第366話 覚悟にも良い覚悟と悪い覚悟があるらしい
雨が降っていた。
集団墓地に集まった人たちは黒い喪服に身を包み、墓前の前で静かに涙を流している。
レイチェル・ハーバー、そう刻まれた墓石の前で。
その様子を私とノラは、少し離れた木の影から見守っていた。
戦線を離脱したレイチェルとノラだったが、どうやら間に合わなかったらしい。
レイチェルの傷を見た時からこうなることは察していた。
あの傷はまさしく致命傷だったから。
「本日は、娘レイチェルの葬儀にご参列くださり……」
レイチェルの父親が周囲に挨拶をしているが、私の耳にはどこか遠く聞こえてくる。
それはレイチェルの突然の死に悲しむ他の参列者も同様のようだった。
集まった人の多さは、それだけレイチェルが愛されていたという証拠だ。ハーバー家の両親を始め、近所の仲の良かった人たちが揃って肩を震わせている。
それは私の隣で立ち尽くす少女も同様で……
「……ノラ」
時間が経ち、集まっていた人たちが帰り始めてもノラはその場を動かなかった。
近づいて肩を叩いても、ノラからの反応はない。
「その、さ。ここは冷えるからそろそろ帰らない? またクロナ神父について潜伏しないといけないし」
私達は現在、クロナ神父の用意してくれた隠れ家に移り住んでいた。
吸血種に真っ向から刃向かった私と、魔術の研究がバレた可能性のあるノラが白昼堂々と歩き回るのは危険だと判断したからだ。
この葬儀にも直接は参加せず、遠くから見守ることしかできていない。
やるせないだろう、とは思う。だがいつまでもここにはいられなかった。
そんな事情からノラに優しく話しかけるのだが……
「……った」
「え?」
何かを呟いたノラに聞き返す。すると彼女はくしゃくしゃの顔で振り返った。
「ノラがレイチェルの言うことを聞いてれば、こんなことにはならなかった……」
それはノラの悔恨だった。
「ノラが、魔術の研究なんてしてなかったら……レイチェルは死ななかった」
「……それは違うよ。あいつが秘密基地にやってきたのは私のせいだ。私が、その……理由は分からないけど、吸血種に狙われていたからで……」
「だとしても、ルナを呼んだのはノラだから」
「…………」
ノラが『ノアの箱舟』の術式を復元してくれたから、私はこの時代に来ることができた。もしもノラがいなかったら、私は無限に時空の狭間を彷徨っていたかもしれない。
私からしたら、それはとても幸運なことだ。だが、ノラからしてみればその代償として大切な家族を失ってしまった。自分のせいだと感じても不思議ではない。
天秤に乗せられた私の命と、レイチェルの命。ノラにとってどちらが重かったかは言うまでもないだろう。図らずも生き残った私から、ノラに一体どんな言葉をかければ良いというのか……
「あの、ルナさん、ですよね?」
「……っ」
私がノラにかけるべき言葉を探していると、背後から一人の男性が現れる。
「ルーク……さん?」
「……どうも」
花屋のルークは沈痛な面持ちで、手元に花束を抱えていた。
「……あの、ルナさんの姿が見えて、それで……その、さっきの話。少しだけ聞こえたんですけど……レイチェルが死んだのは……僕のせいなんです……」
お供え用に用意してたであろう折角の花を抱えたまま、墓前に向かうでもなくルークは立ち止まっていた。
「僕が、君を探していた吸血種の方に教えたんです……あなたが向かった場所の方向を。君と一緒にいた時のレイチェルはとても楽しそうで、それが許せなくて……そのせいで、レイチェルは……」
「…………」
「この花も、彼女に贈ろうと思って用意していたものなんです……まさか、こんな形で渡すことになるとは思っていませんでしたが……」
ルークが持っていたのは夕暮れを思わせる、とても綺麗な橙色の花弁を咲かせた花束だった。
「だから、これは僕のせいなんです。謝ってすむことではありませんが……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい……」
懺悔するルークに対し、私は励ましの言葉をかけることができなかった。
そんなことはない、と否定することは簡単だったが、そんな思ってもいないことで自分の心を疲弊させてまでこの男性に優しくできるほど、今の私に余裕はなかったからだ。
きっと、それは私もノラも、この男性も同じなのだろう。
この場にいる全員が罪の意識を抱えていた。
この場にいる全員がレイチェルのことを好きだったのに。
胸が……苦しい。友人を失うというのはこういうことなのか。
レイチェルのことを考えるだけで、思考が飛んで冷えていくような感覚だ。そのくせ心臓の鼓動だけはやけにはっきりと感じられる。
結局、私はルークがこの場を去るまでろくな言葉をかけてあげることができなかった。
ルークもまた、墓前にまで行く勇気がなかったのかお供え物をする前に帰ってしまった。
残された私とノラの間に、きまずい沈黙だけが残る。
「……ルナはまだ、中央へ行くつもりなんだよね?」
「え? ……ああ、そうだね。そのつもりだけど……」
「ノラも協力する」
振り返ったノラの表情は、決意に満ちていた。
「必要なら『月夜同盟』にも加入する。吸血種の連中には代償を払ってもらわないといけないから」
ノラの瞳に宿る決意、それはあまりよくない類のもののように見えた。
「……ノラの気持ちは嬉しいけど、無理はしないで」
「無理なんかじゃない。元々、ノラも中央へ行くつもりだったし、ここに残る理由がなくなっちゃったからさ」
「…………」
私としてはノラが手伝ってくれるのは嬉しい。彼女の魔術知識は過去に戻るための手助けになるだろうし。だけど……手放しでは喜べない。
「……分かった。でも、本当に無理はしないでね。ノラが危険な目に遭うことはレイチェルだって望んでないだろうし」
「分かってるよ、ルナ」
ああ、ダメだ。こういう時になんと言えばいいのか分からない。
そもそも同行を認めるべきではなかったか? だとしても、一番の親友を失ったばかりのノラを突き放すなんてできるわけもないし……ああ、もう本当に。
(私は……何もできないな……)
今まで何度も感じてきた不甲斐なさだが、今回は特に痛感する。
もっと強くなりたい。肉体的にも、精神的にも。
降り止まぬ雨の中、私はそんなことを思うのだった。
◇ ◇ ◇
反乱軍のメンバーと顔合わせをしたり、隠れ家の中で生活基盤を整えたりと気付けば数日が経っていた。
話を聞くと、私達の所業は街の人たちには知れ渡っているようで、他の街からやってきたと思われる吸血種がとんでもない人数で私達を探しているとのことだった。
幸いなのは、街の人たちも露骨なことはせずとも私達を庇ってくれているらしく、反乱軍のメンバーも動きやすい状況ではあるらしい。
とはいえ、いつまでもこの状況が続くとは思えない。
ということで、落ち着いた段階で私とノラは次なる手を求めてクロナ神父の拠点である隠れ家へと向かうのだが、私たちが到着するやいなや、気付いた周囲の人の声に更にその場の全員の視線が集まる。
「おお、ルナ様だ! ルナ様が来られたぞ!」
ざわざわと騒ぎ出す室内に、隣を歩いていたノラが不思議そうに首を傾げる。
「ルナ様? なに、どういうこと?」
「あー……なんだか、この前の一件で神聖視され始めてるみたい」
「……大変だね」
また変な人に絡まれてると言わんばかりにノラが憐みの視線を向けてくる。
私だってどうしてこうなったか分からないってのに。
「はあ……とにかく今以上に面倒なことになる前にクロナ神父を探そう」
「そうだね。あ、奥にいるみたいだよ」
周囲から距離を置きたかった私は、そそくさと壁際を歩いてクロナ神父に近づくと、何か手紙のようなものを読んでいるらしい彼に小声で話しかける。
「ちょっといい?」
「ああ、いらっしゃいませ。ちょうど迎えの者を呼ぼうかと思っていたところだったのですよ」
「そうなの?」
「はい。ですが、その前にご用件をお伺いしますよ。わざわざいらしたということは何かお話があるのでしょう?」
相変わらずこちらの意図をくみ取るのが上手な人だ。
無駄な前置きをしなくていいのは非常に助かる。
「これからどうするのか聞きたかったんだ。中央へ潜入するって作戦も、ここまでの大ごとを起こした以上は通用しないだろうし」
「ですね。なのでちょうど新しい方針を考えていたところです」
そう言ってクロナ神父は持っていた手紙を私に向けて手渡してくる。
「これは?」
「中央から届いた書状です。メンバーが届けてくれました。内容は女王からのものです」
「!」
吸血種の女王……つまり、吸血姫とかいうこの国のトップからの書面か。
「全員斬首とか、そんな感じ?」
「いえ、実はそれが……女王は平和的交渉を求めているようです」
「え?」
書状を受け取り確認するが……確かにそのようなことが書かれている。
格式ばった難しい言葉が羅列されているせいで、正確に内容を読み取れているかは怪しいところだが……
「……なんで結論が交渉なの? 普通、こういうのって武力制圧されるものじゃない? 吸血種の戦力を考えればそれが普通だと思うけど」
この国の吸血種の連中が軍隊となって襲って来れば、私達などひとたまりもない。ろくに対抗できる戦力が私しかいないのだからね。
「女王の考えは私にも分かりません。私も武力衝突は避けられないと思い、向こうの戦闘準備が整う前に、中央へ潜入して奇襲をしかけるつもりでしたから」
「ぶっそうなこと考えるね」
「その為に準備もしていましたから。だからこそ、今回の向こう側の反応は理解に苦しみます。書面には百八番街を独立特区として認める旨も示されていました。流石にこれはどう見ても……」
「……罠だね」
「はい。交渉役にあなたが指名されていることからも確実かと」
うわ……書状の最後の方に確かにそう書いてある。
なんだって吸血種は私をこうまでつけ狙うのか。
いや、吸血種、というよりは女王か。
「……どうされますか?」
「どうされますかって、そんなの決まってるでしょ」
一通り内容を読み終えた私は書状をクロナ神父に返しつつ、溜息を吐く。
「交渉に応じるよ。戦っても勝ち目なんてないんだからそれしかない」
また危険な任務になるが、やるしかない。
これ以上、この街の人たちの血を流すわけにはいかないからね。
「だけどあなたは私に同行してよね。話を聞くのは良いけど、話をまとめる能力は私にはないから。みんなも余所者の私に自分達の命運を預けたくはないでしょ」
「そんなことはありませんが……同行に関しては構いません。もとよりそのつもりでしたから」
「よし、それじゃあ決まりだね」
「はい。これで一蓮托生というやつですね」
騙し討ちで殺されるかもしれないというのに、クロナ神父は笑っていた。
一体、何がそんなに嬉しいのやら。
「……その交渉、ノラも一緒に行く」
話がまとまりかけていたところで、いきなりノラがそんなことを言いだす。
「え……いや、いくら何でも危険すぎるよ」
「だからこそノラが一緒に行くんだよ。もしも危険な状況になっても『ノアの箱舟』があれば脱出くらいはできるかもだから」
「……なるほど」
視界内に瞬間移動できる『ノアの箱舟』は、逃走時にその真価を発揮する。
正直、この魔術を使える相手を捕縛しろというのはよほど隙を突かなければ難しい。ノラの主張には否定材料がない。ないのだが……
「どうしても行く?」
「行くよ。絶対に」
ノラの意志は固いようだ。交渉には一人で来いなんて指定もなかったから、問題はないだろうが……不安だ。
「正直、乱戦になった時にノラを守り切れる自信が私にはない。私はそれで一度失敗してるから。だから……」
「だからって、安全な場所でじっとしてるなんて嫌だ」
私の言葉を遮るように、ノラが強い視線で私を見る。
最初にあった頃のおどおどしたノラからは考えられない変化だった。
「何があったとしてもそれはノラの責任。だからルナに守ってもらう必要もない」
「…………」
やはり、どこか自暴自棄になっているように見える。
助けを求めてクロナ神父を見るが、彼は微笑んで首を横に振るだけだった。
「良いではありませんか。覚悟のある人は想定以上のパフォーマンスをしてくださるものです。一緒に頑張りましょう、ノラさん」
「うん。頑張る。ルナも、いいよね?」
信頼する二人から視線を向けられた私は、仕方なく両手を上げてみせる。
「……分かったよ。一緒にいて心強いのは確かだから」
「これで本当に決まりですね。では三人で乗り込むとしましょう……女王の元へ」
いつでもにこやかな笑みを崩さないクロナ神父。
覚悟を決めた表情を浮かべるノラ。
こうして私達三人は女王の招待に応じて向かうことになるのだった。
吸血種の巣窟……中央へ。




