第353話 信用できるかどうかはその人の目を見れば分かる
ノラ視点から始まります
夜は嫌いだ。
無駄に人が多いし、馬鹿みたいに騒がしいし、理由もなく不安になる。
それはきっとノラが社会不適合者だからなのだろう。誰もが過ごす日常に溶け込めない感覚。ふとした瞬間に自分が世界の異物であるかのように感じてしまう。
もちろん、努力はしたよ? 普通の子供のように振舞おうとしたんだ。
興味のないファッション誌を読み漁ってトレンドを追ってみたり……
流行中の映画を鑑賞して、自分なりの感想を探してみたり……
女の子らしい趣味を色々と試してみたり……
だけどダメだった。少しでも意識が逸れた瞬間に、魔術のことが頭をよぎった。
禁止されていることをする背徳感に酔いしれていたわけではない。むしろノラはそう言うことに対しては苦手意識が真っ先に来るタイプだ。
それでも魔術の研究を続けてきたのは、パパとママの言葉があったから。
『いいかい、ノラ。私たちはこの相伝された魔術を研究し、復元しなければならないんだ。私達で無理なら次の子へ、その子も無理ならその次へ、いつか終わりが来るその時まで』
なぜ? と問いかけるとパパは真剣な表情で答えた。
『それが私達の家系に課せられた義務だからだよ。それに、これはグレイ家の歴史そのものでもある。今まで脈々と受け継がれてきた知識を、無駄にするなんてもったいないだろう? それが私達グレイ家の中で交わされる血の約束だ』
約束を守ること、それがグレイ家に伝わる家訓だとパパは言った。
だけど、私にとってそんな小難しい理屈はただのきっかけに過ぎなかった。
魔術の研究を行ううち、一の答えを知ると十の疑問を持った。
十の疑問を追求すると、百の解法を思いついた。
そして、百の中からたった一つの最適解……答えを導き出す。
あとはこの繰り返し。無限に続く魔術の深淵にノラはどっぷりと魅了された。
ノラが見つけた魔術式を披露すると、パパとママは褒めてくれた。幼い頃のノラにとって、それはまさしく生きがいだった。
なのに……
「なんでだよ……なんでだよぉっ……!」
どうして自分の生き方を否定されなければならないのか。
ノラはただ魔術が好きで、パパとママが大好きで、それだけのことなのに。
誰にも理解されない。たった一人の親友にすらも否定されてしまった。
これだけ多くの人がいるのに……ノラはずっとずっと孤独だった。
自分が異端者であると、後ろ指をさされているような気分になる。
だから……やっぱり夜は嫌いだ。
「あ……っ!」
どんっ、と何かにぶつかった反動で地面に尻もちをつく。
ろくに前を見ずに走っていたせいで、曲がり角でサラリーマン風の男性にぶつかってしまったらしい。擦りむいた掌から僅かに血がにじむ。
「…………」
相手の男性はこちらを一瞥すると、特に気にした様子もなく歩き出す。
この街の人達は基本的に他人に無関心だ。これだけ多くの人間がいるというのに……いや、多いからか。多すぎていちいち構っていられないのかもしれない。
「……気持ち悪い」
自分も似たようなものだというのに、咄嗟にそんな言葉が口を出る。
どこか一人になれる場所はないかと周囲を見渡し、ひっそりと建つ木造の建物を発見する。屋根につけられたモニュメントからして、教会なのだろう。
この街……いや、この国で、いもしない神様を信仰している人間なんてほとんどいない。それこそ魔術をひっそりと研究しているノラといい勝負だろう。
あそこならきっと一人になれるだろう。そう思って、教会へと足を向ける。
古びた外観の建物だが、きちんと清掃されているのか清潔感があった。
勝手に入っていいのか分からなかったが、特に施錠されているわけでもなさそうだったので重い両開きの扉に手をかけてみる。
「ん……しょ……」
ギィィ……と、音を立てて開いた扉の先には、まるで結婚式会場のように左右に分けられた長椅子と、部屋の奥の方に木製の台座が置かれている。
更に、最奥の壁面はステンドグラスになっているらしく、差し込む月の光を受けてきらきらと輝いていた。
「……綺麗だ」
芸術に疎い自分ですら、そんな言葉が自然と漏れた。
何も考えず、ぼーっとその場に立っていると……
──ギィィ──
ノラが入ってきたと同じ音を立て、教会の扉が開かれる。
振り返ると、そこには僅かに息を切らすルナ・レストンの姿があった。
「やっと追いついたよ、ノラ」
◇ ◇ ◇
「やっと追いついたよ、ノラ」
途中で見失いかけたが、なんとかノラの元に辿り着くことができた。
身長の低いノラのことだ、人ごみに紛れられてしまえば追跡は困難だっただろう。人の少ない方へ向かってくれてラッキーだった。
「さあ、帰ろうノラ。こんな時間に出歩いたら危ないよ」
「……帰るって、どこにさ」
「え?」
「ノラに帰る場所なんて……ない」
そう言ってノラは部屋の奥、ステンドグラスに視線を向ける。
私は帰らないぞ、というアピールなのだろう。
「はあ……気持ちは分かるけどさ……」
「ルナに何が分かるってのさ。この時代のことも、何も知らないのに」
なんとか宥めようと近寄る私を、ノラは拒絶した。
ぴん、と張り詰めた空気に思わず足が止まる。
「確かに、ノラの気持ちを完全に理解できているなんて言わないさ。でも、まったく分からないなんてこともない」
「……嘘だよ」
不貞腐れたように呟くノラに、少しだけ……かちんと来た。
「……ノラだって、私のことを何も知らないでしょ」
「それぐらい見てれば……」
「私が助けようとしている母親は、本当の母親じゃない」
「……え?」
私の言葉に興味を惹かれたのか、ノラがこちらに振り返る。
「厳密にいえば、本当の母親でもあるんだけど……私の心情的には、育ての親って感じでさ。まさしくノラみたいに居候していたような心地だったんだ」
それはこの世界に転生したばかりの頃のこと。
前世の両親のことが頭に残っていた私は、この世界の両親のことを本当の両親だと思えなかった。私の言動はずっとどこかぎこちなかったことだろう。
「でもさ、最近ようやく距離が縮まったように思うんだ。心の底の部分で、本当の家族だって認識できるようになったっていう感じかな。だから、ノラを思うレイチェルの気持ちが私には分かるんだ」
血の繋がりは確かに大切だ。だけど、それが全てではない。
「それと同時にノラの気持ちもね。私がここに来た理由は家族を助けるためだから。ノラの中央に行きたいって目的だって心から応援してる。魔術を完成させてもらえないと過去に帰れないっていう打算を抜きにしてもね」
レイチェルにとってノラが大切な存在だとしても、ノラの両親までもそうではない。だが、ノラにとってはレイチェルも両親も同じくらい大切な存在なのだろう。だから、今の二人にはすれ違いが発生してしまっている。
そして、どちらか一人の心にしか寄り添えないというのなら、私は……
「私はノラの味方でありたい」
止まっていた足を、もう一歩踏み出す。
「それがこの世界で許されないことだとしても、中央に行かせてあげたいし、両親に合わせてあげたいし、魔術の研究だって続けさせてあげたい」
「なんで……? なんで、そんな……」
歩み寄る私に、ノラは一歩後退る。両手を胸の前に置き、不安げに身を捩る。
「ノラみたいな変な子に優しくする理由なんてないのに……」
こちらを向いたノラは、泣いていた。
目元に雫を溜めながらも、懸命に耐えていた。
この世界の理不尽に、この世界の不条理に。だから私は……
「変な子なんかじゃない」
そっと、優しくノラの肩に手を置いて励ます。
「家族を大切に思うのも、好きなことに夢中になるのも、全然変なことじゃない。もしもそれが間違っているって言われるのなら、それは社会の方が間違ってる。だから、ノラが自分を卑下する必要なんてないんだよ」
安心させるように背中をさするように、軽く叩いてあげる。
するとノラはひぐっ、と鼻声交じりの声をあげ私に抱き着いて来た。
「ノラは……ノラは、パパとママに会いたいっ……」
「うん。分かるよ」
「ずっと、ずっと思ってたっ……だけど、方法なんて分からないから、ずっと諦めて、でも、心の中ではずっと……っ」
ついに感情の歯止めが利かなくなったのか、大声を上げて泣き始めるノラが私の背中に両腕を回し抱き着いてくる。まるで何かに縋るように。
「うわああああああああんっ!!」
そんな彼女の背中を私は優しくぽんぽんと叩き続ける。
少しでもノラの気持ちが楽になれるように。少しでも孤独が和らぐように。
そのまま数分ほどそうしていると、やがてノラも落ち着いてきたのか、
「……ぐす、ごめん。ルナ……ありがとう……」
未だ鼻声のままだったが、ある程度は感情の整理がついたらしい。
すっ、と私から体を離すと目元をごしごしと袖で拭い始める。
「お礼にはまだ早いよ。ノラと中央に行くって目標はまだ果たせてないんだから。その方法だって見当もついてないわけだし……」
「……そうだった」
そう、結局のところ私達が手詰まりになっている事実に変わりはない。
過去から来た私はともかく、現代に暮らすノラですら目途が立っていないのだからいよいよもって深刻な問題だ。
「……まあ、なんとかするよ」
「なんとかって、どうやって?」
「別に街境に壁が建てられてるってわけでもないんでしょ? いざとなったら強引に突破しちゃえばいいのさ」
これがウォールなんちゃらなんて名前のついた巨壁であったなら骨も折れただろうが、所詮は地続きの街だ。やってやれないことはないだろう。
「それは……」
「──それは止めておいた方がいいでしょう」
言いかけたノラの言葉を遮るように、背後から男の声が聞こえた。
「…………ッ!」
振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
漆黒のローブと、鼻にかけられた丸眼鏡。細められた瞳は一見、笑っているように見える。柔和な雰囲気を携えたその人物は一見すると……
「……神父、か?」
「ええ、そうです。私はここの管理を任されているクロナと申します」
軽く一礼するその姿は慇懃ではあったが、私の直感が告げていた。
「──以後、お見知りおきを」
こいつを信用してはならない、と。




