第363話 予言の日
生死をかけた極限状態での戦闘は、スキルとは別の意味で私の集中力を掻き立てていた。更にそこに加わるスローモーションの世界。私はかつてないほど濃密な時間の中で魔術を行使し続けていた。
──『影糸』。
──『閃血』。
──『纏魔』。
魔術とは、魔力とは、即ち世界を変革する力だ。
それぞれに『変異』『付加』『転移』『維持』『干渉』『収斂』と言った特徴を持つ各属性の魔力特性は個別に独立しているわけではなく、それぞれが混ざり合うようにしてその人個人の魔力となっている。
魔力を水に喩えるなら、魔力性質は色。
人それぞれに違う色の魔力を持っているイメージだ。
更に言うなら術式はホースだろうか。ホースから吐き出される水は、ホースの形となって押し出される。どれだけ大量の水を流そうとも、基本的に魔術の威力が変わったりしないのはこれが原因だ。
『ルナはさ、なんていうか勿体ないわよね』
いつかアリスに言われたことがある。
『エルフよりも膨大な魔力をもって生まれたのに、それを扱いきれる術式が人族の術式体系の中には存在しないのだもの』
どれだけ膨大な貯水タンクがあったとしても、蛇口が小さければ周りと差が生まれないという話。持続力があるのだから、それで十分だと思っていたが……私はもっと自分にあった術式を探すべきだったのかもしれない。
いや、もっと言うなら……自分で作るべき、か。
自分の魔力適正でしか使えない最適化された魔術。
つまりは『固有魔術』を。
私はそれを難しいものだと思っていた。一部の天才のみが到達できる領域なのだと。
だが、この戦いの中で私は掴みかけていた。魔力ではなく、術式の神髄を。
ホースそのものの材質を変える、ホースの持ち方を変える、ホースに切れ込みを入れる、それだけでも吐き出される現象は変化する。最適化された術式への調整は難しくとも、微調整ならば難易度は大きく低下する。
そう考えると、魔術には無限の可能性が眠っているのだ。
自分の思うように術式を変え、理論を整え、世界を構築する。
(ようやく分かった気がするよ、魔術オタクの気持ちってやつがさ)
確かにこれは面白い。神にでもなったような気分にさせられる。
とはいえ、今は魔術に没頭している暇はない。
ヴォルフは強い。はっきり言って、今まで戦ってきた誰よりも。
今の私の実力では、例え下駄を履かせたとしても届かないだろう。
だから、どこかで超える必要があった。今までの自分を。
もしも、それが叶ったならば……今までの比ではないほどに私は強くなる。
──そんな予感があった。
◇ ◇ ◇
「はっ、はっ、はっ……!」
一体、どれだけの時間が経った? 体感ではもう十数時間……いや、丸一日程度は経過している気がする。周囲はまるで怪獣が暴れたかのように滅茶苦茶なありさまだった。
めくれ上がった地面、横転した車、無人と化した交差点で私達は詠唱を続ける。
「──『黒鉄の水』ッ!」
「──『影糸・黒縄網』ッ!」
何度目とも分からない攻防、互いに高い回復能力を持っているせいで、戦いは泥沼化していた。吸血種同士の対決は……辛い。
特に『集中』スキルの常時発動による精神力の消耗が著しい。
魔力はまだ持つが……先に私の精神が音を上げそうだ。
(上げるつもりはないけどねッ!)
足元に『影槍』を生成し、勢いをつけて跳躍。頭上から『閃血』を放つ牽制を入れつつ、『影糸』を使って空中を移動し、ヴォルフの側面……視野の外へ潜伏を試みる。
一撃必殺を狙うなら虚をつく必要がある。ステルスキルを狙ってのことだったが……ダメか。見られていた。
「──『黒鉄の水』!」
物影にしていた車を、ヴォルフの投げた槍が貫通する。
逆にこちらが向こうの挙動を見づらくなってしまった。
腹部に空いた大穴を『再生』しつつ、物陰から飛び出す。
(このままだとジリ貧だ……ッ! 何か、何かもう一手が欲しい……ッ!)
勝機を探して駆ける私の耳に、突如、パンッ! という破裂音が響く。
「そこまでです! 二人とも動きを止めてください!」
見ると拳銃のようなものを持った十数人の人族が列になって私達に銃口を向けていた。その制服には見覚えがある、レイチェルが着ていたものと同じだ。ということは彼らは監査官、ということなのだろう。加えて後ろにいるのは……あの角、吸血種か? こっちは五人程度だが、程度というには強すぎる戦力だ。
(敵の、増援……?)
だとしたら今度こそ一巻の終わりだ。とてもではないが、あの数と戦って勝てるビジョンが浮かばない。そんな最悪の想像をする私に、
「……どういう状況だ、ヴォルフ。その少女は? なぜ戦っている?」
列の背後から出てきた軍服姿の吸血種の男が、ヴォルフに話しかける。
この男にも見覚えがある、確かリードという名前のヴォルフの上官らしき人物だったはずだ。家族を失った母娘を保護していた人物のはずだが……
「…………」
「どうした? 上官に報告できないのか?」
リードは明らかにヴォルフの陣営だが、なぜか彼は事情の説明を渋った。
何か事情があるのか? だとしたらこの状況を切り抜けられるかもしれない。
「……これは私が最初に手を付けた案件です。いくらリードさんでも、手は出さないでいただきたい」
「何を言うか。私達はチームで、お前は私の大切な部下だ。無駄な苦労はさせない。さあ、状況を報告したまえ」
「……彼女の名は、ルナ・レストン。女王が確保を命じられた人物です」
「ほう? 女王が? それはなぜか知っているのか?」
「……いえ。ただ、予想はつきます。彼女は人族に与する存在です。我々の社会の秩序を乱す可能性が高い。故に警戒されているのかと……」
「人族に与する吸血種、か。変わった奴だ。さっさと捕らえてしまえ」
「ですが、なかなか骨のあるやつでして……」
「はっ、正面から戦う必要がどこにある?」
リードと呼ばれた上官は、近くにいた人族の男性から拳銃を奪い取り、ぱんっ、と何の躊躇いもなく男性の足を撃ち抜いた。
「ぐっ、ああああああああああああッ!」
「上官っ!? 一体、何を……っ!」
「人族に与する者ならば、それ相応の対応をすればよい。さあ、次は頭を撃ち抜くぞ。それが嫌なら投降したまえ、ルナ・レストン」
周囲のどよめきなど一切無視して、リードが告げる。
こいつ……私を脅す為に、男性を撃ったのか?
「同じ組織の人間じゃないのかよ……っ!」
「だから最初は脚を狙ってやっただろう。殉職届を出すのは面倒だからな」
「…………」
人は驚きすぎると声も出なくなるらしい。ああ、だから絶句というのか。
さっきまでの激戦から急な展開の変化に頭がどうにかなってしまいそうだ。
「投降の意志はないか? ならば仕方ない……おい、お前たち。あの女が動いたら自分の頭を撃って自害しろ」
リードの言葉に思わず笑ってしまいそうになる。
なんだその命令は。誰が従うってんだ。
「わ、分かりました……」
「はあ? おい、ちょっと、何してんだよアンタらっ!」
ありえないと思っていたのだが、監査局の人たちは誰一人笑うことなく、それどころか震えながら自分の頭に銃口を向け始める。まるで本気かのように。
「…………ッ!」
「妙な反応だな。こいつらが命令に従うなんて当然のことだろう。命令に従わなければ、親類縁者もろとも血液バンク送りが待っているのだからな」
「血液バンク……」
聞いたことがない名前だ、恐らく施設だろうが……そこがまともな場所ではないのは分かる。なにせ、その名前を聞いただけで何人もびくついていたくらいだ。
「……ろくでもないな、本当に」
「君の主張は後で聞こう。牢屋か、絞首台の上になるかは分からんがね」
リードが手を振ると、控えていた吸血種がこちらに近寄ってくる。
「君、大人しく投降を……」
最初に私の肩へ手を伸ばした吸血種へ、私は全力の拳をお見舞いする。
血を吐きながら吹き飛んでく同僚に、ようや他の吸血種共は理解したらしい。
私が投降する気などない、と。
「なっ……! 貴様、動くなと……っ!」
「知らないよ。そいつらが死のうと生きようと、それはそいつらの選択だ。トリガーにかけられてるのはあくまでそいつら自身の指だ」
私は今までの鬱憤を晴らすかのように、人族へ話しかける。
「いいかお前ら! 私はお前らを助けない! 死にたかったら勝手にしろ! ただその前に言わせてもらうけどな……っ!」
駆けだした吸血種数人を視界に、『影法師』を展開。
四方から飛んでくる影魔術を防ぎつつ、私は想いを爆発させた。
「──お前らの人生、それで良いのかよッ!」
右の剣を首を振ってかわし、左の斧を『影槍』で弾き、前方のハンマーを蹴り上げて逸らし、後方の鎌を跳躍して回避する。
この場には私以外に六人の吸血種がいる。そして、そいつらは全員私の敵だ。
勝てるわけがない。たった一人のヴォルフにすら苦戦していたのだ。当然だ。
だが……そんなことは生きるのを諦める理由にはならない。
「バカみたいに千年も搾取され続けてッ! 悔しくないのかッ! 差別されて、弄ばれて、軽んじられて、怒りを感じないのかよッ!」
言葉を発する度に、私の心の奥底から沸々と暗い感情が湧き上がるのを感じる。
……ここまで来たらもう隠す必要もないだろう。
「お前らの人生は、お前らのもんだろうがッ……!」
私はこの時代に来てからずっと、ずっとずっと怒っていた。
理不尽に屈する人たちに、無関心を装って平静を保とうとする人たちに。
「私は……っ!」
背後の鎌が私の右足を切断する。身動きの取れなくなった私へ、
──ドガアアアアアアアアアアッ!!
「ぐっ、は…………!」
超重量のハンマーが私の身体へ直撃する。
左腕が潰され、肋骨も折れている、内臓もぐちゃぐちゃだ。
「ごほっ……!」
痛い、苦しい、辛い、今に白旗を上げればこの私刑からは解放されるだろう。
だが、それは連中への屈服を意味する。それだけは許せなかった。
「私は……戦うぞ……っ」
震える足に気合を入れ、立ち上がる。
「理不尽に屈したりなんかしない、自分の心を抑えて、理由をつけて納得したフリなんかしないッ!」
社会に迎合し、感情を殺して理性的に生きる。
それが人のあるべき姿なのかもしれない。それが賢い生き方なのかもしれない。
だが、自分に嘘をついて生きた人生に、真の幸福は訪れない。
「お前らだって、本当はそうなんだろう!? 誰に縛られることもない、自由な世界を願ってるはずだ! 今、私の言葉を聞いてることがその証明だろうがッ!」
私の戦う姿を前に、発砲する者は誰一人としていなかった。
固唾をのんで、この戦いを見守っていた。
「力がないなら、せめて祈ってろ! 私がこいつらをぶちのめす瞬間をッ!」
私の剣幕に、吸血種の連中も戸惑っている様子だ。
考えてみれば当然のことなのかもしれない。特権階級を約束された吸血種が、こんな風に社会体制へ反旗を翻す理由なんてない。しかも命を賭けてだ。
「ええい、何をやっておる! 小娘一人、さっさと捕らえんか!」
とはいえ、だからと言って仕事を放棄するような者はいない。
私の劣勢には変わりない。いいよ、どこまでも付き合ってやろうじゃないか。
深呼吸と共に、背水の陣を覚悟する私へ……
「素晴らしい覚悟を見せていただきましたよ、ルナさん」
背後から、聞き覚えのある声が届く。
「『彼の者は幼き少女の身に鬼神を宿して現れる。名は、ルナ・レストン。人族を導き、世界に変革をもたらす者なり』……私達はずっとこの予言の日が訪れる時を待っていました」
こちらへ近づいてくる無数の足音。振り返ると、何十人もの人族を率いるようにして、“彼”が先頭を歩いていた。
「次は私達が覚悟を見せる番です。行きますよ、皆さん」
普段のお道化た雰囲気はなく、真剣な表情で彼……クロナ神父はそこにいた。
「さあ──反乱を始めましょう」




