第360話 心の力
私に蹴り飛ばされたヴォルフは、片膝をつきながらも笑っていた。
「決着をつける、ですか。ようやく同じ土俵に上がっただけというのに、随分と上から目線なのですね」
「……まあね」
再生能力を持つ吸血種同士の戦いであれば、まず敵の急所を狙った一撃必殺が定石となる。だが、ヴォルフは私を捕らえることを目的にしているようなので、向こうがそれを狙ってくることはないだろう。
となると、『再生』スキルに回す魔力がなくなるまで耐久戦を仕掛けるという手になるが……これも膨大な魔力を持つ私には悪手としか言えない。
ステータスを見ることのできない男には分からないことだろうが、私とヴォルフには圧倒的な魔力差がある。消耗戦になって私が負けることはない。
「その余裕、なんだかんだ言ってあなたも浮かれているじゃないですか。この圧倒的な力の快感に」
「ん?」
「分かりますよ。吸血によって得られる全能感は他では決して味わえない」
吸血による感情の変化……そう言えば、前の私もそうだった。
暴力的な思想に染められるあの高揚、最近だと感じなくなっていたが……
「理性を放棄した発言だね。嬉しそうに言うことではないでしょ」
「これは強者の特権ですよ。権力、資金力、支配力。力と名のつくものに人は従う。そして、最も原始の力こそがこれ……暴力です」
話の途中でヴォルフが加速する。
だが、今回は完璧に見えているぞ。
──ギィィィンッ──
ヴォルフの短剣と私の刀がぶつかり合い、空中に火花を散らす。
「あなたも私に従えばいい!」
「言ってろっ!」
二撃、三撃、四撃……打ち合う度に苛烈さを増していく攻撃。
力で強引に押し返そうと試みるが……ダメだ。
ヴォルフの攻撃はその速度に比例するようにとてつもない重さを持っていた。
「くっ……そが……ッ!」
それでもなんとかヴォルフの攻撃を振り上げる軌道で弾き返すと、彼はバックステップと同時に両手の短剣を投擲。足元を狙って放たれた短剣を私は跳躍してかわす。
「──『影糸・殺陣』」
空中で練り上げた魔力を、鞭のようにしなる影糸に変化し放つ。
鋭く細い影糸は、鞭というよりはナイフのような鋭さだ。
触れればズタズタに切り裂かれる嵐のような斬撃に、ヴォルフは、
「──『黒銀の水』」
短く呟き、両腕を左右に伸ばすと、棺にも似た漆黒の盾を作り出す。
ズン、と地面を響かせ設置されたその大盾は影糸を遮断する防護壁となる。
「──『影糸・影舞踏』」
防がれる未来を予感した瞬間、私は次の一手を打っていた。
空中に張られた糸を足場に、ヴォルフの頭上を越えるように跳躍。
頭上からの攻撃は、最も防ぎにくいはず。
「──『閃血』!」
途中、影糸でわざと斬りつけた右腕から滴る血を砲弾へ変え、ヴォルフに放つ。
見上げるような角度で私を見る男の口元には笑みが浮かんでいた。
「ハハハハッ!」
一体何が楽しいのか、笑い声をあげる男は散弾のように降り注ぐ血の雨を両腕を交差させて受ける。見ると、彼の両腕が漆黒に染まっていた。
そうか、あの魔術、自分の身体にまとわせることもできるのか。
(まずい、ダメージが通ってない。これだと……っ)
私の攻撃を受けきったヴォルフが即座に駆け出す。
ヤツの狙いは私の着地点、空中を飛ぶ私の行く先を予測してのことだろう。
なら……
「──『影糸・影舞踏』!」
「──『黒銀の水』!」
空中で方向転換をしようとした私の影糸を、ヴォルフの投げつけた短剣が歪ませる。
予測しない足場に重心を崩された私は……
「はッ!」
ヴォルフの短剣をもろに受けてしまう。
頭部に走る重たい衝撃、夜目の効くはずの視界が黒く塗りつぶされる。
(しまった、奴の狙いは……!)
私の眼球、より正確に言うならば視力か。
超高速で行われる吸血種同士の戦闘では、傷を『再生』する一瞬の隙が命取りになりかえない。
突き刺さった短剣を引き抜きつつ、周囲に影糸を展開する。
視力を奪ったうえでの強襲、それが奴の狙いだと思ったからだ。
だが……
「…………?」
予想したヴォルフの追撃はいつまで経ってもやってこない。
即座に回復した視力でヴォルフを見るが、先ほどまでいた彼の姿はどこにもない。
逃げた……わけではないだろうが。
「……意外ですね」
ヴォルフの声は背後から聞こえた。
「…………ッ!」
振り返り、まず初めに視界に飛び込んできたのはノラの表情だった。
地面に腰をつけ、大粒の涙を流しながら何かを叫んでいる。
──ぴちゃん──
次に見えたのはヴォルフがもつ長刀だ。
長く伸びた切っ先は真っ赤に染まっている。
さらにその先には……
「……ごぽっ……」
腹部を貫かれた体勢のまま、口から血を吐き出すレイチェルの姿があった。




