第377話 心の鎧
魔力の奔流に、周囲の大気が渦巻いている。
肌をなぞるざらついた風を感じながら、私は女王と相対していた。
「私がお前に勝てないって……? はは、強がりもそこまで行くと立派なものだね。男の子の矜持ってやつ? 見え透いた虚勢だね」
「そう思うならそう思っていればいいさ。でも、本当はあなただって分かってるんでしょう? あなたは独りだって」
ぴくり、と女王の頬が反応する。
どうやら自覚はあったらしい。
「……何を言いたいのか、意味が分からないね」
「それこそ男の子の虚勢だよ。格好つけもほどほどにしないと……後で恥ずかしい思いをすることになる」
じゃり、と足元の地面を踏みしめる。
前傾姿勢を取った私は、女王へ向けて一直線に走り出す。
「この……ッ」
愚直な私の突撃に、女王は舐められたと感じたのだろう。
突き出した右手に、魔力で渦巻く漆黒の球体を生成する。
ピンポン球程度のサイズ感のそれだが、先ほどの攻撃からとてつもないエネルギーを内包していることは分かっている。故に……
「黒砲──『国崩』!」
魔力の流れを見切った私は、その砲撃が発射される直前に『天覇衣』を展開。
真正面からその一撃を受け止める。黒砲と言ったか、この魔術は威力こそ高いが軌道や速度はそれほどでもない。見てからガード余裕でしたってね。
(……それにしてもこの『天覇衣』、使い勝手がかなりいいな)
使った印象はあらゆる物理攻撃を通さない鉄壁のコート、だろうか。
動きを阻害しない上に、一度作ってしまえば魔力消費もそれほど多くない。
今の状態の私とは相性がいい。つまり……
「またそれ? まるで猪だね」
防御を『天覇衣』に任せきった突撃。
直線距離で女王との距離を詰める私に……
「影糸──『黒縄網』」
網状の影糸を投げるように生み出す女王。
直接攻撃は防がれると思ったのか、搦手で来たな。
それも私の回避が間に合わないギリギリの距離を狙ってる。
今から方向転換はできない、なら、こうするしかないか。
「『変身』」
網に捕まる直前に全身を蝙蝠へ変貌させ、網目を掻い潜る。
その後、すぐに体を戻せばほら、女王の目の前だ。
「────ッ!」
「さあ……勝負だ」
まさしく零距離の攻防。ここまで近づけば魔術による詠唱も、牽制も意味をなさない。
純粋な肉体勝負。私の拳が、女王の蹴りが、私の頭突きが、女王の手刀が交差する。
────ババババババババババババババッ!!!
肉を打ち、抉り、叩く音が周囲に響く。
私達は互いに骨身を削り、肉弾戦を続けていた。
瞬時に再生する傷口に、終わりの見えない攻防。
私達の戦いは完全に拮抗しているように見えた。
そう……一見すると、だ。
「……ぐっ!」
バックステップで距離を取ろうとする女王へ、距離を詰める私。
この間合での殴り合いではどちらに分があるか、互いに理解している動きだった。
「うおおおおおおおおおおおッ!」
優勢を感じ取った私は、咆哮し、更に攻勢を加速させる。何度も、何度も、何度でも!
そして、その時はついに訪れる。
「…………っ」
私が愚直に放ち続けた拳の一つを女王は掌で受けようとするが、反応が間に合わなかったのか威力を殺しきれずにバランスを崩し、後ろへよろめく。
(ここだ……ッ!)
私はそのまま追撃をしかけ、拳を振るい続ける。
右、左、右、右、左、右……コンビネーションで攻め立てると、やがて女王のガードにボロが出始める。私の攻撃を捌き切れなくなり始めたのだ。
「影法師──『天覇衣』ッ」
たまらず影の外套を羽織る女王だが、もう遅い。
この距離まで近づいてしまえば、ガードの隙間を狙って拳を叩き込める。
全身を包むには時間が足りないだろう。そうしたところで全身をぐるぐる巻きにして捕縛すればばゲームセットだが。つまり、どちらにせよ……
「──私の勝ちだッ!」
吠える拳が女王の顔面を捉える。
脳を揺さぶる強力な衝撃に白目を剥く女王の胸元へ、跳び膝蹴りの追撃。
意識の切れた瞬間、術式は崩壊し、女王の纏う黒衣が粉々に砕け散った。
そうして無防備になった胸元、心臓部へ……
──私は揃えた指先をもって、その柔肌を貫くのだった。
◇ ◇ ◇
若き私の獅子のような猛攻。
途切れた意識が回復したところで、私は自らの敗北を悟った。
女王として千年も君臨し続けた私に比べ、あまりにも未熟すぎる過去の私。
長く戦乱の時代を渡り歩いてきた私に負ける要素なんてないと思っていた。
だが、現実は違った。
「ごふっ……」
口から零れる大量の血が、私の慢心を物語る。
私の左胸、心臓を貫く私の腕……ああ、私は負けたのか。
だが……まだ、生きている。この心臓は動き続けている。
「……殺さ、ないの、か?」
「殺すよ。聞きたいことを聞き終えたらね。今、私は文字通り女王様の心臓を握ってる。ちょっと力を入れれば熟れたトマトみたいに潰れるだろうね。それが嫌なら私の質問に答えて」
「はは……どの道死ぬのに、無様を晒せと?」
「無様ならもう既に晒してる。私が気付かないわけがないでしょう」
「…………」
「あなた──『獅子王』のスキル、発動してないよね」
幼き私は、問い詰めるような視線で私を見た。
答えるまでもない質問だ。既に答えは出ているのだから。
魔力量でも、術式精度でも、戦闘経験でも、私が上回っていた。
そんな私を撃破できたのは、単純な身体能力の差だった。それすらも平時であれば私の方が優れていたはずではあるのだが……
「誤算……だった、よ。やっぱり、心のどこかで、君と私は違うって、分かってたのかな……過去に戻って皆に会えたとして……私はきっと、同じようにどこか違うって思っちゃう」
「…………」
「だから……『獅子王』は発動しなかった……もう、私の群れではないと、認めてしまっていたから……」
「──違うだろ」
私の言葉を遮るように、私は言った。
どこか冷たく、怒っているような口調だった。
「私相手に恰好つけるなよ」
「…………」
「この時代に来てからずっと怖かった。皆ともう二度と会えなくなるかもって、そう思っていたから。だからあなたの気持ちは痛いほどに分かる。分かるから、今のあなたの言葉はただの格好つけだってのも分かるんだ」
私は、私が精一杯に張っていた虚勢をたった一言で見抜いた。
流石は私……なんて、感心している場合でもないな。
「もう一度会えるならなんだってする。他の感情なんて入り込む余地はないんだよ。それに、過去に帰るってんならそこにいる彼女達に違いなんてない。私だってすぐに分かる理屈だ。千年も考え続けたあなたが分からないはずがない。そもそも、そこで躓くのなら最初からこんなことはしちゃいない。そうでしょ?」
その場で思いついたそれっぽい言い訳も、私には通じない。
きっと彼女は気付いている。誇りを守るために、何重にも纏っていた厚い衣を一枚ずつ剝がされていくような感覚。
「『獅子王』が発動しなかった理由は別のところにある。それは純粋な想いの差なんだよ。それ以上でも、それ以下でもない。聞くつもりはなかったけどさ、お前が誤魔化すなら聞かせてもらう」
どくん、どくんと心臓が脈打つ。
締め付けられるような痛みは、心臓を握られているのが原因ではなかった。
それは……
「──お前の言う、大切な人って……誰のことを言っているんだ?」
直視できない、悍ましき感情を丸裸にされたことによる、ただの羞恥心だった。




