私から聞いていた、応急処置。子供の頃の私は、その感情の処理方法が分からず衝動的に良くこれを行っていた。大人になり、本来の繁殖方法を覚えた後でもその頃の記憶を辿れば、ある程度抑制できるだろうとのことだった。
つまり……
「んっ……んちゅっ……は、ん……っ!」
私は、人前で、強引に、アリスの唇を奪っていた。
いわゆるチュウである。
「──────────────!!」
アンナとニコラの掠れた声にならない叫び声が聞こえたような気がしたが、今はそんなことよりもこの欲求を抑える方が優先だ。早くしないと繁殖しちゃう。
(ダメだ! この程度では、収まりそうにないぞ……っ!)
肉体が成長したせいか、欲望に歯止めが効かない。
まずいっ、血が……欲しくなってきた……こ、こうなったら……!
「んんぅ!?」
私は奥の手とばかりに、アリスの腰に腕を回して固定し、より密着した姿勢でアリスの口内に、自らの舌を忍ばせる。所謂、ディープチュウだ。
「──────────────!!」
今度はアリスが声にならない悲鳴を上げる番だった。
それほどに今回の行為はあまりにもアダルティで、気持ちが良かった……
ここまでしたかいもあってか、吸血衝動が引っ込んでいくのを感じる。
よし……なんとか乗り切ったぞ! 私の勝利だ!
「…………はっ!」
落ち着きを取り戻した私は、冷静に周囲を見渡す。
両手で目元を隠しながらも、指の隙間からこちらをばっちり見ているアンナ。
大口を開けたまま真っ赤な顔で呆然としているニコラ。そして……
「きゅぅ……」
ぐるぐると目を回し、ぐったりと私の腕の中で脱力するアリス。
これは……ぜんぜん乗り切れてないかもしれないね。




