第372話 自分の一番の理解者は自分自身
三度目の来訪ともなると慣れたもので、私は友達の家の呼び鈴を鳴らすがごとく気安さで王のいる部屋の扉を開く。相変わらず、部屋の奥で椅子に座っている彼女……ルナ女王は、退屈そうに何かの本を読んでいた。
「私か……また来たのね、修行、まだやるの?」
女王は本に視線を落としたまま、声だけで尋ねてくる。
「……いや、少し話したいことがあってさ」
「…………?」
私の声に含まれた緊張に気付いたのか、女王は読んでいた本から視線をこちらに向け、ばさっ、と乱雑に本を閉じると後方に投げ捨てる。
「いいよ。答えられることなら答えてあげる」
余裕のある表情だ。言葉の裏は感じ取れない。ただ親切に疑問に答えようとしてくれているように見える。だが……それが違和感だ。
「……なんで、ここまで良くしてくれるの?」
「うん? なんでってそりゃ君は私自身だし」
「だからって親切にする理由にはならないでしょ。だって……私はあなたのことをこれっぽっちも信用なんてしていないんだから」
僅かに、本当に僅かにだが、今の言葉に対して女王の眉が上がった。
「意外だよ。まさか私に信用されていなかったとは。でも、なんで?」
「こんな国を作ったからだよ」
「国?」
未だにピンと来ていないのか、私は困惑顔だ。
ここまで言えば分かると思っていたのだが……仕方ない。
「はっきり言おうか。この国は終わってる。私はこんな統治を許すような人間じゃない。吸血種と人族の関係は貴族と平民……いや、それよりももっと悪い。貴族と奴隷みたいな関係だ」
「まあ、そうだね。否定はしないよ」
「分かっていたならどうにかしようとしなかったの? この私が?」
ここ数日でイメージしてみた。過去に帰った私が何らかの理由で吸血種の国を作ることになったと。その時、私はまず人族との融和を求めると思う。
「あなたは前回の話し合いの場で、歴史の説明をあえてしなかった。何か話したくないことがあったんじゃないの?」
「…………」
女王の表情は、崩れない。
美しい微笑みを携えたその顔からは何の感情も読み取れなかった。
「それに、あなたはなぜ他の人に認識されなくなっているの? 場内の人たちは吸血種も人族も揃ってあなたのことを覚えていなかった。これは一体……」
「納得のいくような説明をして欲しい、ってこと?」
「……うん」
「そっか。別に一から全てを説明してもいいんだけど……うーん……」
両腕を組み、コツコツとブーツで床を叩く女王。
立ち上がりさえしない様子の彼女は、玉座に腰掛けたまま、
「──まあ、いいか」
その冷たすぎる声を聞いた瞬間、私の背筋に悪寒が走る。
何度も死地を渡り歩いた私の直感が逃げろと告げていた。
「…………ッ!」
咄嗟に屈んだ、私の頭上数センチのところを……ヒュンッ! と風切り音を残して何かが通り過ぎる。背後から前方へ通り過ぎて行った黒い何かは、くるくると回転したまま玉座の近く、女王の足元の地面に突き刺さる。
それは大振りの鎌だった。回転していた刃の軌道、今のは……
「私の首を……狙ったのか?」
「ふっ、修行だよ修行。つけて欲しかったんでしょう?」
冗談めいた口調だったが、間違いない。今の不意打ちは完全に私の命を狙ってのものだった。私は今、私に殺されかけた。
「なんで……」
「お前はずっとそれだね。なんで? どうして? 聞けば答えが返ってくると思っている。甘やかされてきたんだね。ムカつくよ……我が事ながら、ね」
タン、と勢いをつけて椅子から立ち上がった女王は足元の鎌を拾い上げ、走る。
一直線に突っ込んできた女王に対し、私も右手に鍔鬼を生成し迎撃。
影魔術によって生み出された鎌と刀は激しい衝突音と共にぶつかり合う。
「過去に帰る手伝いをしてくれるって言ったのは嘘だったのか!」
「嘘じゃないよって言ったら信じてくれるの?」
「…………ッ!」
理解ができない。私が一体何をしたいのか、さっぱりだ。
だが、相手は千年を生き伸びた吸血種。私よりも数段格上なのは間違いない。
集中を切らしたら……死ぬ。
「『鍔鬼』の型の弱点は射程。それじゃあ折角の効果範囲が台無しだよ」
斬り合いの最中に、女王は一歩後ろへ下がった。
下がる、というよりは跳んだという方が正しいか。距離にして約4メートルの間合で女王は持っていた大鎌の柄を手に取り、力任せに振り下ろす。
「影法師——『大鎌斬』」
半円を描くように振るわれた大鎌の切っ先が心臓を狙う。
線ではなく、点で狙われた攻撃は受けにくい。防ぐよりも交わした方が良いと判断した私は大きく上体を逸らし、眼前の刃をやり過ごす。俗にいうマ〇リックス避けってやつだ。
「はっ、と……」
崩した体勢はバク転で解消し、正対する構えを取るが……
「っ」
すぐ眼前に、女王の姿が映る。こいつ、距離の利を語っておきながら突っ込んできやがった。意表を突かれた形だが……この距離は私の間合だ。
「シッ──!」
僅かに残っていた体の動きに逆らわないよう、逆袈裟で斬りつける。
股から肩に向けて動き出した私の刀へ、女王はそっと右手を置く。
「…………ッ!」
肉を切り裂く感覚がダイレクトに伝わってくる。
(こいつ、自分から刃に手を突っ込んだぞ!?)
刃は掌から入って、腕を縦に両断して進んで行く、肘のあたりまで進んだところでグンッとその軌道が歪められる。そうか、最初からこれが狙いで……
「腕一本で足二本。良い取引だ」
腕の筋肉で速度と軌道を殺された私の足元を、大鎌が影のように走る。
痛みを感じる暇もなく、私の両足は膝のあたりから刈り取られていた。
「ぐっ……!」
バランスを崩した私の視界に、右腕を再生した女王が大鎌を握り直すのが見えた。その眼は正確に私の心臓を狙っている。
「──さよなら、私」
勝利を確信した声音の女王。
その声が耳に届くより前に……
──私の詠唱は完了していた。
「影法師──『影槍』ッ!」
左の掌を後方へ向けていた私は、勢いそのままに影槍を射出する。
地面に埋まった影槍はその推進力を反転し、まるで射出機のように私の身体を押し出す。つまりは女王の方向へ。勢いよく空中を跳び出した私は、そのままの勢いで……女王へ飛び『蹴り』をお見舞いする。
「……なっ」
油断していたのか、まともに私の蹴りを腹部に受けた女王は、水面を跳んでいく水切り石のように吹っ飛んでいく。軽い体だ。体重もあまり変わっていないらしい。
「ふぅ……第一ラウンドはしてやってり、ってところかな」
今ので頭でも打って気絶してくれていたら楽なんだが……
「……その足、『再生』スキルが発動していたのか……?」
そんな都合が良すぎる展開は私には訪れないらしい。
「だが、お前のその角……ああ、そうか」
言っている途中で女王は気付いたらしい。
女王が私の一撃をもろに食らった理由、それは私がノーマルモードだと勘違いしていたからだ。それもそのはず、今の私の額に伸びた角は平常時と変わらず、前髪で隠せてしまう程度の長さしかない。
全ては女王の認識を歪める為だけの仕掛けだった。
「なるほど、自分で自分の角を折ったのか……気付かなかったよ」
どうやらバレてしまったらしい。
そう、私はここに来る前にノラから血を貰い、伸びた角を圧し折って来た。
思ったよりも硬くて折るのに苦労したが、幸い痛みもなく折ることが出来た。
「『吸血』スキルを使いたくはなかったんだけどね……でも、前に腕を斬られた時に思ったんだ。この人は私の命に執着していないって。生きていても、死んでいてもどうでもいいと思ってるんじゃないかってね」
私が女王に感じた違和感。それは私自身に対する対応の軽さだった。
修行もそうだが、そもそも私に過去の情報を教えようとしないのもおかしい。
それは私を過去に送ろうとしている人間がやるにしては、あまりにも雑な動きだった。
原因は恐らく、女王の持つ認識阻害の能力が女王の意図を外れて私に効果がなかったから。
女王は私もまた、他の人間と同じように記憶を失うと思っていたのだろう。
そう考えると、これまでの対応の雑さにも納得がいく。
「私はあなたが敵対することも想定して動くことにした。でね、そうしてみたら少しだけ気付いたことがあるんだ。私に対する無頓着って、クロナ神父に約束した施策に関しても言えるんじゃないかって」
こちらの要望をあっさりと受け入れた女王。
一国を統治する者のすることと言えるだろうか?
私は頭の良い方ではない。それゆえに一国の運営をあそこまで簡単に決めたりはしない。
「アンタはこの国がこれからどうなろうが興味がなかった。いや、もっと言えば今までの統治にすら興味がなかったんじゃないかな? 私の前で、アンタが興味を示したと思えることは一つしかなかったよ」
あの話し合いの場で、女王はあまりにも淡白すぎた。
たった一つの事象を除いて。彼女はあの場で唯一、自ら話題にした事柄。
「アンタは『ノアの箱舟』の術者を探していた。それが答えだったんじゃない?」
「…………」
私の問いに、私は答えなかった。だが、その沈黙こそが答えだった。
そして、それはこの城からノラだけは外出できなかった理由とも合致する。
女王にとって大切だったのは私でも、クロナ神父でもなく、ノラだったから。
つまり……
「女王様、アンタの目的は私への忖度でも、この国の統治でもない……自分が過去に戻ることだろ?」
私の問いに対し、女王は答えなかった。
代わりに……
「…………っ!」
思わず声が詰まるような、表情を浮かべた。
にたぁ、と口元を三日月に歪める、まるで悪魔のような醜悪な笑みを。




