第379話 旅の終わりは心残りがないように
女王様の一撃で半壊した城の一部には、私達が借りていた客室も含まれていた。
そのため、私を含めた研究者の幾人かは城下町で暮らすことになり、『ノアの箱舟』の研究は遅れてしまうとのこと。女王様にはもう少し後先を考えて行動して欲しいものだ。
それでも研究熱心な人たちは研究所に泊まり込みで研究を続けたいと志願したものもいる。その中の一人が、ノラだった。
「ルナが一日でも早く帰れるように頑張る」
目元に隈を残したノラは健気にも尽力してくれている。
嬉しいは嬉しいのだが……個人的には少し休んで欲しいところだ。
というのも、私は私でティナの治療法についての解決策をまだ教わっていないので、『ノアの箱舟』の研究が終わったところですぐには帰れない。むしろ、女王が再び心変わりする原因にもなりかねないのでむしろゆっくりと研究して欲しかったりもする。
そこで私はノラにとある提案をすることにした。
「ねぇ、ノラ、城の工事もまだ終わっていないし、一度百八番街に戻らない? 研究者のみんなも軟禁状態が解けて何人も城を出てるみたいだしさ」
「うーん……でも、魔術書はここにしかないし帰ったら研究が進まないよ?」
「それでいいんだよ。私の方は急いでないからさ。ノラだって両親と一度、故郷に戻りたいと思わない?」
「でも……」
城を離れようとしないノラに、私は少し卑怯だとは思いつつ理由を付け加える。
「それにさ、レイチェルのお墓参り……まだちゃんとできてないから」
レイチェルのことを出汁に使っているようで気が退けたが、きちんと弔ってあげたいというのは私の気持ちでもある。ここまで言って、ようやくノラは頷いてくれた。
こうして、私とノラ、そしてノラの両親で百八番街へ一度帰郷することに。
ちなみにクロナ神父は右足を骨折していたらしく、現在中央の治療院へ入院中だ。きっと何かしらの天罰が下ったのだろう。ざまあみろだね。
帰りは行きと同じく、女王が送迎用の車を出してくれていた。
不規則に揺れる車内にて、これまでの疲れたが出てしまったのか隣に座るノラは時間が経つに連れてうつらうつらと頭が揺れ始め、やがて糸が切れたかのようにこてんとこちら側にもたれかかってきた。
大して重くもないので、そのままにしていると、
「人見知りだったノラがそんな風に安心して眠れるなんて……随分と親切にしてくださったみたいで、ありがとうございます」
対面に座っていたノラの父親がにこにこと笑顔を浮かべる。
百八番街に帰郷するにあたり、ノラの両親も同行することになっていた。
私としては何かしてあげられたとは思わないので、少し居心地が悪い。
「ノラには随分と負担をかけてしまいました。でも、あなたのような良き友人が支えてくれていたようで安心しました」
「……私ではないですよ」
「え?」
「今日までのノラを支えていたのは、私ではないです」
両親の生き別れたノラが今日まで真っすぐに成長することができたのは、きっとレイチェル達家族のおかげだ。だからこそ……申し訳がないのだ。
「むしろ、私はノラの大切な友人を奪ってしまいました。本来であれば、こんな風に親しくしてもらう資格すらないのかもしれません」
ふと、未来のことを考える。
私が過去に帰った後に、この時代に残るノラのことを。
レイチェルのいなくなったこの時代で、彼女はどうやって生きるのか。
そのことを考えると、すやすやと穏やかな寝息を立てるノラとは対照的に、私の心は締め付けられるような思いだった。
◇ ◇ ◇
百八番街に設置された共同墓地。
とある墓標を前に、ただじっと見つめて立ち尽くすノラの姿があった。
「ノラ」
その背に声をかけながら、私は自販機から買ってきた缶ジュースを差し出す。
「なにこれ?」
「お供え物だよ。何が良いか分からなかったから、とりあえずレイチェルが好きだったやつを買って来た。私もちょっと喉が渇いてたからさ。こっちはノラの分」
二つの缶を差し出されたノラは私の意図を理解してくれたようで、一つを墓標の前に置く。自分の分には手を付けなかった。
「……ノラ、提案があるんだけどさ」
「なに?」
「その、さ……『ノアの箱舟』の研究が終わったら……私と来ない?」
「え?」
こちらに視線を向けたノラは、きょとんとした表情を浮かべていた。
「私と一緒に過去に行かない? って提案だよ。今の時代ほど便利ではないけど、向こうなら魔術の研究ももっと自由にできるだろうし、私の友達もいるからさ。退屈はさせないと思って」
中央から帰る道中に出した私の結論。
私はノラが望むなら、彼女を過去へ連れ帰るつもりだった。
それが倫理的に正しいことなのかは分からないが、少なくとも最大の友人を失ってしまったノラをこの時代に残していくよりは良い気がして。ただ……
「……ノラは行かないよ」
ノラの解答は私の予想とは違うものだった。
「そっか……その、なんでって聞いてもいい?」
「ノラにはパパとママがいるからね。それに……やり直したいなって思ってて」
「やり直す? 何を?」
「言葉にすると難しいんだけど……なんていうか、その……生き方を、かな」
缶の蓋を指でとんとんと叩きながら、ノラは思案に暮れていた。
「ノラはレイチェルさえいてくれればいいと思ってた。レイチェルがいなくなる生活なんて考えられなかったから。でも……レイチェルはいなくなった」
「……うん」
「そこでようやく分かったんだ。自分がどれだけレイチェルに依存していたのかって。レイチェルだけがノラのことを理解してくれればいい、そんな風に思ってたからさ……ここでルナの提案に乗ってこの場を離れたら、ノラはきっと、今度はルナに依存しちゃうと思う」
「別にそれでも私は構わないけど……」
「……ノラが嫌なの」
ふるふると首を横に振るノラの表情はどこか寂しげだった。
「ノラはもっとちゃんとした人間になりたい。レイチェルみたいに自立した、一人前の人間になりたい。誰かに守られるだけじゃなくて、誰かを守ってあげられるような……そんな人になりたいの」
そう言って、ノラは虚空を見上げる。
まるでここにはいない誰かに向けて話しているかのように。
「だから、ノラはこの時代で生きていくよ。今までの自分とはお別れしてノラは……私は今まで逃げてきたものと正面から向き合いたい。その第一歩はやっぱり家族と向き合うことかな」
「別に向き合ってないようには見えないけど」
「パパとママのことじゃなくて、もう一人の両親の方」
そこまで言われて、ノラが誰のことを言っているのかようやくわかった。
「私をここまで育ててくれたもう一人の両親だから。レイチェルがいなくなって辛いのは私だけじゃないし、私だけ逃げることはできないよ」
「逃げるなんて、そんな風には……というか別に逃げたって……」
「大丈夫だよ。もう決めたことだから」
私の言葉を遮るように、はっきりとノラはそう告げた。
どうやらノラの決意は思った以上に固いらしい。
それならもう私から言うことは何もない。
(……いや、そうじゃないか)
急に大人びて見えるノラの背中に、私は正直言ってビビっていた。
私はノラの心中を何も察せていなかったのだと理解させられた。
彼女はもう前に進んでいた。目の前の現実から逃げるのではなく、乗り越えようとしていた。それに対して私はどうだろう?
ノラの心の強さを見誤っていた私は、本当にノラのことを考えられていたか?
ノラを誘った理由の一つに、レイチェルを死なせてしまったことへの罪の意識があったのは間違いない。ノラの気持ちと自分の気持ちを天秤にかけた時、本当にノラのことを考えられていたか?
(……人のことを自分勝手なんて言ってられないな)
ノラは自分の心に従い、行き先を決めた。
ならば私もそうしよう。恐らく別れてしまえば二度と会うことはないであろう、この友人に最大限の敬意を込めて。ならばやはり、言うべきことはまだある。
「……ルナ?」
レイチェルの墓石を前に膝をついた私へ、ノラが不思議そうに声を上げる。
それを無視した私は、そのまま額を地面につけ所謂土下座を敢行する。
そして……
「守れなくて……ごめん!」
私が言葉にしなければならないこと、それはノラに対してのものではない。
「それと、色々と良くしてくれてありがとう! レイチェルがいなかったら私はきっと何もできなかった!」
私がこの旅に折り合いをつけるために、これは必要な儀式だった。
「もしも来世で会えたなら、また一緒に遊びに行こう!」
私の偽らざる気持ちを墓石に告げる。当然、返答なんてあるはずがない。
これは私の自己満足のためだけの行為だ。でも、それでいい。
折り合いをつけること、それは人が前に進み続けるために必要なことだから。
「君達と出会えて良かった」
私はこの長い旅の締めくくりに、この言葉を送るのだった。




