第387話 騎士と勅命
次の日の夕方、私は師匠の家の屋上で周囲を観察していた。
騎士団の動きを観察するためだ。季節は冬ということで、日差しも幾分か柔らかくなっているのが救いだね。これが真夏だったら照り返しで死んでいたかもだ。
「……ん、来たか」
西側の通りから甲冑を見に包んだ一団が現れる。街中で甲冑なんて着ているものだから目立って仕方がない。周囲の人たちもその物々しい雰囲気に後退っているのが見える。
「さて、と」
腰に手を当て立ち上がり、周囲に広がる王都の街並みを眺める。
思えば、この街には随分とお世話になったものだ。魔力制御の修行のために師匠の家に来たのが最初だったか……今では第二の故郷のように感じる。
今日の展開次第では、私はもうこの街にいられないかもしれない。
吸血種……この国では亜人と呼ばれる人族以外の種族には人権がないからだ。
アリスのような特例もいることから、交渉そのものは不可能ではないと思っている。だが、口下手な私にそれがどこまでやれるか……
「お?」
騎士団の動きを見下ろしていた私は、先頭に立っている人物に見覚えがあることに気が付いた。オリヴィア・グラウディウス、私にとって戦友とも呼べる人だ。
少し気持ちが上向いた私はそのまま屋上を飛び降り、彼女の前に立つ。
後ろの騎士団のメンバーは私の突然の登場に驚いている様子だったが、オリヴィアさんは眉一つ動かさない。むしろ、私の登場をどこか悟っていた様子だ。
「お久しぶりですね。オリヴィアさん」
「ルナ……今日はお前に用があって来た」
「そうなんですか?」
騎士団の行動をイーサン経由で知ったことを隠すため、私は渾身の演技でとぼけて見せる。私の大根演技が通じたのか、
「実はあまり良くない知らせだ。聞いてくれ」
オリヴィアさんは特に気にした様子もなく、胸元から一通の手紙を取り出す。
「国王様からの勅命だ。その正体を隠し、王都に潜伏していた罪深き亜人を捕らえよとのことでな。心当りはあるだろう? 悪いようにはしないからついて来て欲しい。お前とは争いたくないのでな」
ひらり、と紙の内容がこちらに見えるように一瞬だけかざした後、すぐに元の場所に紙を戻したオリヴィアさんは私に道を譲るように体を横にずらし、手で招いてくる。
「争いたくないのは私も同じです。オリヴィアさんのことは信用していますし、従います。ただ……その前に一つだけ、聞いてもいいですか?」
「もちろん。なんだ?」
「あなたからする『その血の匂い』、一体誰のものです?」
目の前に立ってすぐに分かった。オリヴィアさんから香る血の匂いに。
「ここに来る前に誰かと戦いました? 怪我をした様子はないですし、返り血ってことになるんですかね。綺麗にふき取ってはいるみたいですが、すぐにわかりましたよ。それで別の話になるんですが……あなたの弟子は今、どちらに?」
イーサンは別れ際に、私が騎士団と対面する時は必ず同席すると約束してくれた。何があっても傍にいると、そう言ってくれたのだ。
なのに……
「──答えろよ、オリヴィア・グラウディス」
周囲にイーサンの姿はなく、オリヴィアさんは私に対して嘘をついた。
彼女が取り出した紙には確かに国王からの命令が書かれていた。ただし、その文言は捕らえよなんて生ぬるい命令ではなかった。そこにはただ一言、殺せ、とだけあったのだ。一瞬なら見えないと思ったのだろう。ここで、彼女が私に対して嘘をついた理由なんて……一つしかないだろう。
「百花繚乱──」
私の間合で、オリヴィアさんが剣の柄に手をかける。
「──『風閃華』」
横薙ぎに振るわれた一撃は空気を切り裂き、私へと迫る。
だが、その全てが私には見えていた。
「……残念です」
跳躍した私は、斬撃の射程距離から逃れるために上へ上へと駆けあがる。
周りからは私が空中の見えない階段を駆け上がる様に見えているだろう。
「大黒天──『魔天廊』」
かつてヴォルフとの戦いの中で生み出した、足場を作る魔術を私は実用レベルにまで昇華していた。これも『ノアの箱舟』の理論を応用した、射程無限の技。
この場面のように、逃げるにはうってつけの技だ。
だが、この魔術を使用するにあたっての弊害もあった。
「あ、あの、角……ッ! 本当に吸血種だったんだ!」
交渉が失敗した時のために、私は『吸血』スキルをアンナの血で発動させておいたのだが、その外見を隠すための『変身』スキルを解除せざるを得なかった。
他の魔術と、『変身』スキルの併用はできないからね。元々、バレてしまっているなら構わないかと用意しておいたのだが……あの騎士の反応を見るにしらを切り通す策もあったかもだ。まあ、それも今さらなのだが。
「怯むな! 追え! 絶対に逃がすんじゃない!」
下でオリヴィアさんが部下と思われる騎士に指示を出しているのが聞こえる。
その後、ズドンッ! という地面を震わせるような音に振り返ると、なんとオリヴィアさんが建物の壁を走りながらこちらに迫っていた。
見ると、剣を器用に使って壁を突きながら力の方向を維持しているらしい。
とてつもない身体能力……いや、技巧か。
「騙し討ちを狙っていたことは許しますから、見逃してくれません?」
「悪いがそれは出来んッ!」
近くの屋上に足を付けたオリヴィアさんは加速する。
身体能力だけで言えば吸血モードの私の方が上だろうが、足場が悪い。
このまま距離が詰まればいずれは追いつかれる。ならば……
「影法師──『影槍』」
タイミングを計り、射程距離に入ったところで『魔天廊』を解除。
地面に背を向け、落下しながら私は空中で『影槍』を放つ。
高速で撃ちだされた漆黒の槍に対し、オリヴィアさんは切っ先を合わせるように突き出す。ギンッ、という金属のような衝突音を響かせて、剣と槍その切っ先が横に逸れていく。うまく流されたな。
「乾坤一擲──『百花蝶』!」
更にそのまま突き出した姿勢のまま、魔力による突きを繰り出してくる。
防御から攻撃に転ずる動きに無駄がない。心臓を狙った一撃に私は、
「影法師──『天覇衣』」
影糸を展開しガードする。だが、斬撃は防げても衝撃までは防げず……
──ドゴォオォォォォォオオオオッッ!!
叩き落されるように、空中から地面に押し出される。
きちんと防いだうえでもこの威力とか、ちょっとふざけてるな……
「少し、強くなったか?」
私に続き、地面に降り立ったオリヴィアさんが私を見下ろしながら言う。
この場所……どこかの路地裏か、狭い空間では彼女の斬撃を防ぎにくいな。
もしかしたら狙ってこの場所に叩き落したのかもしれない。
「やはりお前とは戦いたくないな。お前を殺すのは骨が折れそうだ」
「……だからって騙し討ちは卑怯じゃないですかね?」
「必要であればするさ。不要であれば進んでしはしないがな」
先ほどから卑怯な戦法であることを強調して、心理的な動揺を狙ってみるが……どうやら効果はほとんどゼロみたいだ。
「お前の処遇に関しては王国の上層部に直訴もした。お前に対して不義理なことはしていないと断言できる。故にこそ、私は職業人としてお前を斬れる」
「私のために? それは嬉しいけど……すごい割り切り方だね」
「人を殺す職だ。割り切らねばやってはいけん」
言いながらこちらに歩み寄るオリヴィアさんの剣が、白く発光する。
あれは武器に流す纏魔、魔法剣の光り方だ。見たところ光系統の魔力を流している……つまり、私の持つ魔術を解除して斬るつもりなのだろう。
あれは私の『天覇衣』でも防げない。最強の盾って触れ込みだったのに……
「この勅命に対しても思うところはある。直訴を行ったのは私だけでなく、オスカー殿もだったからな。私はともかく、かの御仁の意見を無視するとは……」
「オスカー……グラハムさんが?」
「王国がどうしてここまで頑なに他人種を排斥したがるのか、私には理解できない。だが、理解する必要もない。騎士とはそういうものだからな」
私に対する弁解のつもりなのか、珍しく冗長に語ったオリヴィアさんが、
「悪いが、死んでくれ。ルナ・レストン」
私に向けて、距離を詰める。構えた剣から流れる魔力の波動。
あの剣に対し、魔術は通用しない。ならばどうする?
その問いに対する答えを、私は既に用意していた。
「…………?」
オリヴィアさんに向けて人差し指を突きだす。
まるで子供が銃を模した指先で誰かを脅すように。
魔力の見えない人族には、分からないだろう。
私の指先に集まる魔力の奔流が。
「まだ、加減が苦手なんで、うまいこと防いでくださいね」
私が過ごした未来での一年、基礎的な体術の向上、影糸の運用方法の開発、魔術制御の熟練……そして、新魔術の修得。私は未来の私から、一つの魔術を教わった。彼女も使っていた、最強の盾と対を為す魔術。
すなわち──
「黒砲……」
極限まで収束、圧縮した魔力を撃ちだす魔術、
「──『国崩』ッ!」
未来の私から習った、最強の矛であった。




