第378話 過去と現在と未来と
『お姉さまと一緒にいられて、私……幸せでした……大好きです、お姉さま……』
あの言葉は誰から言われた言葉だっただろう。
とても大切な誰かだったはず。
『私はお姉ちゃんだから、ルナのこと、ちゃんと守ってあげる』
あの言葉は誰から言われた言葉だっただろう。
とても大切な誰かだったはず。
『ごめん……ルナを独りにしちゃって……ごめん……』
あの言葉は誰から言われた言葉だっただろう。
とても大切な誰かだったはず。
みんな、みんなみんなとても大切な人たちだったはず。
それなのに私は彼女達の顔は愚か、名前すらも覚えていない。
大切だった。本当に、大切だったはずなのに。それなのに、たった千年という時の中で風化していってしまった。
少しずつ薄れていく記憶の中で、私がなんとか繋ぎとめることができたのは、確かに私の愛した誰かがそこにはいたということだけだった。
(私は、もう一度彼女達に会いたいんだ!)
一体誰に?
(会って、私の気持ちを……大好きだってことをきちんと伝えたい!)
覚えてもいないのに?
「──────────」
私は確かに彼女達のことが大好きだった。
でも、結局その想いを口にすることはできなかった。
伝え損ねた言葉は、私の中で暗く淀んだ澱となり心に蓋をした。
今となってはその気持ちが本当に純粋なものだったのかも分からない。
その事実が認められなくて、愛していたことすらなかったことにはできなくて、私は私を説得し続けた。私は確かに彼女達を愛していたのだと。
その為ならなんだってできる。たとえ、過去の自分を殺してでも。
──私は私の証明をしなければならなかった。
だが……そんな必要はなかったのかもしれない。
私が求めていた答えは、過去の私が届けてくれたから。
「ああ、やっぱり君は……『獅子王』、使えたんだね……」
それが全ての答えだった。
私が求めていた全てだった。
たとえ顔も名前も思い出せなくても、この気持ちだけは嘘ではなかった。
私は確かに……彼女達を愛していた。
その事実を呑みこんだ瞬間に、心が軽くなったような気がして……
「──私の負けだ」
気付けば私は、過去の私に自らの敗北を告げていた。
◇ ◇ ◇
「──私の負けだ」
憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした表情で、女王はそう言った。
その言葉と表情に、嘘はない。私のことだ。そんな演技力なんてない。
そう判断した私は、ずぶり、と女王の胸元からそっと手を引き抜く。
心臓は、潰さなかった。
「……おい、聞いていなかったのか?」
「なにが?」
「これ以上ないほどの敗北宣言だっただろうが。なんでとどめを刺さない?」
「私の目的はあなたを殺すことじゃないからね」
相手に敵対する意思がなくなったのなら、私から手を下す必要もないだろう。
私の言葉に、女王は目を見開いてすぐに苦笑する。
「はは……ああ、そういえば昔は私もこんな甘ちゃんだったっけ」
「甘ちゃんって言うな。博愛主義と言え」
苦笑する女王の胸元が、『再生』スキルで塞がっていく。
千載一遇の機会だったが、それが今、失われてしまった。
「博愛主義、か……それなら私も優しい優しいルナちゃんを見習って、色々と手助けさせてもらうことにするよ。改めて、ね。せめてもの罪滅ぼしだ」
「え……今さら?」
「そういうなよ。私にとっては必要なステップだったんだ」
敗者は勝者の言うことを聞く的なやつだろうか。
そんな武士道精神みたいな心が私にあるとは思えないのだが……まあ、本人が納得しているのなら別になんでもいいか。
「それに、君だってまだ不足している情報があるだろう? 母親の病気を治す手立てとかさ。『ノアの箱舟』の復元にはまだ時間がかかるだろうし、その間に君には色々と教えてあげる。でもその前に……」
ぐるりと周囲を見渡した女王は、荒れ果て半壊した城を見て一言。
「……うん、とりあえず修繕しないとだね」
「いやもう修繕とかってレベルじゃなくね?」
素人目に見ても、一から立て直した方が早そうに見える。
「……ってか、怪我人を助けないと!」
これだけの規模だ、怪我人は大勢出ていることだろう。
駆けだす私を見送るつもりなのか、じっと立ち尽くしている女王。
「おい! お前も来るんだよ! これだけのことした張本人がサボるな!」
「……まったく、若さにはかなわないな」
それから私は気が抜けた様に大人しくなった女王と、総力を挙げて被害者救助を行っていった。
これだけの規模の破壊だったというのに、死人は一人もいなかった。
巻き込まれた人のほとんどが吸血種だったのは不幸中の幸いだろう。
ちなみに一番、大怪我を負っていたのはクロナ神父だったりした。天罰かな?
「良し、職員全員の無事が確認できた! 次は瓦礫の撤去作業だ! すぐに王城を再建できるように取り掛かるぞ!」
イレーサの号令で、吸血種の一団が拳を掲げているのが見える。
それを私と女王は少し離れた場所で見守っていた。
「……というかアレ、良いの? 完全に指揮系統奪われちゃってるけど」
「いいさ。元々、城の運営はイレーサに任せていたからね。認識阻害の呪いがある私が陣頭指揮を執ってもうまくはいかないよ」
「そういうものか」
夜風に髪を靡かせながら呟く。
誰かと関わって生きるには難しい体質を女王は抱えている。
それは時間遡航という禁忌を侵した代償としてはあまりにも重い。
なんとかしてやりたいと思う。相手が自分だからとかは関係なく、誰とも触れ合えない人生なんてあまりにも寂しすぎる。
「ねえ、過去に帰るって話だけどさ……」
「ん?」
「……二人一緒に帰るってのは出来ないのかな? 私の居場所をあなたに譲ることはできないけど、過去に戻ればあなたにかかっているその呪いだって解けるかもしれないし」
私としては譲歩できる最大限のところだった。
同じ世界に自分と全く同じ存在がいるなんて、よく考えると気持ちの悪い話だが、少なくとも彼女のためを思えば我慢はできる。そんな私の提案に、
「ふはっ……! マジか、私! ははっ、面白い、その発想はなかった! でもさ、というか君、ふふっ、さっきまで自分のことを殺そうとしていた相手に、よくそんなことが言えるねっ」
女王は腹を抱えて笑いながら、私を指差す。
バカにしてるな、こいつ。やっぱ処すか?
「私は本気で……」
「分かってるよ。だからこそ余計に面白いというか……ぷぷっ」
何がおかしいのか笑いを我慢できない様子の女王。
うーん、こいつムカつく。とても不愉快だ。
「で、どうするの?」
「はー……折角の申し出だけど、断らせてもらうおうかな」
「……なんで?」
「私は間違えた。自分の気持ちと向き合うことを恐れて、今とは違うどこかに居場所を求めた。過去に執着して今が見えなくなっていたのさ。罪の清算というのなら、こっちが先だ」
語る女王の視線は、未だに復旧作業に勤しむ吸血種たちに注がれていた。
機敏に動き回る人たちの中でも、イレーサの姿は一際目立って見えた。
「どんどん運べ! 女王様の玉座を一秒でも早く再建するんだ!」
大声を張り上げ、周囲を鼓舞しながら自らも廃材を担ぎ上げるイレーサ。
とても献身的な姿だ、涙が出る。この破壊の原因はその女王だというのに。
「……記憶に残らなくても、その愛は本物だった。その証明は現在にもあった、というわけか」
「え?」
「……なんでもないよ。ただ、納得できただけ。だから……手伝ってくる」
何かを呟いた女王は吸血種の一団に向けて歩き出すと、無数の影糸で周囲の瓦礫を持ち上げると賞賛の声を浴びる。いや、だからそもそもの原因を作ったのはその人なんだけどね? みなさん分かってます?
「はぁ、結局一人で暴走して、一人で納得しちゃったか……自分勝手すぎるだろ」
自分の行いを客観視してみると、まあまあなクソムーブをかましている。
これは私も、今後の言動には気を付けるべきかもしれないね。




