第388話 剣と拳
地面に飛び散る紅い鮮血。
一年経った今でも夢に見る。レイチェルが死んだあの日のことを。
私が弱かったせいで、守れなかった。全ては私の責任だった。
自分が傷つくだけなら構いはしなかった。どれだけ痛めつけられようと、最悪死んでしまっても、大切な人が守れるのならそれでいいと思っていた。でも、この世の中には私よりも強い人がいて、誰かを守るというのは自分を守るよりもはるかに難しいことなのだと実感した。
だから、私は強さを求めた。一年間、未来で自らを研鑽し続けた。
もう、誰にも負けないように。
もう、誰も失わなくてすむように。
その結果……
「──『国崩』ッ!」
放たれた魔力の奔流は周囲の建物を壁ごと削り取り、吹き飛ばす。
両端の建物を瓦礫に分解し、まるで街中にいきなり竜巻が現れたかのような暴風をまき散らす。
ドドドドドドッ! という土砂崩れを思わせる轟音に、冷や汗が出る。
あれ? ……もしかして私、やっちゃった?
イメージとしては近寄るオリヴィアさんを吹き飛ばせるぐらいのつもりだったのだが、思ったよりも近くの建物にも被害が出てしまった。収束が甘かったのか、放射状に力が分散してしまったせいだ。
「……お前、本当にルナか?」
そのせいで、本命のオリヴィアさんも戦線離脱というほどのダメージは負っていない。せいぜいが地面を転がった時にできた擦過傷程度のもの。まだまだ修行が必要なようだ。
「それ、どういう意図の質問?」
「…………」
語る口はない、か。まあでもオリヴィアさんの言いたいことは分かる。
彼女の視点では一ヶ月かそこらの短時間で幾つもの新魔術を覚えていることになる。実際は一年の期間があるわけだが、それにしたって早い方だ。脅威と思ってもらえるなら、精神的な優位に立てるので悪くはない。ここはオリヴィアさんの中で肥大化しつつあるであろう私の威を借りるとしよう。
「そう言えばさっき、私を殺すのは骨が折れるとか言ってたっけ」
「……それが?」
「いやさ、いつでもそうしようと思えばそうできるって言ってるように聞こえてさ……私とおんなじことを思ってたんだなって」
同時に『威圧』スキルを発動し、言葉に圧を付け加える。
「──一体どっちの見立てが間違っているんだろうね?」
私の問いに、オリヴィアさんは無言で剣を構え、こちらに向けて走り出す。
戦意喪失してくれれば儲けものだったのだが、このレベルの人には通用しないか。だが、その突貫には焦りが見えるぞ。
「黒砲──『国崩』」
先ほどよりも指向性を意識した魔力を放つ。
既に純正の運動エネルギーに変換された魔力は白魔術をもってしても、完全に打ち消すことはできない。故にオリヴィアさんに出来ることは回避のみ。となれば……
「…………ッ!?」
足場の悪い左右ではなく、上空へ移動すると思っていたよ。
単調な動き、やはり焦っているな。決めるならここだ。
「大黒天──」
空中で迫る私に、振り上げる軌道で迫る白刃。
慣れない姿勢でも咄嗟の反撃にでれるのは一流の剣士の証だ。
だが……
「……は?」
振り上げられた剣の中ほどを、足の親指と人差し指で挟みこみ、完全に静止させる。こんな無茶苦茶な方法で剣を止められたことなど今まで一度もなかったのだろう。オリヴィアさんは珍しく、驚きの声を上げていた。
未来の私から教わった相性の悪い相手、それは白魔術を使う剣士だった。故に、その対策は万全とまではいわないまでも十全に行ってきた。
トップスピードに乗る前の剣閃なら、吸血種は見切る。
「──『魔天廊』」
空中で更に一歩、オリヴィアさんに踏み込み……ズドンッ! という重たい衝撃音と共に、彼女の腹部に掌底を叩き込む。魔術による行動はすべて白魔術で解除される可能性がある。故に挑むべきは徹底的な肉弾戦。
素手と剣の戦いにはなるが、その不利は身体能力で押し切ればいい。
「ッ……!」
込み上げる激痛に歯を食いしばって耐えるオリヴィアさんは、受け止められた剣を手放し首の後ろに手を回す。そして……シャランッ! と鞘を削る音を立てながら服の下に隠していたらしい直剣を抜き放つ。
予想外の二振り目の登場だったが、『集中』スキルによるスローモーションの世界ではすべての動きが緩慢だ。
振り下ろされる剣を前に私は……
「どうやら、間違っていたのはあなたの方だね」
空いていた左手でオリヴィアさんの右手を掴み、強引に動きを止める。攻撃も回避も不可能な体勢のオリヴィアさんに……ズドンッ!
二度目の掌底を叩き込む。
「────っ」
白目を剥いたオリヴィアさんの身体がぐらりと揺れ、地表に向けて頭から落下していく。あのまま地面に激突したら首の骨を折って死ぬだろう。
流石に死ぬところを見逃がすほどの敵意はないので、魔天廊で空中を駆け、オリヴィアさんの身体をキャッチ。そっと地面に着地して彼女の身体を横たわらせるのだが、
「いたぞ! こっちだ!」
先ほどの破壊音のせいか、騎士団が集まってきてしまった。
「隊長から離れろッ!」
更に気絶したオリヴィアさんの姿に激高したらしい騎士が私に向けて迫ってくる。明らかな殺意を感じる言動だ。これ以上危害を加えるつもりもないのに。
「ああ、もう……ちょっとは話を聞いてくれないかな?」
面倒だと思いつつ、首元、胸元、太ももと急所に迫る剣を同時に『天覇衣』で防ぐ。白魔術のかかっていない剣なんて私にとっては棒切れと変わらない。
「くっ、この……!」
だというのに、騎士たちは何度も何度も私に向けて剣を振り続ける。
眼球に向けて突かれた切っ先を指先で掴み取り、力任せに折ってみせると目の前の騎士はあからさまに青い顔を浮かべた
「怯むな! 隊長の仇だ!」
「いや、殺してないけどね?」
無罪をアピールしてみるが、言葉が通じていないのでは? と疑いたくなるほどに私の声は無視される。もう完全に彼らの中では私は言葉を喋る怪物らしい。
なら……もう、いいか。
話が通じないなら、力に訴えるしかないだろう。
「黒砲──『国崩』」
右から迫る剣を左手で掴み取りながら、左に向けて右手で魔力を放つ。
吹き飛ぶ兵士を尻目に、反対側の騎士全員を視界に収めた私は……
「大黒天──『天影糸』」
十数人の騎士を同時に拘束し、動けなくする。
それだけでろくな攻性魔術を持たないであろう剣士は無効化できる。あとは慎重に首を絞めて意識を飛ばすだけ。手加減しやすいのも影糸の良い所だ。
「さて、と……まだやる?」
国崩で吹き飛ばした兵士に視線をやると、気合の入った騎士が剣を支えに立ち上がるのが見えた。とはいえ、彼我の戦力差はすでに実感しているのか向かってこようとはしない。
「この……化物が……っ」
「……まあ、否定はしないよ」
ぽつりと漏れた騎士の言葉の刃が、今日一のダメージかもしれない。
額から伸びた漆黒の角、血のように紅い瞳。悍ましいと感じる人は少なくないだろう。だが、面と向かって言われると辛いものがあるね。
もう、ここに用はない。時間稼ぎも十分できただろう。あとは……
「……ま、待ちなさいっ!」
路地裏を立ち去ろうと足を向けた私に、表通りから甲高い声が聞こえてくる。
「事情は分かりませんが街の治安を守るのも貴族の務め! 騎士団にご助力いたしますわ! さあ、悪者様! 大人しくお縄におつきくださいませ!」
どこか上ずった声で、指先をこちらに向けるように立ち塞がる少女に、私は見覚えがあった。そして、それは向こうにとっても同じだったようで……
「え……ルナ、ですの?」
一目見て、私に気が付いたのは私にとって大切な友人の一人だった。
桃色の髪を靡かせ立つ少女……カレン・ヒューズがそこにいた。




