第380話 優しさのすれ違い
閑静な住宅街をノラと二人で並び、とろとろと歩いている。
私にとっても既に見慣れた街並み。案内されるまでもなく目的地へ向かっているのだが、近づくにつれノラの進む足はどんどん重くなっていく。目的地に到着する頃には亀にも追い抜かれるのではないかと思うほどだった。
「ルナ、チャイムを押してくれないかな?」
しまいにはそんな情けないことを私に頼みだす始末。
「なんでさ。自分の家に帰るのにチャイムなんて必要ないでしょ」
「それは……そうだけどさぁ……」
私達が向かっていたのはハーバー家の邸宅だった。百八番街で過ごすにあたって、ここ以外に帰る場所など私達にはない。両親に顛末の説明も必要だしね。
「うう……ルナ、先に行ってくれない?」
「はぁ……『私は今まで逃げてきたものと正面から向き合いたい』(キリッ)」
「あうっ……!」
「『大丈夫、もう決めたことだから』(キリリッ)」
「あーん! それ以上は言わないでぇ!」
私が数時間前のノラの言葉を声真似すると、泣きそうな顔でその場に崩れ落ちるノラ。啖呵を切ってみたはよいものの、実際に向き合う段になって怖気づいてしまったらしい。うーん……成長、してなかったかも。
「ほら、もうここまで来ちゃったんだから覚悟を決めなよ」
「うぅ……」
地面に膝をつき、ノラは頭を抱えてしまう。こちらも頭を抱えたい気分だ。とはいえノラの気持ちも分かるけどね。私だって、レイチェルの一件以来この家には帰っていない。両親たちとなんと話せばいいのか分からないのは私も一緒だ。いやもう本当に……何を話せばいいんだろうね?
「……また今度にする?」
「……うん、それがいいかも」
ヘタレは二人ともだった。先送りにしたところで解決にはならないというのに。
負傷兵を回収する衛生兵の気分でノラに肩を貸そうと近づいたところで……ガチャリ、と玄関が開く音がする。視線を上げると、そこには驚いた表情の父親が立っていた。
「ノラっ!」
彼はノラの名を呼ぶと、地面に蹲るノラに駆け寄ってくる。
「どうした!? どこか怪我しているのか!?」
「えっ……あ、いや……大丈夫……」
「本当か? お前は具合が悪くてもすぐに隠すからな、ちゃんと診せてみなさい」
蹲っていたノラを調子が悪いのだと勘違いしたらしい彼は、ノラの体の無事を確かめるとほっと一息胸を撫でおろした。そして、
「はぁ……お前が無事で良かった」
本当に心の底から漏れ出たように、しんみりとした口調でそう言った。
「それで一体何があった? どうして家に帰って来なかった? ああいや、先に家に入ろう。お腹は空いてないか?」
矢継ぎ早に質問しながらノラを立ち上がらせた父親と、そのタイミングで目が合う。彼はそこで初めて私の存在を認識したようだった。
「……君にも話を聞かせてもらうべきなのだろうね」
私のことは街の中で噂になっていたとクロナ神父が話していた。私が吸血種で会ったことは既に知られているのだろう。どこか厳しい視線だった。
「いえ……私から言えることは一つだけです」
受け入れられることはないだろうと判断した私は、一つ頭を下げる。
「……娘さんを守ってあげられなくてすみませんでした」
「────ッ」
頭上で息をのむ雰囲気を感じる。もしかしたら私は今度こそぶん殴られるかもしれないが、それでもいいと思った。それが私に対する罰だから。だが……
「……君のせいではないだろう」
いつまで経っても予想した展開はやって来なかった。頭を上げると、父親は眉を寄せ、悲痛の表情で私を見ていた。
「こんな社会だ。いつ誰が死ぬとも分からない。特に娘は吸血種の方々の目に付く機会の多い仕事をしていた。こんな日がいつか来るかもしれないと覚悟はしていたさ。それでも……私より先に逝って欲しくはなかったが」
「……すみません」
「謝らないでくれ。私は全てを君のせいにはしたくない」
彼が心の底では私のことを恨んでいるのはその一言で分かった。それと同時に許したいと思っていることも。人の心は単純な一言では語れない。色んな感情が渦巻いて、どろどろに溶け合っているものだからだ。
私がここで自分本位に謝罪することは、彼の中の良くない感情を引き出すことになりかねない。だから、私はこれ以上、彼に対して謝らないことにした。
(謝ったからって、すべてが許されるわけでもないものな……)
謝罪とは、加害者の気持ちを軽くするための贖罪行為であってはならない。被害者の心を癒すものでなくては。彼がこれ以上の謝罪を望まないのなら、私から言うことは何もない。この心苦しさも、私が背負っていくべきものだ。
「……大丈夫だよ」
「え?」
何も言えなくなった私の代わりに、ノラが父親の肩を叩く。
「私がもっと頑張るから」
「それは……どういう意味だ?」
思ってもいないノラの言葉に、彼は戸惑っているようだった。
「私ね、中央に行ってきたの。それで色んな人と関わって、自分にできることを見つけてきた。だから私はレイチェルの想いを引き継ごうと思う」
「レイチェルの……?」
「うん。私がこの街を変えてみせる。ううん、街だけじゃなくてこの国全体をよりよいものにする。皆が笑って暮らせるように」
「…………」
ノラが語って見せた野望は、まるでレイチェルの言葉のようだった。
なんだよ……やっぱりちゃんと成長してんじゃん。
思わず笑みが漏れる私の前で、
「それは……やめておきなさい」
「……え?」
父親は、ノラの語る夢を否定した。
「え、え……? なん、で……?」
「なんでって……そんなの決まっているじゃないか」
今度は父親がノラの肩に手を置く番だった。諭すように、潤んだ瞳でノラの瞳を見つめる彼は震える声で告げる。
「私はもう……あんな思いはしたくないんだ」
彼はレイチェルを失った時のことを言っているのだと、すぐに分かった。
「だから頑張る必要なんてない。ただ生きて、傍にいてくれるだけでいい。皆を笑顔になんてしなくていい。ただ、私達を心配させないでくれ」
それはまさしく懇願だった。優しさゆえの弱さだった。
ノラがレイチェルの二の舞になることを、彼は恐れていた。
そんな彼に、ノラは彼の感情への理解が追い付いていないようだった。
「そんな……いいの? の、ノラは……ずっと、邪魔者だったのに……?」
「邪魔者? なんだそれは、一体誰がそんなことを言った?」
「それは……」
「……お前がずっと私達に遠慮していたことには気づいていたよ。だから私達もお前に不必要に関わることをしなかった。家族を失ったばかりのお前に、家族ごっこを強要することはできないと思ったからだ。だが、私は、私達はずっとお前のことを本当の家族のように思ってきた」
「…………っ」
「私はお前のことを、レイチェルのお友達だなんて思ってない。だからこそ、私はもうあんな思いは……」
言いかけて、彼は言葉を選びなおす。大切な時に、言葉を濁して感情を誤魔化すのをよしとしなかったのだろう。故に……
「──私はもう、二度と娘を失いたくないのだよ」
今度の言葉は、曲解や誤解の余地もなくノラへと伝わった。
「……っ」
こちらからノラの表情は伺い知れなかったが、すすり泣く声でノラが泣いていることは分かった。だが、それも長くは続かなかった。
「嬉しいよ……本当に、心から嬉しい。でもね、だからこそ私は頑張るよ」
彼の引き留める言葉を、ノラは受け止め、手放したから。
「な、なぜだ? どうして、そんなことを……」
「大切だった時間は、何をしても取り戻せたりはしないから」
「それは……どういう意味だ?」
「私はね……本当に大好きだったから、大切だったからこそ、その時間を無意味なものにはしたくないんだ。レイチェルが生きていた意味を、頑張って来た日々の成果を、なかったことにはしたくない」
「…………」
そこまで言って、私も父親もノラの言葉の意味を理解した。
そして、それがレイチェルの真似をしているわけではないということも。
それはノラが自分で見つけた価値観で、答えだった。
「だからね……お父さんにも応援して欲しいんだ」
「…………っ!」
「私がレイチェルの代わりに、この国の未来をより良いものに変えてみせるから」
はっきりと告げたノラの言葉に、父親は何も言葉を返すことができなかった。
それが、二人の想いの差でもあったのだろう。
泣き崩れる父親の肩を叩き、慰めるノラ。結末を見届けた私は、そっとその場を離れることにした。
家族水入らずの場に乱入するには私はまさしく場違いだからね。




