第370話 ステップ
影魔法はあらゆる武器を模倣する。
不定形であることが強みである影魔法は自由度と手数に優れる。
だが、それは弱点にもなりえると私は言った。
「窮地に陥った時、咄嗟に手に取る武器は自分が最も信頼している武器だ。信頼している武器はそれだけで自信に繋がるし、練習するうえで迷いがなくなる。自分はこれだって芯ができるわけだね」
思えば私はこれまで多くの型の影法師を使ってきたが、最も信頼している型と言われて思い浮かぶものはないような気がする。その場その場で最適に思える形を作っているだけで、その運用の熟練度を増そうとは考えなかった。
なぜならあまりにも型の数が多いから。その全てを習熟するには時間がいくらあっても足りない。だからこそ、絞る。得意分野を決めるのだ。
だが、それなら自分の得意分野を既に知っているらしい未来の私に私の得意武器を聞けばいいのではないかと思って提案してみたが、
「それだと意味がないんだよね。大切なのは自分の感覚で理解することだから。答えだけ教えてもらっても実感は伴わない。自分が命を預ける武器なんだから、自分で選ばないと。それに、自分には合わないって感覚もそれはそれで経験値にはなる。失敗から得られることもあるんだよ」
やれやれと、出来の悪い子供を相手にするような態度であしらわれてしまった。
「と、いうわけで。早速、やってみようか。ほら、選びなよ」
「……分かった」
ここまで来たら素直に従おう。
私が地面に刺さった影、その中から一本の剣を手に取り構えると、未来の私もいつの間にか右手に剣を生成していた。
詠唱がなかったところを見るに、まだ術式効果中ということか。
しかし、術者の手を離れても存在できるうえ、効果範囲も広い影魔術とかちょっとズルいな。一体どうやっているんだろう。
「ほら、目の前に集中しな。言っとくけど……」
にこにこと天使のような笑みを浮かべている私の姿が消える。
次の瞬間、私の左腕に引っ張られる感覚と共に激痛。
宙を舞う左腕に、今まさに左腕を切断されたのだと気付く。
「──自分相手だからって手加減はしないよ。まずは、武器の使い方を……」
「ぐあああああああああああああッ! いってぇえええええええええええ!」
「…………え?」
こいつ、や、やりやがった!
たかが訓練で自分の左腕を斬り飛ばしたぞ!
「お前、イカかれてんのか!?」
「え、なに? そんなヤバいことした、私?」
左腕から飛び散った大量の血が床を濡らしていく。
ぐう、とにかく止血だ……影糸で切断面を……滅茶苦茶痛ぇぇぇ!
「というか傷治るの遅くない? なにやってんの?」
「私は『吸血』スキルを使ってないからねっ……!」
戦闘中、いつでも血が吸える状態にあるとは限らない。
この前の市街地での戦いも、ノラの機転がなければ死んでいた。
ノーマルモードの状態で戦える術が私には必要なのだ。
「ええ……? 一体、なんでそんなことを?」
「これ以上……伸ばすわけにもいかないからだよ……!」
「ああ……そっか。そういうことを考えてたこともあったっけ?」
額に生えた立派な角を小突きながら微笑む女王だったが、すぐに真剣な表情に戻る。
「うーん……だとしたらまず武器選びよりも先にやることがあるかな。私の戦い方はあくまで吸血モードを前提にしたものだから。その状態にまずは慣れてもらわないと」
「は?」
吸血モードを前提に……?
そう言えばこの私、会うときはいつも角が伸びている。
つまり、未来の私はもう元の姿に戻れないほどに吸血鬼化が進行しているということか? 長い時間を過ごせば仕方がないことかもしれないけど……
「私は……人族の中で生きることを諦めたの……?」
考えてみれば、私が吸血種の国の長をやっているということにも違和感がある。
人族の国の王、ならまだ分かるが。いや、それでも十分違和感はあるけど。
「諦めたわけじゃないよ。『変身』スキルを使えば溶け込むことは出来たから。ただ、見た目が変わること以上に大切なものがあっただけ」
「…………」
「ステップ1はまだ早かったか。ステップ0から始めるべきだった。ステップ0は……そうだね。戦う覚悟を決めること、ってところかな」
「覚悟ならできてる」
「できてないよ。私から言わせればね」
未来の私が腕を振ると、持っていた剣が虚空に消える。
同時に周囲にあった無数の武器も消えてなくなった。魔術を解除したんだ。
「治療してきなよ。君はまだ修行を受ける段階にないから」
「ぐっ……」
言いたいことは色々とある。あるが、どちらにしてもこの傷はすぐに治療しなければ命に係わる。ここは治療を優先しよう。
左腕を抑え、痛みで歪む視界の中、部屋を後にする。
私は興味を失ったのか、玉座に戻り肘掛けに寝そべり寛いでいた。
いやもうマジでねぇわ……私のやつ、ふざけやがって。
とにかく誰でもいい。助けてくれそうな人族の誰かを見つけて、それから……
「うっ……」
廊下を歩いているとふらり、と体の重心が飛んでいく感覚。
危ない、今、倒れかけたぞ。こんな状態で倒れたら起き上がれなくなる。
吸血モードならなんでもない傷も、今の私には命に係わる重傷だ。
早く、誰かの血を飲まないと……
「だ、大丈夫ですか!?」
ふらふらの頭で周囲を歩き回っていると、白衣を着た女性が駆け寄ってくるのが見えた。その女性は私の前で止まると、そっと体を抱きかかえるように私を支えてくれる。柔らかい感触にすべてを委ねてしまいそうだ。
「ああっ、ダメですよ! しっかりしてください! 吸血種のお方……ですよね? 血が必要ですよね? ど、どうぞ……!」
女性は私の口を自らの首元に寄せて、噛むように言う。
限界だった私は本能のまま牙をたて……女性の血を吸った。
「んっ……」
甘く蕩けるような味の血だ。美味と言って差し支えない。
ノラの血にも似た味がする。未来の人の血には何か特別な物でも入っているのだろうか。過去に吸ったことのある血と比べても遥かに美味しいと感じる。
いつまででも飲んでいたくなるような、そんな味。
「……はっ! す、すみません! 大丈夫ですか!?」
気付くと私はかなりの時間、血を吸ってしまっていた。
ぐったりとした様子の女性に声をかけると、
「し、死ぬかと思いました……あはは……」
と、洒落にもならないことを笑顔で言う。
血を吸い過ぎて失血死なんてさせたら、クロナ神父に殺されてしまうところだ。
「動けますか? 肩、貸しますよ」
「ありがとうございます……でしたら研究室までお願いできますか?」
「研究室……」
この城で研究室というと、あれか。ノラも参加しているという魔術研究を行っている一角のことだろう。となると、この人も魔術師かなにかなのかな。
「分かりました。つかまっていてください」
「すみません……」
「何を言ってるんですか。私は助けてもらったところなんですから、これぐらいさせてください。むしろ、ありがとうございました」
申し訳なさそうに謝ってくる女性に感謝を伝えると、女性はぽかんとした表情を浮かべる。私、そんなにおかしなことを言ったか?
「えと……では、お願いします」
女性の反応は私が吸血種だからだろうけど、やっぱり慣れない感覚だ。どこか腫物扱いされているようでむずむずする。もっと気やすく接して欲しいのに。
気まずい空気が生まれてしまった私たちはそのままろくな会話もないままに、女性の案内で研究室の方向へ進んで行く。
研究所と呼ばれているエリアは他と変わらない内装だが、ちらほらと廊下を歩く人族の研究員らしき人達が増えてきた。
「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
「あ、そうです? では……」
知らない場所に来たせいで居心地の悪さを感じていた私は、女性から体を離してその場を離れようとする。その時、
「ルナっ!」
廊下の奥からノラが手を振っているのが見えた。
「ルナがこっちに来るのは珍しいね、ノラになにか用事?」
嬉しそうな顔で駆け寄ってくる姿はまるで子犬だ。かわちい。
「あれ? 左袖どしたの? というか血、ついてる! 大丈夫!?」
「大丈夫、怪我はもう治ったから。この人のおかげでね」
「この人……って、ママ!?」
「え?」
私の隣に立っていた女性をノラはママと呼んだ。
驚いて見上げると、女性は困ったような表情を浮かべる。
「あなたがルナさんだったのですね。ノラがお世話になっていたようで……ご挨拶が遅れてすみません。私、ノラの母親のクレイと言います」
「ああ、いえ。こちらこそ……」
この人、ノラの母親だったのか。確かに、そう思ってみればどことなく似ているような気がする。外見が、というよりは纏っている雰囲気が。
「二人が知り合ってくれたみたいでノラも嬉しいよ。でもそれは今は置いといて、怪我したってどういうこと? 何があったの?」
「あー……えと、暇だったから女王様に訓練を付けてもらおうと思ってね。お願いしに行ったらずっぱし斬られた」
ノラの様子から、隠していても追及され続ける雰囲気を感じ取った私は素直に白状することにした。
「え……そうなの? 女王様ってそんな人なんだ……」
「私もちょっと意外だったよ。時間は人を変えるなって」
少なくとも私はこんな風にいきなり斬りかかったりはしない。
自分であるはずが全くの別人を見ているようで少し気持ちが悪かった。
まあ、千年も時間が経てば性格も変わって当然かもしれないけどね。
「……あれ? というか、ルナは訓練なんて頼めるほど女王様と仲が良いんだっけ?」
「ん?」
「いや、相手はミストフルの女王様だし、こんなに手厚く保護してくれてる人にお願いなんて、ノラならできないなって……」
「いやまあ、確かにそうかもしれないけど遠慮はしないよ。自分だし」
「え?」
「ん?」
なにか……変だ。会話が噛み合わない。
「ノラは、この城に来た時に女王に会ってるよね?」
私の記憶違いではないはずだ。未来の私に対し、啖呵を切ったノラの勇気を私は覚えている。ノラは間違いなくあの場にいた。だというのに……
「うん……だけど、あれ……」
ノラの口から出てきたのは、背筋が凍るような一言だった。
「女王様って──どんな人だっけ?」




