第365話 天の使い
負けるわけがない。
ギルバート・ヴォルフはこの戦いをそう結論付けた。
吸血種に抗うとは、人族のなんと愚かなことだろうか。
今もまた一人、首を刎ねられて死んだ。
復讐とは、命を天秤にかけられるほどに重いものなのか?
(……尊厳なら、まだ分かるのですがね)
自身が百八番街などという地方に飛ばされたのは、かつてヴォルフの同僚が彼の手柄を横取りし、更に虚偽である彼の怠慢を中央へ報告したからであった。当然そのことに対して怒りを覚えた。だが、それは相手へ対しての怒りではない。そんな人間を信頼していた自分の弱さへの怒りだった。
力を持つ者が強者なら、弱者は黙ってそれに従うしかない。
情報力と、工作力で自分は奴に負けたのだとヴォルフは納得していた。
だからこそ理解できなかった。どうして強者に逆らうのかと。どうして無駄な戦いを挑んでしまったのかと。
(あの吸血種の娘がもっと強ければ話は違ったかもしれませんがね)
ルナを吹き飛ばした方向へ視線を向けると、何かが光るのが見えた。
「あれは……魔力の光……?」
魔力を光として認識できる吸血種にのみ見えた、魔力の煌めき。
「…………ッ」
ルナ・レストンが何かをやっている。そう認識した瞬間に、彼は身構えた。
だが、影魔法の射程は短い。精々が五メートル。あそこから届くわけがない。
(私の『黒鉄の水』のような固有魔術……? いや、だとしてもここまでは……)
射程を離れても霧散しないように込められた魔力は、その代わりに発動時の運動エネルギーを犠牲にしている。要は生み出した影を、実際に掴んで投げなければ動かないということ。
あの位置から狙って攻撃するのは、物理的に不可能だ。
なら、何をしようとしている?
疑問を浮かべたヴォルフは周囲を観察し……気付いた。
(なんだ、あれは……匣……?)
空中に浮かぶ魔力でできた黒い立方体。
それが吸血種達の周囲に一つ、また一つと増えていく。
更には自分の近くにも……
「…………ッ!」
嫌な予感を覚えた彼は、その匣から遠ざかろうと身を翻す。
だが……遅かった。
「なっ……これは……っ!」
まさしく不意打ちだった。箱から飛び出した影糸が、自身を、吸血種の同僚の身体を捕縛していく。増え続ける匣は、次々に糸を吐き出してはより強く吸血種たちを拘束する。
「くっ、この……ッ!」
影魔術の強度は、込められた魔力量に比例する。
断ち切ろうと影魔術を使う吸血種もいたが、すべて無駄だった。
(ならば蝙蝠に変身して離脱を……ッ)
魔力を集中する、その直前……
──ゴキッ……!
拘束された部位、手足や首といった部分が、強く締めあげられることで骨折する音が響く。激痛に顔をしかめると同時に相手の意図を理解する。
(逃がす気はない……ということですか……!)
増え続けた影糸はすでに吸血種達の身体を芋虫のように包み込んでいた。
まるで蜘蛛のような周到さだ。抵抗どころか、動かすことすら最早できない。
「ぐっ、うううっ……!」
呻くことしか出来な彼らの眼前、正確にはその頭上から声が響く。
「窮屈でしょう? それがずっと皆の感じていた生き苦しさだ」
声に視線を上げると、空中に天使が立っていた。
「他種族を排斥し、差別し続けた人族は先の大戦の標的にされたって話だけど……歴史は繰り返すってやつかな。理解してる? 今度は自分達が狩られる立場だってこと」
美しい白髪を羽のようになびかせた少女……ルナ・レストンがそこにいた。
「お前たちを殺すのは私じゃない。お前たちが蒔いた憎しみの種そのものだ」
気付くと、周囲に人族が集まっていた。その誰もが暗い殺意を瞳に宿して。
彼らは持っていた剣や銃を、吸血種……その心臓部へ向ける。
「待て……話をっ!」
狙いを悟った誰もが声を上げようとして……その瞬間に口元を影糸によって覆われる。
「もう、交渉の時間はとっくに過ぎているんだよ」
声を、言葉を封じられた彼らは、身動きもできずただ己の運命を受け入れるしかなかった。
その場にいた吸血種六名、その全員が。
「──終わりだ」
そうして復讐の杭は、吸血種達の心臓に打ち込まれるのだった。
◇ ◇ ◇
身動きの取れない吸血種を蹂躙する人族。
その光景を私は、空中から見下ろしていた。
自分の手を汚さずに仕向けたことは、少しだけ後悔している。でも、これもまた必要なことだとも思っていた。
人族のみんなには決起する機会が必要だ。ここまでのことをしてしまったからにはもう進み続けるしかないだろうから。
「……さて」
すべてが終わったことを確認した私は、『天影糸』を解除して地上に降り立つ。
空中を歩いていた仕組みは簡単、私の足元と視界内にある建物の壁や地面、それらの距離を零にし、影糸で仮想の足場としたからだ。
距離による魔力消費の増大もないため、意外と低燃費なこの魔術。
とても良い術式を教えてもらったものだ。使って初めて分かるその凄さ。
まさに芸術的、天才の所業だね。弱点があるとすれば、瞬きができなくて目が乾いてしまうことだけど、まあこればっかりは仕方ない。
「ルナさん、彼らを拘束していた影はもしやあなたが?」
地面に降りた私に、クロナ神父が真っ先に駆け寄ってきた。
「私の魔術だよ」
大黒天と名付けた新シリーズの魔術。
影法師との違いは、魔術の起点が私にあるか箱にあるかの違いだ。
威力が上がった訳ではないが、その射程は今までの比ではない。
なにせ、私の視界内全てが射程範囲内なのだから。
「そうでしたか……やはり、予言は正しかった」
「そういえばさっきも言ってたっけ。その予言ってのはなんなの?」
「すみません、その話はまた後で。それより先に……」
申し訳なさそうに眉を寄せたクロナ神父は後ろに振り返り、反乱軍に向けて声を張り上げる。
「よく聞け、同胞達よ! 我々はたった今、反逆の狼煙を上げた! 最早引き返すことはできない! このまま進めば、今日以上の犠牲を払うことになるだろう! だが、それでも……我々は勝利した! この勝利こそが私達の願った夢であり、希望であり、未来である! 恥辱の生を求めるな! 誇りある死を恐れるな! 我らの勇姿を神は見ていてくださったのだから!」
そう言って、クロナ神父は私の方を向き直り、仰々しく片膝をつくと、ハグを求めるように両手を広げて私を見た。
「その証拠が、この麗しき戦天使……ルナ様の御降臨である!」
「……は?」
いきなり何を言い出すのかと思えば……私が天使、だと?
確かに見た目は天使級の可愛さだと自負してはいるが……
「おおおおおおおおっ!」
「本当に、我らを救いに来てくださった!」
「予言は本当だったんだッ!」
私が否定する間もなく、観衆の歓喜の声が響き渡る。
狂乱と言ってもいい、恐怖すら感じるほどの熱量を感じるぞ。
「あの、ちょっと待ってよ。いきなり皆は何を……」
「ルナ・レストン。この名は我らの聖典に書かれている予言にある名前なのですよ。『彼の者は幼き少女の身に鬼神を宿して現れる。名は、ルナ・レストン。人族を導き、世界に平和をもたらす者なり』」
クロナ神父の語った一文は、先ほど聞いたものだ。
「平和とは則ち、吸血種の支配からの脱却を意味するのでしょう。先ほどの一幕も合わせて考えると、予言は正しかったと誰もが認識するでしょう。これから月夜同盟の信者は爆増するはず、そうなればより世界の変革はより現実的に……」
「ちょっと待って」
冗長に語るクロナ神父の言葉のなかに聞き逃せないワードがあった私は待ったをかける。
「え? 今、月夜同盟って言った……?」
「ああ、我が宗派の名ですよ。普通は最後に教とつけるものですが、我らの神の教えはあらゆる人種を平等に見るものでして……」
興奮しているのか、ぺらぺらと熱く語りだすクロナ神父が気持ち悪いのは一旦、置いておいて……月夜同盟だと? それは私の幼なじみが作ったサークルの名だ。
ただの偶然……なのか?
「……ねぇ、その宗教を開いたのは誰かとか分かる?」
「ええ、もちろん。なにせ、私の先祖ですから」
「先祖?」
「はい。アンナ・ミューラー、これが開祖の名です」
「…………ッ」
やはり、偶然ではなかったということか。
宗派の名前と開祖の名前、二つの偶然が重なることなんてない。
つまり……過去のアンナは私にメッセージをくれたのだ。誰もいなくなってしまったこの世界でも、確かに繋がるものはあるのだと。
クロナ神父が私に親身になってくれていたのは、ルナという名前が前提にあったからだったらしい。
思えば私のフルネームを気にしていたのも、確かめたかったのだろう。
しかし……月夜同盟、か。
懐かしい名前だ。胸の奥がじんわりと温かくなる。
こんなことならもっと早くに腹を割ってクロナ神父の話を聞けば良かった。
「ルナ様に接近したのも、貴女が予言の子であるかを確かめる為でした。今までの非礼をお詫びいたします。そして改めて……このクロナ・ミューラー。あなた様のために粉骨砕身の想いで付き従わせていただきます!」
……最後のストーカー宣言は聞かなかったことにしたいけど。




