第371話 疑念の種
女王の正体を知る者はいない。
クロナ神父が教えてくれたミストフルの噂の一つだ。
千年も統治されている国家で、君主の情報がないなんてそんなことはありえないだろうとまともに取り合っていなかったが……
「認識阻害の魔術……ってことなのかな」
事実として、ノラは女王の姿を思い出すことが出来なかった。
たった数日前に会ったばかりだというのに。
「あの、クレイさんは女王がどんな人なのか分かりますか?」
「ごめんなさい。私は女王様に会ったことがないから……でも、会ったことがあるっていう同僚もノラと同じようにどんな人なのか印象に残ってないって言ってたわ。ノラの言う通り、認識阻害の魔術をかけているんじゃないかしら?」
クレイさんの返答は、私が想像している通りのものだった。
だが、彼女達の言う通り未来の私が認識阻害の魔術をかけているのだとしたら一つ疑問が残る。
「ただ……彼女が魔術を行使した形跡はなかったんですよね」
「そうなの?」
「はい。吸血種の目は魔力を識別することができます。たとえば纏魔の技術で身体能力を底上げしている魔術師は魔力がオーラのように身体に纏われているのが目で見て分かるんです」
「……それが女王にはなかったってこと?」
ノラの疑問に、私は頷いて答える。
研究室に移動した私達は、部屋の片隅でテーブルを囲んで話し込んでいた。
私にはどうしても確認したいことがあったからだ。
「それに認識阻害の魔術を使っていたのだとしたら、私もその術にかかってないとおかしい。白魔術を使ったわけでもないわけだし」
「ふむ、確かに……」
「女王は私達に何かを隠している。そんな気がするんだ」
ふつふつと湧いて来た疑惑の念。
前回、女王に会いに行った時の反応も少し引っかかる。
私の登場にかなり驚いた様子の女王だったが……あの反応、もしかしたら私が突然現れたことに驚いていたわけではなく、私が女王を認識していたことに驚いたのでは?
「交渉の場でも思ったことだけど、今の今まで人族と吸血種の軋轢を放置し続けてきた女王が今になってあっさりとクロナ神父の提案を呑んだのはなぜ?」
「それは……このミストフルが吸血種主体の国だからじゃないの? だからバランスが悪いなって」
「そう思うなら建国する時にやってるよ。私は元々、人族として生活していたんだ。もし仮に私が過去に帰って建国するとしても、吸血種主導の国家体制になんかしたりしない」
というか恐らくできない。吸血種の数があまりにも少なすぎるから。
この時代の歴史では、私のいた時代に既に多数の吸血種がいたことになっているみたいだけど少なくとも私は知らないし、世間的にも吸血種は伝説の存在扱いされていた。そこから既に齟齬がある。
「まあ、ここで話していても解決する話題ではないんだけど」
クレイさんの入れてくれたお茶を飲みつつ、今後の方針を考える。
「ひとまずまた女王に会いに行こうかな。色々と聞きたいことが増えたし」
お茶というには甘ったるい液体を飲み干し、方針を固める。
早速行動に移そうと思ったところ、クレイさんから声がかかった。
「あの……ルナさん、ごめんなさい。私が口を挟むことではないかもだけど……」
「? どうしました?」
「その、ね? あんまり詮索するのも良くないんじゃないかなって」
「え?」
「だってお相手は女王様でしょう? 隠し事の一つや二つなんて当たり前だし、それに、その……あまり時間をとっても、ね?」
クレイさんは言いずらいことだったのか、視線を右往左往させている。
これは……アレだな。言葉こそ弱々しいが、要は『余計なことはするな』と言いたいのだろう。女王の庇護下にいる、城内暮らしの研究員からすると、女王様主体の考え方になってしまうのは分からなくもないが……
私がなんと言ったらよいか分からず、ノラを見ると彼女もまた私と似たり寄ったりな表情を浮かべていた。
「大丈夫だよママ。ルナは優しいから、話を聞くだけだって」
「そうなの……? でも、研究所のみんなはルナさんのこと、国賊だって……」
「え……っ」
国賊って、マジか。私、人族の間ではそんな扱いを受けてるの?
「あっ、ごめんなさい。本人の前で言うようなことではなかったかも……」
「ああいえ、その……まあ、はい」
否定するのもおかしいと思ったので曖昧に頷くことしかできない。
このママさん、もしかして天然さんなのだろうか?
しかし、今の話で合点がいった。さっきからちらちらとこちらを見る視線を感じていたからね。最初は物珍しさからかと思ったが……そうか、私はあまり歓迎されていないのか。
ちょっとだけ百八番街に帰りたくなってきた。
「えと、それじゃあ私はそろそろ戻ります。会えて良かったです、クレイさん」
「いえいえ、こちらこそ。娘のこと、重ね重ねありがとうございました」
ノラには悪いが、長話をする気にもなれなかったので早々に私は席を立つことにした。私が立ち上がると、ノラは「そこまで送るよ」と後をついてくる。
「……ルナの気持ち、ちょっとだけ分かったかも」
「ん、何が?」
「百八番街にいた頃のノラ達も、きっとあんな感じだったから」
頬を掻きながらノラは過去を思い出すように語る。
「城内の研究者はね、みんな勝手に外に出ることもできない軟禁状態なの。研究の手を止めることも許されてないから、そう言う意味では外よりも自由は少ないかも。それでも誰も文句を言おうとはしないから……ちょっと腹が立った。引きこもりだったノラが言えたことじゃないかもしれないけど……」
「そんなことないよ。ノラは頑張ってる」
「そ、そうかな?」
「うん」
「へへ……ルナに褒められると、なんだかすごく嬉しいね」
にへら、ともちもちの頬を緩めて笑顔を浮かべるノラ。
最近は笑顔を見る機会が増えたような気がする。良い傾向だ。
「でも、軟禁か……それっとノラもそうなの?」
「ん、どうだろ。外に出ようと思ったことがないから」
「試してみようか」
私は行き先を変更して、ノラの手を引き城の外を目指す。
記憶を頼りに、入ってきたときと同じ駐車場に向かうと……
「止まってください」
物陰から一人の女性が現れる。あれは確かイレーサと言ったか。
最初に私達を女王の元へ案内してくれた吸血種の女性だ。
「どちらに行かれるのですか?」
「少し外の空気を吸おうと思ってね。構わないでしょう?」
「ルナ・レストン様のみであれば問題ありません。ですが、ノラ・グレイ様にはこの城から出る許可が与えられていません。城内にお戻りください」
「…………」
この展開は予想の範囲ではあるが、ほんの少しの外出も許されないとはね。
(確かにこれは軟禁と言って差し支えないな……でもなんでノラだけなんだ?)
私の外出許可が下りて、ノラの外出許可が下りない理由がよく分からない。私が吸血種だからか? うーん、もう少し探りを入れてみるか。
「別にいいじゃん。私が責任をもって連れて帰ってくるからさ。どうせ、私達に行く当てなんてないわけだし」
「申し訳ありませんが、これは勅命ですので」
粘ってみるが、イレーサは頑として譲る気配を見せない。
元々の気質もあるのだろうが、かなり強めの命令が下っている感じがする。
だったら……
「それでも出たいって言ったら……どうする?」
「…………」
口元を歪め、敢えて挑発するような口調で試してやる。
これだけしつこくされたら普通は面倒に思うだろうが、イレーサは相変わらずのポーカーフェイス。ギャンブルとかやらせたら強そうだ。
「なんてね、ちょっとした冗だ……」
「──どうやら誤解されているようですが」
私が両手を上に向け、肩を竦めてみせるその瞬間、ダンッ! と踏み込む音。
一歩で距離を詰めてきたイレーサが眼前に迫る。そして──ズン──と腹部に重たい衝撃が走る。
「…………ッ」
「あなた方は貴賓ですが、こちらの意向に従わない場合は粛清してもよいと言われています。分かりますか? あなた方に何かを求める権利なんてないのですよ」
肺を狙った一撃だ……息が、出来ない……ッ!
「人族に与する吸血種……過去にも存在はしていましたが、そのどれもが処刑されています。それだけ危険な存在と認識されているのですよ。今、息をしていられるだけでも慈悲深い。女王様は一体どういうおつもりなのか……」
先ほどまでの丁寧な口調から一転、言葉の端々に侮蔑の色が滲んでいた。
今はちょっと息すらできない状態だからツッコミたい気持ちもあるが……
「ごほっ……げほっ……やりやがったね……」
息を吐きだすと同時に、魔力を込める。
先ほど左腕を治す為に私は『吸血』スキルを発動させた。角も引っ込んで、パフォーマンスは落ちているが吸血モードの効果は僅かに残っている。
打たれた腹部に魔力を回し、一瞬で回復した私はイレーサを睨み返す。
「理解したのなら城内にお戻りください。次はありません」
ちっ……冷たい瞳をしやがって。人の心とかないんか。
まあ、鬼みたいなもんだしないか。
「ルナ、行こう」
ノラはここで戦うメリットはないと判断したのか、私の手を取りぐいぐいと引っ張る。私もそこに異論はない。成果はあったし、ここは満足しておこう。
(今の会話、女王が私を特別扱いする理由が分かっていない様子だった。あんなに姿が似ている私達だっていうのに)
女王のところに案内してくれたのはイレーサだ。彼女が女王の姿を見たことがないということはないだろう。そして、それならば女王と私の姿が似過ぎていることから血縁関係などを疑ってもおかしくない。つまり、先ほどの「一体どういうつもり」という言葉は出てこないはずなのだ。
(ということは女王の認識阻害は吸血種の同胞にも働いてるってことだ)
埋まれた疑惑の種は、少しずつ私の中で大きくなっていた。
やはり、もう一度未来の私ときちんと話し合う必要があるだろう。
その為には……
「……ノラ」
「ん? なに?」
「一つ、頼みがあるんだけど……いいかな?」
今のうちにできることはやっておくとしよう。




