第346話 海外旅行のガイド選びは慎重に
「も~っ、本当に心配したよっ……!」
「だからごめんって何度も謝ってるじゃん」
「そうだけど~っ! そうだけど~っ!」
あの後、ノラと合流した私はノラのガイドに従い知らぬ街を歩き回っていた。
騒がしい繁華街らしきエリアを抜け、人通の少ない閑静な住宅街に出たところで、周囲の耳を気にしなくてよくなったからか、ノラが先ほどの一件についてお小言を飛ばし始めたのだ。
「……ああいうのは、もうこれっきりにしてね?」
「まあ、なるべくね」
「なるべくじゃなくて絶対に!」
興奮しているからか、語気が荒い。
最初のおどおどした雰囲気はどこへ行ったのやら。
まあ、それだけ緊張の一幕だった、ということなのだろう。
吸血種に対する恐怖心は私とこの時代の人とではかなり違うようだし、予想でしかないのだが。それにしても……
「……ねえ、この時代ではあんなことがまかり通っているの?」
「え? んー、そう、だね。吸血種様が言うことには従わなくちゃだし……」
「従わなくちゃいけないって……そんな決まりを作ったのは誰さ」
「それはもちろん『吸血姫』様だよ」
「きゅうけつき……?」
「うん……この統一国家・ミストフルの女王様」
ミストフル……? エルフリーデン王国ではないのか?
ダメだ、何一つ情報が整理できていない。頭がパンクしそうだ。
「ごめん、ちょっと待ってもらっていい?」
私はその場に立ち止まり、大きく深呼吸をする。
(……まずは一旦認めよう。心のどこかで否定したかったことを。ここは千年後の世界で、私の知っている人はもうどこにもいないのだと)
ここが千年後だというのなら、私の友人知人はその全てが死んでしまっている。
頼りになる仲間はもう、どこにもいない。まずはそこから認めなければ。
(私はこの時代に適応しなければならない。ここは元の時代とはあまりにも違いすぎる。知りませんでした、なんて言い訳は通らないだろう)
感覚としては法律の違う外国に行く時をイメージすれば近いかもしれない。
この地の常識を知らない今の私は細心の注意を払って行動する必要がある。
(今後の方針としては……まずはノラを頼ろう。ティナの病気のことや、過去に帰る方法なんてのは一旦、後回しでいい。まずはこの世界を知ることからだ)
何度目かの深呼吸を終え、思考を整理した私は改めてノラに向き直る。
「……よし、ちょっと落ち着いたよ」
「えと、ご、ごめんね? ノラが急に色々教えすぎちゃったから……」
「ノラが謝ることなんてないよ。私は感謝しかしてないんだから」
「そ、そうなの?」
「うん。いきなりたった一人でこの世界に放り出されることを考えたらね、ノラみたいに親身になってくれる人がいるのは助かるよ。ありがとう、ノラ」
「……そんな、これは当たり前のことで……」
感謝を告げると、ノラはさっと視線を逸らして謙遜する。
照れているのかな? アリスにも言われたことがあるのだが、私の物言いはストレートすぎて聞いている方が恥ずかしくなることがあるのだとか。
シンプルに失礼だと思う。こっちは正直な気持ちを打ち明けているだけなのに。
「あ……そ、そうだ。先に言っておくとね、これから行くとこはノラの家だけどノラの家じゃないの」
「ん? それは……どういうこと?」
家だけど家じゃない……とんちかな?
「ノラはいわゆる居候で……家での立場は最底辺だからルナを泊めてあげられるか……けど、たぶん大丈夫。あの家の人たちは良い人ばかりだから」
「そうなの? まあ、野宿になっても文句は言わないよ。慣れてるし」
旅をしていた頃の野宿に比べれば、安全がある程度確保されているだけで十分だと思ったのだが、ノラはそうは思わなったみたいで、
「だ、ダメだよ。ルナみたいな可愛い子が一人で野宿なんて……百八番街は治安が悪いから」
「百八番街?」
「あ、うん。この街の名前」
百八番街か……いかにも記号的な名称だ。
つけたやつは相当センスがないな。
「だとしたらどこか泊まれる場所も探さなくちゃかな……」
「だ、大丈夫。ルナのことはちゃんとノラがお世話するからって説得するし!」
握りこぶしを作ってやる気を見せてくれるのはありがたいのだが……説明の仕方が完全に拾ってきた野良猫のそれなんよ。
若干の頼りなさを感じながらも他に頼れる人物もいないので、出会ったばかりのこの少女にオールインする覚悟を決めたところ、
「あ……着いたね。ここだよ」
「ここが……」
ようやくたどり着いた場所は、想像を超える立派な一軒家だった。それこそ元の時代なら貴族が住んでいてもおかしくないレベルの。ここに来るまでに眺めてきた他の家屋と比べても飛びぬけているように見える。
こんな場所に居候しているって、ますますどういう立場なんだろう。
「まずはノラが話をするから、ルナはついてきて」
言いながら、ノラは懐から取り出した鍵で玄関の扉を開く。
灯りのついた室内には空を描いた風景画が飾られているくらいで、装飾品の類はほとんどない。貴族の屋敷であれば、来客へのアピールでこれでもかというくらいにわざとらしく着飾られているものだが。
目に付く品と言えば、傘立てのようなものに入れて並べられたゴルフクラブっぽい金属棒だろうか。何かのスポーツ用品らしいが……うーん、興味あるね。
「た、ただいまぁ……」
興味深く周囲を見渡す私をよそに、ノラがへにょへにょした声で室内に声を飛ばすが返事はない。
ノラのやつ、完全に腰が引けているな。一気に頼りなさが増してきた。
「あれ……レイチェル、まだ帰って来てないのかな」
玄関の靴を見るノラが初めて聞く名前を出す。
気になるが、いちいち聞いていたらこのまま玄関で話し込むことになりそうだ。
ここは流れに身を任せるとしよう。川面を浮かぶ流木のように。
「うう……ノラのプランが……ど、どうしよう。い、一旦出直す?」
「ここまで来て!?」
どうやらノラは、そのレイチェルとやらを頼りにしていたらしく、不在を知るなり白旗を上げてしまった。というか私に聞かれても困る。こっちはもう君にオールインしているんだってば。
「で、でもでもレイチェルがいないと冷静に話せる自信が……」
「いや、どうしても無理っていうなら仕方ないけど……え? 居候とはいえ、一緒に暮らしているんだよね?」
「う、うん……もう5年くらいになるかな……」
5年、それだけ一緒に暮らしているのにまともに会話もできないのか。
これは相手が気難しいのか、ノラが気弱すぎるのか……
「……分かった。それなら出直すことにしようか」
「ご、ごめん……」
「ノラが謝ることじゃないよ。迷惑かけてるのは私なんだから」
言いながらノラの後ろにいた私は玄関の扉に手を伸ばし……すかっと見事に空を切る。私がドアノブに触る直前、扉が外側に向けて開いたからだ。
「うわっ……!」
「きゃっ……!?」
支えになるはずの場所が消えたことでバランスを崩した私は、つんのめる形で玄関の外で扉を開いた誰かにぶつかってしまう。また、それだけならまだ良かったのだが相手側も私がぶつかってくるなんて思いもよらず、二人揃ってもつれ合う形で地面に倒れ込んでしまう。
「……っ」
咄嗟に格闘術の訓練中に習った受け身で相手の後頭部を守りつつ、腰に手を回す。下敷きになる相手のダメージを減らすための方法だったのだが、私は相手に抱き着くような形になってしまう。
「あいたた……って、え……?」
更に悪いことに相手は女性だった。それも非常に女性的な体つきをした。
後頭部に手を伸ばす為に密着した私の顔面は狙ったかのように女性の胸部……その谷間に思いっきり体を埋めていた。
ここで今までの流れ相手視点で振り返ってみよう。
恐らく帰宅したのであろう彼女は扉を開けた途端に何者かに襲われ、押し倒された挙句に胸元に顔を押し付けられている。ここで普通はどんな対応をするか。
「……っ、きゃああああああああああっ!!」
そうなりますよねぇ!
「えっ、誰!? なんで中に……!?」
「ま、まっへくらはい! 説明を……!」
「どうしたレイチェル! 何があった……!」
深夜に響く女性の悲鳴は周囲の人を集めるのに十分な威力があったらしく、騒ぎを聞きつけて玄関の奥からこの家の主と思われる男性が現れる。
「なっ!? 盗人か!? 下がっていなさい二人とも!」
しかも、男性は玄関にあったゴルフクラブっぽい金属棒を手に取り振りかぶる。
あんなもので殴られたら下手したら死ねる。私は救いを求めてノラに視線を向けるのだが……
「あわ、あわわわわっ」
こいつ、完全にテンパってるぅ!
コントかってぐらいに分かりやすく両手を上げ下げ、両目をきょろきょろ。
一目であ、こいつもうダメだと分からされてしまった。
「娘に手を出す奴は神だろうとぶっ殺す!」
意気込みだけは96時間的な映画主人公に抜擢されそうなことを言いながらゴルフクラブ(仮)をぶん回すお父さん(仮)。
ひゅん! と勢いよく顔面すれすれを通り過ぎていく金属棒に息を呑んでいると……
「待ってお父さん!」
先ほど抱き着いてしまった女の子……恐らくレイチェルが待ったをかける。
「この子、たぶん盗人とかじゃないよ。着てる服とかちょっと変わってるけどホームレスには見えないし……それに多分、ノラのお友達なのよね?」
立ち上がりながら私に手を貸してくれた少女、レイチェルと呼ばれた彼女は思わず二度見してしまうくらいの美少女だった。編んだ橙色の髪をサイドでまとめた彼女は、仕事着なのか、品の良いショートシャツとタイトスカートに身を包んでいる。
レイチェルは私と、隣でテンパっているノラの様子から大体の事情を察してくれたのだろう。頭の回る子だ。
「さっきはごめんね。不審者かと思って驚いちゃった。私はレイチェル。君は?」
驚きから尻もちをついていた私に手を伸ばすレイチェルに、思わず……そう、思わず、私は一瞬だけ固まってしまう。
「……えっと?」
「あ、すみません。ルナって言います。ごめんなさい、バランスを崩しちゃって」
「全然かまわないわ。それよりケガはない?」
「それは大丈夫です」
実際、あの程度の衝突で怪我をするほどやわな鍛えられ方はしていない。
「レイチェルさんこそケガはないですか?」
「私も多分大丈夫、かな?」
服についた土を払いながら体を見るレイチェルに目立った外傷はない。
目立つ場所と言えば露骨に露出された臍や脚周りだろうか。この時代にはクールビズの概念でもあるのか、やけに丈が短い。素晴らしい時代に来たものだ。
「……誤解だったようですまないね、君。僕はアルバン。ひとまず中に案内しよう。このままだと近所迷惑になりそうだ」
ゴルフクラブを元の場所に戻しながら、手招きするアルバン。
ほっ……一時はどうなることかと思ったけど、レイチェルが冷静なおかげでなんとかなりそうだ。ノラが信頼していたのも頷ける。彼女に賭けた私達の勝ち、ってことになりそうかな?
まあ、賭けた本人であるノラはここまで一言も話さない役立たずだったが。




