第342話 小骨が喉に引っかかるとは言うが……そんなことある?
「私が……未来に行く?」
ノアの口から語られたその方法は、とてもシンプルでとても難解なものだった。
「ああ。前にも言った『ノアの箱舟』の術式は現段階でも既に前方方向への時間跳躍が可能ダ。前方方向……つまり未来にのみなら跳ぶことができる」
「でもそれって確か未来にのみ行けるってことだったよね? 未来で治療法を手に入れたとしても、それをどうやって今の時代に持ち帰るのさ」
「そこがさっき言ったリスクになる。まず、ルナには五年後の未来に向かってもらう。そして、ルナが到着するまでの五年間でノアが過去に戻れるように『ノアの箱舟』を改良する。もしも改良が間に合わなければまた五年、そうやって過去に帰れるようになるまで研究を繰り返す。現段階で理論的には可能な過去跳躍を術式に応用するためには相応の時間が必要ダ。だが、逆に言えば時間さえあればやってやれないことはナイとノアは思っている」
「…………」
「どうだ? やってみる価値はアルだろう?」
あの天才魔術師であるノアが言うのなら、実現性はあるのだろう。
だが、彼女の語る方法はいくらなんでも……
「まさしく奇想天外。天才ってのはこういう突飛な発想がデフォなのかしらね」
面食らい言葉を失う私の肩を持つアリス。
「分かるわよ。『こいつ何言ってんだ』って、私も三日に一回は思ってるから」
「理解できナイのならもう一度説明するが……」
「理解したうえで『こいつ何言ってんだ』って思ってんのよ! たとえ思いついたとしても普通はやろうなんて思わないでしょうが」
両手を組んで眉間に眉を寄せるアリスはどうやらこの一件に反対のようだ。
「そもそもタイムパラドックスに対する解もまだ出てないでしょうが。未知の技術に頼った結果、ルナが帰って来れなくなったりしたらどうすんのよ」
「タイムパラドックスに対する解はそもそも実験してみないことには立証できナイ。どのようなことが起こっても不思議ではないガ、それは実験を進めるにあたって必要な代償ダ」
「はぁ、これだから研究者ってのは……いい? 好奇心は猫ちゃんを殺すのよ? アンタの知識欲を満たすためにルナを犠牲になんかさせないんだから」
「この実験はルナにとっても大きなメリットがアル。ノアは提案しただけで、決めるのはルナ……そうだろう?」
「ルナの頭できちんとリスク管理できるわけないでしょ!」
私そっちのけでヒートアップしている様子のアリスとノア。
というか今、アリスに滅茶苦茶バカにされたような気がするんだけど。
「あー……ちょっと一回落ち着け、お前ら」
口論からついに手が出そうな雰囲気を漂わせ始めた二人を仲裁したのは、これまでずっと黙って話を聞いていた師匠だった。
「お前らがいくら議論を重ねようとこの話題は平行線だ。主義主張、立場と見方、そういうのがまるっきり正反対なんだからな。だからこの件についてはルナが決定を下すべきだ」
「ちょっとマフィ! それじゃこいつの言う通りになっちゃうじゃない!」
「だからってルナの意見を無視することはできない。だろ」
アリスの肩に手を置き、諭すような口調の師匠に、アリスは不満顔を浮かべる。
「……まず、『ノアの箱舟』で運べる人間には適性がアル。具体的に言うと高い魔力量と風系統への適性が必要ダ。そこまで難しい条件じゃナイが、知人の中ではノアとルナぐらいのものだろう。ノアは起点役になる必要がアルから、未来に跳ぶのはルナ一人だけになる」
「起点役?」
「うむ。『ノアの箱舟』は術者本人が移動することは術式的に出来ナイ。具体的に言うと、時間跳躍を行う被術者と時間跳躍を行わせる術者が必要になる。『ノアの箱舟』の瞬間移動が視界内に限定されているのはルナも知っているナ?」
以前にノアと戦った時に見抜いた『ノアの箱舟』の弱点。
それは視界内、更に言うなら視点の先にしか移動できないということ。
術式そのものは理解できていないが、そのデメリットを把握していた私は頷く。
「その限定効果は時間跳躍においても有効ダ。つまり、跳躍する前と後でその人物を視界に収める役、言うなれば『観測者』がこの術式には必須なのダ」
「なるほど……それで適性のあるノアも一緒には来れないってことね」
私の問いにノアが頷く。なんとなくではあるが、具体的な方法も分かってきた。
確かにこの方法ならティナの治療法も見つかるかもしれない。
「だけどリスクが高すぎるわ。私は止めておいた方がいいと思う」
「アリス……でも、それじゃあお母様は……」
「こんなことを言うのは非情かもしれない。でもルナのことを思って言わせてもらうけど、こんなやり方は間違ってる。ルナのお母様が病気に罹ったことは本当に残念に思う。でも、だからってルナが危険を冒してこんな自然の摂理に逆らうような方法を取るべきじゃない」
「…………」
アリスの言う通り、病で死んでいった人間なんてこの世に星の数ほどいる。
それを運命と言うのなら、受け入れるべきなのかもしれない。
かつてノアがマリン先生の死を受け入れたように。
(ノアが言ってた私が嫌がるかもしれないって話……これのことか)
私はかつて過去に戻ってマリン先生を助けようとするノアの行動を否定した。
取り返しのつかないものだからこそ、大切なのだと。そう諭したのだ。
もしもノアの方法を採用するのなら、私はその時の言葉を否定することになる。
それは……よくない。他人はダメで、自分だけ良いなんてそんなこと……
「……ルナ、今回はノアの時とは事情が違う」
「ノア……?」
「ノアはすでに起きてしまった不幸をなかったことにしようとした。死んだ人を生き返らせようとしたんダ。それが間違っていることだと、今なら理解できる。だが、ルナの母親は違うだろう? 彼女はまだ生きている。生きているうちから諦めることはナイ。もしも諦めてしまったら、これから先一生、お前はきっと後悔する」
先ほどとは逆に、ノアの手が私の手を包み込む。
小さく、温かい手だった。
「お前の道はノアが切り拓いてやる。だからお前はお前の道を往け」
何年もの間、後悔の念に苛まれ続けたノアの言葉は……今の私に深く刺さった。
「……ごめん、アリス。気持ちはとっても嬉しいけど……私は行くよ」
どんなリスクがあるかは分からない。だけど、私の気持ちはこの時固まった。
「お母様を救うために……ちょっと未来に行ってくる」
◇ ◇ ◇
「で、五年後の未来に行くことになったってことね」
「うん。帰ってくるのに時間はかからないはずだけど報告はしておこうと思って」
「そっか。時間跳躍だと帰る時間を指定すれば経過時間とかって概念もないのね」
「そういうこと。流石はクレアだね。理解が早くて助かるよ」
「学園次席入学は伊達じゃないのよ」
ふふん、と胸を張って自慢げにするクレア。
ここは以前からクレアが下宿に使っている借屋。
私は未来への跳躍が決まってから身辺整理の時間を取っていた。
もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないからだ。涙の別れは趣味じゃないので、リスクの件については伏せたまま、つまり本当に「ちょっと未来に行ってくる」ぐらいのノリで皆には説明している。
「でも、そうなるとまた半年も待たされるようなことはないわけね。帰ってきたら新しいお店の制服選びに付き合ってもらうから。覚悟しておきなさい」
「あはは……善処するよ」
『銀の矢』の一件を経て、私とクレアはより深い友人関係となったように思う。
互いに恩がありながら、それを良い意味で重くは受け止めていない。友人として理想的な距離感なのかもしれない。とはいえ、半年も放置してしまった件を持ち出されては何とも言えない笑みを浮かべるしかないのだが。
「あー、そういえばレインは? 今はクレアを手伝ってるって聞いたけど」
話題を変えようとレインの名を出すと、クレアはにやりと笑みを浮かべる。
『銀の矢』を追われたレインは行く当てもないので、クレアと同じ借家に住んで今では隣人としての付き合いに落ち着いたらしいのだが……
「ああ、あの子ならねぇ……」
「クレアお嬢様、ちょっと新しい制服のデザインのことで相談が……」
私がクレアと話していると、突然見たことのない美少女が部屋に入って来た。
紺色を基調とした外套とスカートにはフリルがついており、端正な顔立ちとのギャップで年相応の可愛らしさを引き出している。昔の世界ではゴスロリ系と言われていたファッションスタイルだ。
で、その見覚えのない美少女は私を見るとぎょっとした表情で目を見開く。
「ルナ……レストンっ……!?」
「え? あ、えっと、初めまして。ルナ・レストンです」
なぜか私の名前を知っていたのでとりあえずぺこりと挨拶。
すると隣にいたクレアがぶふっ! と噴き出して笑い始める。
「は、初めましてっ! ふはっ! べ、別人だと思われてるっ! あはははっ!」
「え? え?」
腹を抱えて転げまわるクレアと、部屋先で真っ赤な顔で立ち尽くしている美少女。なんだこれ、どういう状況だ?
「ルナ・レストン……急に来て何の用事だ」
「あれ、その声……まさか、お前っ……レインか!?」
「今分かったのか!?」
気付くのが遅れたが、低くよく通る声は確かにレインのもの。
しかし、服装を変えただけでここまで印象が変わるとは……
「すごいね。最早別人じゃん……なんだって急にそんな格好しだしたの?」
「別に僕がどんな格好をしようとお前には関係ないだろう」
「まあ、そうだけど……すごく可愛くなっててびっくりした」
「は、はあ!?」
私の言葉にレインが後退る。
なんだ? そんな驚くようなことを言ったか? 私。
「そ、そういう嘘は感心しないぞ、ルナ・レストン」
「嘘じゃないって。そのフリルつきの外套とかスカートとか、デザインはシンプルだけど、ちょこっとオシャレしてる感じが似合ってて、すごく可愛いと思うよ」
「!!??」
話の流れで服装を褒めると、飛び跳ねて驚くレイン。
こいつ、さては褒められ慣れてないな? ふっ、ちょっと虐めてやろうか。
「レインの顔立ちは綺麗系だし、ギャップがあっていいよね。色合いもレインの紺色の髪と調和しててセンスを感じるね。うん」
ここぞとばかりにべた褒めしてやると、レインは両手でスカートの裾を握ると俯いてしまう。その横顔が耳まで真っ赤に染まっているところを見るに、私の推理はズバリだったみたいだ。
「くっ……殺せ……!」
「そんな追い詰められた女騎士みたいなこと言わなくても……」
ちょっとやりすぎてしまったか。時間もないしそろそろ退散するとしよう。
「それじゃあそろそろ私は行くね、クレア」
「ふふっ、ええ、分かったわ。帰ってきたら、ふふっ、また来なさいね」
どれだけツボに入ったのかいまだに笑い続け散るクレア。
二人とも楽しそうで何よりだよ。
「あ、っと。そうだ。一つクレアに聞いておくことがあるんだった」
「ん? なに?」
「えっと、クレアの屋敷に殺し屋が行った日の事なんだけどさ。あの日、夕方頃に私のところに来たでしょう? 屋敷に呼び出して一体何の用だったのかなって」
あの日のことはクレアも思い出したくないかと思ってなかなか聞けずにいたのだが、何か大切な用件だったのなら会えなくなるかもしれない未来跳躍の前に聞いておこうという魂胆だった。
「かなり切羽詰まってる様子だったし、大切な用事だったんじゃない?」
「……えっと、ごめん。何の話?」
「あれ、忘れちゃった? 師匠……マフィ・アンデルの家に来たでしょ? 窓に小石をぶつけて合図してさ」
少し昔の話だったので、詳細にその時のことを説明するのだが……
「夕方頃に、私がルナと会ってた……? そんなはずない」
「え?」
「だって私、あの日はレインに見張られてて一度も外に出てないんだもの。でしょ、レイン?」
「ええ。あの日は襲撃があると知っていましたから、なるべく外には出さないようにしていました。間違いなくお嬢様は屋敷にいました」
「そうよね」
二人はその時の様子を確認すると間違いないと頷き合う。
だが……だとしたらどういうことだ? 私があの時会ったクレアは一体……
──誰だったと言うんだ?




