第381話 バイバイ
私が未来の世界を訪れてから、一年の月日が流れた。
一年。それが私が女王から全てを継承するのにかかった時間だ。
その間にも、女王の座を奪おうと画策する吸血種が現れたり、未来からノラの子孫を名乗る少年がノラを殺しに来たり、予想外の事件が何件か起きてノラや未来の私と共に解決に奔走したりもしたのだが……それは割愛しておこう。
「この一年でお前に必要な情報は全て教えた。あとはお前次第だ」
過ぎ去った時間の中で、女王からは多くのことを教えてもらった。
ティナを救えるにたるであろう医療技術、これからの時代に対応するために必要な戦闘技術、そして何より重要な吸血種という種族について。
「この時代にこれほど多くの吸血種がいることを疑問に思っただろう。その疑問の答えは簡単だ。とある吸血種が見境なしに同族を増やし続けたことに起因する。その吸血種とは……まあ、私なんだが」
女王は恥ずかしそうにその過去を打ち明けた。
「吸血種の血を人の体内へ入れれば吸血種にすることもできるが、それは正規の繁殖方法ではないんだ。吸血姫、と呼ばれている最古の血を持つ吸血種は『吸血』スキルを発動させた相手を自らの眷属……要は同じ吸血種にすることができる。ただし、『吸血』による繁殖能力だけは継承せずにね」
女王の話では、吸血姫と呼ばれる存在のみが自由に人を吸血種に変えることができるのだとか。元は私も一介の吸血種に過ぎなかったわけだが、なぜか未来の私はその吸血姫とやらの能力を引き継いでいるらしい。
「その辺の話をするとややこしくなるんだけど……まあ、吸血姫の能力も継承できると思ってくれたらそれでいい。で、ここからが肝心なんだけど私の吸血姫の能力を君に継承しようと思う。理由は単純で、過去に戻った君にやって欲しいことがあるからだ。私の代わりに、ね」
過去へ戻ることを諦めた私のせめてもの願い。
叶えてやりたいとは思った。
「君には……過去の時代にいる吸血姫を探し出し、始末してもらいたい」
──その肝心のお願いの内容が、こんなにもぶっ飛んでいるものでなければ。
「理由はちゃんとある。君の生きた時代における吸血姫は既に狂ってしまっていてね。誰かが対処する必要があるんだ。それができなかったからこそ、今の時代に突入してしまったともいえる」
この国の歴史書では読み取ることのできなかったこの世界の過去。
千年前の出来事を知る、唯一の生き証人として女王は語った。
「その吸血姫はな、たった一人で七種の種族を絶滅させた」
到底信じることのできない、嘘みたいな歴史の話を。
「イヴ、それが必ず殺さなければならないこの世界の敵の名だ」
千年の時を経ても尚、女王が覚え続けていた唯一の名前。
イヴ──それが私の時代に生きていた吸血姫の名前らしい。
「吸血姫には吸血種を意のままに操るスキルがある。まあ、『魅了』スキルの派生能力のようなものだ。故に、吸血姫に対抗するためには吸血姫の力が必要になる。それを君に与えよう。継承は簡単で、君が私の血を吸うだけでいい」
継承の方法は分かったのだが、そんな強力なスキルがあるのなら、それを使えば私に簡単に勝てたのでは? と思ったが、女王は私には使えなかったらしい。
「それがどうも君にはそのスキルが適応されないようでね。自分自身には適応されないのか、それとも自分が直接作った眷属にしか適応されない能力なのか……理由は分からないけど、過去でも同じように吸血姫のスキルへの対策をする必要がある。それが自分自身を吸血姫にして、同格の力を得ること」
難しい話で、私にはそれをする必要性がイマイチ理解できなかった。
だが、そんなことは女王には百も承知だったようで、私にも理解できるように理屈ではなく体験からその必要性を教えてくれた。
「血の支配からは誰も逃げられないんだよ。現に吸血姫となる前は、『吸血』スキルを発動した後に不思議な感覚があった。自分が自分でなくなるような感覚がね」
それは私にも覚えがあることだった。
血を吸った私を私は吸血モードと名付けたが、その状態の私はかなり好戦的な性格に変わって、言動もどこか攻撃的になっていた覚えがある。
とはいえ、それも昔の話だ。最近の吸血モードにその感覚はなくなった。
そのことを告げると、女王は眉を寄せてみせた。
「……おかしいな。そんなはずはないんだが。まあいいか」
女王は適当だった。分からないことは深く考えない性格なんだよね、私って。
「とにかく、吸血姫を殺すことは戦争を激化させないために必要なことだから必ず遂行して欲しい。それと同時に戦争を起こさないための行動も。具体的には死なせてはいけない人間が何人かいる」
ノアのことだと思ったが、女王の話を聞くにそうではないらしい。
「確かにノアの死は私が呪いを受ける原因でもあるから死なせるわけにはいかない存在ではあるけど、それとは別に戦争の原因になった死がある。まずはそっちから対策しないと」
戦争の引き金となる程の大人物。
女王の頼みがなくとも気にはなる。
「私とも関りがあったはずの人物なんだけど……すまないが断片的な記憶でしかなくてね、詳細については忘れてしまったがその人物が教科書に載るレベルの偉人の孫だったのは覚えている。なのでここに資料を用意した」
とある偉人の孫、と言われてもまだ私にはピンと来ていなかった。
そもそもこの時代で偉人だったとしても、過去でもそうだとは限らないからだ。
私の疑問に、女王はそれもそうだと前置きし、その偉人の名を口にした。
「オスカー・グラハム。この名前に聞き覚えはあるか?」
◇ ◇ ◇
「ルナ、準備は出来た?」
「うん。いつでもいいよ」
私は見覚えがあるようでない魔法陣の上で、これまたどこかで聞いたことのあるようなやり取りをしながら深呼吸していた。
ついに私の過去への時間跳躍が始まろうとしていた。
ノラは『ノアの箱舟』の術式解読をたった半年で終了し、さらに二ヶ月で術式を改良してしまった。天才としか言いようがないと研究者の人たちは語っていた。私にはそれがどれくらいすごいことなのか、感覚的にしか分からないけれど、ともかくノラは約束を守ってくれたのだ。
私を過去に帰すという、かつての約束を。
「し、失敗しないといいけど……」
「こんな直前に不安になるようなこと言わないでくれる?」
ノラの話では、時間跳躍に失敗すると零次元とノラが定義したこの世のどこにもない場所に飛ばされる可能性があるとか。いや怖ぇよ。
「えと、や、やっぱりもう少し術式を改良してからにしない?」
「ええ……」
ことここに至り未だに踏ん切りがつかない様子のノラに思わずため息が漏れる。
「悪いけど時間があまりないからさ、これ以上は待てないかな」
女王から吸血姫の能力を継承した私は、とある事情からタイムリミットが定められていた。その件についてはノラにも報告しており、理解はしてくれているはずなのだが……
「でも、もし失敗したら……」
ノラは魔術の失敗を恐れているようだった。
確かに今まで一度も使ったことのない術式だから不安になるのは分かる。それも自分自身ではなく、私の命がかかった魔術行使だ。ノラの性格上、緊張するなという方が無理だろう。
だが、それでももうやるしかない。
私に残された時間はあと数年しかないのだから。
「ノラ」
「ん、な、なに?」
「私はノラがすごい魔術師だって知ってる。ノラに無理なら、きっとこの先他の誰にもできないだろうってね。だから、私は私の命をノラに預けたい」
私が過去へ帰るなら、その切符を切るのはノラの役目だ。
「私を助けてくれ、ノラ」
私は私一人では行きたい場所へ行くこともできないのだ。
だから、お願いする。最も信用している友人へ。
「…………うんっ!」
私の頼みに、ようやく覚悟が決まったのか詠唱を始めるノラ。
ほっと胸を撫でおろす私の視線の先、ノラの背後にいる女王が私に向けてすっと拳を掲げて見せる。それは彼女なりのエールなのだろう。それか命令か。
──きちんと守って見せろ、と。
そう言われたような気がした。
この一年の間に、彼女からは何度も話を聞いた。
彼女の想いの一部は今の私にも継承されている。
彼女から渡された吸血姫の力と共に。
(ああ、分かってるよ)
千年前の戦争で多くの人が死んだ。
その中には私の大切だった人もいたという。
(──戦争さえなければ)
過去を変えるこの行為の善悪は測れない。
判断する基準も、前例もないからだ。
だけど、モノの善悪なんてそもそも私に興味はない。
ただ、大切な人たちが守れればそれでいい。
密かに決意を漲らせる私に、
「ルナ」
詠唱を終えたらしいノラの声が聞こえる。
その声は若干震えており、ノラの目元には涙が溜まっていた。
「──バイバイ」
その言葉を聞いた瞬間、私の視界が色彩に覆われ始める。
この時代に来るときと同じ現象。思えばこの時代に来ることができたのも、ノラのおかげだった。ノラという存在がいなければ私はどこへ行きつくこともできず、ノラの言う零次元とやらを彷徨い続けていたかもしれないのだ。
だから……ありがとう、ノラ。私を助けてくれて。
込み上げてくる想いに、不意に涙が零れそうになる。
もらい泣きってやつだろうか。言いようのない気持ちに襲われる。
もしも私が過去に帰ることを諦めていたら、女王に敗北し彼女の要求を呑まざるを得なかったなら……この時代を生きる未来があったなら。
きっとその隣にはノラがいたことだろう。その関係性にどんな名がついたかは別として、良きパートナーとして隣にいたことは予想できる。
未来は分岐する。
そのことを知ってしまった私はつい、考えてしまうのだ。
あり得たかもしれない未来の話を。
だが、私は勝った。勝って、過去に帰ることを選んだ。
例え未来が複数あったとしても、選べる未来は一つだけ。
だから……
「──バイバイ、ノラ」
私は溢れる涙を押し留め、そう告げるしかない。
男の子だからね。涙は決して見せてはならないのだ。
◇ ◇ ◇
「う……ぐ、ぁ……」
激しい頭痛と嘔吐感、二度目となっても慣れないこの感覚。
だが、この痛みは時間跳躍が成功した証でもある。
「ここ、は……っ」
改良型の『ノアの箱舟』は従来の術式と違い、着地点となる視点が存在しない。
故に、今回の時間跳躍では、私が既に行った時間跳躍を逆行させる形で術式を起動させることになった。
「……ルナ?」
霞む視界の端で、驚愕に目を見開く少女……ノアの顔が見える。
そう、逆行とは則ち、私が行ったノアからノラへのパスの逆ルートを行くということ。ノラの視点からノアの視点へそっくりそのまま送り返す形での時間跳躍となったわけだ。わけなのだが……なんかやけに視界に靄がかかる。
(まさか術式の影響で視力に異常が……?)
予想しない状況に慌てる私を前に、突然ノアが立ち上がる。
「な、なんダ、お前、一体どこから来たっ!? というかなんで今……っ」
突然、私が現れたことにノアも驚いている様子だ。まあ、それはそうだろう。
(まずは説明と状況確認を……)
動こうとした瞬間、私は大きくバランスを崩してしまう。
そして……バシャァァァッ! と派手な水音が周囲に響く。
どうやら私は水場にいたらしく、それで足を取られてしまったようだ。
バランスを崩したせいで水……というかお湯を少し飲んでしまった。反射的にパニックになりそうな気持を抑え、掴まれるものを探して手を伸ばす私。
──ふにゅん──
柔らかい感触を掴むと同時に水面から顔を出す。
どうやら水深はそれほどでもなかったらしい。
ほっと一息ついた私の眼前には……
「~~~~~~~~~!」
なぜか顔を真っ赤にしたノラの姿があった。
だが、その理由もすぐに分かった。なぜって? それは簡単さ。
ノ ア が 全 裸 だ っ た か ら !
「る、ルナ、お前っ、いくらなんでもこんないきなりは……っ」
「はぁ、はぁ……っ、ノア、はっ、はぁっ……話、を……はぁっ!」
入浴中のノアの元へ跳躍してしまったらしい私は、息を整えながら事情を説明しようとするのだが……
「というかいつまで触ってるんダっ!」
顔を真っ赤にしたノアのアッパーカットが綺麗に私の顎を捉え、視界にお星さまが飛んでいく。無我夢中でよく分かっていなかったけど、私は一体どこを触ってしまったんだろう……薄れゆく意識の中で、私はそんなことを思うのだった。
第七章「未来篇」は本エピソードをもちまして完結となります!
次章のエピソードの投稿予定は2025年春頃を予定しております!
進捗に関してはXでご報告していることもあるので、良ければご参考くださいませ!
最後に、ここまで読んでくださった皆様に最大限の感謝を!
本当にありがとうございます!
X(旧Twitter)アカウント▶@akino_nisiki




