第352話 焦りと油断と亀裂
こちらの時代に来てから早いもので2週間が経とうとしていた。
その間に私は図書館で情報を集めたり、ノラと魔術の研究をしたりと忙しく動き回っていた。正直に言うと、少し焦っている。
これだけの時間をかけて得られた情報が少なすぎるからだ。
得られたと口にできる情報は歴史についてくらいのもの。
私にとっては未来の話にあたるものだ。
(新暦と呼ばれるようになった時代の転換期……計算が間違っていないなら、私が『ノアの箱舟』で未来へ向かってから僅か数年の間に起きていることになる)
今となっては大昔の話で、詳しい文献を調べようにも信憑性に難がある。
だが、ひとつだけ確実に言えることがある。それは『第一次魔術大戦』と呼ばれる大きな戦争が起こったということ。
そして、その戦争でエルフリーデン王国が滅ぶということだ。
「…………」
にわかには信じられない。私達が暮らしている王国は大陸の中でも最大の国土と兵力を持つとされている大国だ。
(文献では他種族を虐げてきた人族に対し膨らんだ憎悪が原因とされている。他の種族の国が手を組んで人族を攻めてくる……ってことなんだろうけど)
そこまではまだ理解ができる。違和感が残るのはその後の流れだ。
滅びそうになった人族に手を差し伸べたのが、現在でも人族と共に歩む吸血種である。吸血種と人族は互いに手を取り合い、この難局を打破し、今では他の種族全てを滅ぼすに至る……と。
いやいやいや、吸血種なんてそんな多くいませんから。
私がいた時代だと吸血種なんて伝説の存在でしたやん。
「人族と吸血種が手を取り合って、ねぇ……」
人族絶対主義の王国からすれば吸血種も彼らの言うところの亜人に分類される。
仲良く足並みを揃えることができるのなら、最初から戦争なんて起きていない。
「まあ、歴史なんて人の手が入ってる時点で歪められた情報でしかないけど」
とはいえ、ここまで大きな出来事が起こると言われれば気にもなる。
現状では知ったところで意味はないのだが。
「……っと、もうこんな時間か。そろそろ帰らないとまたレイチェルに怒られる」
深夜の2時ほどに図書館を後にした私は眠気眼をこすりながら帰路につく。
ここ最近は寝不足が続いている。具体的な手立てもないまま過ぎる時間に不安を感じているからだろう。睡眠の質もかなり落ちているような気がする。
「あれ? 電気が消えてる。誰もいないのかな?」
ハーバー家に着いた私は貰っていた合鍵で玄関の扉を開く。
家の人がいない中で居候の私が勝手にうろつくのは未だに抵抗がある。
レイチェルが帰ってくるまでは部屋で待っているとしようかな。
「はぁ……ちょっと疲れたな」
ふと漏れた独り言に改めて疲労を感じる。
そのままぼーっと窓の外の月を眺めていると……一瞬、意識が遠のく感覚。
このまま寝たら服とか皺になっちゃうかも……でも、少しだけ。少し……だけ。
「…………」
半分だけ眠っているかのような感覚の中で、誰かの足音が聞こえる。
僅かな雑音が心地よく、私がそのまま微睡の中にいると……
「きゃっ……!」
耳元で誰かの悲鳴が聞こえた。
「……ッ!? なに!?」
身を翻し、周囲に視線を配ると床にへたり込むレイチェルと目を見開いて立ち尽くすノラの姿があった。
「え……? なに、二人ともどうしたの? 何かあった?」
「…………」
「ご、ごめんなさい……私、ただちょっとルナの髪を結んでみようかなって……」
二人の視線は私の頭部、額の方に寄せられていた。
そこには見る分には分からずとも、触れば一発でバレてしまうものがある。
「……あー、なるほど」
私の額に生えた漆黒の角。それは紛れもない吸血種の証だ。
これは……やっちまったな、私。
「あー……えっと……」
「申し訳ありませんでしたっ!」
「……え?」
私がなんと説明したものかと考えていると、レイチェルはその場に跪き、頭を垂れて私に対して謝罪してきた。
「知らぬこととはいえ、私はその、今まで数々の無礼を……」
レイチェルの声は震えていた。震える声で私に許しを求めていた。
「え、なに、急にどうしたの?」
「……す、すみません。すみません……すみません……」
私と視線すら合わせようとせず、ひたすら謝り続けるレイチェル。
これまでのレイチェルの言動からは考えられないような態度の変化に、私は戸惑っていた。この世界において、人種の差と言うのはここまで……
「えっと、落ち着いて聞いて欲しいんだけどさ。私は確かに吸血種だけど、他の吸血種とは違うっていうか……ああ、どう説明したらいいか……」
しまったな。こんなことになるなら先にこちらのタイミングで打ち明けた方がよかった。きちんと説明できたかは分からないが、もう少し言葉を選べたのに。
「えーと、ノラなら分かってくれると思うんだけどさ。私がいたところでは吸血種には何の権力もなかったんだ。だから二人が私に対してへりくだる必要なんてないし、私としては今まで通り友達として接して欲しいんだけど……」
友達だと思っていた人から急に余所余所しい態度を取られたら誰だってへこむだろう。まさしく今の私がそんな心境だった。
「そ、そっか……今みたいな体制になる前だから……」
私が過去から来たことを知るノラは理解を示してくれたようだが、
「どういうこと……? 人族と吸血種が平等な街なんて存在しないはず……」
レイチェルにはむしろ疑問を増やす結果になってしまったようだ。
私がなんと言って説明したものか悩んでいると、
「……レイチェル。ルナはね、過去からやってきたんだ」
「えっ……」
私が止める暇もなく、ノラは私の特ダネを披露してしまう。
「ルナが過去からやってきたって? なにそれどういうこと?」
「これからちゃんと説明するね。ルナも聞いてて」
それからノラはレイチェルに私が『ノラの箱舟』という魔術を使って過去からやってきたことを告げた。そして、過去に戻る手がかりを求めて中央で情報を集めようとしていることも。
「だけどなかなかうまくいかなくてさ……そこで監査官のレイチェルの力も借りれたらって思って……」
いきなりノラは何を言い出すのかと思ったら……なるほど、レイチェルを仲間に引き込もうという魂胆だったのか。確かに、今の私達二人だけでは調査も手詰まりになっている。知り合いの多いレイチェルに頼むというのは一つの手だ。
だが……
「えと色々と急すぎてびっくりしてるんだけど……一応、話は分かったわ」
「じゃあ……」
「でも、ごめん。協力はできないかも」
笑顔を浮かべかけたノラの表情がレイチェルの言葉に固まる。
「な、なんで……?」
「なんでって……言わないと分からない? ノラが魔術に関わるのは私、反対だって何度も言ってるよね。いくらルナを元の時代に帰すためだからって、ノラが危険な目に遭うなんて許せない」
「危険なんてそんなこと……」
「ないなんて本気で思ってる?」
「…………」
禁止されている魔術の研究を行うリスクはノラも重々承知していることだろう。
流石の天才児ノラと言えど、言い返す言葉がないようだ。
「でも、ノラは……パパとママに何があったのか、知りたいよ……」
「だからってノラが危険を冒すなんてご両親も望んでないでしょうに」
「……レイチェルには分からないよ」
「え?」
話の途中で、ノラの様子が変わる気配を感じた。
服の裾をぎゅっと握りながら、潤んだ瞳でレイチェルを見つめるノラ。
「恵まれた環境で過ごしてるレイチェルに、ノラの気持ちは分からないよ」
細い声だったが、そこにはこれまで抱えてきたノラの感情が透けて見えた。
ここまではっきりと言われたことは初めてだったのか、レイチェルも驚いている様子だ。だが、それも一瞬のことで、
「だから何? 危険を承知で手を貸せば満足なの? だったら私の気持ちはどうなるのさ。ノラこそもっと周りの気持ちを考えたらどうなの?」
不満を露にした表情でノラを睨みつけるレイチェル。
おい、なんだかこれ……イヤな空気じゃないか?
「ノラだってちゃんと考えてる。これ以上、みんなの迷惑にならないようにって、だから両親を探してノラはこの家から出ていこうって……」
「やっぱり何も分かってないじゃない!」
いきなりのレイチェルの大声に、私もノラもびくりと体が震える。
見るとレイチェルの瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
「どうしてアンタはいっつも一人で解決しちゃうのよ。ちゃんと話もしないで、こっちのこと勝手に決めつけて……誰が迷惑なんて言ったってのよ……!」
「で、でも、ノラは……」
「ノラはノラはって、アンタってばいっつもそう! 自分本位で周囲のことなんて何も考えてないじゃない! 魔術の研究は止めなさいって、一体何度言ったら分かるの!?」
「…………う、うぅ」
おろおろと明らかに視線が泳いでいるノラに余裕はなさそうだ。
とはいえ、ここでうまく仲裁できるほどに私のコミュニケーションスキルは高くないわけで……
「もう知らない。出ていきたいなら勝手にすればいいわ」
私達に背を向けて部屋を出ていくレイチェルを止めることもできない。
バァン! と勢い任せに閉められる扉に私とノラは再び揃って体を震わせる。
……こ、怖かった。どうして女の子が怒るとあんなに怖いんだろう。
「えっと……ノラ、大丈夫?」
「……出てく」
「え?」
「ノラ、家出する」
言うが早いか、ノラは部屋の窓を開け放ち、のそのそとよじ登り……音もなくその場から一瞬にして消えてしまう。
「はぁ!?」
今の挙動、間違いない、『ノアの箱舟』を使った瞬間移動だ!
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ノラは頭に血が上っているのだろう、こんな街中で魔術を使うなんて……誰かに見られたら大変だ。早く追わないと。
その前にレイチェルに声をかけるか? いや、彼女が来たところでまた喧嘩になるかもしれない。それよりもノラの姿を見失う方が問題だ。
(『ノアの箱舟』の射程は視界内、つまり見える範囲にいるはず……!)
窓から身を乗り出し、深夜の街に目を凝らす。
……いた。ノラだ。どうやら魔術を使って飛び降りただけで、街中に入ってまで使うつもりはないようだ。これなら追いつける。追いつけるが……
「ああ、もうっ! こんなことしてる場合じゃないってのに!」
ノアを追い、窓から外へ飛び降りる。
こうして私は焦燥感に突き動かされるように夜の街へ駆けだすのだった。




